大勝を収めたにも関わらず、馬英傑は一片の驕りも見せず、むしろ沈思するように言った:「暖沼谷は守り易く攻め難い。広大な暖泥を有する。北原を暴風雪が襲おうとしている今、此処は天然の避難所となる。我が一族が此れを手に入れたことで、拠点を確保した。攻勢に出るも良し、守勢に回るも良し!」
「しかし、私が更に喜んでいるのは、二十万頭余りの恐爪馬を手にしたことだ。此等の馬が叔父上の手に渡れば、馬群の規模を大きく拡大させ、来たる英雄大会で我が馬家の威勢を大いに高めることだろう!」
彼の叔父は他ならぬ、当代北原三大馭獣大師の一人である馬尊その人であった!
馬尊の名が上がると、馬家の蛊師たちの顔には一様に敬服の色が浮かんだ。
「出発前に、叔父上は私にこう言い聞かせた――我が馬家が大規模部族になるまでには、容易ならぬ道のりだった。幾世代にも渡る百年の蓄積と努力、そして非凡な運に恵まれて、ようやく今日を迎えたのだと。しかし部族が大きくなるほど、此の基盤を守るのは一層困難になる。仮え暖沼谷を手に入れても、それは単に火種を保存する拠点を得たに過ぎない。全族を真に守り、更に発展を求めるならば、王庭を手中に収める以外に道はないのだと。」
馬英傑は一同を見渡し、更に言葉を続けた:「王庭福地は巨陽仙尊が子孫に遺した恩恵である。特にあの八十八角真陽楼には、仙尊の御遺産が眠っている!叔父上によれば、我が身の血脈は既に八十八角真陽楼に入る基準を満たしているという。若し仙尊の遺産を獲得できれば、将来蛊仙として大成し、我が馬家は北原新たなスーパー家族となれるのだ!」
「スーパー家族とは……」
その名を聞いて、馬家の者たちの顔には憧れの色が浮かんだ。
「少族長、貴方は我が族百年に一度の天才です。族の未来は貴方の双肩にかかっています。」
「馬尊様は無口ですが、実は家族を思い、高瞻遠瞩の見識をお持ちです……」
「此の目で一切を見届け、少族長と共に戦えることは、本当に生涯の誉れです!」
「少族長、どうか我々(われわれ)を輝かしい未来へと導いてください。」
馬家の蛊師たちは興奮の声を上げた。
馬英傑はほほえんだ。
実を言えば、馬尊は一度もそんな言葉を口にしたことはない。この話は全て(すべて)馬英傑がその場で捏造したものだった。馬尊の威信を借りることで、馬英傑は見事に自身のイメージを格上げしたのである。考えてみれば、馬尊でさえ彼を高く評しているというのに、他の者が認めないとすれば、それは目に鱗がついているも同然ではないか?
馬英傑は、馬尊が此の件を知って自身の台を引っ繰り返すことなど心配していなかった。
馬尊は風変わりな人物で、幼少期から極めて寡黙であり、両親でさえ啞ではないかと疑うほど無口だった。
馬を愛する余り痴になっている馬尊は、少年時代、族の者から「馬痴」「馬呆子」と揶揄されていた。
彼は孤高な性格で、生涯独身を通し、ただ駿馬を愛し、常に馬群と共に生活していた。世俗的権力や俗世の雑務には微塵も関心がなく、興味も持たなかった。
馬英傑は星の如き炯炯たる眼光で一同を見渡した:「諸兄は皆、我が馬家の棟梁であり支柱であられる。多くの優れた点を持ち、私馬英傑が学ぶべきところであります。私は未だ若輩の身、馬家を一りで支えることなどできません。今後は諸兄のご支援を賜りますよう。」
「若様、とんでもないお言葉で!」
「若様のお言葉には、汗顔の至りでございます。」
「此れ迄の若様の御姿は、深く我々(われわれ)の心に刻まれております。必ずや若様の御側に仕えて参ります!」
馬家の者たちは慌てて答えした。
馬英傑は続けて言った:「馬尊叔父上は私に期待を寄せてくださっていますが、八十八角真陽楼で仙尊の御遺産を獲られるかどうかは、縁に依るところが大きいのです。しかし仮え私が其の期待に応えられなくとも、真陽楼以外にも、王庭福地の各所には歴代の蛊師たちが遺した伝承が数多存在します。故に、歴して王庭に入った家族は、必ずや全面的な実力の飛躍を遂げるのです。此れを思う度に、胸が高鳴らずにはいられません。」
一同は哄笑した。
「胸が高鳴るどころか、此の老夫は思う度に、思わず唾を飲み込んでおるほどでござるよ。」
「ははは、若様、どうかご心配なさらず。一度失敗しても、また一から出直せばよい。我が馬家の者は皆、屈しない好漢ぞろいでござる!」
王庭福地は天梯山に幾分似ており、蛊師たちが常に其中に伝承を遺す場所なのである。
北原の環境は苛烈を極め、十年に一度の暴風雪が全土を襲う。暴風は刃の如く一切を搜刮し、野外に設置された数多の伝承は此れにより損壊する。
故に、伝承を王庭福地内に設けることは、漸次北原の伝統となってきた。王庭福地には、八十八角真陽楼の仙尊伝承以外にも、縁ある者を待つ多種多様な伝承が存在する。
無論、此の縁ある者は先ず王庭福地へ足を踏み入れて初めて、奇縁を獲る可能性が生ずるのである。
暴風雪を避け平穏に生活できる福地、そして各所に散在する大小の伝承——此れら故に、每次の王庭争奪戦は草原の各族を巻き込んだ熾烈な角逐を誘発するのであった。
この争いは北原全体に波及し、その規模は極めて大きい。小規模な部族は生存を図り、中規模な部族は更なる発展を求め、大規模な部族は基盤を守ろうとする。正道だけでなく、魔道の蛊師たちも福地に入り、そこにある蛊師の伝承を奪おうと画策している。
互いの合従連衡を図るため、英雄大会が生まれた。遠い昔から次第に形作られ、今では北原の人々が捨て難い伝統となっている。
十年ごとに暴風雪が訪れるたび、北原の名所各地で同時期に英雄大会が開催される。
「今回我々が費家を滅ぼしたことは、我々の英雄大会への参加に大いに役立つ。成家を押さえさえすれば、我々馬家は独占的な地位を確立できる!」
「その通りだ。英雄大会で勝ち抜いてこそ、より多くの強者を招き、より多くの部族を我々(われわれ)の配下に加えられる。これは北原大戦への第一歩であり、極めて重要なステップなのだ」
「我々(われわれ)が今回王庭福地を手中に収めるにあたり、各地の動向にも目を光せねばならない。玉田の英雄大会、猛丘の英雄大会、草府の英雄大会――これら全てに注意を払う必要がある」
馬家の高官たちが熱く議論している最中、一人の伝令蛊師が駆けつけ、馬英傑に最新の情報をもたらした。
馬英傑はそれを広げて目を通すと、表情を微かに沈ませ、すぐさま側近たちにその情報を手渡した。
人々(ひとびと)は順に回し読みし、途中で小さな驚嘆や嘆息、推測の声を漏らしていた。
「東方部族が、予想より早く趙家を屈服させたとは。これで彼ら(かれら)は草府英雄大会の覇者となったな。」
「今度の猛丘大会では、努爾家が努爾圖を派遣してきた。勢い盛んで、呂家は多分持ち堪えられまい。」
「玉田大会も波乱含みだ。何と、往年の狼王・常山陰が現れたという!」
「この常山陰、凶暴きわまりない。葛家を率いて一対三の勝負に挑み、裴燕飛でさえ敗れたそうだ。」
「玉田では、黒家の黒楼蘭や劉家の劉武など俊英が揃っていたが、狼王登場で情勢は一変。玉田の局面は俄かに不透明となった。」
やがて、一同の議論の焦点は方源に集中していった。
常山陰という存在は、とっくに北原中に知れ渡っていた。今回、俄然として蘇ったばかりか、大きな轟動を巻き起こした。
葛家は元々(もともと)ごく普通の中規模家族に過ぎなかったが、常山陰が介入したことで、無理矢理三家族を連続して打ち破り、裴燕飛のような猛将すらも退けた。
特に、葛家の新族长が未だ三転の若手蛊師に過ぎないと知った時、彼ら(かれら)の心中における常山陰への評価は、思わず数段階も跳ね上がった。
「十年毎の群雄割拠には、必ずや牛鬼蛇神がすみずみから現われるものだ。ただ、今回は特に大物が飛び出してきたというわけさ。」
「若様、此の狼王・常山陰が我が族の馬尊様と対決したら、果にして如何なる結果となりましょうか?」
一同の者の胸中に不安が湧き起こるのを禁じ得なかった。
馬英傑は微かに眉を顰めた。
他の流派の蛊師であればまだしも、此の常山陰は奴道蛊師である。万軍を以て一敵に対することを最も得意とするのだ。
たとえ孤軍であろうとも、麾下の大軍を率いれば、戦局を一変させる力を持つのである!
「先程の情報、皆さんご覧になったでしょう。奴道蛊師の実力は、配下の獣群の規模で決まります。常山陰は復活したばかりで、手元には普通の亀背狼や夜狼、風狼がいるだけ。万獣王は三頭しかおらず、今では一頭が戦死、一頭が重傷を負っています。我が馬尊叔父上とは比べものになりません。」
馬英傑は冷ややかに鼻息を鳴らし、士気を鼓舞するように続けた:「馬尊叔父上は元々(もともと)三十万頭の馬群を擁していましたが、今回これだけの恐爪馬が加わり、規模は五十万頭に膨張します!それ以外にも、馬皇一頭、数頭の万獣王、そして五頭の異獣馬を支配しています。狼王が叔父上と肩を並べるなどと思いますか?」
周囲の蛊師たちは思わず息を呑み、驚嘆と歓喜の表情を浮かべた。
「まさか馬尊様のご勢力が既に此れ程までに強大となっていたとは!」
「狼王如き、我が族の馬尊様と比べれば、まさに赤子同然でござる。」
「五十万頭とは、規模が余りにも巨大で。七、八もの中小家族を連続して殲滅できる程でござる。」
馬英傑は、再び話の流れを転じた:「しかし、狼王・常山陰を軽んじてはならない。我が族が王庭の主となれば、遅く早く此の者と対決することになる。更に重要なのは、彼が英雄大会に参加し黄金家族に帰属すれば、必ずや援助を得るだろうという点である。数多の蛊師が彼を助け、狼群を収得させ、駆使させるようになるであろう。」
一同の顔からは、喜色が次第に引き、緊迫した表情へと変わっていった。
この若き蛊師は、ここまで言い終えると深く嘆息した:「我々(われわれ)が費家を併合したのは、長征の第一歩に過ぎない。此れから更に多くの強力な対戦相手が現われるに違いない。我々(われわれ)が緊密に団結して初めて、彼等を打ち破り、王庭の主となることができるのです。」
「はい、若様のお言葉は全く以てごもっともでござる。」
「若様の英明神武、此の老夫心底より敬服いたす!」
「我が馬家には族長と若様の御指導がおります。必ずや北原を制覇いたしましょう!」
馬英傑は軽い言葉で一同を戒めると、彼等は知らぬ間に一層緊密に団結し、若様を中心に寄り添っていった。
馬家の若き族長は、心底深くで得意の笑みを浮かべた。
表向きには、雲淡風軽として、胸中に成算ありの風であった。
「父上、何と無惨な……!」
折しも其の時、悲慟極まりない号泣が丘の麓から響き渡った。
其の声は馬家の者たちの視線を一斉に集めた。
馬英傑が遠目に視やれば、横死遍野の戦場に、一人の幼子が傷だらけの遺体に飛びついて慟哭に暮れており、其の様は実に痛ましいものであった。
「小僧め、こっちへ来い!お前はもう馬家の奴隷だ!」
一人の成人男性が傍で幼子を蹴り飛ばし、無理矢理に引き立てようとした。
しかし幼子は必死に抵抗し、成人男性の手首に食らいついた。
成人男性は悲鳴を上げ、仕方なく手を放した。
幼子は這いずり回り、再び遺体に縋りついて号泣した。
「はあ……」
馬英傑は心の底から嘆息した。「生霊塗炭、これが我が本意ではない。しかし乱世の中、誰が独り身を全うできようか?貴様が死ぬか、我れが亡びるか。人力は微かなるもの、我れにできることは、ただ己が家族を守り、馬家の子どもたちが此の様な目に合わぬようにすることだけだ」。
「若様は仁愛深きお方でございます。」
周囲の者たちも同調して嘆息した。
馬英傑は下方を指差して言った:「此の子も忠孝の士である。我が故に此の難に遭った。誰か一人、彼を制止し、我が許へ連れて参れ。今後、我が側近の奴僕とせよ。」
「承知いたしました。」
側近たちは即座に応えた。
彼等は諫めることもなかった。北原では奴僕を養うことは、とっくに伝統となっている。
況んや、十三歳に満たぬ孩童が、未だ開竅もせず、どうして我が若様に脅威となりえようか?
「小僧、起き上が(あ)がれ!」
馬家の高官の一人が成人男性の暴行を止め、幼子の首筋を掴んで引き立てた。
幼子は必死に抗った:「嫌だ!阿爸と一緒にいるんだ!」
「小僧、お前の阿爸はもう死んだ。今日は運が良いぞ、我が家の若様が気に入って、お前を奴僕として召し抱うことになったんだ。」
馬家高官は声を柔らげた。
しかし幼子は聞き入れず、泣き叫び続けた:「阿爸、阿爸!」
突然、彼は動きを止め、阿爸の遺体を呆然と見つめた。
「あっ!お前、僕の阿爸じゃない!僕の阿爸はもっと肌が黒く、鼻が高くて、髪に白髪が混じっていたのに……」
幼子は驚きの独白をした後、怒り狂って遺体を蹴り、また泣き叫び出した:「阿爸、どこにいるの?」
馬家の面々(めんめん)は皆、呆然として言葉を失なった。