斯くして方源は更に三日間飛行を続けたが、地平線には未だ聖宮の影さえ見えない。
方源は暗に忖った:「此れでは、私が王庭福地に進入した後、極めて遠方に転送されたようだ。然もなければ、此の速度で三日も聖宮に到達できない筈が無い。」
此の道中、方源は少なからぬ蛊師や凡人と遭遇した。
彼等は皆黒家連合の成員であり、福地進入後には、能力ある者は中心の聖宮へ向かって集合し、能力無き者は近くの場所を選んで定住している。
王庭福地は決して安全ではなく、大量の野生虫群や凶禽猛獣が潜んでいる。
黒家軍の到来は、此処に存在していた均衡を打ち破り、獣群や虫群が元々(もともと)形成していた縄張りを混乱に陥れた。
其れ故に、衝突と殺戮は避けて通れない。
しかし全体としての環境は、北原の外界を襲う暴風雪よりも、数段優っている。
方源は道中、幾つもの殺戮後の光景を目撃した。或る場所では獣の死骸が累々(るいるい)と横たわり、別の場所では人間の散乱する四肢と砕骨が転がっていた。
王庭福地は狐仙福地よりも、底知れぬ厚みを有している。狐仙福地には天象の変化が存在しないが、王庭福地には其れが存在する。
更に、王庭福地には昼と夜の区別さえ存在するのである!
此の点は凡人の目には、特に珍しいこととは映らないかもしれない。何故なら北原の外界にも同様に昼と夜が存在し、彼等は其れに慣れ親しんでいるからだ。
唯方源の如き識者のみが、其の中に潜む貴重な価値を理解し得るのである。
福地において天象変化が存在するだけでも、既に得難い特性である。更に昼夜の区別が存在するということは、此の小世界が深厚な基盤を有している証左であり、少なくとも宙道法则がある程度完備されていることを示している。
一般に、天象変化を有する福地は第一等の福地と見做される。方源の狐仙福地は、未だ天象変化を生じていない。
而して昼夜の区別を有する福地は、往々(おうおう)にして洞天の特徴なのである。
福地は小世界であり、其の上には更に完璧な小世界が存在する。即ち洞天である。
王庭福地は既に洞天の特徴を備えており、準洞天と見做して差支えない。琅琊福地は元々(もともと)洞天級であったが、現在は墜落し、今日に至るも昼夜の区別が存在しない。
やがて夜の帳が下りた。
方源が空を仰ぐと、輝ける金色は漸く淡雅な銀色へと変わっていった。
王庭福地の昼間は、錦繍煌びやかな金の天である。夜と雖も暗黒に塗り潰される訳ではなく、銀燦々(ぎんさんさん)たる夜の帳に包まれるのである。
方源は空を眺め、輝かしい金色から淡雅な銀色へと徐ろに変わっていくのを目撃した。
王庭福地の昼は、錦繍輝かしい金の天である。夜になっても、真っ暗な闇ではなく、銀光燦爛たる夜の帳が広がる。
高空を飛行しながら、方源は天空の変化を目の当たりにした。
銀色の光が降り注ぐ。昼間の金色の輝きや灼熱はなく、優しいが、かすかに鋭さを潜ませている。
方源の飛行速度は次第に遅くなり、彼は下方を見下ろし、視線を巡らせた後、一つの緩やかな坂を見つけた。
長年の経験から、彼はこの緩やかな斜面が良好な野营地となると悟った。
しかし、急いで着陸しようとはせず、緩斜面を囲むように中空で数度旋回し、その身のこなしはあたかも鳥のように悠然と伸び伸びとしていた。
ついに、その緩斜面が安全で頼りになると確認した後、彼は初めてゆるやかに降下し、鷹の翼をたたんだ。
広く力強い鷹翼は、漆黒の鉄のごとくであった。方源が鷹揚蛊の駆動を止めると、翼は無形となり、漸次に空中に消散した。わずか一二枚の黒羽が、緩斜面の草地に散りばめられるだけとなった。
方源は心を動かし、蜥屋蛊を起動した。
瞬時、一道の奇光が彼の空竅から迸り出て、眼前に落下した。
光は膨張し、激しく漲り、最終的には巨大な大蜥屋蛊へと変貌した。
蜥蜴は大口を開け、舌を吐き出し、口内の扉を露わにした。
其の舌は緋色の絨毯を敷いた階段の如く、方源は安らかな足取りで昇り、戸口は自然に開いた。彼が蛊屋の中へ入ると、戸口は再び自然に閉まり、同時に蜥蜴の大口も隙間一つないほどに閉鎖された。
方源は旺盛な精力の持ち主ではあるが、所詮は血肉の躯である。疲労がある程度蓄積すれば、適切な休息を取らねばならない。其うしてこそ、充実した精神と戦闘態勢を維持できるのである。
きゃっきゃっきゃっ……
方源が蛊屋に入って間もなく、屋外から喧騒が聞こえてきた。
彼は目を光せ、独り言のようにつぶやいた。「果たして極楽雪蝠の群れか……」
方源はとっくに規則を見極めていた。白夜が転化する度に、天際から必ず大群の極楽雪蝠が現われるのだ。
極楽雪蝠は全身が雪のように純白で、ふわふわとした体毛に覆われている。普通の蝙蝠の様な醜悪さはなく、其の外見は極めて愛おしい。
此の種の獣群は規模が膨大で、各群は数十万単位である。其中には多量の獣王が混在する。万獣王も珍しくなく、更には雪蝠獣皇さえ存在する。
例え方源が現在二つ(ふたつ)の空窍を持ち、四臂風王という殺招を有していようとも、極楽雪蝠の大群には太刀打ちできず、三舍を避けるより他なかった。
極楽雪蝠は空中でのみ狩りを行い、風中の微粒子や飛翔虫を捕食する。大蜥屋蛊は其の食餌範囲外であるが、方源は慎重を期して、大蜥屋蛊を缓斜面の背面に移動させた。
大蜥蜴は首を垂れ耳を伏せ、尾を縮めて丸くなる。高空から見下ろせば、恰かも巨岩の如き風貌である。
方源が寝台に横たわり、眠りについて間もなく、屋外の極楽雪蝠の鳴声は、何故か急に切迫して喧騒を極め、其の中には狼の遠吠えも混じっているように思われた。
「何事だ?」
方源は其の物音に驚き、目を見開くと、寝台から起き上がり窓辺に歩き寄った。
銀色の夜帳の中、二団の獣群が互いに絡み合い殺り合っている。
雪白の群れは規模が膨大で、極楽雪蝠の群れである。一方、青墨色の群れは天青狼の一群で、数は蝠群ほど多くはないが、極めて勇猛精悍で、息の合った連携を見せている。
雪蝠群は数多いるが、狼群の攻撃の前に惨めな死傷を重ねている。
方源は微かに眉を上げ、少し驚異の表情を浮かべた。
「極楽雪蝠は本来、天青狼を避ける習性がある。此の様な正面衝突は実に珍しい光景だ。」
天青狼は、荒獣天狼の血脈を引いているため、生まれながらにして幼獣も空中に浮遊できる。成体となれば、此の天賦の才を最大限に活かし、縦横無尽に天空を駆け巡るのである。
天青狼は極めて精鋭で、他の凡庸な狼群とは一線を画す。天青狼群においては、一頭一頭が少なくとも百獣王の実力を有する。其の規模は大きくないが、戦力は絶大である。只、如何に強き獣群と雖も、時の洗礼と塵世の激動には抗い難い。
現在の北原の空では、天青狼の姿を目にすることは稀である。天青狼は益々(ますます)稀少となり、既に非常に珍しい存在と化している。
しかし、北原最大の福地として、王庭福地に此れ程規模の大きな天青狼群が生息しているのも、別段驚くには足りない。
狼群は戦えば戦う程勇猛さを増し、蝠群は漸く支えきれなくなり、数万頭の蝠屍を残して狼狽しながら退却した。
天青狼群は減員が極めて少なく、大半の天青狼は地面に降り立ち、温かい蝠屍に食らい付いた。
尚一部の天青狼群は半空中に浮遊し、四方を見渡しながら警戒を怠らなかった。
方源は心中で動いた:「王庭福地に進入して以来、我が狼群は散り散りになっている。王庭福地は広大で、一時的に此れらを召集するのは難しい。此の天青狼群の到来は実に時宜を得ている。飛行能力があり、我が速度に追いつける上、護衛も担ってくれる。今後蝠群に遭遇しても、直に突破すれば良い。」
丁度その時、数頭の天青狼が方源の大蜥屋蛊を発見、包囲して近づいてきた。
方源は直に蛊屋から飛び出し、大蜥屋蛊を収めると、高空にいる万狼王へ向けて突進した。
狼群は即座に沸き立ち、四方八方から方源を襲撃する。
しかし、食い溜めて腹を満たした天青狼は動きが鈍く、戦意も一段階まっている。方源にとって、此れは万狼王を服従させる絶好の機会であった。
方源は冷やかに一笑すると、左右へ縦横に駆け巡り、空中を自在に翻った。飛行大師としての技量は、天青狼たちをして彼の後ろ塵を食わしめるのみであった。
標的とされた此の万狼王は、他の二頭とは異なり、先程の戦闘では最前線に突撃していたため、自身も負傷し、野生蛊も少なからず失っていた。方源は密かに観察を続けており、其の身上の野生蛊の詳細も把握していた。
万狼王の眼前に躍り出た方源は、即座に四臂風王の殺招を発動、容赦なく殴打の嵐を浴びせた。
不運な此の万狼王は、方源の猛攻に呆然とさせられた。
方源は瞬時に五转驭狼蛊を駆動し、其を屈服させた。
一旦方源の麾下に帰順するや、其は一声長く吠え上げ、瞬く間に天青狼群の三分の一が同調して叛旗を翻した。
方源は長笑を放った。狼群の包囲攻撃を受け(うけ)ながら万狼王を屈服させるのは危険を極めたが、一旦成功した今、状況は一変した。
狼群を手にしたことで、戦局は瞬時に逆転する。
方源の操縦のもと、狼群は左右に縦横に駆け巡り、見事に二頭目の天青万狼王を包囲した。
野生の狼群が激怒して襲いかかるが、方源は配下の狼群で防衛線を築き、自身を防護する。自らは万狼王と激しく斬り結ぶ。
一服の茶を味わうほどの短い時間で、方源は見事にも二頭目の天青万狼王を屈服させることに成功した。
戦局はここに定まる!
残された最期の一頭の万狼王は此の状況を目撃するや、慌てふためいて配下を連れ、惨めな逃げ足を上げた。
方源は先ず止血し、全身の傷の手当てを施した。戦場を少し整頓すると、大蜥屋蛊を収め、野営地を移した。
此の緩斜面から発散する濃厚な血腥い気配は、すぐさま次々(つぎつぎ)と獣群を惹き寄せた。若し方源が此処に留まっていたなら、絶え間ない襲撃に悩まされたことであろう。
二里ほど離れた場所で二刻ほど休憩を取った後、彼は翼を翻し、旅を再開したのである。
しかし、今回は前の日々(ひび)とは異なり、方源の周囲には二頭の天青万狼王が囲み、三十八頭の千獣王と二百五十六頭の百獣王が従い、その勢いは実に浩大であった。
此くして旅を続けること六日、いつの間にか時は過ぎ去った。
此の過程において、方源は三ヶ所の伝承を相次いで発見した。然し何れも小規模な伝承であり、彼の目には収穫は無視できる程度のものだった。
特筆すべきは、狼群が強化されたことである。元々(もともと)二頭いた天青万狼王に、更に一頭が加わった。此れにより、方源の麾下における天青万狼王の数は三頭という高い数に達したのである。
王庭福地は、正真正銘の宝地である。内部には膨大な獣群が生息し、北原の外界では珍しい天青狼でさえ、此処ではありふれた存在だ。
天青狼以外にも、方源は道中で夜狼、風狼、亀甲狼、朱炎狼といった狼の群れを次々(つぎつぎ)と麾下に収めた。
元来、此等の狼は皆彼の配下であったが、王庭福地に進入した際、散り散りにされてしまった。方源が再集結できたのは、其の中の一部に過ぎない。