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蛊真人  作者: 魏臣栋
魔头乱世
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第三十四節:葛家天幕

方源(ほうげん)葛光(かっこう)たち一行(いっこう)(とも)西(にし)()かって(すす)んだ。


(かれ)らは駝狼(だらくだ)(ゆう)しており、速度(そくど)(おそ)くなかった。


道中(どうちゅう)隊列(たいれつ)雰囲気(ふんいき)(なご)やかだった。


一方(いっぽう)で、方源(ほうげん)意図的(いとてき)(ちか)づき、(なに)(たくら)みを(いだ)いている。もう一方(いっぽう)で、葛光(かっこう)熱心(ねっしん)交際(こうさい)(ふか)め、敬意(けいい)(いだ)していた。


北原(ほくげん)人間(にんげん)武勇(ぶゆう)(すぐ)凶悍(きょうかん)であると同時(どうじ)に、豪放(ごうほう)率直(そっちょく)である。


実力(じつりょく)がなければ、北原人(ほくげんじん)軽視(けいし)し、()()いにくい。しかし、(こぶし)(つよ)(かた)ければ、北原人(ほくげんじん)敬服(けいふく)する。そして、(かれ)らの気性(きしょう)()えば、その熱意(ねつい)は「相見恨晩(そうけんこんばん)」という言葉(ことば)意味(いみ)十分(じゅうぶん)理解(りかい)させてくれる。


わずか二日足(ふつかた)らずの功夫(くふう)で、方源(ほうげん)葛光(かっこう)はすでに親密(しんみつ)間柄(あいだがら)となっていた。


方源(ほうげん)葛家(かっけ)()(だい)として利用(りよう)し、()北原(ほくげん)()()もうと意図(いと)していた。常山陰(じょうさんいん)二十余年(にじゅうよねん)()()せていたのだから、突然(とつぜん)(もど)ってきた以上(いじょう)世間(せけん)()()れるまでの過程(かてい)必要(ひつよう)だった。


同時(どうじ)に、(かれ)元石(げんせき)(とぼ)しく、防御(ぼうぎょ)()()けており、交易(こうえき)によって調達(ちょうたつ)する必要(ひつよう)があった。


方源(ほうげん)常山陰(じょうさんいん)死体(したい)から、防御用(ぼうぎょよう)蛊虫(こちゅう)(なに)一つ(さが)()せなかった。おそらく哈突骨(はとつこつ)との(たたか)いで破壊(はかい)されたのだろう。


一方(いっぽう)葛光(かっこう)方源(ほうげん)(たい)して感謝(かんしゃ)畏敬(いけい)好奇(こうき)(ねん)でいっぱいだった。


感謝(かんしゃ)()うまでもなく、方源(ほうげん)(かれ)(いのち)(すく)ったからだ。


畏敬(いけい)(ねん)は、道中(どうちゅう)方源(ほうげん)狼群(おおかみむれ)()りながら一流(いちりゅう)技量(ぎりょう)()せつけ、何気(なにげ)なくしばしば葛光(かっこう)修行(しゅぎょう)難関(なんかん)喝破(かっぱ)する(さま)が、まさに大家(たいか)風格(ふうかく)達人(たつじん)風格(ふうかく)であったからだ。


好奇心(こうきしん)は、方源(ほうげん)言葉(ことば)の端々(はしばし)に過去(かこ)出来事(できごと)(にじ)み、当時(とうじ)現在(げんざい)比較(ひかく)して感慨(かんがい)(ぶか)げに(かた)口調(くちょう)や、経歴(けいれき)物語(ものがた)るような(ふか)眼差(まなざ)しから()()がった。(あき)らかに数多(あまた)物語(ものがたり)背負(せお)強者(きょうしゃ)であることが(うかが)え、葛光(かっこう)探求(たんきゅう)欲求(よっきゅう)(いだ)きながらも、それ以上(いじょう)(たず)ねることはできなかった。


五日後(いつかご)一行(いっこう)葛家部族(かっけぶぞく)駐屯(ちゅうとん)する营地(えいち)到着(とうちゃく)した。


营地(えいち)広大(こうだい)で、外周(がいしゅう)には突然(とつぜん)として(あつ)土壁(どへき)(そび)()っていた。土壁(どへき)(たか)さは二丈(にじょう)(約六メートル)もあり、その(うえ)(みどり)あふれ、深緑色(しんりょくしょく)(つる)縦横無尽(じゅうおうむじん)(から)()い、(おお)きな()(した)には(むらさき)(いろ)葡萄(ぶどう)のような()(ふさ)になって()っていた。もちろんこれは果物(くだもの)ではなく、木道神迷蛊(もくどうしんめいこ)というものだ。獣群(けものむれ)攻撃(こうげき)してきた(とき)、これらの(むらさき)()炸裂(さくれつ)して(えき)()()らし、その(えき)(けもの)(からだ)にかかると、意識(いしき)混濁(こんだく)させ、(からだ)(はげ)しく()すぶり()っていることさえ(むずか)しくさせる。ましてや攻撃(こうげき)戦闘(せんとう)など論外(ろんがい)である。


土壁(どへき)(うし)ろには、(たか)(そび)える見張(みは)(とう)設置(せっち)されていた。(とう)には通常(つうじょう)三名(さんめい)蛊師(こし)配置(はいち)されている——防御(ぼうぎょ)担当(たんとう)する蛊師(こし)一名(いちめい)偵察(ていさつ)担当(たんとう)する蛊師(こし)二名(にめい)交替(こうたい)見張(みは)りを(つづ)けている。


营地(えいち)大門(だいもん)は大きく(ひら)かれ、大勢(おおぜい)蛊師(こし)たちが(みち)両側(りょうがわ)(なら)んで出迎(でむか)えていた。


若様(わかさま)がお(かえ)りだ。若様(わかさま)無事(ぶじ)にお(かえ)りになった!」


若様(わかさま)出発(しゅっぱつ)されてからほんの数日(すうじつ)しか()っていないのに、もうお(もど)りになったのですか?」


風狼(ふうろう)()れに(おそ)われて(あや)うく(いのち)()とすところだったが、奴道(ぬどう)達人(たつじん)(たす)けられたと()きました!」


「あの(なか)(ねん)(おとこ)のことですか? (おおかみ)たちが(みな)(かれ)について()っている、実力(じつりょく)(すご)いですね! 北原(ほくげん)のどこの部族(ぶぞく)高手(こうしゅ)なのかしら」)


方源(ほうげん)らが营地(えいち)(ちか)づく(まえ)付近(ふきん)巡回警戒(じゅんかいけいかい)していた蛊師(こし)遭遇(そうぐう)したため、(はや)くも(だれ)かが营地(えいち)(もど)通報(つうほう)していた。


そのため情報(じょうほう)(はや)くも()れ、(おお)くの人々(ひとびと)が方源(ほうげん)指差()()くばせし、好奇(こうき)眼差(まなざ)しを()けていた。


一部(いちぶ)子供(こども)たちは興奮(こうふん)して(さけ)()ね、隊伍(たいご)(うし)ろについて()(まわ)った。


方源(ほうげん)駝狼(だらくだ)背中(せなか)(すわ)り、(かたわ)らで葛光(かっこう)が人々(ひとびと)に()()るのを()ていた。(かれ)(ひと)たび()()(たび)に、人々(ひとびと)の歓声(かんせい)()()こった。この若者(わかもの)葛家(かっけ)非常(ひじょう)威望(いちょう)があることが(うかが)える。


道中(どうちゅう)会話(かいわ)から、方源(ほうげん)はすでに葛光(かっこう)完全(かんぜん)理解(りかい)していた。(かれ)葛謡(かつよう)実兄(じっけい)で、典型的(てんけいてき)北原人(ほくげんじん)であり、豪放(ごうほう)義理(ぎり)(おも)んじ、栄誉(えいよ)生命(せいめい)より(おも)んじていた。勇武(ゆうぶ)でありながらも、北原(ほくげん)における男尊女卑(だんそんじょひ)伝統的(でんとうてき)観念(かんねん)(ほね)(ずい)まで()()んでいた。そのため(いもうと)婚約(こんやく)()げには非常(ひじょう)憤慨(ふんがい)し、反感(はんかん)(いだ)いていた。


しかしこの憤慨(ふんがい)反感(はんかん)は、兄妹(きょうだい)情愛(じょうあい)(あさ)いことを意味(いみ)するわけではなかった。


(ぎゃく)に、もし(かれ)方源(ほうげん)実妹(じつまい)(ころ)した真犯人(しんはんにん)だと()ったならば、たとえ(からだ)(じゅう)真元(しんげん)()きていようとも、(きば)手足(てあし)使(つか)って方源(ほうげん)復讐(ふくしゅう)しようとするだろう。


方源(ほうげん)前世(ぜんせ)五百年(ごひゃくねん)(かん)北原(ほくげん)生計(せいけい)()てていたため、北原人(ほくげんじん)(ふか)理解(りかい)していた。


一行(いっこう)大通(おおどお)りに沿()って、营地(えいち)中央(ちゅうおう)へと(すす)んでいった。


(まわ)りには一つひとつの天幕(てんまく)が立ち(なら)び、地球(ちきゅう)上の蒙古包(もうこはう)によく()ていた。これらはすべて凡人(ぼんじん)住居(じゅうきょ)である。


(おお)くの(ひと)物音(ものおと)()きつけ、次々(つぎつぎ)に(まく)(くぐ)って(そと)()てきた。方源(ほうげん)身边(しんぺん)狼群(おおかみむれ)()て、(みな)顔色(かおいろ)()えた。少族長(しょうぞくちょう)姿(すがた)()ると、(いそ)いで右手(みぎて)(むね)()さえ、葛光(かっこう)敬礼(けいれい)し、大声(おおごえ)挨拶(あいさつ)をした。


南疆(なんきょう)では、凡人(ぼんじん)蛊師(こし)()うと(ひざまず)くのが(つね)だが、北原(ほくげん)では勇猛(ゆうもう)(おとこ)両膝(りょうひざ)天地(てんち)祖先(そせん)、そして目上(めうえ)にのみ(ひざまず)く。平常時(へいじょうじ)には容易(ようい)(ひざまず)かず、たとえ族長(ぞくちょう)家老(かろう)遭遇(そうぐう)しても同様(どうよう)だ。


人々(ひとびと)が()()けているのは、普段着(ふだんぎ)皮袍(ひほう)だ。(いえ)()(もの)は、女性(じょせい)装飾品(そうしょくひん)()()け、男性(だんせい)衣服(いふく)(ふち)金糸(きんし)紫糸(むらさきいと)縁取(ふちど)っている。(いえ)(まず)しい(もの)は、ぼろを()て、()()てだらけの(もの)もいる。


しかし、奴隷(どれい)よりはましだ。


道中(どうちゅう)方源(ほうげん)地面(じめん)(ひざまず)いている(ひと)()かけたが、(みな)奴隷(どれい)だった。


これらの奴隷(どれい)は、大多数(だいたすう)裸同然(はだかどうぜん)で、顔色(かおいろ)(わる)()(ぼそ)っている。北原(ほくげん)では、これらの奴隷(どれい)地位(ちい)非常(ひじょう)(ひく)く、生活(せいかつ)(きわ)めて(みじ)めだ。


北原人(ほくげんじん)(こころ)(なか)では、奴隷(どれい)飼育(しいく)することは家畜(かちく)()うことと(おな)じである。奴隷売買(どれいばいばい)北原(ほくげん)で最も(もっとも)(さか)んに(おこな)われている。


北原(ほくげん)では、天幕(てんまく)()むのはすべて凡人(ぼんじん)である。天幕区(てんまくく)营地(えいち)外郭(がいかく)分布(ぶんぷ)しており、内郭(ないかく)蛊師(こし)居住区(きょじゅうく)となっている。


もし獣群(けものむれ)营地(えいち)襲撃(しゅうげき)した場合(ばあい)()(さき)遭難(そうなん)するのは凡人(ぼんじん)たちだ。


方源(ほうげん)たち一行(いっこう)天幕区(てんまくく)(とお)()ぎると、蛊師(こし)居住区(きょじゅうく)到着(とうちゃく)した。


草原(そうげん)蛊師(こし)たちの住居(じゅうきょ)天幕(てんまく)ではなく、蛊屋(こや)である。


蛊屋(こや)とは()(つく)られた家屋(かおく)のことだ。簡素(かんそ)蛊屋(こや)(ひと)つの()そのものであり、複雑(ふくざつ)蛊屋(こや)複数(ふくすう)()が組み(くみあ)わさって構築(こうちく)されている。


南疆(なんきょう)では、山林(さんりん)跋渉(ばっしょう)する大規模(だいきぼ)商隊(しょうたい)も、(みな)蛊屋(こや)(ゆう)している。


当時(とうじ)青茅山(せいぼうざん)では賈家商隊(かかしょうたい)一棟(いっとう)蛊屋(こや)(たずさ)えていたが、それは木道蛊(もくどうこ)三星洞(さんせいどう)であった。


その(たか)さは十八米(じゅうはちメートル)もあり、名実共(めいじつとも)(てん)()巨木(きょぼく)だった。()(ふと)く、一本一本(いっぽんいっぽん)竜蛇(りゅうだ)のように(から)()い、一部(いちぶ)地表(ひょうめん)()(しゅつ)しているほかは、(ふか)地中(ちちゅう)()()っていた。


(みき)(なか)三階(さんかい)()てになっており、(みき)表面(ひょうめん)にも(まど)()けられていた。その防御力(ぼうぎょりょく)は、天幕(てんまく)などとは()(もの)にならない。


使用時(しようじ)には、後方支援(こうほうしえん)蛊師(こし)地中(ちちゅう)()え付け(つけ)、真元(しんげん)(そそ)()むことで瞬時(しゅんじ)成長(せいちょう)する。回収時(かいしゅうじ)には種子(しゅし)形態(けいたい)(もど)る。


しかし北原(ほくげん)では、一般的(いっぱんてき)蛊屋(こや)三星洞(さんせいどう)のような巨木(きょぼく)ではない。あのように(たか)(そび)()大木(たいぼく)は、雷雨(らいう)(さい)(かみなり)()ちやすく危険(きけん)である。


そのため、方源(ほうげん)最初(さいしょ)()にした蛊屋(こや)は、北原(ほくげん)で最も(もっとも)一般的(いっぱんてき)屋蜥蛊(やとか)であった。


これは二転蛊(にてんこ)一種(いっしゅ)で、外見(がいけん)蜥蜴(とかげ)のようであり、(いろ)は様々(さまざま)で、最も(もっとも)一般的(いっぱんてき)なのは墨緑色(すみりょくしょく)空色(そらいろ)乳白色(にゅうはくしょく)である。それらの体型(たいけい)巨大(きょだい)で、地球上(ちきゅうじょう)のバスに匹敵(ひってき)する。蜥蜴(とかげ)(ふた)つの目穴(めあな)(まど)になっており、(からだ)両側(りょうがわ)にも(まど)()けられている。


蜥蜴(とかげ)地面(じめん)()せており、(くち)()けると(とびら)(あら)われる。


(とびら)()()けて(なか)(はい)ると、(なが)廊下(ろうか)(つづ)いている。廊下(ろうか)両側(りょうがわ)には部屋(へや)(なら)び、廊下(ろうか)()()たりには便所(べんじょ)があり、暫時(ざんじ)的に排泄物(はいせつぶつ)(たくわ)えている。


部族(ぶぞく)移動(いどう)開始(かいし)する(とき)蜥蜴(とかげ)()()がり、(ふと)四肢(しし)交互(こうご)(うご)かして前進(ぜんしん)する。


便所(べんじょ)排泄物(はいせつぶつ)(おお)くなり()ぎると、これらの蜥蜴(とかげ)()()げて肛門(こうもん)(あら)わにし、排泄物(はいせつぶつ)をすべて(はい)(しゅつ)する。


蛊屋(こや)()家族(かぞく)には、(すく)なくとも一人(ひとり)蛊師(こし)がいる。


ここでの生活環境(せいかつかんきょう)は、(あき)らかに天幕区(てんまくく)よりも(ひと)格上(かくうえ)だ。


蛊屋(こや)入口(いりぐち)には、よく大胃馬(だいいば)(つな)がれており、手綱(たづな)蜥蜴(とかげ)巨大(きょだい)()()()けられている。少数(すうしょう)(いえ)には、駝狼(だらくだ)もいる。


方源(ほうげん)らがこれらの屋蜥蛊(やとか)(とお)()ぎると、蛊屋菇林(こやこりん)()えてきた。


この(しゅ)蛊屋(こや)は、大量(たいりょう)菇房蛊(こぼうこ)()()んで形作(かたちづく)られている。一軒一軒(いっけんいっけん)家屋(かおく)巨大(きょだい)なキノコで、肉質(にくしつ)灰色(はいいろ)をした円錐形(えんすいけい)屋根(やね)雨水(あまみず)(すべ)らせ()とし、(かみなり)()()せず、強風(きょうふう)(なか)でも非常(ひじょう)安定(あんてい)している。


(ふと)円筒形(えんとうけい)のキノコの(くき)(しろ)壁面(へきめん)となっており、そこにも(まど)()けられている。


数個(すうこ)菇房蛊(こぼうこ)を組み(くみあ)わせることで、風変(ふうが)わりな小庭(こにわ)出来上(できあ)がる。数十個(すうじっこ)菇房蛊(こぼうこ)(たが)いに()()み、草地(くさち)(かこ)むことで、小さな園林(えんりん)形成(けいせい)する。


この菇林(こりん)()むのは、(おも)家老(かろう)、あるいは裕福(ゆうふく)蛊師(こし)たちである。


方源(ほうげん)たちの足音(あしおと)()きつけて、これらのキノコ家屋(かおく)(まど)が次々(つぎつぎ)に()き、北原(ほくげん)女性(じょせい)子供(こども)たちの(かお)(のぞ)いた。活発(かっぱつ)子供(こども)たちは()()してきて、風狼(ふうろう)毒須狼(どくしゅろう)毛並(けな)みを()でてみせる。凡人(ぼんじん)(いえ)子供(こども)たちよりずっと度胸(どきょう)がある。


常山陰恩人(じょうさんいんおんじん)前方(ぜんぽう)()葛家(かっけ)王帳(おうちょう)でございます」と葛光(かっこう)(くち)()いた。


一行(いっこう)营地(えいち)中央(ちゅうおう)到着(とうちゃく)すると、ここには百本(ひゃっぽん)以上(いじょう)菇房蛊(こぼうこ)が立ち(なら)んでいた。葛光(かっこう)()()面差(おもざ)しの()いたる(もの)が、大勢(おおぜい)蛊師(こし)(ひき)いて主動的(しゅどうてき)(むか)えに()てきた。


方源(ほうげん)(かれ)葛家(かっけ)族長(ぞくちょう)だと推測(すいそく)し、礼儀(れいぎ)(しめ)すために駝狼(だらくだ)から()りた。


老族長(ろうぞくちょう)速足(はやあし)方源(ほうげん)面前(めんぜん)まで(すす)み、右手(みぎて)(むね)()さえながら(ふか)鞠躬(きょくしん)した。「(とうと)(つよ)(もの)よ、()()(すく)いしことは、すなわち葛家(かっけ)未来(みらい)(すく)いしことに(ひと)しい。どうか(なか)へお(すす)みください。すでに最上(さいじょう)馬乳酒(ばにゅうしゅ)準備(じゅんび)し、牛羊(ぎゅうよう)()()げております。あなたの狼群(おおかみむれ)も、専任(せんにん)(もの)十分(じゅうぶん)(えさ)(あた)えます」


承知(しょうち)いたしました」と方源(ほうげん)(かろ)(うなず)き、葛家(かっけ)族長(ぞくちょう)(したが)って最大(さいだい)のこの菇林(こりん)(なか)へと(すす)んでいった。


菇林(こりん)(なか)最大(さいだい)一軒(いっけん)菇房蛊(こぼうこ)の中で、人々(ひとびと)は(じゅん)着席(ちゃくせき)した。


芳醇(ほうじゅん)馬乳酒(ばにゅうしゅ)皮袋(かわぶくろ)()められ、(わか)(うつく)しい少女(しょうじょ)たちが()()って人々(ひとびと)の(うし)ろに()っていた。


多種多様(たしゅたよう)美食(びしょく)が次々(つぎつぎ)と食卓(しょくたく)(はこ)ばれた。


()もなく、()()げた丸羊(まるひつじ)丸牛(まるうし)部屋(へや)中央(ちゅうおう)(はこ)()まれた。


葛家(かっけ)老族長(ろうぞくちょう)(みずか)(せき)()ち、場内(じょうない)中央(ちゅうおう)(すす)()ると、短刀(たんとう)(うし)(ひつじ)目玉(めだま)を切り()り、さらに背中(せなか)胸肉(むねにく)(けず)()とした。そしてそれらを(きん)(ぼん)()()け、両手(りょうて)(ささ)げながら、(みずか)方源(ほうげん)(ひく)(つくえ)(うえ)(きょう)した。


恩人(おんじん)(さま)、どうぞ」葛家(かっけ)老族長(ろうぞくちょう)(さかずき)(かか)げ、方源(ほうげん)面前(めんぜん)()って敬酒(けいしゅ)した。


北原人(ほくげんじん)好漢(こうかん)を最も(もっとも)(うやま)い、(きゃく)熱心(ねっしん)にもてなす。北原(ほくげん)では、主人(しゅじん)(きゃく)(さけ)(すす)め、(きゃく)がすべて()()すことは主人(しゅじん)への最大(さいだい)敬意(けいい)(しめ)す。反対(はんたい)に、()まなければ軽視(けいし)軽蔑(けいべつ)態度(たいど)()なされる。


方源(ほうげん)がたっぷりと()がれた馬乳酒(ばにゅうしゅ)一気(いっき)()()すと、部屋(へや)(なか)(もの)たちは(おお)きく喝采(かっさい)(おく)り、雰囲気(ふんいき)一気(いっき)()()がった。


葛家(かっけ)老族長(ろうぞくちょう)(あと)葛光(かっこう)(つづ)けて(さかずき)(すす)め、方源(ほうげん)同様(どうよう)一息(ひといき)()()した。すぐに他の家老(かろう)たちも敬酒(けいしゅ)し、方源(ほうげん)はすべて(のこ)さず()()くし、()せつけた豪気(ごうき)一同(いちどう)をさらに欣快(きんかい)させた。


(さけ)三巡(さんじゅん)する(ころ)には、室内(しつない)熱気(ねっき)最高潮(さいこうちょう)(たっ)していた。


常山陰恩人(じょうさんいんおんじん)、そのお名前(なまえ)耳馴(みみな)れております。もしかすると常家部族(じょうけぶぞく)のご出身(しゅっしん)でしょうか?常家(じょうけ)には(わたし)顔見知(かおみし)りがおります。次女(じじょ)常家(じょうけ)(とつ)いでおりますゆえ、もしかすると私たち縁者(えんじゃ)同士(どうし)かもしれませんな」葛家老族長(かっけろうぞくちょう)(さかずき)()き、(かす)かに(あか)らんだ(かお)に、炯炯(けいけい)(ひか)双眸(そうぼう)()けた。


葛家(かっけ)族長(ぞくちょう)、お()きになりたいことはわかっております。(わたし)常家元風一脈(じょうけげんぷういちみゃく)(もの)山字輩(やまじはい)で、一人息子(ひとりむすこ)(ちち)常勝純(じょうしょうじゅん)(はは)常翠(じょうすい)でございます」方源(ほうげん)(いき)()くように(こた)え、(こえ)には寂寥感(せきりょうかん)(にじ)んでいた。


葛家老族長(かっけろうぞくちょう)両目(りょうめ)(たちま)見開(みひら)かれた。「まさか…貴公(きこう)本物(ほんもの)常山陰勇士(じょうさんいんゆうし)というのか!?」










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