方源が『人祖伝』を開くと、以下のような記述があった——
人祖は死境に陥いり、落魄谷に転落して脱出不能となった。
古月陰荒は父を救わんと、成敗山に登り頂上を目指し、唯一無二の成功蛊を得ようと試みた。
成功蛊に願いをかければ、古月陰荒は人祖を救えるはずであった。
然し古月陰荒が山麓に着いた途端、石人に阻まれた。
実は人祖の次女が成敗山に来た時、愛情蛊の甘い夢を妨げてしまったのである。
愛情蛊は怒り狂い、石人を点化して古月陰荒を妨害させた。
古月陰荒は石人を打ち倒し、山腹まで登った。
しかし愛情蛊は去らず、古月陰荒の眼前に現われて言い放った。「人よ、汝は我が良き夢を妨げ、成功蛊をも奪わんと企む。今此処で成敗山を崩し落とし、数億の石塊の中から、たった一つの成功蛊を探し出すがよい。はっはっは」
そう言うと、愛情蛊は成敗山へ頭から突き進んだ。
成敗山は、尋常の山々(やまやま)とは異なり、全山が無数の小石で築き上げられたのである。
愛情蛊の一撃により、成敗山は轟然と崩れ落ちた。
愛情蛊は得意洋洋と去り、古月陰荒を大量の小石を前に茫然自失の状態に残した。
如何にして此れら混迷する石の中から、唯一無二の成功蛊を手に入れれば良いのであろうか?
古月陰荒は難題に直面し、已む無く再び思想蛊の下へ戻り、教えを請った。
思想蛊は古月陰荒の叙述を聞くと、一息ついて言った。「愛情蛊は昔から此のような理不尽なものだ。唉、私でさえ、或いは我が子の智慧蛊でさえ、彼女に直面するのは避けたいものよ。」
「今、成敗山は崩れ落ちた。汝は自らの手で石を拾い、その中から成功蛊を見分けるしかない。他に方法は無いのだ。」
思想蛊は続けて言った。「しかし、注意しろ。成敗山には実は二匹の蛊がいた。一匹は頂上に住む成功蛊、もう一匹は山底に押し込められた失敗蛊だ。失敗は成功の母であるが、その子は多く、あの石の一粒一粒が成功の兄弟姉妹なのだ。石を拾う際、想定外の厄介な事態が起こるだろう。ここで一つの秘訣を教えよう。心の中で『我』と唱え続ければ、それらの厄介事は次第に消え去っていく。」
古月陰荒は此の言葉を聞き、心中重くして問う。「では、如何にして手に取った石を見分ければ良いのでしょうか?成功蛊や失敗蛊は、どのような姿をしているのでしょう?」
思想蛊はため息をついて言った:「それらは一見似ているように見えるが、見分けるのは簡単だ。君が直接手で握れば、自然とその正体が分かるだろう。」
「君が成功蛊を見つけたいなら、あの失敗蛊が最大の脅威だ。決して失敗蛊を握ってはいけない。そうでなければ、完全に迷い、命の危険にさらされる。」
古月陰荒はうなずき、感謝を表した。
思想蛊は彼女が立ち去る前に、さらに念を押して言った:「私が教えたと言わないでくれ。万一愛情蛊が私を訪ねてきたら、面倒なことになる。熱狂的でわんぱくな愛の前では、思想と智慧は退避するしかない。」
「ご安心ください、貴方のことは絶対に漏らしません。」
古月陰荒は請合い、再び成敗山へと戻った。
眼前に広がる無数の小石を見渡し、彼女の心情は重かった。
成功は容易には手に入らない。成功を掴むには、腰を屈め、巨大な危険を冒して努力し続けねばならないのだ。
古月陰荒は深く息を吸い、最初の一顆の小石を拾い上げた。
それはごく普通の小石だったが、彼女の掌に収められた瞬間、微かに震えた。
次の瞬く間に、古月陰荒の手に、かすかな傷跡が浮かび上がった。
此れは成功蛊ではなく、成功の兄弟姉妹であり、失敗蛊の子どもの一つである。
古月陰荒は心中驚き、手の甲の傷を撫でながら、思想蛊の言葉を思い出した——「貴方が其れらの石を拾う時、多くの想像もつかぬ厄介な事態が起こる。此の時、貴方は心の中で『我』と唱えねばならない。」
「成程、此れが厄介な事態というのか。」古月陰荒は合点がいった。
彼女は心の中で「我、我、我、我……」と唱え続けた。
其の唱え続けるに従って、手の甲の傷は奇跡的に癒えた!只だ一筋の薄い傷跡を残すのみであった。
彼女は手に持っていた小石を傍らに投げ捨て、第二の小石を拾い上げた。
其の小石を掌に握った瞬間、古月陰荒は心が一瞬震え、強烈な恐怖が心头を襲った。
古月陰荒は恐怖の余り全身が震え、殆ど逃げ出さんばかりに其処から遠ざかろうとした。
然し彼女は堪え忍び、「我」と唱え続けた。
しばらくして、彼女は落ち着きを取り戻し、心中の恐怖は大半消え去り、第三の小石を拾い上げた。
此の小石は、彼女に深い失望と落胆を味わわせた。彼女は思わず考えた。「数億もの小石の中から、唯一無二の成功蛊を拾い出さねばならないとは、何と困難なことだろう。いったいいつまで続ければよいのか?」
彼女は足取りが重くなり、未来は茫茫たる暗闇のように感じられ、成功蛊を見つけることの難しさに押し潰されそうになった。
あと一歩で諦めかけていたその時、生死の境に囚われた父のことを思い出した。
「もし私が諦めたら、父を救うのは誰なのか?」古月陰荒は愕然とした。「しまった、危うく『我』と唱えるのを忘れかけるところだった。」
古月陰荒は再び「我」と黙念し、心の挫けを消し去ろうと努め、再び腰を屈めて小石を拾い上げた。
四つ目の小石を手に握った瞬間、古月陰荒は愕然として自の鼻が変形し、何と豚の鼻に変わっていることに気付いた。
彼女は再び「我」と唱え、鼻を元通りに戻した。
しばらく時間をかけ、彼女は可能な限り努めて豚鼻を消え去らせた。しかし鼻梁は以前より少し低くなってしまった。
此くして古月陰荒は絶え間なく小石を拾い続け、其の中から成功蛊を見つけ出そうと願った。
しかし幾日も経つうちに、彼女が見つけ出したのは、失敗蛊の子ども達ばかりであった。
此れら小石は、彼女に傷だらけの体を残し、或いは気落ちや絶望、恐怖を抱かせ、ある時は豚頭に変え、鼠の尾を生やさせたりした。
例え古月陰荒が「我」と唱え続けても、跡が残るのは避けられなかった。月日が経つにつれ、其の痕跡は彼女を怪物へと変貌させていった。
彼女は六つの頭と三本の腕、五本の尾を持ち、人間の頭部に馬の身体を併せ持つ姿と化った。十六本の脚のうち、幾本かは柔らかな長毛に覆われ、幾本かは蛇の如き鱗甲に蔽われ、鋭い鉤爪や硬い蹄を持つ脚もあった。
成功を探し求める過程で、人は往々(おうおう)にして別人の如く変貌するものである。
しかし古月陰荒は其れ故に、却って一層強くなっていった。
それほどの経験を経て、彼女は以前よりも数百倍も強くなっていた。
それらの小石は、もはや彼女に悩みをもたらすことはできなかった。
「成功よ、成功よ、貴方は一体どこにいるの?」
彼女の七つ(ななつ)の口が一斉に発声した。ある口は叫び、ある口は咆哮し、ある口は低く唸り、ある口は呟いた。
失敗すればするほど、彼女の心中での成功へ渇望は増すばかりだった。
彼女の絶え間ない努力によって、未だ拾われていない小石は少なくなっていった。
最後に、其の小石が二顆だけ残った時、古月陰荒は躊躇いに陥った。
疑いなく、此の二顆の小石の内、一顆は成功蛊で、もう一顆は失敗蛊であった。
もし彼女が成功蛊を拾い上げれば、万民歓喜するだろう。しかし失敗蛊を手にした場合、古月陰荒は完全に自我を見失い、生命の危険に晒されることになる。
例え怪物と化し、此くまでに強くなった古月陰荒と雖も――
一歩天国へ、一歩地獄へ。如何に選択すべきか?古月陰荒は避け難く躊躇の渦に巻き込まれた。
「失敗を恐れて決断を下せなければ、成功など永遠に訪れない!此の姿まで強くなった私に、成功は目前にある。仮令え失敗蛊を手にしようとも、『我』の呪文を唱え続ければ、乗り切れるはずだ。」
最終的に彼女は勇気を振り絞り、片方の小石へ手を伸ばした。
然し不運にも、其れは失敗蛊であった。
未曽有の迷いが、自らへの疑いと共に、彼女の身心を襲った。
「我、我、我……」
古月陰荒は「我」を唱え続けたが、声は次第に衰え、遂には七枚の唇も微動だにしなくなり、瞳は虚ろで呆然とした眼差しとなった。
彼女は果てしなき迷妄の底に沈み、完全に自我を見失ってしまった。
人にとって最大の失敗とは、己を見失うことである。
……
「はあ……」
此処まで読み進んで、方源は軽く息をつくと、『人祖伝』を静かに閉じた。
一瞬、彼の思考は奔流の如く広がり、顔面には複雑微妙な表情が浮かんだ。
窓外の大雪は、未だ降りしきり、ひらひらと舞い散っている。
十年の期限が迫るに連れて、風雪は弱まる気配を見せず、却って一層激しさを増していた。
北原暦十二月末。
黒楼蘭が大軍を率い、期限寸前に王庭福地の入口に到着した時、本来の連合軍は半減以上に急減していた。
数多の凡人が道中で凍死し、
多くの蛊師さえも獣群の衝撃によって命を落とした。
王庭福地を開く鍵は、黒楼蘭其の人であった。
彼が進み出た時、空中に一筋の金色の微光が迸った。
瞬く間に、金光は輝きを増し、光輪を形成した。
光輪は急速に拡大し、荘厳な城門へと変貌した。
朱漆塗りの門扉には、精緻で複雑な銀縁の文様が描かれ、拳大の銅鋲が門面に密集していた。
ごうん……
重厚な朱門が、無形の巨手に押し開かれるように、緩やかに開扉した。
瞬時に、濃厚な栴檀の香りが面を撫でた。
空中を舞っていた大雪は、此の時を境に停まった。玄妙なる力の作用で、吹雪は蜂の群れのように集合し、瞬く間に幅広く堅固な氷の階段へと凝結した。
階段の上端は空中の王庭の門戸に届き、下端は地面に接している。
「王庭福地!」
黒楼蘭は激動の色を隠せず、三步を一歩にまとめて氷階段を駆け登り、王庭に最初に足を踏み入れた者となった。
「八十八角真陽楼……」
方源は二番目の者として、深遠たる眼差しで静かに其の中へ歩き出した。
続いて太白云生、浩激流ら高層の強者たちが続いた。約半刻後、黒家軍は全員王庭福地へ入り終えた。氷の階段は崩壊し、朱色の高き城門は緩やかに閉ざされた。
金色の光輪は一点に収縮し、最終的に消散した。
「全員入ったな。」
密かに状況を窺っていた蛊仙たちは、仕方なさと未練の入り混じった視線を徐ろに引き収めた。