魂道の開拓者であり、蛊師九転の頂点に傲然と立つ伝説的人物——幽魂魔尊は、かつて此う評した:
「天下広しと雖も、魂を壮にするには蕩魂山を、魂を煉るには落魄谷を選ぶべし。此の一山一谷を得れば、必ずや魂道は大成し、世に縦横すること造作なきことならん!」
故に、蕩魂山と落魄谷は並び称されて「魂修二聖地」と為る。
此の二大聖地が蛊師にもたらす計り知れぬ恩恵について、方源は蕩魂山を掌握して以来、身を以て痛く体得していた。
彼の千人魂は、正に蕩魂山で産出する胆識蛊を駆使して初めて修得できたものである。
胆識蛊は魂を壮にする極品第一の蛊であり、直接に基盤を増強し、何さいの副作用も無く、効率極めて高し。
普通の蛊師が魂魄を千人級まで積み上げるには、通常二十年前後を要する。一部の天才は、一族の支援や先輩の後押しを得て、此の期間を半減させることも可能である。
では、方源はどうか?
彼は蕩魂山の胆識蛊を利用し、魂魄を千人級に強化するのに、半年も要しなかった。
忘れてはならないのは、此れが「蕩魂山が和泥仙蛊に侵食され、漸次に死滅しつつある」という状態下での成果だという点である。
方源は蕩魂山によって、魂魄を難なく千人級まで高め、其の速度は正にロケットの如く九霄を衝くが如し。然れども魂魄修行は、魂を壮んにするのみならず、更に魂を練り上げ、純化する煉魂の工程をも要する。
此の方面において、方源の進展は極めて緩慢である。
魂を壮んにする速度と比べれば、彼の煉魂の速度は正に亀の歩みの如くである。
方源は煉魂に際して、常に狼魂蛊を採用し、魂魄を純化精錬して、最終的に狼人魂を形成してきた。
然し彼が使用した狼魂蛊の中には、五転級に達するものは一つも無く、最高でも四転止まりであった。四転狼魂蛊で千人魂を純化するのは、恰も一瓶の墨を湖に注ぎ込み、全ての湖面を染め上げようとするが如し。四転蛊の効率では実に低過ぎるのである。
方源も以前、五転狼魂蛊を求めて努力したが、残念ながら成功には至らなかった。
五転狼魂蛊が無くとも、実は他の方法が存在する。
即ち両更蛊や三更蛊を利用し、自身の時間の流れを加速させるか、或いは直接福地に進入することで、修行速度を向上させるという手である。
然し此の方法は、他者には使用可能でも、方源には適用できない。
方源の第一本命蛊である春秋蝉は、時間と共に緩やかに回復しつつある。方源が蛊仙に到達する以前は、此れは首に懸かった刃の如く、常に死の脅威として迫っているのだ。
「我が現在の千人魂は、蕩魂山の恩恵に完全に依る。落魄谷は蕩魂山と並び称される聖地。若し此れを手にできれば……」
一瞬、方源の胸中には「いっそ魂道に転向してはどうか」という衝動さえ渦巻いた。
「もし蕩魂山を蘇らせ、更に落魄谷を掌握できれば、魂道二大聖地という盤石の基盤を得て、魂道に転修するのは真に賢明な選択と言えよう。前世で修めた血道を再現するよりも、寧ろ将来性は洋々(ようよう)として果てしない!」
然れども瞬時くして、方源は再び冷静を取り戻した。
「念に示された指示に従えば、落魄谷は遥か遠く、焦眉の急は蕩魂山の再生である。今は未だ落魄谷に向かう時では無い。大戦が目前に迫り、現に我が身が積み上げて来た力道と奴道の基盤も、軽々(かるがる)しく捨て去れるものでは無い。」
方源は奴道と力道の二道の修行によって、北原の風雲児となった。
しかし現在の実力をもってしても、俗世で無敵となるには、未だ遥かに遠い道程が残されている。
影劍客一人に過ぎない相手に、彼は散散な目に遭わされたのである。
第二空竅を有し、力道と奴道を兼修する五转巅峰の修為を持つとはいえ、王庭之争(おうてい の あらそ)いという大舞台に立つ方源は、依然として微小な存在に過ぎない。
北原全体を巻き込む此の戦渦において、少しでも油断すれば、假令五转蛊師といえども、命を落とす危険が常に付き纏っている。
「現在、我が奴道は一定の成果を収め、戦局全体に影響を与えるまでに成長した。しかし明らかに攻撃に偏り、防御が手薄である。力道の面では未だ自衛が十分と行えず、墨獅狂や辺絲軒の如き強敵に近接されれば、危険極まりない。東方家との戦いは、依然として慎重を期すべきだ」。
迫り来る大戦を想い、方源の心には他の者のような戦意の高揚はなかった。
狈君子の献策は、ある意味で方源に利しており、彼を幕僚の地位に置き、更なる修行時間と戦力増強の機会をもたらしたのである。
其れ以来の日々(ひび)、方源は第二空竅の温養に励みながら、嘔心嬰泣蛊の煉製に取り組み、更には小狐仙との連絡を保ちつつ、福地内の大小様々(だいしょうさまざま)な事務を取り仕切っていた。
狐仙福地では、蕩魂山の状況が悪化の一途を辿っており、山容は日増しに縮み続けている。小狐仙は每日、蕩魂山から大量の「御座成り土」を清掃し、蕩魂山の生機を繋ぎ止めるため、最善を尽くしている。
星空は福地の東部を覆い尽くし、星蛍虫群の規模は、元の三倍に膨れ上がった。小狐仙の初步的な推算によれば、星蛍蛊が五十~六十匹(ごじゅう~ろくじゅっぴき)も増加したという。
此れ程短期間に、如くも多くの星蛍蛊が増殖したのは、泡魚の働きに負う所が大きい。
此等の泡魚は、漸く其の効力を発揮し始めたのである。
以前、方源が頻繁に狐仙福地へ出入りし、長期に渡り星門蛊を維持したため、星蛍蛊の数は底を突いていた。現在、星蛍蛊が増加したことで、非常に压力が緩和された。
一方、福地の西部では花粉兔が大量に繁殖している。
方源が以前配置していた狼群を北原に転属させたため、花粉兔への捕食压力が激減し、兔群の規模が急速に拡大している。
小狐仙から此の状況報告を受けた方源は、直ちに東部の湖に生息する水狼の大半を西部に配置転換し、食物連鎖の空白を埋めようとした。
しかし其れでも尚、兔群の規模は増加の一途を辿っている。
兔害を未然に防ぐため、数日前に小狐仙は宝黄天に大量の花粉兔を格安で売却した。
方源が最も気にかける毛民は、暫定的に福地南部に定住している。
此の地は元々(もともと)石人の郷里であったが、突然毛民が移住したため、双方が生存空間を巡って数度の小規模な衝突を起こしている。
小狐仙は方源の指示に従い、密かに毛民を支援して一つの石人部落を制圧させ、捕虜とした石人を仙鶴門に転売した。
仙鶴門は胆識蛊の取引について度重なる申し入れを行ってきたが、小狐仙はすべて拒否している。交渉代表として派遣された方正が数回にわたり方源との面会を求めたが、同じく門前払いを食わされている。
宝黄天においては、御座成り土を再販し、第二の和泥仙蛊の蛊方を手に入れた。以前方源が販売した各種の仙蛊残方も、此の数日の内に小狐仙が転売を行い、十一個の仙元石を得ている。
同種の蛊方は、宝黄天で販売されればされる程、更多の蛊仙の手に渡り、宝光は低下する。故に、此れを長期的な収益源と見做すことは根本的に不可能である。
丁度金鉱の如く、既に大半を採掘し終えた後では、将来の収益は日増しに細り、過度な期待を寄せる値打ちは無い。
更に三日間の対峙を経て、東方余亮自ら認めた戦書が、黒楼蘭の手に届けられた。
黒楼蘭は一瞬驚愕し、側近に向かって問いただした。「まさか東方家の後軍が、既に到着したというのか?」
狈君子孫湿寒が即座に答えた。「敵の後軍は未だ五千里も彼方にあり、現在第五防衛線を築き中でございます」
黒楼蘭は獰猛な笑みを浮かべて言った。「東方家は元々(もともと)我々(われわれ)より軍勢が少ないのに、よくも分兵する度胸があるな!」
孫湿寒も嗤っと笑いながら応えた。「東方余亮は火遊びをしているようなもの。しばし待機し、後軍が合流すれば、我が軍は圧倒的優位に立てましょう。其の時こそ、一気に押し寄せ、敵を総崩れにすべきでございます」
黒楼蘭の双眸には凶光が幾度か閃いた。彼と東方余亮の間には個人的な遺恨があった。若き日天下を遍歴し、見聞を広める途上、東方晴雨の美色に心奪われたが、東方余亮に痛い目に遭わせられ、散々(さんざん)な辱めを味わされたのである。
復讐に燃えてはいたが、彼は容易に感情に駆られる人物ではなかった。
「東方の小童の企みは、愚か者ですら見抜ける。奴が戦いを求めればこそ、我れはあえて機会を与えぬ。我が軍後軍の到着は何時頃の見込みだ?」黒楼蘭は重ねて問う。
「凡そ三日後の予定で御座います」汪家の族長が傍らから答えた。
「良し。では我れ自ら認めて東方余亮に申し入れ、四日後の決戦を約定しよう!」黒楼蘭は高笑い一声、大見得を切った。
東方余亮は書状を受け取ると、文官武官の諸将に回覧させた。
東方同盟軍の上層部は、一様にひどく立腹した。
黒楼蘭は手紙の中で大言壮語し、勝手気ままに「余が慈悲を発し、三日間の猶予を特に与えよう。東方余亮、願わくは此の好意を無にすることなく、最期の人生を思い存分楽しむがよい」と誇示していた。諸将は競って出陣を請願したが、東方余亮は悠然と微笑んで言った。「皆様、どうかご冷静に。此の書状は予想の範囲内である。此の数日間、幾度も推敲を重ね、一計を得た。詳しくご説明しよう……」
四日間は瞬く間に過ぎ去った。
決戦の日、風和らぐ麗らかな日差しが、雲一片無い碧空を照らし出していた。
膝までも浸す深い青草の海が広がる中、両軍は百里に及ぶ軍陣を展開した。旌旗は林の如く、兵馬は蟻の如し。
双頭犀は小山の如く聳え、其の背中の王帳には、黒楼蘭、方源、浩激流、汪家・房家・葉家の族長ら強者が居並んでいた。
然るに方源の座は、言うまでも無く左側上位の筆頭である。
一方、狈君子孫湿寒は黒楼蘭の背後に立ち、顔中に忠誠の色を浮かべ、最早黒楼蘭の腹心となったことを示していた。
風が耳元で吼え、軍旗をぱたぱたと鳴らせる。方源は静かに座り、遠くを見渡せば、敵軍の陣容は整然として、一輪の白雲の上に浮かぶ王帳が半空に聳え立っているのが見えた。
王帳の中には、東方余亮が中央に端座し、文官と武将たちが左右に分かれて座っている様子が朦朧と見て取れる。その気勢は、黒楼蘭側に引けを取らない。
此時、方源の耳に突然黒楼蘭の高笑いが飛び込んできた。「はははは、今日の一戦こそ、我が黒家が北原を纵横し、王庭の主座に就く第一歩となる。諸君、誰か我と共に進み、一番槍を仕掛けてくれる者はおらぬか?」
言葉が終わるか終わらないうちに、大勢の蛊師たちが座席から躍り上がり、声を張り上げて叫んだり、胸を強く叩いたりしながら出陣を志願した。
黒楼蘭は目をくまなく巡らせ、その中の一人に視線を止めた。「潘平、其方に出陣を命ずる。」
潘平は大男で、赤黄混じりの頭髪、腰には金縁銀柄の湾刀を提げている。此の命令を聞いて大喜びし、直ぐにでも受諾しようとしたその時、陣前から誰かが高らかに叫ぶ声が聞こえた。「小生唐妙鳴、貴軍の狼王様の赫々(かくかく)たる御名を承り久しく、此度是非とも御指南を賜りたく参上いたしました。」
「東方余亮も度胸が有る。我々(われわれ)より先に挑戦してくるとは!」
「来たるは小狐帥唐妙鳴、四转中階の実力ながら、敢えて狼王様に直接挑む。何か企みが有るに違い無い。」
瞬時、一同の視線が方源に集まり、狼王が如何なる反応を示すかを見守ろうとした。