ざあっと──
水色の激流が迸しり出る。吊睛猛虎は一声吼えて、雷鳴の如き響きを爆発させた。
此れぞ四转の虎吼蛊!
虎吼の音波が空気を激震させ、肉眼で視える漣を生じる。音波は激流に衝突し、其れを打ち砕いて漫天の大雨と化した。
成虎は吊睛猛虎に変身して以来、攻勢は絶倫となり、瞬く間に縦横捭闔の気象を示した。
虎吼蛊は音波を爆発させ、虎爪蛊は鋭利極まり無端、虎皮蛊は防御卓絶!
虎牙蛊は槍の如く鋭く、貫通して威を振るい、虎尾蛊は鋼鉄の鞭の如く硬く、如意に甩り回す!
変化道の蛊師は、殺招を完成させるため、対応する蛊虫を収集する。一旦蛊虫が揃い、形態変化が可能となれば、戦力は質的変化的な飛躍を遂げる。
無論、変化形態が強力であればある程、対応する蛊虫の組み合わせは価値が高く、収集も困難となる。
仮え蛊師が変化できたとしても、多量の訓練が必要である。人間は元来二本足で直立歩行し、一頭に両腕を持つ生物である。異なる形態へ変化すれば、違和感を覚えるのは自然な反応である。
飛行と同様に、大量の訓練に加えて天性の才が無ければ、変化後の形態を習熟させることはできないのである。
蛊師には蛊を養い、用い、煉るという三大領域がある。此れこそが「用蛊」の奥深さである。
両軍とも視線を陣前に集中させている。
浩激流と成虎の激闘は、正に山場を迎えていた。
成虎は殺招を発動し吊睛大虎へと変身、がっちりと優位を固めた。水魔浩激流は回避を主とし、従来の狂放的な攻勢から一転、慌ただしい限りであった。
然し時の経過と共に、戦況は依然として膠着状態に陥っている。成虎は巨大な優位性を有しながらも、此の優位を決定的な勝利へと転換できずにいる。
馬家軍の将兵の大多数が尚歓声を上げる中、馬家の王帳に在座する者らは皆眉をひそめていた。「困ったな、此の水魔は狡猾だ。成虎が危ない」。馬英傑が口を開いた。
同席していた強者たちも、同意するように軽く肯いた。
殺招は強力ではあるが、実は複数の蛊虫を同時に駆動するものである。其の為、真元の消耗は数倍に加速する。故に蛊師にとっては諸刃の剣なのである。
成虎は殺招を発動したが、水魔浩激流は戦闘経験が極めて豊富で、強引な攻撃スタイルを一変した。成虎が短時間で水魔を倒せなければ、真元が底を突いた際には人型に戻らざるを得ない。其の時こそ、水魔浩激流の大反攻が始まるのである。
馬尚峰の顔面は平静を装っていたが、胸中には暗雲が垂れ込める思いであった。
仮に以往ならば、成虎の成否は彼と何の関わりも無かった。然し今、成虎の勝敗は最早個人の事ではなく、全軍の士気に関わる重大事となっていた。
馬家は既に二連敗を喫しており、馬尚峰は深く認識していた——馬家に帰順した各部族の心には、既に動揺の兆しが生じているということを。
馬家軍は馬家を中核とし、他の各部族が補助する連合軍である。一旦人心が動揺すれば、状況は危険に陥る。
馬尚峰は当然、成虎の敗北を座視する訳にはいかなかった。
しかし戦況が依然として膠着し、成虎の敗北の可能性が次第に高まる中、馬尚峰も心中で暗然と嘆息する他なく、「費生成」と呼び付けた。
費生成は直ちに列を出て、右掌を胸に当てて礼を取り、「配下、只今参上しました」と答えた。
「第二陣は貴様に任せる」と馬尚峰は言い放った。程なくして訪れる成虎の敗北の影響を払拭すべく、彼は費生成に望みを託したのである。
費生成も亦一騎当千の猛将であった。
元来費家では排擠を受け、不遇を囲っていた。馬家は其の隙に乗じて離間工作を仕掛け、彼を内応者として抱え込んだ。費家が内乱による政変で弱体化した瞬間を突いて急襲を決行し、費家を併合したのである。
費生成は馬家に帰順して以来、英主に巡り合い、幾度も戦功を挙げ、手厚い育成を受けてきた。
即座に彼は陣頭に駆け下り、声高かに罵詈を浴びせた。
「来たるは費生成、王庭争奪戦以来、既に四转强者八名を斬り捨てた。前回戦では麻木蛊を以て、単身で同級强者三名と渡り合い、驚嘆すべき戦ぶりを見せた。」
黒家の王帳で孫湿寒が説明する。傍らでは耶律桑が冷たい表情を浮かべていた。
狈君子孫湿寒の言う「前回戦」とは、正に馬家と耶律連合軍との戦いであった。結果、耶律桑は敗北し、馬家軍に追撃され、殆ど孤軍孤城に陥った。元来耶律桑に帰属していた祁連等の諸部族は、最終的に馬家に降ったのである。
麻木蛊は四转の珍稀蛊であり、其の価値は五转に匹敵する。一旦蛊師が此れに中れば、全身麻痺し、殆ど身動きが取れなくなる。持続時間は短いが、激烈な戦闘では極めて致命的な手段である。
黒楼蘭は「うむ」と一声漏らし、視線を左右に掃きながら問うた。「誰人が出戦できるか?」
其の言葉が終わらぬ内に、一人が朗らかな笑い声を上げ、群衆から躍り出て言った。「費生成など大した者では無い!此方が進んで出戦し、貴殿の覇業の為に一切の障害を掃き清めましょう!」
黒楼蘭が目を凝らして見れば、他ならぬ単刀将の潘平であった。
潘平は以前、劉家三兄弟の殺招に打ち爆ぜられたが、戦後に太白云生が人如故蛊で救い活かされた。彼のみならず、高揚と朱宰も同様に救済されている。
「良し、其方に行かせよう。」
黒楼蘭は肯き許諾した。
仮し大戦初期であれば、彼は潘平を評しなかっただろう。しかし十余の戦を経て、潘平は月日を重ねるごとに、裴燕飛に匹敵する強き者へと急成長を遂げていた。
「費家の小童め、其方は一族を裏切り栄誉を貪る無恥の徒に過ぎぬ。生き恥を晒し続ける其の命、今すぐ受け斬りに来い!」
潘平は戦場に立つや、罵声を飛ばし、戦意が滾り上がった。
費生成は大いに怒り狂った。自らの来歴を嘲られることほど、彼が嫌うものは無かった。「魔道の野種め!其方が跳ね回って来られたのは、単に我が輩に遇わなかったからだ!」
瞬時、両者は激しくぶつかり合った。
一瞬間にして場面は火爆し、優劣つけ難い様相となった。正に好敵手邂逅と申すべき戦いぶりである。
実を言えば、此の二人の境遇は非常に似通っている。王庭争覇戦の初期、双方とものびのびと志を展べ得ずにいた。潘平は魔道蛊師として流転を繰り返し、費生成は一族の抑圧を受けて壮志を伸ばせなかった。
然し此度の王庭争奪戦によって、両者は名声が鵲起し、戦いの中で家を興し、実力も飛躍的な向上を遂げたのである。
かつての潘平は、唯一の良蛊として単刀蛊を有するのみであった。しかし今、彼は戦功によって蛊虫を次々(つぎつぎ)と獲得し、其身に備わる蛊は豪華絢爛として精緻を極め、戦力は飛躍的に向上した。もはや以前のように単刀蛊一つで大局を支えるという状況ではない。
費生成の状況も大きく違わない。
以前、一族の中で排擠を受けていた彼は、基本的な蛊虫は揃っていたものの、強力な手段に欠けていた。彼もまた戦場で利益を得て戦功を積み、五转蛊に匹敵する麻木蛊を換得した。これが元々(もともと)持っていた蛊虫と組み合わさり、戦力は瞬時に暴騰したのである。
両者の姿は、絡み合いながらも、互いに牽制し合っている。
潘平は費生成の麻木蛊を警戒し、費生成も常に潘平の単刀蛊に備えを怠らなかった。
単刀蛊について言えば、これは潘平の幸運であったと言える。何故なら此の蛊は蛊師の空窓や身体では無く、湾刀に寄宿している為である。
潘平が爆散した後も、単刀蛊だけは奇跡的に生存した。
後に(のちに)太白云生が潘平を蘇生させた時、彼の元の蛊虫は殆ど全滅していたが、幸い潘平は多量の戦功を保有しており、以前から使用せずに取っておいたのである。
しかし高揚と朱宰については、そこまでの幸運は無かった。
彼等が殺害された後、其の蛊虫は全て(すべて)失墜してしまった。中でも最大の遺憾は、高揚の五转波雲詭譎蛊までもが此れに伴い滅び去ったことであった。
五转人如故蛊は人体にのみ作用し、蛊虫を蘇生させることはできない。
しかし二人の心境は平穏であった——復活できたこと自体が既に大きな幸いだと悟ったのである。
後日、二人は戦功の前借りによって、基盤的な蛊虫をほぼ補い揃えた。数度の大戦を経て、借りた戦功を完済したのみならず、剰余金まで生じるに至った。
二組の四转强者の激闘は、衆人の視線を釘付けにした。
馬家は費生成と潘平が拮抗するを見て、更に六名の猛将を前後に差し向けた。
黒楼蘭は一つ一つ応じ、裴燕飛、高揚、朱宰らを次々(つぎつぎ)と派遣して対処した。
第六の対戦組が戦い始めた時、成虎は遂に敗退した。水魔浩激流は追撃する力も無く、彼が無事に撤退するのを見送るしかなかった。
黒家軍の士気は一瞬高揚したが、間もなく第三の対決で馬家軍が勝利し、再び局面は拮抗に戻った。
両軍は続々(ぞくぞく)と強者を投入し、陣前には三十余の戦圏が形成された。
即ち、七十人近くの四转蛊師が相対していたのである!これは実に浩大な光景だった。広大な北原には数十億の人口がいるが、その大部分は凡人が占め、四转蛊師は数百人規模、五转蛊師に至っては五十人に満たないのである。
正に王庭争奪戦が、此れら強者たちを一ヶ所に集結させ、互いに衝突・競争させているのである。生死を賭けた激闘の中で、更に強き蛊師が生まれ、弱者は容赦なく淘汰されていく。
王庭争奪戦は最終決戦の段階に入った。黒家と馬家、其の双方ともの巨大な怪物の如き存在である。
蛊仙を計算から除けば、何れの軍団も、其の規模は超級部族の勢力を大きく上回っている。
両軍の将兵は皆、心を揺さぶられ、胸を高鳴らせるのを禁じ得なかった。
唯だ方源のみが冷静であった。前世において、彼は更に大きな局面——五域混戦の激動する大乱世を目撃していたのである。
「盟主様、配下、出戦を願い出でます!」
若き四转蛊師が群衆から飛び出し、胸に滾る戦意を抑えきれない様子であった。
此の者、他ならぬ葛光である。
葛光は葛家の族長であり、元々(もともと)は三转蛊師に過ぎなかった。然し戦火の洗礼を経て生存し、実力を大いに増強、近く四转への昇進を果たしたばかりであった。
黒楼蘭は微かに愣い、直ぐに視線を方源に向けた。
方源は葛家と常家の両族を統括する太上家老であり、此の二族は皆彼の節制を受けているのである。
方源は黒楼蘭の問い掛けるような視線を察すると、淡々(たんたん)と命じた。「葛光、退け。貴様は一族の長である。軽率に危険に身を曝すべきではない。」
葛光は「はっ」と畏まって退いた。
方源は続けて言った。「常飆は何処に?」
「はっ、只今参上しております。」
常飆は病に伏したような顔色で現れた。先の大戦での負傷が未だ癒えていないのは明らかだった。
しかし方源は其れらを顧みず、只「出陣せよ」と命じた。
常飆は口を開いて反論しようとしたが、胸に怒りが渦巻くのを感じた。黒家軍に加わって以来、大戦がある度に、彼は方源から繰り返し出陣を命じられてきたのである。
例え彼が有名な強者であると雖も、此も高強度の連続作戦には耐え切れない。
「許せぬ!常山陰の奴は、我れを畜生同然に使い腐すつもりか?!恨めしいのは、今の我が勢力弱く、公然と命令に逆らえぬことだ。暫しは耐え忍ぼう。来日方長である。十数年前に奴を罠にかけられたのだから、十数年後には必ずや本物の死地に追い込んで見せよう!」
常飆は心中怒号を上げていたが、表向きは方源の命令に従う他なく、病躯を引き摺りながら戦場へ赴いた。