奴僕長と雖ども、其は馬家の若様の日常生活の一切を司る要職である。此の様な重要な地位に就けば、下僚の蛊師が上層部の意向を探らんとすれば、必然的に奴僕長を通さざるを得ない。
「大儲けだわ!奴僕長にまで成り上が(あ)るとは、此の私ってやっぱ天才!」趙怜雲は内心で哄笑を爆ぜ、自身の策謀が報われたと痛感した。
彼女は瞳を輝かせながら費才を凝視し、柔らかな声で言った。「大馬鹿頭、奴僕長に成った以上、今後は一段と気を抜かずに勤めなさいよ。」
費才は全身を震わせ、有りの侭を呟いた。「小雲さん、何故か分からないんですが、貴女の此の声、鳥肌が立つ程不気味に聞こえるんですよ。」
趙怜雲は瞬時に顔色を一変させ、費才の脛を強く蹴りつけて怒鳴った。「此の間抜け!奴僕長になれば以前より危険な立場に立つことぐらい分からないのか?貴様を利用しようと企む者がどれだけ現われるか、中には凶悪な蛊師連中も含まれるんだぞ!」
費才は驚いて飛び上がった:「そ、其うなると……私は如何にすべきでしょうか?」
「ふん、幸い貴様には私と云う友がおる。此の私の言うことを素直に聞いておれば、安泰に暮らせることを保証するわ。」趙怜雲は小さな手を伸ばして費才の肩を叩こうとしたが、届かないことに気付いた。
彼女は即座に白い歯を見せて笑った:「早く此の私の為に蹲み込みなさい!」
費才は唯々諾々(いいだくだく)として蹲み、趙怜雲は無事に其の肩を軽く叩き、満足げに小首を傾げて老成した口調で言った。「次に何をすべきか、分かっておるのか?」
費才は当然の如く首を振った。
「ふん、此の間抜けめが。」趙怜雲は冷ややかに鼻を鳴らした。「貴様が下僕頭に成り、老奴らが左遷された以上、真っ先に人員を募集せねばならぬ。一人で何もかも面倒を見切れる訳がなかろう。」
「おお!其れはもっともな!」費才は漸く合点がいった様子で、盛んに肯いた。
趙怜雲は再び冷ややかな笑い声を漏らした。「然し此れだけでは未だ不十分よ。若様の御嗜好や生活習慣にも詳しくなることが必要。其の為には、例え左遷された老奴であろうと、虚心坦懐に教わりに行かねばならぬ。」
「何ですって?私が奴等に聞けと?良くも応じてくれるでしょうか?」費才は目を見開った。
趙怜雲は冷ややかに鼻で笑った。「貴様は今や奴僕長、身分が既に違う。奴等は最下層の奴隷めがき。今頃貴様の報復を恐れて震え上がっているはずよ。訊けば何でも話すに決まっている。但し、時勢を弁えぬならば——」
彼女は瞳に冷光を宿して続けた。「此方らが手段を講じて、腹の探り尽くすまで白状させて見せましょう。」
「はあ……」
趙怜雲は費才の間抜け面を眺め、思わず天を仰ぐ仕種をした。
彼女の思考は既に遠く飛んでいた。「此の私、此の世の者じゃないんだからねえ。此の臭い男共を悦ばせる方法なら、知り尽くしているわ。馬英傑の生活習慣を把握して、症に応じて薬を処方すれば(すれば)、費才の地位が安定しない訳がないでしょ?ふふ……」
草府、黒家の本営。
色とりどりの陣営と蛊屋が草原の大地を覆い、旌旗が風に翻えり、数多の蛊師が縦横無尽に行き交う。高空から鳥瞰すれば、恰かも巨大な蟻の群れの如し。
輜重営の中では、方源が東窗蛊を手に捏み、静かに物資を検閲している。
受付を担当する女性蛊師は息を殺し、神経を研ぎ澄まして傍に直立し、方源の指示を待ち続けていた。
東方部族から戦争賠償として接収して以来、兵站営で戦功と交換可能な物資は十倍以上に膨れ上がった。
無論、此れらは賠償金のみならず、黒家が従来蓄積してきた物資に加え、降伏し黒家連合軍に編入された大小の部族から献上された多量の物資も含まれている。
つい数日前、黒楼蘭は新規加入した部族長たちを集め、再び旗揚げ式を挙げて、全員に毒誓を立てさせたのである。
方源は東窗蛊を操作し、増大した物資リスト(ぶっしりすと)を黙々(もくもく)と確認している。
良質な物資が他者に換え取れられるのを防ぐ為、物資の統計が完成するや否や、方源は真っ先に輜重営に足を運んだ。
影劍客らが黒家大軍に加勢したと雖ども、方源の黒楼蘭に次ぐ地位を揺るがすことなど容易ではなかった。
斯かる特権を有する方源に対し、面と向かって異議を唱える者は誰一人としていない。
「ほう、四转の自力更生蛊が存在するのか?」方源は心動かされ、目の前の物資の中から、長らく求め続けてきた蛊を発見した。
自力更生蛊は極めて稀で、方源は元々(もともと)南疆産の三转蛊を所持していた。然し北原に来て以降、其の効力は二转に抑制されてしまっていた。対応する蛊方が無い為、昇華の術も無く、方源は手の施しようがなかったのである。
以前、彼は黒家の物資の中から二转の自力更生蛊を入手していたが、転数の低さにやむなく、対応する蛊方を収集し、二匹の蛊を基に煉蛊を行う計画を立てていた。
しかし此の方法では、高転の自力更生蛊を手にできるのは、何時になるか分からなかった。若し煉蛊に失敗を重ねれば、完成は更に遠のく可能性も危ぶまれた。
今彼が発見した四转の自力更生蛊に対しては、言うまでもなく即座に獲得を決意した!
四转の自力更生蛊以外に、彼は四转の横冲直撞蛊にも目を留めた。但し以前に購入した三转の横冲蛊と直撞蛊を使い、見事に四转の横冲直撞蛊への煉蛊には成功していたのである。
横冲直撞蛊から注意を転じた方源は、良質な物資が少なくないことに気付いた。特に東方部族特有の秘伝蛊が目を引いた。
五百年の前世の経験を有する方源と雖ども、此等の品々(しなじな)を見て大いに興味をそそられた。
中でも最も方源の心を捉えたのは、煉精化神蛊であった。
機能別に分類すれば、治療系蛊虫に属するであろう。
煉精化神蛊は蛊師の真源精華を神秘元能に転化し、魂魄を滋養し治癒する能力を有する。
魂魄を治療できる蛊虫は少なくないが、煉精化神蛊の効果は同類を遥かに凌駕する。東方余亮の手にも此のような蛊が一匹あり、其の智道推演に絶大な支援をもたらしていた。
方源にとって、此の蛊は一層適っている。
東方余亮とは異なり、方源は奴道と力道を兼修し、強靭な肉体と旺盛な精力を有する。一方で魂魄は獣群の指揮により頻繁に削弱と消耗を余儀なくされていた。煉精化神蛊は、正に此の二道を繋ぐ懸橋なのである!
物資の中には煉精化神蛊のみならず、其の蛊方も含まれており、方源は両方とも手中に収めた。
噂に依れば、此の蛊方は東方家の蛊仙・東方長凡が智道修行の為に特に推衍したものだという。東方部族が智道において世に先駆ける先進的な造詣を代表する成果なのである。
方源は蛊方と煉精化神蛊を手中に収め、東方部族の成果を我が物と化した。蛊虫は蛊師の一念で即座に自爆する特性を持つ。平時であれば、煉精化神蛊を此の様に容易く入手できる筈がなかった。
十年毎の王庭争奪戦は、単に不要なもの取り除き優れたもの生かす選別であるばかりか、大勢力間の間接的交流の場でもある。
蛊道は太古に起源し、人祖は最初の蛊師として蛊虫を使い始めた。遠古を経て上古に至り、上古時代の後には中古が続き、中古の後には近世が訪れた。
今日まで伝承されし蛊道は著しい発展を遂げ、百花繚乱・百家争鳴の様相を呈する。無数の流派は長河の波の如く、咲き誇る花も有れば、消え去る花も有るのだ。
然し、苛烈な生存環境が故に、貿易の概念は人々(ひとびと)の心に浸透することなく、各大勢力は独自の研究に閉じ籠り、秘伝を独占する状態が続いた。
往年、無敵の至尊である巨陽仙尊は此の状況に感ずるところ有り、特に此の為の布局を施した。正に戦争賠償制度が確立された事によって、黄金部族は絶える事なく繁栄し、永らく北原の覇者としての地位を揺るぎないものとし、長きに渡って衰えを知らなかったのである。
幾多の王庭争奪戦という試練を経て、北原は五大大域の中でも、強靭な武力を有する地として広く認められるに至った。
「総合戦力で評すれば、中洲が最強、次いで北原が第二位となる。」方源は前世の記憶に基づき、各大域の実力順位を明確に認識していた。
五域大戦の時期、北原は中洲の侵攻に対し最も激烈な抵抗を見せた地であった。
他の三域は、北原と比べれば巨大な地利の優位を占めていたにも関わらず、終始中洲に押さえ込まれ、頭も上げられない状態が続いていた。
唯一北原のみが、反撃軍を編成し中洲へ逆侵攻を敢行したことさえある。
「北原が此れ程の実力を有するのは、巨陽仙尊の布局に負う所が大きい。正に彼が戦争を利用し、其の規模を一定範囲に限定した事で、北原の武力は強化されたのだ。」
「然し乍ら、彼の此の布局は、所詮視野が狭過ぎ、自家の利益のみに固執していたに過ぎない。一方、中洲の強盛は体制改革に基づく根本的な優位性なのである。」
方源は地球由来の視点を有し、元来独創的な分析力に加え五百年の経験を積み、社会の本質に対する透徹した認識を備えている。
「おや、まさか功倍蛊が十数匹も残されているとは?」
方源は散漫だった思考を収め、改めて調査を続けると、またも驚きの発見があった。
功倍蛊は律道に属し、特定の蛊虫を補助して其の効果を倍増させる能力を持つ。増幅率は功倍蛊自身の転数に比例し、転数が高ければ高い程、効果は更に大きく増幅される。当然、得失相伴い、蛊師が消費する真元も比例して多くなる。
功倍蛊が広く蛊師に歓迎される理由は、何れの流派の蛊師でも使用可能な点にある。炎道蛊師も使用できれば、水道蛊師も同様に活用できる。方源而言せば、奴道と力道の両方が功倍蛊の増幅効果を得られるのである。
黒家の物資の中には、何と五转の功倍蛊が一匹!更に四转が一匹、三转が三匹、残りは二转のものが揃っていた。
方源は当然最上級を選び、五转功倍蛊を直かに指定した。其の増幅効果は五倍に達するという。
然し此れに因り、問題が生じた。
「狼王様、此れ程多くの蛊をお求めですと、戦功が足りない恐れが……」
受付係の女性蛊師は言葉を選びながら注意を促した。
「ああ、存じておる。何と言っても五转蛊、そ(れも功倍蛊故。其れに煉精化神蛊は東方部族秘伝の蛊故、当然高価であろう。」
方源の此の台詞は極めて理解力に富んで聞こえた。
しかし次の一言は、其れとは対照的であった:「戦功が足りなくとも問題ない。五十万追加で借り入れよう。」
「は?」女性蛊師は愕然とした。慎重に言葉を選びながら答えた。「狼王様、先回お借り入れの五十万戦功は、未だ三十万余り返しておりませぬ。規定に基づき、借り入れは全額返済後に限られております。」
方源は眉を上げて、意に介さず言い放った。「其れが何だ?規則は人が作ったものだ。作れるなら変えられるのも道理だろう。五十万では足りん、八十万借り入れよ!此の件は直接黒楼蘭に説明する。今直ぐに品物を此方に渡せ!」