双頭犀の背中に立ち、影劍客と飛電の両強者は警戒しながら周囲を見渡した。
戦場は混乱の極みで、元々(もともと)十数あった四转蛊師の戦团の内、既に三組が勝敗を決していた。その内黒家が二勝、東方部族が一勝を収めている。
数多の精兵は未だ互いに絡み合っており、先の東方余亮の采配が功を奏し、此の点において黒家がやや劣勢に立たされていた。
狼群と鰐群・蟹群・蝠群も膠着状態が続く。
方源の姿は微塵も見当たらず、いずこに潜むやも知れない。
辺絲軒と東破空は搜索の甲斐も無く、焦燥の色を一層濃くした。
東方余亮は素早く此の失敗を飲み込み、朗々(ろうろう)とした笑みを浮かべて言った。「此れで少し面白くなって来た。然し此の点も既に予測済みだ。狼王が狼群の指揮を続ける限り、其の魂魄の波動は隠せず、遅かれ早かれ位置は露見する。黒楼蘭よ、貴様の敗北は只だ暫し先延ばしに成っただけだ。」
「ははははは。」
黒楼蘭は天を仰ぎ大笑いし、其の笑声は嘲りの意に満ちていた。「東方の小童め、本気で我れが貴様に押さえ込まれたとでも思っているのか?」
そう言うと、彼の全身の皮膚は夜の如き漆黒へと変貌し、毛穴の一つ一つから滔々(とうとう)と黒煙が湧き上がり始めた。
黒煙が滾々(こんこん)と湧き上がり、瞬く間に彼の全身を包み込んだ。
ほんの短い時間で、黒楼蘭は人型の黒煙と化わった。煙は細くたなびき、外からは一対の赤く染まった嗜血の瞳しか見えなかった。
東方余亮の心中に、強い不穏な予感が湧き起こった。
撤退の念が、即座に彼の脳裏を掠めた。
しかし、雲渦が確かに暗渦を克制し、黒楼蘭を押さえ込んではいる。然るに、別の見方をすれば、暗渦が雲渦を牽制しているとも言えなくはない。
次の瞬間、黒楼蘭が変身した黒煙は、何と全て(すべ)て暗渦の中へ投じ込まれたのである。
「しまった!」
東方余亮は即座に全身の毛が逆立つような衝撃を覚えた。
しかし時既に遅し。小山の如き大きさの黒色巨球は、雲渦にゆっくりと飲み込まれつつあったが、此の時暗渦が再び収縮を始めた。
雲渦は其の変化に対応し切れず、慌てて同調して縮まろうとした。
然し次の瞬間、暗渦は劇的な膨張を開始した。
「違う、膨張と言うより――爆発だ!」
東方余亮は思わず色を失った。
何の物音も伴わない、此れは無音の大爆発であった。
雲渦は三呼吸ほど持っただけで、暗渦に押し破られた。暗黒の巨球は膨張を続け、太古の巨怪の如く大口を開けて、人も獣も区別なく飲み込んでいった。
方圆十里の戦場全体を覆い尽くした半球形の暗黒光球は、その時突如として消滅した。
通常の爆発が生じる衝撃波も爆風も存在せず、此の不気味で絶大な爆発は腐食性の偉力を有し、全て(すべ)てを消融する陰毒を帯びていた。
暗渦が消散した後、方圆十里の戦場は完全に更地と化わり、半空中に浮かぶ黒楼蘭ただ一人と、深淵の底に立つ東方余亮のみが残された。
其余の者どもは、暗渦の自爆によって悉く虚無へと侵食され尽くしたのである!
黒楼蘭は足下の東方余亮を俯して見下ろした。彼は息を切らせ、極度の疲労に苛まれ、全身が黒紅色の血液にまみれていた。
しかし其の口元には、狂氣的な笑みが歪んで浮かんでいた。
「はははは!東方余亮、其方が暗渦を克制する雲渦という殺招を思い付いたならば、我れも元の殺招を改良してみせよう!如何だったか、我れが其方の為に精心を込めて準備した饗宴の味は?此れこそ我れが永らく隠し持っていた手段ぞ、肉親にすら明かさなかったものだ。」
黒楼蘭は高らかに笑い、其の笑声は戰場全体に響き渡った。
瞬時、彼の気魄が周囲を圧倒し、戦闘中の蛊師たちさえも思わず視線を向けた。
黒楼蘭が優位に立つ姿を目にした黒家の蛊師たちは士気が高揚した。一方、東方部族の蛊師たちは重なる圧力を感じ始めた。
将は兵の魂胆なり。黒楼蘭と東方余亮の勝負は単なる個人の生死を超え、広大な戦場全体の趨勢を左右する重要な鍵であった。
「ごほごほっ……」
黒楼蘭の豪放な笑い声は唐突に途切れ、幾口もの黒血が迸り出した。
此の殺招は確かに絶大な威力を発揮するが、敵を千倒すれど自らも八百を損なう。自虐招数の類であり、結果如何に拘わらず、一旦発動すれば暗渦殺招を構成する蛊虫の大半が滅亡する。
蛊虫が隕滅すれば、蛊師は当然反噬を受ける。
然るに、既に十分元が取れている。
黒楼蘭は一挙に窮地を脱し、逆に東方余亮を圧倒したばかりか、三心合魂状態にあった魏鑫・姜婉姗・鄂玄銘の三人をも誅殺した。
此の三人が死ぬや、混成獣群は統一指揮を失ない、激しい内ゲキが発生した。正に方源が先に言った通り(どおり)、攻めずして自ずから潰えたのである。
方々(ほうぼう)を駆け巡り無差別に暴れ回る混成獣群は、戦場を一層の混迷に陥し入れた。
東方余亮は険しい表情を浮かべ、徐々(じょじょ)に空中へ浮上した。
黒楼蘭の秘匿工作は完璧であった。彼には一片の関連証拠もなく、此れ程までに破壊力の凄まじい改良殺招は、全く予想外だった。
実を言えば、彼は元々(もともと)鄂玄銘・魏鑫・姜婉姗の三人に対し、潜かに逃亡手段を準備していた。此の三人を現在地から戦場の大後方へ直接転送できるように仕組んでいたのである。
然し黒楼蘭は明らかに殺招・暗渦を改良する際、宇道蛊虫を追加していた。暗渦が爆発した時、周囲の空間は全て(すべ)て錠され、東方余亮の手段は無効化されてしまったのである。
「東方余亮、今でこそ降参すれば、まだ間に合う。降伏さえすれば、既往は問わず、前嫌も計らず、汝を第一軍師に任命しよう。」
黒楼蘭は公衆の面前で東方余亮の帰順を促した。
東方余亮は冷やかに一笑した。
黒楼蘭の好色ぶりは広く知れ渡っており、かねてより彼の妹である東方晴雨の美色を狙っていた。東方余亮は他の勢力に降るとしても、黒楼蘭に帰依するなど到底ありえなかった。
「黒楼蘭、其方は楽観的に過ぎる。仮令今は優位に立っていようと、勝利までは未だ遠い。来い、存分に勝負を繰り広げよう。七星灯!」
東方余亮は軽く喝するや、其の傍に忽ち七盏の灯火が浮遊し始めた。
此等七团の灯火は色とりどりに輝き、彼の身体を取り巻きながら絶え間なく旋回し、艶やかな光跡を描いては消えた。
此れは東方余亮の看板殺招であり、七盏の灯火は各々(おのおの)異なる効能を有する。其の加護の下、東方余亮は星念蛊を催動した。
ざわざわざわ……
無数の念が迸り出で、星芒煌めく。仮令白昼といえども、此等の星念の鋭鋒を覆い隠すことは出来なかった。
無数の星念が天駆け昇り、ほんの数息のうちに、東方余亮は少なくとも数万の星念を生じさせた。
半空では、星芒が一つに連なり、広大な星雲の海を形成、その雄大な景観は実に壮観そのものだった。
「黒楼蘭、此の一撃を受けよ!」東方余亮が朗々(ろうろう)と喝するや、其の傍にあった星念の数多が黒楼蘭目指して電光の如く放たれた。
膨大な規模が旋風の如き咆哮を生じ、その気勢は極めて衝撃的であった。
「ふん!」黒楼蘭の瞳の奥底に、一瞬ばかり畏れの色が走った。
智道蛊師とて、決して無手勝流の輩では無い。如何なる蛊師の流派も、存在する以上、必ずや攻伐の手段を有するのである。
攻撃手段を持たない流派は、淘汰されて歴史の長河に消え去る運命にある。
幾年も前、黒楼蘭は東方余亮と交手したことがある。当時は僅か数千規模の星念だったが、黒楼蘭に散々(さんざん)な目に遭わせたものだ。
星念は驚異的な速度で敵の脳裏を直撃する。一風変わった攻撃方法で、防御が極めて困難である。
「此れ程の星念とは、東方余亮は本気で命懸けだと見える。此の様な無制限な星念生成は、最早魂魄や身体への損傷では済まない。此度の大戦の結果如何に拘わらず、東方余亮は少なくとも二年分の寿命を失うだろう。我が今の状態は万全とは言えぬ。一旦鋒先を避けた方が良さそうだ。」
黒楼蘭は此の規模の星念を目にし、瞬時に退却の意思を固めた。
「すっ」という音と共に、彼は現位置から消え、再び現れた時には既に千歩も先にいた。
然し星念の速度は驚異的で、電光の如く速く、黒楼蘭に対し執拗な追撃を展開した。
黒楼蘭は冷ややかに哼と鼻を鳴らし、治療蛊を使いながら、絶え間なく身を翻して回避を繰り返した。
星念は集結して巨大な星雲と化わると、戦場を縦横無尽に駆け巡り黒楼蘭を追跡し続けた。其の通り道には、人馬倒れる大混乱が巻き起こった。
意志薄弱な蛊師たちは、膨張する星念の直撃を受けて、瞬時に白痴と化した。
大半の蛊師は、星念が脳裏に灌注されるや、直ちに眩暈がして立ち居れなくなり、地に伏す者も少なくなかった。
唯、数多いる蛊師の中でも指折りの強者たちだけが、鋼鉄の如き意志と電光石火の機転で、外から迫る星念を次々(つぎつぎ)に撃退してみせた。然し其の為、此等の強者たちは星念の防御に気を取られた結果、本来激しく戦っていた戦闘も次第に緩慢となっていった。
四转蛊師は戦場を縦横無尽に駆け巡る事が出来るが、五转蛊師が一たび本気を出せば、戦局全体を左右する力を有するのである。
東方余亮が全力で出手すると、黒楼蘭は圧倒的に劣勢に立たされた。膨大な星念は星雲と化わり、戦場を主宰する第一の力となった!
星念は消耗が激しいが、東方余亮の星念生成速度も驚異的である。
時間の経過と共に、星雲の規模は微塵も衰える兆しを見せず、却って微増を示した。
戦場全体のほぼ全員の注意が此の星雲に集中した。星雲が迫り来ると、大多数の蛊師は蜘蛛の子を散らす如く四方へ逃げ惑い、衝撃で痴呆と化すことを恐れた。
然れども東方余亮の顔には一片の歓喜の色も無く、却って一抹の憂色が曇りなしていた。
黒楼蘭の移動蛊は極めて優れており、星念とて追いつくことができない。東方余亮は痛い程に理解していた——黒家軍において最重要な人物は黒楼蘭と常山陰の二人であるということを。
今や黒楼蘭は脱兎の如く逃げ回わり、常山陰も暗処に潜み、意図的に魂魄の気配を押さえ込んで、狼群の操作に本来の力の十分の一も使っていない。混迷する戦場から彼を見つけ出す望みは、極めて微かなものだ。
「然らば、貴様らが誇る精兵を殲滅してくれよう。其の時、奴等がまだ耐え忍んでいられるか見物だ!」
東方余亮の瞳に冷たい光が走り、空中の星念の雲は急転回し、精兵部隊目指して急降下した。
此等の精兵は、少なくとも二转の修為を有する。其中には三转蛊師が頭目として混じっている。
其人數は多いが、東方余亮の一騎打ちには敵わない。星念の雲の集中攻撃を浴び、黒家の藍蝶精兵は忽ち土崩瓦解し、数多の死傷者を出した。
「我が族の精兵よ!」
此の光景を目にした葉家の族長は、胸を裂かれる思いで叫び声を上げた。
「未だ現れぬのか?」
東方余亮は微かに眉を上げると、再び星念の雲を駆り立て、戦犬精兵へ襲撃を仕掛けた。
戦犬精兵は瞬く間に七転八倒し、周囲の精兵たちは此の好機を逃さず包囲攻撃を開始、電光石火のうちに此の精兵部隊を殲滅した。
「我が戦犬精兵よ!」
汪家の族長は全身を震わせながら痛恨の声を上げた。此の様な精兵を育成する為に、汪家はどれ程の資源を費やし、当代の者どもがどれ程の精力を注いだか知れない。然るに此の貴重な戦力が、一朝にして灰燼に帰したのである。
「ふむ、未だ救援に出て来ないのか?」
東方余亮は深く眉をひそめた。二個の精兵部隊を壊滅させたことで、彼の星念は大幅に消耗している。絶え間なく新しい星念を生成し続けていなければ、星念の雲はとっくに枯渇していただろう。
七星灯殺招の加護を受けているとはいえ、此刻の東方余亮は強い虚脱感に襲われている。元より漆黒だった彼の黒髪には、今や幾筋もの白髪が混じり始めていた。
「殺れ、殺れ、其の様な殺招が何時まで持つか、此方は目が離せぬわ。」
何処かに潜む方源は、狼顧蛊を通じて戦況を眺めながら、冷笑を浮かべて此く囁いた。
彼に取って、死ぬ者が多ければ多い程、戦後に得られる魂魄も増える。
所詮、最終的に勝利し、王庭へ入ることを許されればそれで良いのだ。
東方余亮が精兵を屠ることで方源を出撃させようと企んでいても、万万が一に成功する筈が無い。其の思惑は、徒らに終わるであろう。