瞬時、高揚・朱宰と墨獅狂・歐陽碧桑の戦局さえも、濁流の如き人流に掻き乱された。
両軍は完全に絡み合い、喊殺の声と怒号が天を衝いて鳴り響いた。
水瀑蛊!
混戦の最中、水魔・浩激流が双掌を押し出し、湛えきれない蒼き激流を迸しらせ、眼前の蛊師を敵味方構わず洗い流した。
大龍巻風蛊!
巨大な深緑色の竜巻が十数丈も聳え立ち、戦場を席巻する。其の到る所、人であれ獣であれ、悉く渦巻きに飲み込まれて高空へ放り投げられた。
竜巻風が散ると、常飆の姿が現れた。
彼は半空に浮遊し、青袍を纏った精悍な気迫が迸しっている。
彼と浩激流の距離は遠くなく、自然な成り行きで、二人の四转强者の視線が激しく衝突した。
次の瞬間、二人は一言の無駄口も洩らさず、直接に手を交わした。
……
一道の金色の稲妻が戦場を駆け抜け、沿道の黑家蛊師は瞬時に命を落とした。
金光が散り、一人の英武な男と化る。狼の如き背中に蜂の如き細腰、其れは正に裴燕飛其の人であっ た!
「常山陰、今日の戦いで貴様の首を刎ね、旧怨に報いてくれるわ!……ん?」
裴燕飛の戦意は炎の如く燃え盛っていたが、突然目を凝らし、急ぎ防御蛊虫を展開した。
彼の背後から、俄かに暗影が爆発した。
暗影は深淵の如く深く、幾重もの剣影と化って其の背中を斬りつけ、裴燕飛をよろめかせた。
「貴様か、影剣客!」
裴燕飛は態勢を整え、襲撃者である蛊師を凝視した。其の眼差しは重々(じゅうじゅう)しかった。
黒い覆面を着けた邊絲軒は軽く笑い声を漏らした。「裴燕飛様、ご機嫌麗しゅう。」
言葉は丁重であっても、其の動作は決して容赦しない。漆黒の剣影が再び屏風の如く展開し、回転車の如く裴燕飛を包み込もうとした。
「然らば先ず貴様を始末する!」
裴燕飛は哄笑一声、悍り勇んで飛び掛かった。
……
「我々(われわれ)の戦いは、未だ終わってはおらぬ。御二方は何処へ赴かれるお積もりか?」
歐陽碧桑と墨獅狂は再び魔道双煞の面前に現れた。
高揚と朱宰は心中で悲鳴を上げたが、已む無く覚悟を決め、歐陽碧桑らと戦闘を再開した。
蛊師強者たちが一対一の死闘を繰り広げ、固定された戦圏が形成されるに従い、本来混亂を極めていた戦場は、漸次に其の様相を鮮明にしてきた。
数十の大戦圏には、四転・五転の強者たちが峙え立つ。大戦圏の外縁には、三転級の戦力が主持する小戦圏が形成されている。
小戦圏の外側では、低階級の蛊師たちが隊伍を組み、互いに連携しながら交戦する。
総大将である黒楼蘭と劉文武の両者は王帳に坐して戦局を統括し、時折命令を下して手中の精兵を戦場の各所に派遣する。局面を安定させるためか、あるいは積極的な攻勢のためか。
広大な戦場には、間もなく濃厚な血生臭い気配が漂い始めた。蛊師たちは次々(つぎつぎ)に倒れていく——凍りついて氷柱と化す者、焼け焦げて炭と変わる者、粉微塵に砕ける者、毒に悶え苦しむ者。
元来清新だった草地は、今や生ける者を貪り食う化け物と化り、一分一秒ごとに生気あふれる命を飲み込んでいく。
戦況は激烈を極め、瞬く間もなく、黒楼蘭と劉文武の両者の額には、冷たい汗が滲み始めた。
膨大な死傷者の数は心底を寒からしめ、凄惨を極める戦場の光景は、目を覆うばかりであった。
戦局を維持すべく、両将は間もなく、切札として温存してきた精鋭部隊までも投入せざるを得なかった。残るは本族の黒旗精兵と白毫精兵のみを戦場の要所に配するのみとなる。
時の経過と共に、死傷者の数は減少し始めた。開戦初の激闘により蛊師たちの真元は激減し、皆意識的に真元の温存を図るようになったため、戦闘の激烈さ(げきれつさ)は大きく減退したのである。
戦況は膠着状態に陥った。
両軍は恰かも二体の巨人が力を較べ合う如く、互角の様相を呈してい る。微かな優位性を積み上げた一方が、局地の勝利から全戦線の優勢へと転換できるかが焦点となった。
「高級戦力は当面持ちこたえられる。狼王、貴様は現や五转潜魂獣衣蛊を手にし、更には異獣狼群も有する。次は貴様の出番だ。」
黒楼蘭は蛊虫伝音を使い、方源に伝えた。
開戦当初より、方源は既に王帳にはおらず、戦場の何処かに潜んでいた。其の詳細な位置は、黒楼蘭とて知る由もない。
方源は黒楼蘭の伝音を受け取ったが、返信は行わなかった。代わりに、直ちに狼群を指揮し、両翼に散開させ始めた。
劉家の蛊師たちは無意識に追撃の陣形を展開した。かくして、本来密集していた陣容は無防備に晒されることとなった。
遠吠え!
八百頭余る異獣狼群——白眼狼、血森狼、狂狼、魚翅狼を含む——が、鋭き矢の如く猛然と躍り出た。狼群は劉家の本営たる王帳目指し、一直線に突進する。
方源は一手を繰り出すや、即ち致命の一撃と化る。苛烈極まりなく、敵の必ず救わねばならぬ急所を衝く!
「果たして異獣狼群の支援があったか……」
劉文武は狼群の突撃が自軍の陣形を大混乱に陥れ、多数の蛊師が狼の牙に倒れる光景を目に、深く眉をひそめた。
黒家の蛊仙が異獣狼を支援している情報は、容易に探り出せるもので、秘密という程のものではない。
劉文武は動ずる所なく、彼の背後には同様に劉家の蛊仙が控え、劉家の支援を受けている。此の異獣狼群の出現を予測していた彼には、当然対抗の手立ても準備していたのである。
「貝草川、其方の出番である。」
劉文武は傍に控える蛊師に指図した。
貝草川は無表情のまま座席から起き上がり、深く眉をひそめて言った。「此方が持つのは半刻の猶予のみ。」
劉文武は軽く肯いた。「構わぬ、其の儘行って参れ。」
貝草川は王帳を出ると、空竅の真元を絶え間なく消費し、最近手にした蛊虫を催し始めた。
一股の草木の清しい気配が、彼の身より発散し、方円百里に広がった。
その気配の届く範囲では、青草が狂ったように成長し、数度の呼吸をする間に、人の背丈をも超えるほどに伸び上がった。幅広い草葉が互いに絡み合い、次々(つぎつぎ)と二転の草兵傀儡を結成していく。
瞬く間に、草兵傀儡の数は千を超えて爆発的に増加した。貝草川が蛊虫を催すと、翡翠色の光雨が瞬時に降り注いだ。草兵傀儡は緑の雨を吸収し、その一部は三転の藤甲草兵へと変貌した。一方で、大量の二転草兵も尚生成され続けている。
貝草川は再び蛊虫を催し、一股の橙色の暖風が草原に渦巻いた。橙風の吹き込みを受けて、一部の三転・藤甲草兵が更に四転・草剣精兵へと昇格した!
元来手薄だった中軍陣地は、瞬時に密集する草兵軍団で埋め尽くされ、一躍して戦場最も堅固な要衝と化った。
異獣狼群の突進は此れに阻まれ、勢いを削がれた。
方源は眉を顰め、全神経を集中して指揮を執った。彼は血森狼の背に身を潜め、五转潜魂獣衣蛊を纏っている。其の様は、青灰色の狼皮マントを羽織っている如きであった。
潜魂獣衣蛊は確かに優れており、方源の魂魄波動を完璧に隠し、彼が全力を出せるようにしていた。
然し此の時、方源は奴道大師と対峙しているかのような感じを覚えた。
貝草川は草兵軍団を操る傍ら、涙を滂沱と流していた。
彼は今、一体に二魂を宿していた。狼王常山陰に打ち勝つ為、貝家の家老・貝草縄が自らの魂魄を彼に寄せて犠牲となったのである。劉文武が要請して得た蛊虫により、貝草川は貝草縄の魂魄から力を汲み取り、短時間ではあるが奴道大師に匹敵する技量を手にしたのだ。
元来、貝草川は四转奴道蛊師として、貝家の族長であると同時に一族の資源を有し、魂魄の素養も決して弱くなかった。此度貝草縄の魂魄を得たことで、鬼に金棒と化り、奴道戦力は爆発的に増大したのである。
しかし、この技には多大な後遺症があ る。他者の魂魄を利用するため、貝草川自身の魂魄が混濁し、記憶の錯誤を招く。この後遺症を癒すには、膨大な精力と物資を投じ、特定の魂道蛊虫で養生を重ね、漸次の回復を待たねばならない。
だが此際、黒家軍に打ち勝ち、雪辱を果たすためには、貝草川はもはや後遺症など顧みる余裕はなかった。
黒家が高層戦力差を補うため高揚・朱宰の両名を招いたように、劉家もまた低層戦力の差を埋めるため此の策を選び、貝草川の戦力を一時的に奴道大師級に強化し、方源の押し来りを阻止せんと図ったのである。
瞬時、方源の異獣狼群は、相手の草兵軍団に辛うじて食い止められた。
「防ぎ切ったか?ははは!黒楼蘭、今日の勝ちは我が軍のものだ!」
劉文武は此の光景を目に、胸中の憂いが瞬時に晴れ、戦場全体に響き渡る笑い声を上げた。
「忌まわしい……!」
黒楼蘭は両拳を固く握り、歯を食い縛った。状況は彼にとって極めて不利だ。高揚と朱宰は最早風前の灯、そして期待を寄せていた異獣狼群は中軍で足を取られ、泥濘に嵌まった如き状態だ!
已む無く、彼は黒旗軍に出動を命じた。
「兄弟よ、遂に我々(われわれ)黒旗の出番だ!」
黒旗大統領は此の命令を受け、即座に興奮の叫びを上げた。
黒旗軍は流石がに黒家が長年を掛け巨費を投じて育成した切札である。出動するや否や、黒き尖刀の如く戦場に突入し、豆腐を切るが如き軽妙さで敵陣を蹂躙した。
黒旗軍の将兵全員が戦念蛊の加護を受け、一騎当千の悍勇を発揮し、死生観など微塵も顧みない。元来100%の戦闘力が、120%まで爆発的に上昇したのである!
「遂に耐え切れなくなったか?」
劉文武の双眸に鋭き光が走り、黒旗軍の動向を死に物狂いで凝視した。
右翼戦線で弧を描く黒旗軍が本軍へ襲い来る軌道を認めた時、彼は即座に黒楼蘭の真意を看破した。
「成程、貴様は此の一か八かで、優位を集中させ、草兵軍団を突破せんと企んでいるのだな。ふん、貝草川が常山陰を防ぐのにも既に苦戦している。若し此上黒旗軍の挟撃を受けなば、必ず崩壊せん。其の時こそ、黒家は小ながら優位を握り、要である異獣狼群も解放されるという訳だ。」
此れを思案し終えると、劉文武は傲然と笑った。「黒家に黒旗軍有り、其の名は北原に轟く。然れども我が劉家にも白毫軍有り、其の誉れは遠近に聞こえる。黒旗と白毫の争いは、既に数百年に亘る。今日こそ、再び決着を付けん。」
彼の命令一下、最早出撃準備を整えていた白毫軍は、直ちに三大殺招の一つを発動した。
白毫軍の将兵全員が、眩いばかりの白き光を放ち始めた。
白光は一カ所に集結し、巨大な光柱と化って天を衝く。光柱は天を逆上り、瞬く間に空から降り注いだ。其の光は黒旗軍の進路を遮り、黒旗軍の三大将は此の見覚えある殺招を認るや、直ぐに全軍に警戒を命じた。
光柱が散ると、厳しき陣容を整えた白毫軍が現れた。
白毫軍は主に歩兵から成り、黒旗軍は全員が軍馬に騎乗する。然し機動性に限って言えば、寧ろ白毫軍が優位に立つ。其の理由は、正に此の殺招に因るところが大きいのである!