「在す、大哥!」
歐陽碧桑と墨獅狂が同時に喝した。
「彼等に我々(われわれ)三兄弟の真の力を見せて遣わそう!」
劉文武は咆哮すると、速度を落とさず、墨獅狂と歐陽碧桑に体当たりした。
後者の二人は哄笑を爆ぜ、青と灰色の輝きを迸しらせた。
青、灰、白の三色の光が激突し、轟然という音と共に消散した。其の場には、一頭の人型怪物が現れた。
此の怪物は三ツ首に六本の腕、身長二丈の筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)たる体に、赤銅の如き肌膚を有していた。
三つの頭は、それぞれ劉文武、歐陽碧桑、墨獅狂の容貌を呈していた。
「此れは!?」
此も信じ難き光景を目にし、無数の者が目を見開いた。
「良く聞け、此れこそ我々(われわれ)三兄弟の殺招――三頭六臂である!戦慄せよ、恐懼せよ、存分に畏れおののけ。此れは貴様らが生涯の最期の瞬時となるぞ!」
三つの頭が声を揃えて宣言した。
「哼、大言壮語しおって!」
高揚は冷ややかに鼻を鳴らし、波雲詭譎蛊を催した。
灰白色の雲光が三頭六臂の巨人目掛けて飛翔していったが、中途で劉文武の両眼から二条の光帯が爆射し、其の雲を射抜いた。
シュッ!
一音の爆響と共に、三頭六臂が高揚の眼前に俄然として現れた。
「此も速き速度とは!」
高揚の瞳孔が収縮し、長年に培った戦闘経験が、彼に防御蛊を狂ったように催動させた。
怪物は両腕を振るった。
一撃は光罩を貫通し、もう一撃は高揚の頭部を西瓜を潰す如く叩き潰した。
次の瞬間、高揚の首無し死体が高空から落下していった。
「兄弟――!!」
朱宰は此の光景を目撃するや、怒りで心臓が張り裂けんばかりに、理性を失なって怪物に猛進した。
「がははは、蟷螂の悲鳴め。」
墨獅狂の頭は哄笑し、片腕の人差指を屈めて、朱宰を指し軽く弾いた。
ドカン!!!
気流が爆発し、強烈な衝撃力が戦場に数千歩に亘る傷跡を鋤き込んだ。
朱宰は粉微塵に爆散し、血肉と骨片が飛散した。余波に巻き込まれた蛊師たちは、無事で済む者は一人としていない。
「此の威力……単独の少なくとも六倍、速度は九倍か!三者合体で修羅変を利用し、気道攻撃と光道効果を重畳させているのか?」
方源は此の光景を目に、胸中に強き戦意が湧き上がるのを禁じ得なかった。
「我が身には全力以赴蛊があり、更に五转攻倍蛊を加えれば、五百钧の巨力を迸しらせられる!此の怪物と激突すれば、孰れが優れるやら……」
然し次の瞬間、方源は戦意を押さえ、身を翻して異獣狼群の中に再び潜んだ。
人如故蛊!
其の時、二柱の銀光が天より降り、朱宰と高揚は新たなる生を得、全く元通りに回復した!
「老いぼれめ!」
怪物の六ツ(むっつ)の瞳から──冷えきった視線、漲る殺意、沸き立つ戦意──が同時に太白云生を射貫いた。
太白云生は慌てて後ずさりした。彼は人如故蛊を所持しているが、其れは他者にのみ有効で、自分自身には作用しないのである。
「全軍に令あり、太白云生を護れ!!」
黒楼蘭は駆け寄りながら咆哮し、此の戦いの要を見極めた。
「誰が我を阻めるというのか?」
歐陽碧桑の頭は傲然と笑い含んだ。
次の瞬間、怪物は一筋の緑芒と化り、電光の如く太白云生目指して迸しった。
太白云生は群衆の背後に隠れたが、怪物は向かう所敵無く、一直線に突進する。阻まんとする者は、人であれ獣であれ、皆無残な肉塊と化った。
「恩公、早く逃げて下さい!」
高揚と朱宰は駆け付け、身を挺して太白云生を盾にした。
「邪魔な小さい虫めが。」
怪物は六本の腕を同時に振るった。其の速さは、肉眼には六筋の虚影が掠める程であった。
ドン、ドンと二声、朱宰と高揚は再び打ち爆ぜられた。
「我が単刀蛊を見よ!」
潘平が駆け寄り、単刀蛊を発動させた。
此度単刀蛊は見事に成功し、怪物の巨体は微かに震え、胸板に浅い傷痕が現れた。
「少しばかり面白い。」
怪物は冷笑一声、笑い声が消え去らぬ内に、傷痕は完く癒えた。然る後、怪物は一口の濁気を吐き出した。
濁気が炸裂し、潘平は木端微塵に吹き飛ばされた。
「太白云生、何処へ逃げようと?」
怪物は噛みつく様な笑い声を上げ、三つの頭の声が次第に一つに融け合っていった。
太白云生が未だ遠くへ移らぬ内に、怪物は既に其の眼前に立ち塞がった。
ざあっ!
水瀑が噴湧し、浩激流が波を蹴って馳せ来る。
怪物は六掌を揃えて押し出し、水流は迸し散った。浩激流は悲鳴一声、更に速き速やかさで吹き飛ばされた。
此の光景を目撃し、駆け上がって来た邊絲軒は即座に足を止め、踏み込むことを敢えてしなかった。
暗渦!
黒楼蘭は天より降下し、巨大な黒色の光球が、山塊の如く圧し掛からんとした。
怪物は咆哮一声、六本の手を幾重にも重ね、遥か彼方の光球を捉えた。
殺招――気呑万象!
大気は壁山の如く凝縮され、黒楼蘭の顔色は紫紅色に濁ったが、如何にしても推し進むことができない。
続いて大気は四方八方から包み寄せ、灼くも彼の殺招を無理矢理に飲み込んでしまった。
墨獅狂単独では発動不可能だった此の殺招が、怪物の手に渡るや否や、驟然として完成形と化ったのである。
ウォォン!
異獣狼群が蟻の群れの如く押し寄せ、黒楼蘭は怪物の足止めに成功した。瞬く間に、異獣狼群は怪物を幾重にも包囲した。
血戦は轟然として爆発した。
四転の戦闘力に匹敵する異獣狼たちは、畏れることも無く怪物へ向けて死の突撃を開始した。
「殺せ!殺せ!殺せ!」
怪物は咆哮を連発し、狂乱状態に陥って異獣狼群と揉み合った。其の一挙手一投足には莫大な威力が込められている。光道・気道・変化道という三種の蛊虫が連携して発動され、その連携は絶妙で、さながら三刀流の如きである!
異獣狼は一匹また一匹と戦死していったが、怪物の攻勢は相変わらず激烈極まりない。
「盟主様、此方が一役買いましょう!」
其の時、劉家の蛊師強者が援軍に駆け付けた。
然し次の瞬間、彼は正気を失った怪物によって生きたまま吹き飛ばされてしまったのである!
「劉文武公子は正気を失なわれた!」
「彼は既に狂ってしまった!!」
戦場は騒然となり、劉家軍の士気は急降下した。
「我が族の損耗は甚大で、蛊師は三割を喪失した。撤退の時である。」
「此の如き盟主に、如何して命を捧げる価値が有ろうか?」
「先ずは退け。損耗率は既に基準に達している。今撤退しても、毒誓に背くことにはならぬ。」
大戦がかくの如き局面に至り、誰もが予想だにしなかった。黒家も劉家も双方、最早脱走兵が現れ始めている。
元来陣形を維持していた黒旗軍と白毫軍は、熱戦を繰り広げている最中で、此れら逃亡兵を押さえ込む手が回らない。
「如何にせん?」
黒楼蘭は諸将に献策を求めた。此の怪物は彼の頭痛の種である。
「問題無し。所謂る殺招とは、威力は絶大なれど、消費する真元も膨大となる。加之ず、此の殺招は明らかに欠陥あり。怪物は既に理性を失なっている。知恵なき力は、憂うるに足らぬ。」
方源は極めて冷静に分析し、其の伝音は将兵らの心を奮い立たせた。
「然り。若し意外が無ければ、此の戦いは既に我々(われわれ)の勝利と見て良い!」
太白云生が補足した。
然し其の言葉が終わらぬ内に、意外は起こった。
三頭六臂の怪物は俄かに分離し、三つの人影となって各々(おのおの)別の方角へ躍りかかった。
劉文武と墨獅狂は共に空しく突き進んだが、歐陽碧桑のみは両眼を輝かせ、咆哮した。「常山陰、遂に貴様を見つけ出したぞ!覚悟しろ!!」
元来、彼等三人が合体して三頭六臂の怪物と化るとき、魂魄は互いに混ざり合い、戦力は暴騰するものの、長続きはしない。時間が経つ程に記憶の混亂は深刻となり、最終的には完全に自我を喪失し、正気を失った狂人・痴人と化ってしまうのである。味方の支援者を殺害した事実に劉文武らは心神を揺さぶられ、辛うじて一縷の清明を取り戻したのだった。
此の一縷の清明を頼りに、彼等は尚も逆転劇を画策していた。
太白云生を殺害するよりも、常山陰を討ち取ることの効用は、言うまでもなく大きい。
三人が有する探索蛊は、何れも凡品では無い。戦況を仔細に推算し、方源が潜む可能性の高い三箇所を特定した。
遂に、歐陽碧桑は方源の潜伏先を見つけ出したのである。
「最悪だ!若し狼王が死ねば、狼群は忽ち崩壊する。劉家軍が逆転し、我が軍の潰走と化る。」
歐陽碧桑が残忍な笑みを浮かべて常山陰に襲い掛かるのを目に、黒楼蘭は心中で暗叫し、狂ったように救援に駆け付けたが、時間的には最早間に合わぬのであった。
「死ねえ!」
歐陽碧桑は、未だ真元が残っており、再び修羅変を発動できたのだ!
「狼王は終わりだ!」
孫湿寒は恐怖と歓喜が入り混じり、恐れつつも喜んだ。
「糟った!常山陰が危ない!」
太白云生らは顔面蒼白となった。
「父上!」
常極右は切羽詰まり、絶叫した。
歐陽碧桑が襲い来るのを目にし、方源の顔には異様な笑みが浮かんだ。
四转鷹揚蛊に五转攻倍蛊!
方源の背中には俄かに鷹の翼が生え、五倍の速さで彼を載せて天を衝く勢いで飛翔した。
歐陽碧桑は一瞬呆然としたが、慌てて追跡し、「逃がすものか!」と咆哮した。
しかし彼の速度は及ばず、無念ながら両者の距離が開いていくのを視るしかなかった。
「此方に任せよ!」
劉文武が叫びながら白光と化り、疾走して来た。然し方源は軽やかに身を翻えし、難なく回避した。
其の時、墨獅狂も駆け付け、方源に対して包囲網を敷いた。
方源の身軽さは極まりなく、時には花間を穿つ蝶の如く、時には電光石火の如く、時には柔らかな風の如く、時には魑魅魍魎の如く、三人を翻弄してやまない。
「此れは……大師級の飛行術である!」
群衆は仰向けに眺め、目を見開って見入った。
蛊師は蛊を育て、使い、鍛える。いずれも深く広い分野だ。同じような蛊を使っていても、特定の蛊師は格別に優れ、芸術の域にまで高める。人々(ひとびと)はこうした者を「達人」と呼ぶ。
「狼王が奴道の達人だけでなく、飛行術の達人でもあるとは!」
人々(ひとびと)はしばらく見守り、安心すると次々(つぎつぎ)に驚嘆の声を上げた。
「狼王、逃げるな!」
歐陽碧桑が叫んだ。
「常山陰、覚悟があるなら俺と三百回戦え!」
墨獅狂が怒鳴った。
「ちくしょう……」
劉文武は歯を食いしばり、心は底へ沈んでいった。
方源の飛行術は、彼らの足元にも及ばない。さらに三人を愕然とさせたのは、方源が彼れらを回避しながら、同時に狼群を操って劉家軍を掃討していることだった!
「ちくしょう、あんたがこんだけ飛べるって知ってりゃ、あんな戦い方しなかったのに」
方源の余裕たっぷりの姿を目に、黒楼蘭らは胸に無力感と哀怨が湧き上がるのを禁じえなかった。
劉家の三兄弟に至っては、最早言葉も出ない状すだった。