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無音の愛  作者: 九JACK
1/1

無言

 祖母が寄越す黒飴が、大嫌いだった。

 口に残るあの甘さ。喉を焼くようなだれた感じが私はどうも気に食わなかった。祖母の見ていない場所で、こっそり吐き出していた。紙にくるんでごみ箱に捨てた。よくわからない金属の屑籠の縁で、黒飴が弾けて、ぴしゃんと音を立てた日は、生きた心地がしなかったものである。食べ物を粗末にしている、と後ろ指を指されたら、そればかりはその瞬間、一つも否定ができないから。

 それでも私は黒飴を吐いた。嫌いだから。学校の理科の実験で作ったべっこう飴は美味しかった。あれと同じく砂糖を溶かして固めた塊だろうに、何故ああも癪に障るのか。いつまでも解せぬまま、私は大人になってゆく。

 どこぞの有名なメーカーのいちご味のミルクキャンディ。子どもの頃は食べられたのに、大人になるより先に、口に合わなくなった。中学に上がったばかりの頃か。「あーちゃん好きだったよね」と伯母が私にくれたそれ。いつまで経っても口の中に居残る甘味に、私は何度うがいしたか知れない。

 薄荷味の歯みがき粉で、神経質なほど念入りに、私は歯を磨いた。私と同じ歯みがき粉を舐めたみんなは一様に「辛い」という。今時こんな辛いミント味があるものか、と憤慨されたこともある。あるんだから仕方ない。文句なら歯みがき粉を製造しているなんとかという株式会社にでも言ってくれ。

 遠い昔、私もこの歯みがき粉を梅干しのように口をすぼめて嫌がっていたはずなのに、その記憶は白昼の月よりも淡く、溶けて見境がつかないほどに薄らいでしまっている。どうしてだろう、寂しくない。

 たぶん、私は甘いものが苦手だったのだ。


 子どもがピーマンを嫌いだというのは、舌にある味蕾という器官が苦味を拾うからという。味蕾は経年劣化していく。年を取るにつれ、人は苦味を感じづらくなるのだと聞いた。だから、幼少の時分に食べられなかったピーマンが好物に昇格したり、コーヒーを無糖で楽しむようになったりするとか。

 味蕾の劣化云々は実感がない。私は苦味のものに関しては、特に好き嫌いがなく、おそらくこの先ずっと、嫌うことだけはないだろう。人生の方がずうっと苦い。

 塩辛いのも好きというわけではないが……そう、得意。得意なのだ。三陸より向こうの土地で有名な、いかの塩辛なんかが好きで、まあ生臭いのはそうなのだけれど、あれを口に含んでよく冷えた焼酎を啜るのはなかなかに至高だ。ついでに言うと、私はいかなる酒にも氷は入れない。ストレート一択である。

 私の味覚はそれなり子どもの折からこんなはずだったが、誰かに不審がられることもなかった。不審がられないように「好み」を隠していた——否、己に好みがあることを知ってはいたが、ないかのように振る舞っていた。

 うちは、体罰のある家だった。食べ物の好き嫌い、人の好き嫌い、何かを好き、何かを嫌うという事柄全てが悪であるかのように、平等に学び、平等に嗜まされた。好き嫌いを言おうものなら、脳天を竹棒で叩かれる。

 姉や兄は、それで血を流したことがあった。今思えばあれは脳震盪で、姉は泡を吹いて倒れ、兄は吐瀉を撒き散らした。昭和かたぎにしても、異常な話だったと思う。

 見せしめをしっかり受けた子どもの私は、賢く、利口に見せようと、あらゆる失態を回避した。心臓が冷えたのは、黒飴が屑籠に弾けたあの一度きり。私はうまくやっていた。そうしないと、死ぬよりひどい目に遭うと幼心にわかっていたのだろう。脳天から血を流し、堪えることもできず嘔吐するなんて、只事ではない。

 私はうまく、体罰を避けた。けれど、変な子だと不審がられた。何も仕出かさない子どもだなんて、薄気味悪い、と。

 お前たちがそう望んだのではないか。何も仕出かさない子どもに仕立て上げたくて、兄姉にあんな暴力を振るったのだろう? 私はそれを正しく受け止めただけだ……と思いこそすれ、叫ぶことはなかった。

 そんな行儀の悪いことをすれば、打たれる。竹棒が痛いことを知っていた。打たれるたび、姉も兄も痛い痛いと泣いていたし、血を流す怪我が痛いことはよく知っている。自分でやった深爪はしばらく痛かった。

 私は利口に、物分かりのいいように振る舞った。けれど、親の言うことをなんでもかんでも鵜呑みにしたわけじゃない。嫌なことは嫌だったが、態度に出さない。能面のような面で、凪いだような眼差しで、ただ見つめた。顔に情を移さねば、好悪などわからないだろう。我ながらなかなかできた考えだと一人満足していたものだ。

 それも、精神病院に連れて行かれるまでの話である。

 私は病気と思われたらしかった。なぜ。親の求めるように「善い子」のお面を被っていただけではないか。

 先生、この子は感情を出すのが全然うまくなくて、と母親が私を示して言ったとき、私ははあ? と怒りに満ちた頓狂な声を上げるところだった。お前がそう育てたんだろう。自分でこう育てておきながら、よくもまあ、ぬけぬけと。

 父も私を心配した。どんなに我々が心配しても、大丈夫とばかりで……なんて、どの面下げて言うのだろう。私の方がお前をずうっと心配していたよ。姉や兄をいつか殺すんじゃないかって。そうしたら、私は人殺しの子になってしまうって。

 でも、そう、そう……そんな親に、こんなふうに育てられて、きっと私も可笑しかったのだろう。

 高校二年の夏、私は老朽化した雑居ビルの二階から、故意に落ちた。

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