「我れと雖星道流派の蛊師ではないが、此の星蛊を煉製すれば、星門を開き狐仙福地と通じる上で大きく寄与するであろう。」
方源の心中に、微かな喜悦の情が浮かんだ。
彼は以前、狐仙福地において星蛍蛊の培養に多額の投資をしていた。更に気泡魚を多数用いて、星蛍蛊の生産効率を特に向上させていた。
然し例え如此の如くしても、星蛍蛊の消費速度は尚速やか過ぎた。
星門を開く度に、多量の星蛍蛊が失われた。而して星蛍蛊を培養するには、膨大な時間を要するのである。
北原の外界では、方源は少なくとも一基の星門を夜空の星光を借りて作動させることができた。然るに王庭福地に至っては、此処には星光が存在せず、星門を起動する度に、必然的により多量の星蛍蛊を消費せざるを得なかった。
然し此の星道威能増幅専用の蛊を煉製すれば、一匹の星蛍蛊が数匹分の効果を発揮するようになり、消費量を数分の一に削減できる。
「其れに此の蛊方は実に興味深い。発想が主流の観点と異なり、地球の科学データ(かがくでーた)に基づく類推の如きである。詩仙たる都敏俊に此も奇抜な発想があったとは。」
方源は蛊方から、詩仙の知恵の一片を窺い知ったのである。
幾つ(いくつ)かの部屋をくまなく探し終えた方源は、悠々(ゆうゆう)として元来た道を引き返した。
都敏俊は正道の蛊師であったため、其の遺した伝承も正道の様式に則り、試練は一つの関所のみで、別段難しいものではなかった。
山頂に戻った時には、衆人を困らせていた虫群は既に自ずと散り散になっていた。
「常山陰様、遂にお出でに成りましたか!旦那様は其中で、何か得るものは有りましたでしょうか?」
潘平は陰鬱な面持ちで即座に近づいて来た。其の意味は明らかである――狼王様が肉を食らう以上、我々(われわれ)にも多少の汁は分け与うべきだ、と。
「ははは、恭しく狼王様の御出を祝います。此の伝承を得られて、虎に翼を得た如くでございますな」
朱宰は拱手して祝賀を述べたが、分配の話には全く触れようとしない。
方源は淡々(たんたん)と肯いた。「此の伝承は詩仙・都敏俊が設けたもの、中には数多の貴重品が残されている。各自自由に取得されよ。」
そう言い終えると、天青万狼王の背に座わり、悠揚として空中へ浮上した。
潘平は状況が思わしくないと見るや、慌てて叫んだ。「常山陰閣下!我々(われわれ)は散々(さんざん)苦労して虫群の牽制を引き受け、貴方は伝承の精髄を手中に収められた。慣例に従えば、少なくとも幾許かの補償を頂けるはずでは?」
「補償だと?」
方源は狼の首を押さえながら空中に静止し、含み笑いとも冷ややかな笑みともつかぬ表情で、眼前の単刀将を見下ろすように見つめた。
「何を望むというのか?」
方源は問いかけた。
潘平は無表情で要求した。「如何ような補償かと申しますと、今すぐには申し上げ兼ねます。旦那様、宜しければ御手にされた伝承の内を見せて頂き、皆で評価致しとう存じます」
「ふふふ……」
方源は一笑すると、穏やかな表情で潘平に語りかけた。「其方の望む補償とやらを、是れで気に召すかどうか見てみよ」
そう言うや、彼は思惟ひとつ巡らすと、天青狼群が一斉に潘平を睨み付け(つけ)、地上より空中より彼を重重に包囲した。
潘平は色を失い、片手で金刀の柄を握りしめ、驚愕の声を上げた。「狼王様、何を為さるお積もりですか!?」
方源は狼の背中に端座したまま、足下の単刀将を俯瞰し、冷やかに嘲笑う一声を漏らしただけだった。
「おおぅ――」
天青狼群が猛然と動き出し、潘平目掛けて突撃を開始した。
潘平は驚愕して顔色を失い、右左に身を翻し、全ての手を尽くして防戦した。
彼は四转巅峰の修行を極め、戦いの末に身を興した。蛊虫は精良で多岐に渡り、その戦闘力は以前を遙かに凌駕していた。
然し天青狼は、普通の野狼ではない。一頭一頭が少なくとも百狼王であり、つまり其々(それぞれ)の体に多量の野生蛊が寄生していることを意味する。
潘平は数頭の天青狼を斬り伏せたものの、次第に防ぎ切れなくなり、全身血に染まり、危機一髪の状況に追い込まれた。
「狼王様、其れはあまりに横暴ではありますまいか!此の私は貴方の戦友、其の身を死地に追い遣るお積もりですか!?」
彼は義を盾に取り、声を張り上げて抗議した。
周囲の蛊師たちは如何すべきか途方に暮れていた。
方源の横暴さには反感を覚えつつも、実力差に畏れて口出しできずにいる。
「狼王様、どうか雷霆の如き怒りを鎮めください。潘平は身の程知らずな発言で御無礼を働いましたが、此方様は格も違う大人物、何とて此の如き小輩と御見苦しい争いをなさいまする?」
朱宰は慌てて仲裁に立ち入った。
潘平は黒楼蘭お気にいりの将であり、既に黒家に迎え入れられたと伝わる。もし彼が此処で死ねば、後日黒楼蘭が追及して来場合、常山陰には手出しできぬが、朱宰には良からぬ結果をもたらすだろう。
朱宰も黒家連合に参加している以上、当然黒家に与したいと考えている。
「朱宰、取り越し苦労も良い(よい)ところだ。我れは別に怒ってはおらぬ。」
方源は朱宰に淡々(たんたん)と笑いかけたが、其の操る天青狼群の攻勢は却って激烈さを増していた。
朱宰は焦燥しつつ、方源の苛烈さにひそかに戦慄した。
一方、潘平は最早絶体絶命の境遇に陥り、単刀蛊を駆使して必死に防戦するも、狼群の重囲を破ることは叶わなかった。
「狼王様、何卒御寛容を。潘平は今にも死に掛かっております!」
朱宰は惶急の面持ちで、再び哀願した。
方源は此れを受けて徐ろに攻勢を止め、朱宰に向かって嘆息混じりに言った。「ふう、我が非情なるにあらず。此の後輩が余りに年長者への礼儀を知らぬ故よ。今日一たび懲らしめねば、後日天をも翻さんと企みかねん」
「御尤も、御尤もでございます!旦那様の御訓示、痛く拝承いたしました!」
朱宰は慌てて肯き、附和雷同した。
方源が手を挙げるや、天青狼群の猛攻は瞬くに止み、緩やかに後退した。然しながら包囲網は解かれず維持された。
外界からの圧力が去るや、潘平は其処に崩れ落ちた。
彼は全身血に塗れ、傷跡が絶え間なく、大きな息を切らして喘ぎ、一対の瞳には恨みを宿し、方源を直視した。
方源は其の様を見て微笑んだ。「未だ納得いかぬ様子であるな? 我が懲罰の程が足りぬ故か、朱宰、如何が思う?」
朱宰は全身を震わせた。彼は方源の平静な眼差しの奥に潜む殺意を明確に感じ取った。慌てて手を振りながら言った。「充分でございます!潘平は既に十全な教訓を得ました。潘平!早く狼王様に謝罪するのです!」
潘平は拳を握り締め、歯を食い縛り、数度の呼吸の間沈黙を通した後、遂に目を閉じ、艱難辛苦の態で口を開いた。「狼王様、私は……過ちを認めます!」
心の内では咆哮していた。「今日の屈辱、必ずや将来に倍返しして見せる!狼王、覚えておけ!此の私を侮り通せると思うな!」
元来、潘平は慎重で低姿勢の人物であった。然し王庭争奪戦での経験が、彼の心の奥底に眠る誇りを呼び覚ました。特に劉家との大戦において、一度は三頭六臂の魔に殺され、後に太白云生が人如故蛊を使って復活させた経験が、彼をして変わらしめた。
此の死して復活するという経験が、其の性情を変えさせ、「天命の帰する所」という感じを抱かしめたのである。
「規則に従えば、我れは本来、伝承の獲得物を確認する権利がある。狼王、貴様は余りに横暴だ!今日の所業を、必ず後悔する時が来る!現は強いと雖ども、只だ我れより数年早く修行したに過ぎぬ。何時れ必ず追い付き、追い越し、今日の恥辱を倍返しして見せる!」
潘平は心中で怒号した。
方源は当然、彼の心中など知る由もなかった。然し方源は、彼の思いなど微塵も知りたいとは思わない。
「假令え此場で彼を殺しても、黒楼蘭は何も言うまい。然し此れは赤裸々(せきらら)な魔道の所業であり、我が身分に相応しからぬ。其れに今の計画には何の益も無い。寧ろ此の潘平を生かして後の為に取って置く方が……」
潘平の持つ物で、方源の目に留まるのは単刀蛊一つだけだった。
しかし今彼を殺しても、此の蛊を手に出来る可能性は低い。
そこで方源は口を開いた。「其方が過ちを認めたなら、本望である。我が善意が遂に通じたと云うことだ。後輩は後輩らしく在るべきである。其れが今や理解できたか?」
「理、理解しました……」
潘平は目を強く閉じ、歯の間から絞り出すように答えた。内心は怒涛の如く渦巻いていた。
方源は冷やかに笑い、彼の感情を看過できながらも、敢えて指摘せず、肯きながら続けた。「良かろう。然らば賠償と行くぞ。其方を教育する為に、我れは少なからぬ代償を払った。見よ、此の地に散らばる狼の屍、優に十五頭は在るのだ。」
「何だと!?」
潘平は激怒し、瞼を剥ぎ見るように開けた。
「どうやら、其方は不承知のようだな?」
方源は淡々(たんたん)と微笑み、潘平を看下ろす視線には弄ぶような嘲笑の色が隠さず、恰かも猫が鼠を弄ぶが如くであった。
「私……承知いたしました!」
潘平は幾度か深く息を吸い、最期には肯いて応諾した。
「ふむ、此れでこそ後輩のあるべき態度というものだ。」
方源は呵呵と笑い、慈しみ深く穏やかな笑顔を浮かべた。然し周囲の者の目には、其の笑顔が一層恐ろしいものに映った。
「何も彼れも、旦那様の御指導の賜物でございます。」
朱宰は傍で媚びへつらうように笑った。
「ふむ、然ちろんの事である。」
方源は厚かましくも、此の虚偽に満ちた追従を余すところなく受け入れた。其の後、一同を見渡して言い放った。「其方達は如何だ? 我が教えを受けてみたいか?」
衆人は慌てて「畏れ入ります!」と答え、顔面は蒼白となり、全身を震わせ、肝を冷やしていた。
方源は哄笑を爆と発し、衆人の面前で潘平から、其の知る蛊方数種と蛊虫数匹を強請り取った。
潘平は憤怒の余り全身を震わせた。方源が選んだ蛊虫は、何れも彼の蛊組み合わせの中核を成す重要なものばかりで、此れらを失えば、其の戦闘力は二段階も低落するのだった。
潘平を弄び尽くした方源は、満足した様子で狼の頭を軽く叩き、悠々(ゆうゆう)と空中へ浮上した。「斯くの如くで良かろう。其処には未だ多くの良品が残されている。何れも唯一無二の品ぞ。各自の自由に取得されよ。」
皆は此れを聞いて、俄然と活気付いた。多くの者が心の中で思った:狼王様も情け有るお方ではある。大きな取り分を手にされるのは当然であり、潘平様は少し血気に逸ていたのではあるまいか。
方源と天青狼群の幾重にも重なる影が地平線の彼方に消え失せるまで、一同は足を踏み出す勇気も無かった。
漸く星光の小門へ向かって歩き出した者たちは、年功序列に従い、朱宰と潘平の二人を先頭に立てた。
両名が真っ先に小院へ入ったが、発見できたのは都敏俊が創作した詩篇のみであった。蛊虫や蛊方に関しては、既に方源によって完璧に収奪され、何ひとつ残されてはいなかった。
「狼王様の言われた通り、実に唯一無二の貴重な品々(しなじな)でございますな」
朱宰は手にした詩集を仰ぎ見ながら、苦笑を禁じ得なかった。
一方、少しでも利益を得て損失を埋めようと期待を寄せていた潘平は、顔面蒼白となった。
ぷはっ——
突然、彼は口から鮮血を噴き出し、其の場で憤慨の余り気絶した。
数日後。
「此の速度で行けば、聖宮も間近であろう」
天青万狼王の背に騎乗する方源は、独り推測を巡らせていた。
忽ち、其の瞳が鋭く光り、視線は地上の一点に強く注がれた。
「あれ?此の地形、何となく見覚えが……もしかしすると……」