「…っ!」漠顔が眉を顰め、馬面を怒気で歪ませた。自分が方源に弄ばれたことに気づいたのだ。
「ふてぶてしい野郎! 私を欺くとは!」右手を伸ばし部屋に踏み込もうとする。
方源は一歩も引かず高笑いする:「族規を破る覚悟はあるのか?」
漠顔の動作が凍りつく。門外に立ち続け、宙に浮いた手が微かに震えた。学舎の宿舎侵すべからず――この鉄則が彼女の背中に重りを載せた。
「自分が罰を受けるだけならまだしも…祖父に迷惑が及ぶ」歯を食いしばり拳を引き下げる。
部屋内の方源を焼き尽くすような眼差しで睨みつける。
「約束は果たした」方源が両手を背中で組み、二転蛊師の威圧を嗤い飛ばす。「何か言い残しがあるのでは?」
二人の距離は一歩だが、族規という断崖が横たわっていた。
「族規研究は流石ね」漠顔が氷のような笑みを浮かべる。「だが籠城できるか? 永遠に這い出せぬ豚箱暮らしだぞ」
方源が朗らかに嗤う:「明日の授業欠席で家老が尋問したら…どう答えようかな?」
「貴様!!」漠顔の指先が震え、殺気が迸しる。
ギィイ――
方源が扉を全開に開き、挑発的に呟く:「どうぞご自由に」
「フフフ…」逆に冷静を取り戻す漠顔。「私を煽るつもりか?」
方源が肩を竦める。五百年の経験が教える――扉を開き切った瞬間、逆に相手の行動を封じることを。
背中を晒しつつ床に座り込む方源に対し、漠顔は歯軋りするしかなかった。
「人間とは哀れなものよ」瞼を閉じる方源の心に去来する。「己が作った檻に囚われるとは」
二転の実力を有しながら、族規という心の鎖に縛られた漠顔。彼女の拳が震え、吐息が荒くなる。
「出て来い! 腰抜け!」
「男のくせに籠り続けて恥ずかしくないのか!」
罵声が壁に跳ね返るだけ。方源は既に空竅の修行に没頭していた。
次第に漠顔の罵声が虚しく響き、自分が道化のように感じてきた。豪奴の高碗が忍び笑いしていると錯覚し、頬が火照る。
「あああ、本当に頭に来るわ!」漠顔は狂ったように叫び、最後に挑発を諦めた。
「方源、十五日を逃れても三十日は逃れられんぞ」恨めしげに足を踏み鳴らし、去り際に命令を下した。「高碗、ここで睨みを利かせておけ! 姑奶奶は奴が出て来ぬと信じないわ」
「かしこまりました!」巨漢の家奴高碗は恭しく頭を下げながら、内心で呻いた――山間の夜は湿り冷え、徹夜の見張りで風邪を引きそうな苦行だと。
ザーザー…
元海で潮が満ち引き、波濤が生滅する。
青銅色の真元が水のように集まり、波の連なりとなって空竅壁を洗い続ける。
一転初階の空竅壁は白き光膜。青銅真元の衝撃に虹色の影が揺らめき、言い表せぬ妙なる韻を生じる。
時間が刻一刻と過ぎ、真元の水位も徐々(じょじょ)に下がっていく。
四割四分から一割二分へ。
「蛊師が境を上げるには真元を消耗し空竅を温養せねばならぬ。初階は光膜、中階は水膜、高階は石膜。我が光膜を水膜へ変える時だ」
前世五百年の記憶が修行の一切を明らかに照らす。
ゆっくりと瞼を開くと、深夜の闇が広がっていた。
三日月が夜空に高く掛かり、霜の如き月明かりが戸口に差し込む。
「床前明月光、疑うらくは地上の霜か」地球の詩句が脳裏を掠めた。
夜風が緩やかに吹き、肌寒さが忍び寄る。
保温機能の蛊虫を持たぬ十五歳の体は、思わず震えが走った。
山間の夜寒は厳しい。
「クソガキ! ようやく目を開いたか! いつまで修業してるつもりだ?! さっさと出て来い! 出ようが出まいが結果は同じだ! うちの漠北様を殴った罰は、いつか必ず受けるんだぞ!」張り付けていた高碗が方源の動きに反応し、声を荒らげた。
方源が目を細める。二転蛊師の女は既に去ったようだ。
「聞こえてねえのか!? 部屋でぬくぬくしてるんじゃねえ! お前が出て来ねえなら、こっちから入り込むぞ!」高碗が扉を蹴りながら威嚇する。
方源は微動だにせず、懐から元石を取り出し、再び瞼を閉じた。
「畜生! 丙等の雑魚が! たかが二転の分際で何修業してやがる! 漠家全体に刃向うなんて100年早いわ!」高碗が唾を飛ばしながら怒鳴り続ける。「おい! 耳腐ってんのか!?」