第86話 四神演義
『じつは、フェニ子は残響種なんです』
『ほう、残響種だったのねえ』
梁さんは怪しむでも、訊き返すでもなく、すんなりとフェニ子が残響種であることを受け入れた。
もしかして、彼の中に薄々、そういった予感があったのかもしれない。
『なるほどねえ。つまり残響種と一緒に旅をしているということは、君たち二人か、もしくはどちらかが勇者ということになるのかな』
『はい、私がそうです』
『ふむ、東雲くんか。ちなみに〝フェニ子〟というのは彼女の正式な呼称名ではないのだろう? 差し支えなければ、名前を教えてくれないかな』
「聞いて驚け! 妾こそが鳳凰じゃ!」
突然、隣にいたフェニ子は両手を腰に当て、大きく胸を張り、偉そうに答えた。
私は呆れながら視線を戻すが、梁さんは目を丸めたまま、フェニ子を見つめていた。
『鳳……凰……』
今まで、大抵のことには動じていなかった梁さんの口がかすかに震える。薬を調合していた手が止まる。
そこまで驚くことなのだろうか。
むしろフェニ子を残響種だと睨んでいたのなら、鳳凰への連想もすぐにできそうなものだけれど。
『あのときの――』
『あのときの?』
そう言いかけた梁さんの目は、フェニ子ではなくその後ろに向けられており、どこか昔を懐かしんでいるふうに見えた。
「……フェニ子、もしかして梁さんと知り合いなの?」
「呵呵、知り合うとるわけがなかろう。そもそも妾は、転生のたびにほとんどの記憶が抜け落ちると、前にも言うたであろう」
「そうだっけ」
「そうなのじゃ。……じゃから、妾が知らずとも一方的に知られておることもある」
『そうなんだ……なんかすみません、梁さん。フェニ子が適当で』
『ほほ。構わんさ。それに、どうやら儂の勘違いだったみたいだしねえ』
『勘違いですか?』
『そうだねえ。昔、どこかで会った……ような気がしていたんだけど、いやはや、年を取ると記憶も曖昧でねえ。人違いなんて日常茶飯事さ。いや、この場合は魔物違いかな』
梁さんはそう言って楽しそうに笑い、再び手を動かし始めた。
『それよりもだ。鳳凰といえば四象の一柱、丹梅国にとって重要な魔物じゃないか』
『四象……?』
聞きなれない単語に私は首を傾げる。
『さすがに知らないかな。四象とは、昔の丹梅国においての守り神だった存在さ』
『魔物が……守り神……?』
『ほほほ。昔は魔物ではなく、神様として祀られていたんだよ。呼称名も四象ではなく四神だったんだよ』
そう言われ、私は隣にいたフェニ子を見る。
彼女は今まさに、私たちが自分のことについて話しているというのに、あまり関心がなさそうにしている。
「……フェニ子、あんた神様だったの?」
「そうじゃが?」
「そうじゃがって――ああ、なるほど。だから無駄に偉そうだったんだね、あんた……」
「どうじゃ! 参ったか!」
「参らないって。……でも、ちょっと見直したかも」
「嘻嘻。そうじゃろう、そうじゃろう」
「スーシャン……四象……ししょう……シショー……まさか――」
「どうしたの? 紅月?」
「覚えてないかしら? 〝シショーに気をつけろ〟……白雉国から出るときにアスモデウス様が言っていた言葉よ」
「ああ、言ってたっけ、そんなこと」
「ええ、発音が似ているし、おそらくアスモデウス様が言っていた〝シショー〟とは、丹梅国においての〝四象〟を指しているのよ」
「でも、気をつけろったって……そうだフェニ子、あんたほかの四象のことは知らないの?」
「知らぬ。大昔に別れたきりじゃ。今も生きているか。それとも死んでいるかもわからぬ」
『もしかして今、四象のことについて話しているのかな』
相変わらず忙しそうに手を動かしながら、梁さんが尋ねてきた。
そうだ。目の前に専門家がいるんだから、この人に訊けばいいんだ。
『ああ、すみません、じつは――』
私は梁さんに、もっさんから聞いていた四象と、それに気をつけろと言われたことを話した。
梁さんはしばらく、手を止めずに聞いてくれていたが、もっさんの名前を出すと手を止め、興味深そうに耳を傾けてきた。
『これは驚いたねえ。まさか残響種だけではなく、かの魔王アスモデウスとも知り合いだったとは。東雲くんはとても面白い縁をお持ちのようだ』
『いえ、そんなことは……』
『四象のことだったねえ。彼らはおそらく今もフェニ子くんと同じく、この丹梅国のどこかで生きているのだろう』
『どこか……ですか?』
『そうだねえ。詳しい場所までは知らない。けど、昔はここ、瑞饗の四方を守護してくれていたんだ』
『そうなんですね。でも、そんな神様がなんで魔物に?』
『神魔大戦以降〝神は天に召しますただ一柱のみ〟という考えが広く布教されたからねえ。世界各地の、地元に根付いていた神様たちはもれなく貶められてしまったんだ。これが四神から四象へと呼び方が変わった理由だねえ。とはいえ、我々、丹梅国の人間にとって、四象も四神もありがたい存在であることには変わらないんだ』
『けれど、そんなありがたい存在である四象に対する信仰も、時を経るごとに薄れていった……ということでしょうか?』
今度は紅月がそんな質問をするが、梁さんはそれに対して首を横に振った。
『そういう説もあるねえ。ただ、それに関しての記述はどの文献にも書かれていないんだ。神魔大戦が起きてから数年経って、ある日を境にぱったりと四象が姿を現さなくなったんだよ』
『突然、ですか?』
『そう突然さ。当時の文献を読む限り、なんの前触れもなかったみたいだねえ』
『では、現在彼らがどこにいて、何をしているかもわかっていないと』
『そうだねえ』
なるほど。
千年くらい前に消息を絶った神様の一柱が、こうしていきなり目の前に現れた。
しかも、今まで丹梅国じゃなくて白雉国にいたんだから、梁さんじゃなくても驚くよね。
『――って、よく考えたら当人ここにいるじゃん!』
私がそう言うと、二人は一斉にフェニ子を見て『たしかに』と言った。




