此れは一基の塔である。
其の形は春の筍の如く、真っ直ぐに聳え立ち、痩せて鋭い。塔身はぼんやりと霞み、七色に輝いて、恰かも塔楼の形をした彩色の液体が、絶え間なく揺らめいているかのようである。
「此れが八十八角真陽楼の初形である。外で吹雪が万里に荒れ狂い、雪が北原を覆う時、王庭福地内の無数の小塔が地中へ沈み、八十八角真陽楼は層を重ねて安定する。其の時こそ、内部へ進み探検することが可能となるのだ。」
方源は宿泊所の入口に立ち、天井方向を仰ぎ見つつ、淡々(たんたん)と述べた。
此時、聖宮内は歓喜と驚嘆に包まれていた。蛊師たちは躍り上がって歓声を上げ、数多の凡人は地面に跪き、五体を投じて巨陽仙尊の偉大さを讃え叫んでいた。
「しかし例え八十八角真陽楼が完成形となろうとも、我れは入ることはできぬ。何故なら我れは巨陽仙尊の後裔ではなく、其の血脈を持たぬからだ。中に入るには、黒楼蘭が来客令を取得する必要がある。焦る必要はない。真陽楼が其れ程易々(ようよう)と闖れるものか?黒楼蘭は遅かるとも早かるとも、我が如き外援を必要とする時が来るだろう。」
片刻後、方源は視線を引き収め、再び住居へと戻った。
此の小さな殿舎の大門を固く閉ざすと、門外の歓声は直ちに弱まった。
専用の修行密室に到着し、方源は蒲团に端坐した。
「我が現在の二大空竅は、既に五转巅峰に昇進している。奴道方面には天青狼群がおり、力道方面には殺招・四臂風王がある。此れに我が戦闘経験を合わせれば、凡人としっては最高峰と言えよう。しかし蛊仙に対処するには……」
方源の眉間は徐ろに皺を寄せていった。
彼は仙凡の間に横たわる巨大な隔たりを痛い程に理解していた。凡をもって仙に対するは、天に登るが如く難しい。
今彼にとって最も望ましい状況は、太白云生の脳裏に既に「江山如故」の仙蛊方が刻まれていることだ。
方源は北原の外界では動き難いが、将来、八十八角真陽楼の中で手を出すのは極めて容易である。蛊虫を利用して、太白云生から江如故・山如故の二蛊を奪い取り、更には仙蛊方を其の頭から盗み出せばよい。
此の様な条件が揃えば、方源は完全に盤上を飛び出し、未だ仙と成らざる太白云生を抹殺した上で、琅琊地霊への第三の願い事を利用し、彼に江山如故蛊を煉製させることができる。
然れども、一介の凡人に過ぎない太白云生の脳裏に、江山如故の仙蛊方が存在する可能性は、極めて微かなのである。
更に、前世の微かな伝聞に拠れば、江山如故が誕生したのは、彼が蛊仙に成った時、天地が感応し、道紋が相引き合った結果、二匹の蛊が自発的に合体して仙蛊と化ったためだという。
方源は生来慎重な性格で、決して全ての希望を儚い未来に託すことはしない。
「若し最悪の状況となれば、我れは蛊仙と化った太白云生と対峙せねばなるまい。其の時、頼りにできるのは己のみである。天青狼群にしろ四臂風王にしろ、明らかに不十分である。」
方源の実力は、既に凡人の頂点に達している。奴道と力道の二道を兼修しているとはいえ、最大の難題は未だ解決されていない。然し乍ら、彼は五转强者の中でも第一流の域にあるのである。
南疆に置けば、此れは商家の天才族長・商燕飛や、武家族長の武姫娘娘と同格の人物という訳だ。
前世の経験と転生の利点を活かし、一連の冒険と生死の境での数多の葛藤を経て、方源の高速成長は天下を驚愕させるに足りる。
しかし此の実力では、蛊仙に対しては、例え昇進したばかりの蛊仙と雖も、全く歯が立たない。
「眼前の此の大難題を解決するには、二つの方法が有り得よう。」
「第一は、八十八角真陽楼を探索し、其処から強力な蛊虫或いは独特の手段を見付け出すこと。」
「第二は、密かに準備を整え、太白云生に対する謀略を練り、実際に手を下す其の時に備え、十分な準備を整えることである。」
方源は静かに計算を巡らせていた。
彼は心の内でよく分かっている。四臂風王の殺招は、既に彼の前世の蓄積を使い果たしてしまったことを。何故なら、彼の前世が得意としたのは血道であり、奴道と力道はあくまで副次的なものに過ぎなかったからだ。
蛊仙を謀る布局や手段と称するものも、其の大半は表立って使える代物ではなく、当てにはならない。方源は前世で蛊仙への昇進を成し遂げた経験から、凡人が蛊仙へと変貌する際には、頭のてっぺんから足の先まで、内から外へと洗われるような洗礼を受け、容貌さえも変わり果てることを知っている。真に期待を寄せるべきは、八十八角真陽楼以外にないのだ!
日々(ひび)が過ぎ行く中、天空では金色の光と銀色の輝きが交互に移り変わる。
八十八角真陽楼は未だ成熟の過程にあり、虹色の霞が次第に濃くなり、最終的には聖宮の大半を其の光彩の中に包み込んだ。
王庭福地の中では鳥の囀りと花の香りが漂い、清らかな風がそよぐ。一方、外の北原では、一ヶ月以上も大雪が降り続いている。
暴風雪が荒れ狂い、肌を刺すような寒風が吹き荒び、大雪が舞い散る。
空も大地も真っ白に霞み、視界はぼんやりとしている。
木々(きぎ)はとっくに枯れ果て、一本一本が氷の柱と化している。丘や山は厚い雪の衣に包まれ、谷間も深く積もった雪で埋もれている。
獣の群れは無数に死に、生命力の強い雑草でさえ、霜に凍りついて氷の塊となっている。
人が唾を一口吐き出せば、瞬く間に氷の塊に変わってしまう。
しかし天は人の道を絶やさず、冥々(めいめい)の中に、必ず一筋の活路を残すものである。
北原の各所には、大小様々(さまざま)な部族が命をつないでいる。暖沼谷のような地利を活かして猛吹雪に耐え、苛烈な気候の中で何とか息を吹き返しているのだ。
紅炎谷を擁する蛮家部族も、其の一つである。
議事堂。
家老たちが両側に整列し、蛮家族長の蛮図が上座に鎮まる。
三转外姓家老の石武が跪いて申し上げる。「族長様、配下石武、御免を請い奉る。」
「おや、石武、何の罪があるというのか?」蛮図は微笑みながら問い掛ける。
「族長様に御報告申し上げます。此方が管理を任されておりました丁字号元泉が、昨日起こりまして突然凍り付き枯れ果て、全くの廃墟と化してしまいました。」石武は恭しい口調で答えた。
「呵呵、構わぬ。」
蛮図は軽く手を振った。実は彼はとっくに此の報せを承知していたのである。
「石武家老、立ち上がれ。今は十年に一度の大災害の最中だ。元泉が突然凍結し枯渇する可能性もある。此れは貴様の落度ではない。」
「族長様の広きお心に、只々(ただただ)恐縮の至りで御座います!」
石武は感激に咽ぶ様子を見せつつ、内心では胸を撫で下ろした。
彼は石の姓を持ち、蛮家にとっては半ば余所者であった。例え蛮家の女を妻に迎えたと雖も、常に疎外感を覚えていた。
彼が管理を任されていた元泉に問題が生じたことは、大問題にも小事にも成り得た。幸い、当代の蛮家族長は真に開明の君であり、追及することは無かった。
「元泉の件は、然し族の大事である。蛮多、我が族内には今、幾口の元泉が残っているか?」
蛮図は微かに眉をひそめて問い掛けた。
蛮多は蛮図の三男で、痩身小柄ながら狡知に長け、父を補佐して族内の事務を処理していた。
彼は直ちに答えた。「父上、現在、紅炎谷には甲・乙・丙・戊・己・庚・辛の七口の元泉が御座います。其の内庚と辛の二泉は元々(もともと)枯渇寸前であり、後一ヶ月とも持たないでしょう。」
「ふむ。」蛮図は肯いた。「つまり一月後には、甲・乙・丙・戊・己の五口だけとなる訳だ。諸家老、如何に思う?」
「族長様、本件は難題で御座います。此れは天災にて、人智以て如何とも為し難きこと。蛊師たちへの元石供給を削減するも已む無きではと存じます。」
「紅炎谷の此れら八口の元泉は、我が族が此の十年、辛苦して蓄積してきたもの。今年の状況は、本族の歴史上で最良で御座います。此れは他ならぬ族長様の英明なる御指導の賜物。他部族は我々(われわれ)より遥かに厳しい状況で御座います故、御憂い無用で御座います。」
「仮令え元泉が全て(すべて)枯渇したとて、何の恐れがありましょうや?此の十年雪災を凌ぎ抜けば、やがて苦尽きて甘来し、新しき元泉が続々(ぞくぞく)と湧き出でる事で御座いましょう。」
家老たちは口々(くちぐち)に意見を述べ合った。
蛮図は頷き、此れら発言を静かに聞き終えた後、斯く語った。「元泉は蛊師の修行における要である。軽視する訳には参らぬ。元石無くしては、蛊師の修為は推し進め難い。雪災は始まったばかり、間も無く雪怪が現われるであろう。紅炎谷の防衛を真に担うのは、他ならぬ蛊師たちなのである。」
斯く語り終えると、彼は一息置き、沉吟して言った。「然らば、族庫の泉蛋蛊を一匹取り出して植え付けよ。此の新しい元泉を、丁字号元泉と命名する。」
「族長様、泉蛋蛊は五转蛊で御座います。」ある家老が惜しむ様子で異議を唱えた。
蛮図は眉を跳ね上げた。「五转蛊とて何ほどの事が有ろう?諸君、忘れるな。元泉の供給が有ってこそ、我が族の蛊師は不断に進歩できる。其れでこそ戦力を保持し、将来雪怪に対処する際にも自らの身を守れる。只だ我が族の蛊師の損耗が少なければ、族の元気は保たれる。雪災が過ぎ去り、春暖花開く頃には、即ち我が族が大志を展ばす時なのである!」
大志を展ばす……
此の言葉を聞いて、家老たちの目の奥には輝きが宿った。
蛮図は政に精励し、蛮家部族は其の指導の下で絶えず拡大し、此れ迄に数多の中小部族を併合してきた。今や紅炎谷を擁する蛮家は、既に一方の覇者と成り上がっている。
然し此の時、蛮図の言葉から、此の蛮家族長は更なる飛躍を企てていることが窺えた。現在の蛮家では其の野望を満たすには足りないのである!
異議を唱えた家老は慌てて詫び入った。「族長様の英明な御決断、此方は只々(ただただ)平伏して、甘んじて御命に御仕え致します。」
「御命に御仕えすることを誓います!」其の余の家老たちも続いて齊しく宣言した。
「諸君が居ってこそ、覇業は成り得る。」蛮図は大笑いした後、表情を引き締めて下令した。「新しい丁字号元泉の管理は、石武家老に任せる。」
場内の者こぞって、石武に向けて羨望と嫉妬の眼差しを向けた。
元泉の管理は、実に旨味のある役目である。
石武は今度ばかりは本気で感動し、目頭を赤らめて言った。「此方が此くも族長様にご認め頂けるとは、心の丈を尽くして、其の御恩の万に一でも御報い致します!」
一同は更に暫らく協議を重ね、其の後に解散した。
石武は去らず、蛮多に従って族庫へ赴き、泉蛋蛊の授与を受けた。
「此れが其の泉蛋蛊でございますか?」石武は両手で恭しく捧げ持ち、珍らし気に眺めながら、声も震わせた。
間もなく、彼は表情を引き締め、傍にいる蛮多に向かって深く一礼した。「何卒三公子より、此の蛊虫を如何にして駆動すれば宜しいか、ご示教願いたく存じます。」
蛮多は其の時務を弁える態度に笑み、「示教と仰しゃられましても。此の泉蛋蛊は五转と高位なるが故、消費する真元は極めて多量で、例え五转中階の蛊師と雖も一度に駆動することは叶いません。石武家老は三转の御修行故、此れを駆動するには、持久蛊と又続蛊の組み合わせが必要で御座います。最速でも二十日余の歳月を要し、漸く元泉を植え付け得るので御座います。何卒ご安心下さい、此の期間は私が側よりご助力致します故。」
「此方と致しましては、感の極みで御座います。」石武は慌てて礼を述べた。