「唐家め!当年の屈辱、今日こそ倍返ししてくれるわ!!」
汪疆は顔面を歪めて低く唸ると、全身が瞬くうちに一回り膨張し、黒熊の如く凶暴な勢いで唐方に襲いかかった。
其の猛烈な来襲を見て、唐方は驚愕と怒りに駆られ、死闘する決意を固めた。
丹火蛊!
右掌を押し出すと、橙赤色の炎が汪疆目掛けて飛翔した。
炎は空中に光弧を描き、汪疆の顔面に迫る。未だ命中せざる前より、彼は灼熱の気配を感じ取った。
然し汪疆は獰笑一声、微かなも回避する様子も無く、寧ろ大口を開け放った。
がぶり!
彼は口を大きく開け、丹火を一気に飲み込んでしまった。
「此れは──四転の吞火蛊だ!」唐方の表情が強く揺るいだ。
吞火蛊は元来攻撃用の蛊ではなく、貯蔵用の蛊である。然し蛊師の蛊の使い方は、常に一心の存する所。貯蔵用の蛊が戦闘に使えぬと誰が決めた?
唐家の蛊虫は火道を主軸とする。汪疆は大きな代償を払って此の四转吞火蛊を手に入れたのは、十年も前から唐家に対する布石であった。
「汪疆、我々(われわれ)も加勢する。」
其の時、更に二人の蛊師が駆け付け、何れも三转の実力を有していた。
唐方と唐家の家老二人の顔色が瞬くうちに変わった。元々(もともと)吞火蛊は彼等を完克するものであるのに、今や相手は三対二と数的優位に立っている。
「三少、急いで退け!此奴等は私が食い止める!」
唐家の家老は危急の情況を看取するや、進んで身を挺し、唐方の撤退の機会を繕おうとした。
唐方は道楽息子ではなく、歯を食い縛り、踵を返して退いた。「家老、持ち堪えてくれ。直ぐに援軍を連れて戻る!」
「追え!」
汪疆ら三人は唐方の無事撤退を看過する訳にはいかなかった。然し残された唐家の家老は防御蛊師であって、三转の珍稀蛊「緩步」を有していることを見落としていた。
此の蛊は名の如く、蛊師の速度を減速させ、一定時間持続する効果がある。汪疆ら三人は其れに足を取られ、唐方を諦らめるしかなく、満腔の怒りを胸に、唐家の家老へ向けて全力で襲い掛かった。
唐家の家老は両拳をもって四手に敵せず。緩步蛊を有するも防ぎ切れなかった。最初に汪疆の一撃を受け(うけ)、続いて風刃に打たれて腕を折り、最後には雪球の一撃で氷塊と化し、其処に命を落とした。
「家老!」
唐方は虎目に涙を浮かべ、援軍を率いて駆け付けた時には、最早此の家老の遺体を収容することしかできなかった。
復讐の業火が其の胸中に燃え上がったが、当座は仇敵を探し出すことも叶わなかった。
戦場は一片の混迷に陥いっていた。無数の狼群が猛り狂い、其れに加えて狐群、戦蟹、蝙蝠などが入り乱れていた。金・木・水・火・土・風・雷・光・闇――様々(さまざま)な属性の攻撃が天空を切り裂き、此の大地に降り注いだ。土煙を舞い上がらせるもの、灼熱の炎を燃え上がらせるもの、氷霜を蔓延させるもの、雷光で眩しさを放つもの……
蛊師たちは叫び、吼え、進撃する者、後退する者、救援に向かう者、死守を決する者が入り混じる。
数十万の将兵による大乱戦は、方円数千里の範囲に充満していた。
ざあああっ……!
突然、碧藍色の磅礴たる大波が、天を衝く勢いで悪蛟の如く現われ、轟音と共に打ち付けた。
無数の狼群や蛊師たちが巨浪に巻き込まれ、飲み込まれてしまった。
戦場は瞬時に蹂躙され、湿った青草の原には幾つもの水溜りができあがっている。一人の蛊師が哄笑を挙げ、傲然と場中央に立ちはだかっていた。
「水魔の浩激流だ!」唐方は瞳を凝らし、此の人物を見極めた。
「退け!此奴は四转上階の強者で、悪名高き老魔頭だ。」
生存していた三转蛊師たちは、即座に理に適った撤退を選んだ。
水魔は傲岸に視線を巡らせると、最も人数の多い唐方一行に注がれた。
此等の三転蛊師は、水魔の眼には動く戦功と映り、戦後の豊かな褒賞を意味していた。
水魔は猩々(しょうじょう)と赤い舌を伸ばし、乾いた唇を舐ると、顔中に殺伐な気配を漂わせた。
「我れに遭遇するとは、不運と諦らめよ!」水魔は高笑いし、双掌を猛然と押し出した。四転、水瀑蛊!
轟!
瞬時、天を衝くばかりの激流が迸れ出、比類なき衝撃力を伴って唐方らに襲いかかった。
此の如き磅礴たる攻勢を目にし、唐方は孤軍奮闘の如く、津波に直面する孤立無援の感に襲われた。
「三少、私らが食い止める、急いで退け!」
付き従う数名の家老たちは歯を食い縛り、唐方を後ろに守り立てた。
彼等は合力して遂に水瀑を防ぎ止めた。
「早く行け!!!」
家老たちの焦る声に、唐方は無念さと悔しさで胸が熱くなった。
「皆、持ち堪えてくれ。父上を連れて助けに戻る!」
彼は悔しさを噛みしめながらも、已む無く撤退を選んだ。
がはははは!
水魔は哄笑を放ち、唐家の数名の家老と激戦を繰り広げた。その攻勢は烈しく、水勢は磅礴として、圧倒的な勢いで襲い掛かる。唐家の家老たちは人数で優位に立ってはいたものの、劣勢に立たされ、防戦は極めて困難であった。
数回合も経たぬ内に、早くも家老の一りが水魔の手に掛かり命を落とした。
十数回合が過ぎる頃には、最早一人の家老を残すのみとなっていた。
水魔は獰笑を浮かべ、止めを刺さんとしたその時、突如として烈々(れつ)たる殺気が襲い来った。
豊富な戦闘経験が培った危険察知能力が、浩激流に本能的な回避行動を取らせた。彼は見向きもせず、即座に飛射後退し、目前の戦功を惜し気も無く捨て去った。
ひゅっ!
微かな風切り音と共に、四枚刃の風刃が空気を劈ざき、今しも退いた彼の肩先をかすめて飛び去った。
風刃は回転を続け、一撃が外れると、戦場に長い弧線を描いた。その軌跡に沿って人であれ獣であれ、一切合切が切り裂かれ、血潮が噴き上がり、断肢が散乱した。
淡緑色の風刃は空中にゆったりとした弧を描くと、元の主の手元へと戻っていった。
「貴様か?風魔の譚武楓め!」
水魔の顔からは狂笑が徐々(じょ)に消え、眼には一筋の緊張が走った。
譚武楓は彼と並び「風水双魔」と称され、同じく四転高階の修為を有していた。
かつて水魔は北原東部を縦横し、風魔は北原西部に猛威を振るい、互いに呼応していた。然し後年、東方余亮は巧みな計略をもって三度も風魔を捕らえては放ち、遂に彼を屈服させた。こうして譚武楓は東方余亮の従者となり、東方家に帰依する身となったのである。
「水魔よ、其の哄笑は余りに耳障りだ。公子の命により、此処で貴様を葬る。」
風魔譚武楓は薄青い衣を纏い、空中に漂っていた。手には剛今戻って来た風刃を弄している。
移動中の消耗で三枚に減っていた風刃は、風魔が新たに真元を注ぎ込んだことで、徐々(じょじょ)に修復し、元の四枚刃の威勢を取り戻しつつあった。
一般に、一旦放たれた風刃は回収不能とされる。然るに風魔は風刃を弄する様は、さながら玩具を把玩するが如く、並み居る者を凌駕する風操りの術の冴えを見せつけていた。
「ふん、此れまでの歳月、主君に良く躾けられたようだな。天狗になり果てたな。」
水魔は獰笑一声、鷲の如き鋭い眼光で風魔を射すくめた。
風魔の顔色は瞬時に曇った。掌を一振りするや、四枚刃の風刃を猛射した。同時に、其の身は矢の如く水魔目掛けて直進する。
「来い!」
水魔は微動だにせず、足下に巨浪を巻き起こす。波を踏みしめながら空中へ躍り上がり、風魔に激突して行った。
轟!
激しい爆発音と共に、狂風が唸り、大波が天を衝く。四転強者同士の死闘の幕が切って落とされた。
周囲の蛊師たちは慌てて後退し、距離を取ると、間もなく風水双魔の為だけの特設戦場が設けられた。
両者だけではなかった。縦横捭闔すること暫し、四转蛊師の強者たちは次々(つぎつぎ)と好敵手を見出していった。
混迷する戦場には、十数もの戦圏が次々(つぎつぎ)と形作られていった。戦圏は固定されておらず、交戦する両者と共に緩やかに漂移していく。
高級戦力の配置が定まるにつれ、戦場全体の構図も次第に鮮明になってきた。
最上位では四转强者たちが一対一の死闘を繰り広げ、大戦圏を形成する。其を取り巻くように中規模の戦圏が広がり、三转蛊師たちが生死を懸けて争う。更に外縁部では、二转・一转の蛊師たちが部隊を組み、連携行動を展開していた。
方源は此の機会に乗じて、狼群を着々(ちゃくちゃく)と纏め上げ、戦線の再編を進めていた。
両軍の対峙は膠着状態に陥った。
往々(おうおう)にして此の様な状況では、先ず均衡を破り、主動権を握った一方が優位を積み上げる。十分な優位が蓄積されれば、其れは勝勢へと転化していく。
黒楼蘭も東方余亮も、此の点を良く理解していた。
彼等は視線を手中の精兵へと向けた。
此等の精鋭部隊は、三百から四百人、或いは五百から六百人規模で編成され、統一された蛊虫装備と厳格な画一訓練を受け、瞬時に強大な戦力を爆発させ得る。戦場を縦横する利刃であり、双方の総帥が握る最終兵器なのである。
各家族が必ずしも精兵を編成できる訳ではない。
黒楼蘭陣営には五支の精兵が、東方余亮の手元には六支の精兵が存在していた。
東方余亮は先ず百花精兵を出動させた。
此れは花家の精兵であり、攻撃や防御には弱いが、治療を得意とする。
此の精兵が動き出すや、直ちに大勢の負傷者を治療し、戦局を安定させ、東方一族の基層蛊師たちに巨大な支援をもたらした。
高く王帳に坐る黒楼蘭は此の情景を見て冷やかに哼と鼻を鳴らし、藍蝶精兵に出撃を命じ、百花精兵団を襲撃し殲滅せよと下命した。
藍蝶精兵は五百人規模。四転蛊師たちの戦圏を巧く避けると、厚い戦線を容易に突き破り、百花精兵目指して殺到した。
今まさに仕留めようとしたその時、東・南・西の三方向から三股の精兵が現われ、藍蝶精兵に対し包囲網を形成した。
元来東方余亮は、百花精兵を囮に仕組まれた此の罠を仕掛けてあったのである。
黒楼蘭とて藍蝶精兵の全滅を看過する訳にはいかず、直ぐさま残りの精兵部隊を救援に派遣した。
双方の精鋭部隊は瞬くうちに絡み合い、内外幾重もの包囲網を形成。戦況は再び膠着状態に陥った。
「族長殿、拙者に軍勢を率い出撃させてください!彼等をさんざんに打ち破りましょう!」
東方射は焦りを抑えきれず、声を張り上げて出陣を懇願した。
東方余亮は緩やかに首を振り、許しは出さなかった。東方射は東方一族・羽箭精兵の総帥として、四转高階の修為を有する。
しかし黒家の黒旗精兵が動き出さない限り、此の羽箭精兵は戦局を鎮める抑止力として温存せねばならない。
東方余亮は緩緩と戦場を見渡し、全局を掌握すると、東方射を宥めるように言った。「射家老、稍安んぜよ。今は未だ貴公の出番では無い。眼前の局面は、早くより我が戦略的予測の範疇にある。」
そう言うと、彼は淡く笑いを浮かべ、向きを変えて三人の奴道蛊師に告げた。「三君、其方らの力量を示す時である。」
此等三人こそ、鄂玄銘・魏鑫・姜婉姗であった。