第六十八節:自然に無垢などない
若い獵師二人は竹紙を握る手を震わせ、目を輝かせていた。
「王獵頭の生涯をかけた知識だぜ!罠の位置は教え合うけど、獣の分布は秘伝なんだ!この地図には代々(だいだい)受け継がれた情報が詰まってる!」
「谷間に鹿の群れが!こいつらを仕留めれば三ヶ月は食いっぱぐれねえ!おっと、川沿いに熊の巣!前に近くで狩りしてたんだ……メモしとけ!」
この貴重な情報は獵師の飯の種。先祖代々(せんぞだいだい)の血と命で積み上げた経験の結晶だった。
王老爺の一族は狩猟一筋。彼は歴代最強の獵師頭として名を馳せていた。
二人の獵師は一刻以上かけて竹紙を何度も確認。方源に促されるまで名残惜しそうに手放さなかった。
その間、王老爺は額を地面に擦り付け続け、娘は呆然と横たわっていた。
「問題ありません、旦那様」
「罠の位置は間違いないです」
「蠱師様!私と娘の命がかかってる!嘘なんてつけません!」王老爺が必死に頭を地面に叩きつける。
「ふむ……」方源が竹紙をパラパラと揺らす。「しかしな、信じねえ」
バチッと電気が走ったように王老爺が顔を上げる。幽青の月刃が瞳に迫ってきた――
ズバッ!
首が飛び、鮮血が飛び散る。
「うわああっ!!」
「旦那様、これは!?」
若い獵師二人が突然の惨劇に凍えつく。
「父――!」少女が金切り声を上げ、父親の無頭の死体に飛びかかる。その途端、月刃が顔面を直撃。
ドタッ!
地面に倒れ、息の根を止められる。
額から顎まで赤い線が浮かび上が(あ)がり、血が滴り落ちる。片側の鼻と唇を伝い黒土に染み込んでいく。もう片方の顔は、白く透き通った肌が青空に映える。
「なかなかの色香だな」方源が冷たい視線で少女を見下ろし、満足げに頷く。
一転中階の真元で放つ月刃は蠱を斬り裂き、高階真元なら骨も鉄も断ち切れる。
「王家の妹――!」若い獵師が最愛の女性の死を目撃し、力なく地面に倒れ込んだ。
「蠱師様、命だけは!」もう一人の獵師が方源の冷たい視線に触れ、魂が飛ぶほど怖れ、ドシンと跪いた。
「立て、入って、捜せ!」方源が冷徹な声で命じる。「獵師の家には必ず獣皮地図がある。地形と罠の位置、獣の分布が描かれてる。出せたら生かしてやる」
「はいはい、すぐに探します!少々(しょう)お待ちください!」二人が慌てて起き上がり、よろめきながら丸太小屋に駆け込んだ。
ガタガタと家具を引っ掻き回す音が響く。
しかし暫らく経っても獣皮地図は見つからない。
「旦那様、もう少し!きっと見つけます!」恐怖と焦燥で顔を歪ませた二人は、食器を床に叩き付けながら荒く捜索を続けた。
「くそっ、どこだ!?」
「出て来いよ、早く!」
震える手で物を投げ捨てながら、充血した目で必死に探し回る。
「使えねえ奴らめ」方源がゆっくりと丸太小屋に入る。
「旦那様!お許しください!ぐすっ……」若い獵師二人が痙攣するように震え、地面に這いつくばって泣き叫ぶ。
方源は跪く二人を無視し、小屋内を見渡した。四部屋に分かれた室内は、荒らされたように家具が散り乱れている。
コツ、コツ……
靴音が木床に響きながら、方源が歩き回る。
「徹底的に探したはずだが……獵師の家に獣皮地図がない道理はない。代々(だいだい)伝わる命の地図がどこに?」
冷たい視線が暖炉に注がれた。炭の残る石造りの煙突付きの暖炉だ。
カチャリ……
火箸で黒炭を掻き分ける方源。脆い炭がポキポキ折れる中、一際重たい塊が転がり出す。
「これは?」
他の炭より硬質で重量感のある物体――その表面に微かな皮質の紋様が浮かんでいた。
火箸でその長細い炭塊を掴み出し、地面に叩き付けると、表面の炭が粉々(こなごな)に崩れた。中から竹筒が現れた。
若い猟師二人はその光景を見て、思わず沈んだ驚きの声を漏らした。
方源は竹筒を手に取り、一方の端にある蓋を外した。軽く傾けると、白い獣皮の地図が滑り出てきた。
地図は竹紙より重く、長さ1メートル・幅50センチほど。黒・緑・赤・黄・青の線で複雑な地形図が描かれていた。
「……!」
方源の目が細くなった。凡人がここまで広域を探索するのは並大抵ではない。
視線が地図上の五箇所に固定される。二つの小規模な猪群、二つの中規模群、そして赤い×印が描かれた大規模な群だ。
「ふん」
竹紙には存在しなかったこの×印に、方源が嘲笑う。若い猟師たちが気付かなかったのは、地図の端に位置するこの印までの知識が及ばなかったからだ。
「王老爺め、よくも騙しやがった」
この獣皮地図こそ方源が殺戮を決行した真因。他人が描いた地図より、自らの手で奪い取った情報こそが最良――それが彼の信条だった。
方源の前世で聞いていない言葉などない。「消えろ」という一言だけで王二を殺すほど浅はかではない。
罠の傍で四人の会話を耳にした瞬間、彼は冷ややかな殺意を決めた。
「王二を殺せば抵抗が減り、地図を入手しやすくなる。殺さない理由があるか?」
方源は殺戮そのものを目的としない。殺すのは手段だ。この手段で問題を直接解決できるなら使わない理由はない。
「王老爺も必ず死ぬ。息子の仇を忘れても、私は忘れん」草の根を絶やさねば春に芽吹く――この道理も知らぬか?
「何だと?無辜を虐殺だと?」
「ふふ。この世に因果から逃れられる者などいない。豚を屠る時、豚は無実なのか?」
大魚は小魚を喰い、小魚は蝦を喰う。自然に食い扶持の連鎖はあれど、無辜など存在せん。
「天が下では誰もが生きる資格もあれば、死ぬ資格もある。無実など一人もいない!」