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蛊真人  作者: 魏臣栋
青茅山
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第九十九章 神じゃない人だ

ザーザー……


真元海(しんげんかい)が波(なみ)がうねり、潮(しお)の満干(みちひ)く様(よう)に揺(ゆ)れ動(うご)いていた。


視界(しかい)いっぱいに広(ひろ)がるのは淡(あわ)い赤色(あかいろ)。もはや一転(いってん)の青銅(せいどう)の海(うみ)ではなく、赤鉄(せきてつ)の海(うみ)となっている。


空腔(くうこう)の四壁(しへき)は輝(かがや)く薄膜(うすまく)で覆(おお)われ、二転初階(にてんしょかい)の象徴(しょうちょう)だ。


赤鉄真元海(せきてつしんげんかい)は空腔(くうこう)の四割四分(よんわりよんぶ)を占(し)め、その上空(じょうくう)に春秋蝉(しゅんじゅうせみ)が姿(すがた)を現(あら)わしていた。


約一年(やくいちねん)の休眠(きゅうみん)を経(へ)て、その姿(すがた)に回復(かいふく)の兆(きざ)しが見(み)える。


以前(いぜん)は枯(か)れ朽(く)ちた薪(まき)のように光沢(こうたく)なく荒(あら)れた表皮(ひょうひ)だったが、今(いま)は薄(うす)らかに油(あぶら)の光(ひかり)を宿(やど)している。


秋風(あきかぜ)に舞(ま)う枯葉(かれは)のようだった羽根(はね)には微(かす)かに緑(みどり)がかった新芽(しんめ)のような色合(いろあ)いが加(くわ)わり、縁取(ふちど)られた黒線(こくせん)が欠損部(けっそんぶ)を補(おぎな)い、完全(かんぜん)な弧(こ)を描(えが)いている。


「春秋蝉(しゅんじゅうせみ)……春(はる)と秋(あき)を経(へ)て回復(かいふく)するのか。再生(さいせい)から一年(いちねん)、つまり一巡(いちじゅん)の春秋(しゅんじゅう)を経(へ)たからこそ回復(かいふく)したのだ」


方源(ほうげん)は春秋蝉(しゅんじゅうせみ)を凝視(ぎょうし)しながら、新(あら)たな理解(りかい)を得(え)た。


蛊師(こし)の煉(ね)り・養(やしな)い・用(もち)いる——その「用(もち)いる」には多様(たよう)な方法(ほうほう)が存在(そんざい)する。方源(ほうげん)は春秋蝉(しゅんじゅうせみ)と日夜(にちや)接(せっ)する中(なか)で、その本質(ほんしつ)を徐々(じょじょ)に把握(はあく)しつつあった。


「だが春秋蝉(しゅんじゅうせみ)は未(いま)だ虚弱(きょじゃく)だ。瀕死(ひんし)の崖(がけ)から数歩(すうほ)這(は)い出(だ)したに過(す)ぎぬ。使(つか)えるのはその威圧感(いあつかん)で蛊虫(こちゅう)を制圧(せいあつ)し、単煉(たんれん)効率(こうりつ)を高(たか)めることだけだ」


合練(ごうれん)成功率(せいこうりつ)を向上(こうじょう)させるのは他(ほか)の特殊(とくしゅ)蛊(こ)の領域(りょういき)。専門分野(せんもんぶんや)があるのだ。


春秋蝉(しゅんじゅうせみ)の他(ほか)に、海面(かいめん)では丸々(まるまる)と太(ふと)った酒虫(しゅちゅう)が球体(きゅうたい)になり海水(かいすい)に浮(う)かび、楽しげに漂(ただよ)っている。


瓢虫(てんとうむし)のような白豕蛊(はくしこ)と翡翠(ひすい)色(いろ)の玉皮蛊(ぎょくひこ)が互(たが)いに周回(しゅうかい)しながら飛(と)び回(まわ)っている。



方源(ほうげん)はゆっくりと瞼(まぶた)を開(ひら)き、自(みずか)らの右手(みぎて)の平(ひら)を広(ひろ)げた。掌(てのひら)の中央(ちゅうおう)には三日月(みかづき)と二つ(ふたつ)の五芒星(ごぼうせい)の紋(もん)が浮(う)かんでいた。


錆蛊(さびこ)二匹(にひき)と月光蛊(げっこうこ)が宿(やど)る証(あか)しである。


床(とこ)に坐禅(ざぜん)する方源(ほうげん)の視線(しせん)が敷(し)き布団(ぶとん)へ移(うつ)る。


その上(うえ)には三(みっ)つの錢袋(ぜにぶくろ)が置(お)かれていた——二(ふた)つは膨(ふく)らみ、残(のこ)り一(ひと)つは半分(はんぶん)以上(いじょう)が空(から)になっている。更(さら)に猪王(いのししおう)の雪白(ゆきしろ)き牙(きば)が象牙(ぞうげ)のように方源(ほうげん)の脚(あし)に寄(よ)り添(そ)うように横(よこ)たわっていた。


病蛇小組(びょうじゃしょうそ)が死力(しりょく)を尽(つ)くして猪王(いのししおう)を倒(たお)した後(あと)、電狼群(でんろうぐん)の襲撃(しゅうげき)に遭(あ)い、猪王(いのししおう)の肉体(にくたい)の大半(たいはん)が喰(く)い荒(あ)らされた。残(のこ)された二本(にほん)の純白(じゅんぱく)の牙(きば)が唯一(ゆいいつ)の戦利品(せんりひん)だった。


族規(ぞくき)に従(したが)い、猪王(いのししおう)討伐(とうばつ)の功労者(こうろうしゃ)である方源(ほうげん)は無償(むしょう)で一本(いっぽん)の牙(きば)を獲得(かくとく)していた。


「元石(げんせき)が底(そこ)をついた……残(のこ)りで合練(ごうれん)一回分(いっかいぶん)か」方源(ほうげん)は眼前(がんぜん)の品々(しなじな)を見詰(みつ)めながら眉(まゆ)を寄(よ)せた。「成功(せいこう)しようが失敗(しっぱい)しようが、これで経済(けいざい)は破綻(はたん)する。だが十日(とおか)も経(た)てば元石(げんせき)の消耗(しょうもう)で合練(ごうれん)すらできなくなる」


七匹(ななひき)の蛊(こ)を飼育(しいく)する経済的負担(けいざいてきふたん)に加(くわ)え、丙等資質(へいとうししつ)の壁(かべ)を突破(とっぱ)するため酒虫(しゅちゅう)を頻用(ひんよう)した結果(けっか)、元石消費量(げんせきしょうひりょう)が常軌(じょうき)を逸(いっ)していた。


最近(さいきん)は空腔(くうこう)の真元(しんげん)回復(かいふく)に元石(げんせき)を使(つか)わず、自力(じりき)で赤鉄海(せきてつかい)を維持(いじ)している。


「崖(がけ)縁(ふち)にぶら下(さ)がり、掴(つか)んだ草(くさ)が切(き)れかけている……」


今(いま)の彼(かれ)に必要(ひつよう)なのは、残(のこ)された草(くさ)を手掛(てが)かりに崖(がけ)を攀(よ)じ登(のぼ)る決死(けっし)の跳躍(ちょうやく)だ。


成功(せいこう)すれば遺産(いさん)を手(て)に新天地(しんてんち)を拓(ひら)け、失敗(しっぱい)すれば再起(さいき)に膨大(ぼうだい)な時間(じかん)を要(よう)する。


「とにかく、始めるぞ」方源(ほうげん)は深(ふか)く息(いき)を吸(す)い、目(め)に決意(けつい)を燃(も)やした。


白豕蛊(はくしこ)と玉皮蛊(ぎょくひこ)が空腔(くうこう)から這(は)い出(だ)し、方源(ほうげん)の眼前(がんぜん)に浮(う)かび上が(あ)がった。


「合(ごう)せ!」心(こころ)で喝(かつ)を入(い)れると、二匹(にひき)の蛊(こ)が眩(まぶ)しい白光(はっこう)を放(はな)ちながら激突(げきとつ)した。


衝撃(しょうげき)音(おん)も無(な)く、光(ひかり)の塊(かたまり)が生(しょう)じる。白(しろ)き輝(かがや)きは前回(ぜんかい)より強烈(きょうれつ)で、両蛊(りょうこ)の意識(いしき)が融合(ゆうごう)しつつある証(あか)しだ。


光団(こうだん)を意識(いしき)で維持(いじ)しつつ、方源(ほうげん)は錢袋(ぜにぶくろ)から元石(げんせき)を次々(つぎつぎ)と投(な)げ込(こ)んだ。


光(ひかり)が元石(げんせき)を飲(の)み込(こ)む度(たび)に、白(しろ)い粉(こな)が布団(ふとん)に散(ち)らばった。光団(こうだん)は天然真元(てんねんしんげん)を吸収(きゅうしゅう)し、洗面器(せんめんき)大(おお)きさから石臼(いしうす)程(ほど)まで膨(ふく)らんだ。


「頃合(ころあ)いだ」方源(ほうげん)が細目(ほそめ)になり、猪王(いのししおう)の雪白(ゆきじろ)き牙(きば)を握(にぎ)りしめ光団(こうだん)へ投(とう)じ入(い)れた。


この行為(こうい)を見(み)れば常人(じょうじん)は驚愕(きょうがく)するだろう。白豕蛊(はくしこ)と玉皮蛊(ぎょくひこ)の合練(ごうれん)法(ほう)は千年(せんねん)も前(まえ)から知(し)られており、牙(きば)の追加(ついか)など聞(き)いたことが無(な)いからだ。


しかし過去(かこ)に無(な)くとも未来(みらい)はある。実(じつ)は150年後(ねんご)、ある蛊師(こし)がこの秘方(ひほう)を改良(かいりょう)し、猪牙(いのししのきば)添加(てんか)で成功率(せいこうりつ)が飛躍(ひやく)することを発見(はっけん)するのだ。



方源(ほうげん)は500年後(ご)の知識(ちしき)を携(たずさ)えて転生(てんせい)したため、この秘訣(ひけつ)を知(し)っていた。


雪白(ゆきじろ)の牙(きば)が光団(こうだん)に投(な)げ込(こ)まれると、不思議(ふしぎ)な変化(へんか)が起(お)きた。


眩(まぶ)しかった白光(はっこう)が瞬(またた)く間に柔(やわ)らかな輝(かがや)きへ変(か)わり、四方八方(しほうはっぽう)へ放射(ほうしゃ)していた光線(こうせん)が波紋(はもん)のように流転(るてん)し始(はじ)めた。


方源(ほうげん)が見守(みまも)る中(なか)、光団(こうだん)は徐々(じょじょ)に収縮(しゅうしゅく)し、最終的(さいしゅうてき)に大気中(たいきちゅう)へ溶(と)け込(こ)んでいった。


玉皮蛊(ぎょくひこ)も白豕蛊(はくしこ)も消(き)え、新(あたら)しい蛊(こ)が静(しず)かに浮遊(ふゆう)している。


楕円形(だえんけい)の玉石(ぎょくせき)のような姿(すがた)。全身(ぜんしん)は宣紙(せんし)の白(しろ)でも牛乳(ぎゅうにゅう)の白(しろ)でもない——玉(ぎょく)のような光沢(こうたく)を帯(お)びた潤(うるお)いのある白色(はくしょく)だ。


これこそ二転(にてん)蛊(こ)・白玉蛊(はくぎょくこ)。


「……成功(せいこう)か」ここに至(いた)って、方源(ほうげん)はようやく安堵(あんど)の息(いき)を吐(は)き、胸(むね)のつかえが下(お)りた。


一見(いっけん)単純(たんじゅん)に見(み)えるこの過程(かてい)にも、実(じつ)は数多(あまた)の危険(きけん)が潜(ひそ)んでいた。



第一(だいいち)、意識(いしき)の融合(ゆうごう)――多意識操作(たいしきそうさ)の要(かなめ)

普通(ふつう)の人間(にんげん)が片手(かたて)で丸(まる)を描(えが)きつつ、もう片方(かたほう)で四角(しかく)を描(えが)く「一心二用(いっしんによう)」すら困難(こんなん)だ。ましてや「一心多用(いっしんたよう)」となれば、途方(とほう)も無(な)い修練(しゅうれん)が必要(ひつよう)。失敗(しっぱい)を重(かさ)ね、天分(てんぶん)も必要(ひつよう)とする。方源(ほうげん)がこれを軽々(かるがる)とこなせるのは、五百年(ごひゃくねん)に及(およ)ぶ経験(けいけん)の賜物(たまもの)に他(ほか)ならない。


第二(だいに)、蛊虫(こちゅう)への深淵(しんえん)なる理解(りかい)

蛊師(こし)が蛊(こ)を理解(りかい)すればするほど、合練(ごうれん)成功率(せいこうりつ)は上昇(じょうしょう)する。この真実(しんじつ)は三百年後(さんびゃくねんご)に広(ひろ)く認知(にんち)されることになる。長年(ながねん)使い込(こ)んだ蛊(こ)ほど合練(ごうれん)しやすいのも、この原理(げんり)による。


第三(だいさん)、正確(せいかく)で独創的(どくそうてき)な秘方(ひほう)

今回(こんかい)の雪牙(せつが)添加(てんか)のように、成功率(せいこうりつ)を二割(にわり)も向上(こうじょう)させる画竜点睛(がりょうてんせい)の一手(いって)が存在(そんざい)する。古月山寨(こげつさんさい)の月光蛊(げっこうこ)の秘方(ひほう)のように、五転(ごてん)以上の秘伝(ひでん)は一族(いちぞく)の長(おさ)だけが継承(けいしょう)する。


しかし――

これら三要素(さんようそ)を満(み)たしても絶対(ぜったい)の成功(せいこう)は約束(やくそく)されない。方源(ほうげん)ほどの経験(けいけん)者(しゃ)でも失敗(しっぱい)の可能性(かのうせい)は残(のこ)る。ただ凡人(ぼんじん)より失敗率(しっぱいりつ)が低(ひく)いに過(す)ぎぬ。


蛊虫合練(こちゅうごうれん)とは生命(せいめい)の進化(しんか)を刹那(せつな)に凝縮(ぎょうしゅく)する創造的行為(そうぞうてきこうい)。数十万年(じゅうまんねん)の自然淘汰(しぜんとうた)を、瞬時(またた)きの焔(ほむら)で成(な)し遂(と)げる神秘(しんぴ)の業(わざ)なのだ。


蛊虫合練(こちゅうごうれん)とは、生命(せいめい)の昇華(しょうか)であり創造(そうぞう)と言(い)える。永劫(えいごう)の時間(じかん)を刹那(せつな)に凝縮(ぎょうしゅく)し、進化(しんか)の過程(かてい)を瞬時(またた)きに完結(かんけつ)させる。


地球(ちきゅう)でこれを行(おこ)えるのは神(かみ)のみだ。


間違(まちが)いなく、これは生命(せいめい)の奇跡(きせき)。蛊師(こし)が凡人(ぼんじん)の身(み)で神業(かみわざ)を顕現(けんげん)させるのだ。どうして毎回(まいかい)成功(せいこう)できようか?


もし毎回(まいかい)成功(せいこう)するなら、それは人(ひと)ではなく神(かみ)である。

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