夢想世界
《DRMMORPG ディザイア・オンライン》
夢がそのままゲーム体験になる。
そんな、いかにも信じ難いゲームをプレイする為、わたしは《アデリア》と呼ばれる白い頭部装着型の機械を身につけて、眠りについたのだ。
つまり、ここが《夢想現実》と呼ばれるゲームの世界。
「……ゲーム?」
私はしゃがみこんで、草木を手で撫でてみる。触れた感触、手に染み付く青臭い匂い。間違いない、病院のテラスエリアで咲いてた花々と同じ香り。
この視界に映り続けるHPとかMPとかいう露骨にゲーム的なゲージ達を除けば、何一つ作られた世界だという事を感じさせない。
「あれ……」
胸に手を当てる。
息苦しく無い。息を吸うたびに痛みを感じない。
おそるおそる足に力を入れて立ちあがろうとする。痛みも無い、感じたことの無い程に力が入る。
「うわっとと!」
久しぶりの両足で立ち上がった感覚に慣れなくて、勢い余って木にもたれかかる。
そっと、木から手を離してみる。
——立てる。
さらに一歩踏み出してみる。
痛みは感じない。
さらにもう一歩。
そして、もう一歩。
——歩ける。
「もしかして……」
目の前に、澄んだ池が見える。
わたしはおぼつかない足取りで、池まで体を運び、水面に映る自分の姿を確認した。
――誰だこの可愛らしい女の子は。
薬の副作用で全て抜け落ちたはずの髪は、目を引くほど綺麗な白髪に。痩せ細って正気の無い肌は、白くてすべすべの肌に。
華奢だが、健康的に肉付いた体に、澄んだ瞳、ぷるんとした唇。しっかり膨らんだ胸。
どこか儚くも、美しい可憐な美少女。
自分の頬に手を当てて、確認する。
「これが、わたし……?」
よく見れば、わたしの面影がある。
人の記憶や願い、想いから作られる分身。
この姿は、わたしの願いから作られた健康な自分の姿ってことなのだろうか?
「……すごい」
息を大きく吸う。空気がおいしい。
「わあああああああああ!!!」
生まれて始めて全力で叫んだ。その声に驚いた小鳥達が飛んでいく。
痛くない、苦しく無い。
「すごい、すごいすごい……!」
病気の苦しみが、全く無い。
再び風が吹きすさぶ。
体に伝う清涼感を、目を閉じて全身で感じる。
草木がゆらめく音、美味しい空気。本物の森に行った事は無いが、これが偽物だとは思えない。
――これが《夢想世界》……!
正直、期待などしていなかった。
しかし、健康な体と再現度の高い世界に、さすがの私も感動のあまり溜め息を漏らした。
歩いては、何かを見つけて立ち止まる。
綺麗な花だ。良い匂いがする。持ち帰りたいが、花だって生きている。そのままにしておこう。
大きな木だ。枝の先には木の実がついてる。取ってみたくて、木に掴まろうとするが、ツルツルして登れない。
蝶々が飛んでいる。初めて見た。捕まえたくて、追いかけようとするが、木の根につまずいて転んでしまう。
「……ふふ」
転んだって痛くない。思わず笑ってしまう。
何もかも初めてで、楽しくてしょうがない。
――まるで夢みたいだ。
「あっ……」
そう思い至った時、わたしは我に返る。
そう、これは紛れも無い夢。現実のわたしは白髪美少女ではない。こんなに派手に転んだなら、現実のわたしなら命の危険が伴う重傷になる。
わたしは、ただの死ぬ前の慰めとして、このゲームをプレイした事を思い出した。
――現実は何も変わっちゃいない。
空虚な病室のベッドの上で横たわってる死にかけの人間……それが本当のわたしだ。
それなら、この世界ではできるだけ明るく振舞おう。
――少しでも、現実のわたしを忘れられるように。
――――――――――
さっそくだが、一つ問題が発生した。
今のわたしは仮初とはいえ、健康な体を手に入れた。それがどれほど素晴らしい事か、数十分間森を歩いたり、走り回ったりして十分に理解した。自分の足で、どこへでも好きなところへ行ける。
――わたしはどこに行こうとしてるんだっけ?
ああ、こういうのなんて言うのだろうか。
頭を捻って考えると、二文字の言葉が思い浮かんだ。
「……遭難?」
そんなわたしの独り言は、静かな森に良く響いた。
全く知らない森。歩いても歩いても同じような木々の景色だけ。この森に終わりはあるのか、わたしはそもそもどこに向かって歩いているのか。
「そもそも、ここどこなんだろ……」
ゲームというくらいなのだから、やり方や今後の身の振り方などの説明があるものじゃないのだろうか? わたしの認識が間違っているだけで、ゲームというのは本来こういうものなのか?
どちらにせよ、ずっとこのままだとまずいという事は、生まれてからずっと病室暮らしだったわたしでも分かる。
持ち物も、身に着けているいい加減な服だけだ。役立ちそうなものは持っていない。
溜め息を吐くと、喉を通っていく空気に私は気が付かせられる。
「喉乾いたな……」
このゲームが始まってからずっと歩いてばっかりだというのに、水分の一つも取っていない。当然の事だ。
――ゲームでも喉乾くんだ。
長時間歩けば足が疲れる、喉が渇く。当たり前の事なのだが、ここが夢——もといゲームの世界だと、やはり不思議な気がしてならない。
鳥の鳴き声、風の音、水の音が聞こえる。これも、夢想現実というものが作り出した夢な訳で……。
——水の音……?
目を細めて耳を澄ますと、かすかに水の流れる音が聞こえる。
もしかしたら、水場があるのかもしれない。もちろん実物は見たことが無い、見てみたい。
私はその水音を頼りに、足場の悪い森の中を進んでいくと、森の吹き抜けを流れる小さな川を発見する。
「川だ!」
意気込んで砂利の陸地に飛び出す。澄んでとても綺麗な水だ。これなら飲めるかもしれない。
手で水をすくってみると、ひんやりと気持ちのいい冷たさが、私の手のひらに広がる。当然、水をすくった手は濡れて滴る。
恐る恐る水を口に含んでみる。
――冷たくて、おいしい。
水のひんやりとした感触が、身体に伝っていくのが分かる。
乾きも癒えたお陰か、この世界に来てからずっと昂ってた感情が、少しだけ収まってきた。
現状、わたしは何の手がかりも宛も無く、この森を彷徨い続けている。ゲームを開始して早々、このような状況に晒されるのはゲームの仕様なのかも気になるが、それよりも気になる疑問点が浮かんだ。
《夢想世界》と呼ばれているこの世界だが、そもそもこれは《MMO》と呼ばれているゲームの世界だ。ログインする前に色々と調べてみたが《Massively Multiplayer Online》の略。日本語で多人数同時参加型オンライン。数百人から数千人規模のプレイヤーが、同じゲーム世界を共有して同時にプレイできるオンラインゲームの事らしい。
ところがどうだ。30分程歩き回ってみたが、多人数どころか、人の一人も見かけない。このゲームのプレイヤーにさえ会えれば、今抱えている問題を一気に解決できそうなものなのだが。
そもそも今は何時だ? 現実世界では床についた時間のためもちろん夜のはずだが、日の傾き的には恐らくこの世界は早朝だ。
「あれ?」
ふと、時間を知る方法は無いかと視界に表示されているメーターのようなもの達に視線を移すと、HPや MPのゲージには変動が見られないが、オレンジ色の円形のゲージは少し減ってしまっており、ゲーム開始時には確かに100と表示してあった数字が98と表示されている。
全く理由は分からない。そもそも、この数字はオレンジ色のゲージの量を表しているのか、全く別のものを指しているのかすら分からない。
というか、やはりゲームなのだからこういうのは最初に説明があるはずなのでは?
と、考えを巡らせている時だった。
プーッ!プーッ!
「いひっ!?」
突然頭に鳴り響くスイープ音。突然の事に自然と体が飛び上がる。
誰が聞いても分かる警報。視界に表示される《Warning!!》という赤い文字。
――もしかして、これは。
周辺に黒い煙のようなものが立ち込み始める。それは、わたしの数メートル先の目の前に集まり、影が伸びるように形を成した。
膨れ上がったかのようないかつい顔に、人間と比べて低い背丈に長く太い鼻、そして黄色い眼を光らせている。言い換えるなら、角の無い緑色の鬼だ。
見た事ない化け物。見た事無いはずなのだが、わたしはよく知っている。
「ゴブリン……!」
わたしは確信した。
このゲームは、本当に不親切なゲームだと。