第二十一節:北原に足を踏み入れる。
ウォォォォ――!
漆黒の 闇に 包まれた 草原で、毒須狼王が 首を 反らせ、長く 響く 遠吠えを 上げた。
その 傍に いる 数百匹の 毒須狼たちは、耳を ピンと 立てると、矢の 如く 飛び 出した。
狼群は 二手に 分かれて 包囲陣形を 取り、その 統率は 実に 軍隊の ようだった。
少女の 葛謡は、必死に 外へ 向かって 駆け 出した。
しかし 彼女の 馬は とっくに 息を 引き 取って おり、赤い 小さ(ちいさ)な 革靴は 泥沼の 地を 踏み しめる たびに、鉛の よう 重く なって いった。
奔騰する 毒須狼の 群れは 見事に 彼女を 包囲すると、素早く 包囲網を 狭めて いった。しかし 少女の 持つ 蛊虫の 強力さを 警戒し、ただ 周りを 旋回する だけで、すぐに 襲い かかる こと は できなかった。
突然、一匹の 毒須狼が 我慢できずに、猛然と 襲撃を 開始した。その 動きは 素早く、身体は すでに 黒い 影と 化し、葛謡に 襲い かかった。
葛謡は 鋭い 声で 叫び、蛊虫を 催动させ、指を 差し 出すと、淡い 青の 水矢が 飛び 出した。
水矢は 螺旋を 描き ながら 空中を 裂き、正確に 毒須狼の 頭を 射貫いた。
この 大胆な 毒須狼は 即死し、屍体は 微かに 腐った 草原に 倒れ、転がり 回った 後、動かなく なった。
真っ赤な 血が、すぐに 傷口から 流れ 出て、周りの 草地を 染め 上げた。
騒ぎ 立っていた 狼の 群れは 一瞬 止まったが、すぐに 空気中に 漂う 血の 匂いが、彼らの 骨の 髄まで 染み 込んだ 野性と 残忍さを 呼び 覚ました。
瞬時に、数百頭の 毒須狼が 一斉に 咆哮を 上げた。
葛謡の 美しい 顔には、絶望と 後悔の 色が 浮かんで いた。
「自分は 本当に 一人で こんな 腐毒草原に 来る んじゃ なかった。雪柳なんて 探しに 来る んじゃ なかった。今や 絶体絶命で、もう すぐ 狼の 群れに 引き裂かれ、食い 尽くされて しまう」
「お父さま、すみません。娘は もう 孝行できません……」
「娘は 分かって います。お父さまが 縁談を 進めて くださったのは、娘の ためを 思って のこと。でも 本当に、嫁ぎ たくないんです……」
「長生天に いらっしゃる 先祖よ、どうか 私の 祈りを 聞き 届けて、一人の 勇者を 遣わして 私を 救って ください」
先程の 一撃で、葛謡の 空窶に あった 最後の 白银真元までも 搾り 取られて しまった。今 彼女に できるのは、祈る こと だけだった。
狼の 群れは ついに 耐え きれなく なり、狼王が 一声 吠えると、すべての 毒須狼が 一斉に 中央の 少女へ 突撃を 開始した。その 勢いは まさに 恐ろしい ものだった。
「私、 死んで しまう……!」葛謡は 顔色が 蒼白に なり、狼の 群れが 急速に 迫って くるのを 呆然と 見つめ、慌て ふためいて いた。
その 時、突然 強烈な 碧光が 閃いた。
毒須狼の 群れは この 光を 浴びる と、次々(つぎつぎ)に 目を 閉じ、嗚咽の 声を 上げた。突撃していた 狼たちは 互いに 衝突し、一匹が 倒れる と 他の 狼も 巻き 込まれ、攻勢は 瞬時に 崩壊し、場面は 大混乱に 陥った。
「何が 起きたの?」葛謡は 驚いて、両目から 流れる 涙も 顧みず、必死に 見よう と した。
碧い 光の 中に、一人の 若い 男の 姿が 現れた。
碧光が 瞬く 間に 消え 去ると、葛謡の 眼前に 裸の 男が 現れた。
「ひ、 一人の 人……?」葛謡は 目を 見開き、口を 「O」の 字に 開けて、信じ られない という 表情で 思った――「まさか 先祖が 長生天で 私の 祈りを 聞き 届けて、本当に 救いの 手を 遣わして くださったの ?!」
だが なぜ この 救いの 手は、服を 着ていない のだろう か?!
葛謡の 心の中に、巨大な 疑問符が 浮かび 上がった。
「北原に 着いたのか?」素足で 草地に 立ち、方源は 素早く 周囲を 見渡した。
「ん?なぜ 人が……そして 狼が?」方源は 目を 細め、まさか 北原に 足を 踏み 入れた 途端に、予想外の 事態に 見舞われる とは 思わなかった。
今回の 北原での 行動は、極秘で 行う 予定だったが、ここに 来た ばかりで 早くも 姿を 現して しまった。
狼王が 咆哮を 上げる と、突然 身を 躍らせ、大きく 口を 開けた。刃物のように 鋭い 牙が、方源の 首筋に 向かって 襲い かかった。
「ふん、たかが 百獣王ごときが……」方源の 目に 鋭い 光が 走り、手を 押し 出して 金龍の 形の 気を 放った。
四転、 金龍蛊!
吼――
四ツ爪の 金龍が 咆哮を 上げ、牙を むき 爪を 立てて 飛び 出し、毒須狼王に 直接 体当たりした。
この 百獣王は、瞬時に 全身の 骨を 砕かれ、ボロ布の 袋のように 吹き 飛ばされた。地面に 墜落した 後、哀嚎し、もがき 苦しんだが、ついに 立ち 上がる ことは できなかった。
方源は 軽く 眉を ひそめ、もう 一撃 金龍を 放った。これで ようやく 毒須狼王を 仕留めた。
狼王が 死ぬと、狼群は 瞬く 間に 崩壊し、数回 呼吸する うちに、数里 も 先へ 逃げ 去った。
残されたのは、狼王の 屍体と、呆然と 方源を 見つめる 少女 葛謡だけだった。
方源は その 深く 静かな 目を 少女へ と 向けた。
少女は 北原特有の 皮袍を 身に まとい、長袖の 青白い 袍の 縁には 金糸の 刺繍が 施され、純粋で 気高い 雰囲気を 漂わせていた。
腰には 紫金色の 帯を 締め、黒々(くろぐろ)と 豊かな 長い 髪には、細かで 華麗な 髪飾りが 数多 つけられていた。
足元には 朱色の 革靴を 履いている。
彼女の 肌は 浅黒くて 赤みを 帯び、北原特有の 肌色だった。体付きは しなやかで 健康的な 美しさを 備え、まるで 愛おしい 子鹿の ようだった。
葛謡は 方源の 鋭い 視線に 押される ように 一歩 後ずさりすると、満面の 好奇を 浮かべて 尋ねた:「あの……どちらさまですか?もしかして 長生天から 遣わされた、私を 救って くださった 英雄様ですか?」
方源が 答える 間も 与えず、彼女は 続けて 話した:「私、 葛家部族の 者で、葛謡と 申します。父は 葛家の 族長を 務めて おります。若き 勇士よ、あなたは 私の 命を 救って くださいました。葛家の 心から の 歓待を 受け て ください。お それ ながら、お 名前を お 聞かせ くださいませんでしょうか」
方源は 軽く 笑うと、言った:「草原の 美しい 少女よ、私の ことは 常山陰と 呼んで くれ。長生天と いえば、あれは 巨陽仙尊が 住まわれる 場所だ。私のような 者が、どうして そこから 来られようか?私は ただの 普通の 蛊師に 過ぎない」
そう 言うと、彼は 空窶から 一つの 酒杯を 取り 出した。
この 酒杯は、上半分が 金、下半分が 銀で 出来て おり、五转の 蛊で あって、貯蔵用として 方源が 福地で 煉成した 推杯換盞蛊という ものだ。
方源は すぐに 真元を 注ぎ 込むと、その 中から 一揃いの 衣服を 取り 出した。
これは 黒い 緊身の 武闘服だった。方源が 着 終えると、雄々(おおお)しく 落ち 着いた 気質が 現れた。
その 全過程で、葛謡は じっと 見つめ 続け、胸が ドキドキ し、頬に 赤みが 差した。
草原の 少女は、これほど 熱情的で オープンな のだ。方源は 服を 着ると、毒須狼王の 死体に 向かって 歩い て いった。
毒須狼は 北原で 比較的 よく 見られる 狼の 一種である。しかし 他の 狼種と 異なり、全身に 狼毛が 一本も なく、全身が 黒くて つやつや している。狼の 皮は 釉薬を 塗った ようだ。耳が なく、長さ 五寸の 触須が 二本 ある。普段 走る とき、触須は 体の 両側に 垂れ 下がる。戦う とき、触須は 高く 立ち 上がる。
方源は 念入りに 探したが、何も 見つける ことは できなかった。
この 毒須狼は 百獣王であり、体内に 二転の 蛊を 宿していた。
具体的には、二転の 酸水蛊と 毒針蛊の 二匹が 寄生して いた。
酸水蛊は 緑色の 酸性液を 吐き 出し、血肉や 鉄石さえも 腐食する 能力が ある。毒針蛊は 毒針を 発射し、敵を 攻撃することが できる。
しかし 残念な ことに、方源が 得た ものは、これら 二匹の 蛊の 欠片に 過ぎなかった。
狼王の 体には 防御蛊が なかった。道理で 方源に あんなに 簡単に 倒された わけだ。
一般に 獣王の 体には、獣馭蛊が 寄生している 可能性が ある。例えば、犬王には 犬馭蛊が、狼王には 狼馭蛊が ある。
たとえ それが 二転の 狼馭蛊で あっても、方源には 必要な ものだった。
方源が 狼の 死体を 調べている と、葛謡が 近づいて 言った:「常山陰さん?その お名前、どこかで 聞いた ことある ような……もしかして 常家部族の 方ですか?でも その 服、見るからに よそ者ですよね?東海から 来られた 方ですか?それとも 中洲?あるいは 西漠から?」
方源は 立ち 上がると、答えた:「私は 北原の 者だ」
少女は 口を 結んで、貝のように 白い 歯を 見せ ながら 笑った:「うそつき!うちの 北原に、そんな 訛り ある わけ ないでしょ。常山陰さん、心配 しなくて いいのよ。あなたは 私の 命を 救って くれた、それだけで 葛家部族の 大恩人よ。私たち 葛家部族は、あなたを 排斥したり しないから」
中洲でも 南疆でも 北原でも、よそ者は どこでも 排斥される ものだ。
方源が 答える 間も 与えず、活発な 少女は 方源の 肩に 止まる 定仙游蛊を 指差しながら、尋ねた:「常山陰さん、その 肩の 蛊、本当に きれい ですね。これ、何の 蛊ですか?この 蛊が あなたを 連れて 来たの?」
方源は 目を 凝らし、少女の 表情を 注意深く 観察した。彼女が 偽りの ない 無知さで、本当に 定仙游蛊を 知らない と 分かり、ほっと 安堵の 息を 吐いた。
内心では 殺意が 湧き 上がって いたが、表面は 心から の 優しい 笑顔を 浮かべ た:「美しい 少女よ、君は 雲雀の 生まれ 変わりか?どうして いつも そんなに ぺちゃくちゃ しゃべっている んだ?ははは、もう 行かないと。それでは また 会おう!」
方源は 空を 仰ぎ、星を 頼りに 方角を 確認すると、葛謡を 後に 腐毒草原の 奥深くへと 歩き 出した。
少女は 慌てて 追い かけた:「私、 雲雀じゃ ないんだから!だって あなた、すごく 神秘的で、急に 現れた んだもの。あっ あっ あっ、そっちへ 行かないで!こっちの 方向なら 腐毒草原から 出られる よ」
「わざわざ 中に 入って 行く んだ」方源は振り 向きも せずに 答えた。
「どうして わざわざ 入るの?腐毒草原は 奥へ 行く ほど 危険なの。あなたが 三転巅峰でも、一人の 腕は 多数の 敵に は 対 せない わ」葛謡は 小走りに 方源の 傍まで 来て、懸命に 説得した。
蛊師世界の 五大域は 互いに 独立して おり、蛊師が 他域に 渡ると、戦力は 一转 低く 抑え られる。
方源は 南疆の 蛊師である。北原に 来て 戦う と、異地での 戦闘という ことで、実力が 抑制される。彼の 空窶には 四転巅峰の 真金真元が 満ちて いるが、その 効力は 三転巅峰の 雪銀真元に 相当する ものに 過ぎない。
そのため、葛謡が 感じ取った 彼の 気息は、三転巅峰で あった。
また、南疆由来の 四転・ 金龍蛊も、今この 場所では 三転蛊と 同程度の 威力しか 発揮できない。
もし 南疆で あれば、金龍蛊の 一撃で 毒須狼王は 粉々(こなごな)に 吹き 飛んで いた だろう。しかし 北原では、方源が 二度 攻撃して ようやく 仕留め、結果として 狼王の 遺体は 無傷で 残された のだった。
方源は 足を 緩め、葛謡を 見つめ、厳しい 表情で 力強く 言った:「私が 腐毒草原に 向かう のには、どうしても 行かねば ならない 理由が ある」
葛謡は 彼の 気迫に 圧倒され、方源が 数歩 歩き 出して から ようやく 我に 返った。
少女は 急いで 追い 付くと 言った:「常山陰さん、私も 一緒に 行きます!そうすれば 互いに 協力できます から」
「かかった」方源の 口元が ほんのり 緩んだ。
現在 の 彼の 戦力は 三転巅峰に 相当する のみで、腐毒草原の 奥地に 踏み 入るには まだ 不十分だった。だから こそ、北原の 蛊を 手に 入れて 自身を 武装する 必要が あった。
しかし 葛謡を 殺した からと いって、彼女の 持つ 蛊を 必ず 手に 入れられる わけでは ない。そこで 方源は 小技を 使い、欲擒故縦の 策で、たやすく 葛謡を おびき 寄せた のだった。




