商睚眦は重い心事を抱えて去っていった。
立ち去る前、彼は方源に告げた:「この件は重大ゆえ、良く考えねばならぬ」
考える意思さえ示せば、既に成功は間近だ。
方源はこの男を見抜いていた。事は成ったと知っている。時機を見て更に値段を上乗せすることさえ可能だ。
無論、今彼が迷っている最中は、値上げで刺激するのは絶対に避けねばならぬ。
決心を固めたその時こそ――ふふ、その時に値上げすれば、朝飯前の易き事だ。
二日後、商睚眦は憔悴した面持ちで、再び方源の前に現れた。
「承知した。貴殿の申し出通り(どおり)、取引成立だ!」彼は歯を食いしばり、長い間躊躇した末に、ようやく言い切った。
「信じろ。将来、貴殿はこの決断を骨の髄まで刻み込むことになる!」方源は微えみながら杯を差し出した:「さあ、酒を飲もう」
商睚眦は杯を掲げると、一気に飲み干した。
「クソッ!何て不味い酒だ!」飲み終えると、彼は顔を強く歪めて呪うように言った。
「最安の米酒です。若様、私に高級酒を買う金などございません」方源は軽く笑った。
「もう直に金は入る。ふう……」商睚眦は重く澱を吐き出した。
彼は決断前、激しい葛藤に苦しんでいた。だが決心を下した後、全身の力が抜けた。
「よし、契約書は既に用意ずみだ。見てくれ」方源は書類を差し出した。
商睚眦が一瞥した途端、目を剥いて方源を睨み付け、机をバンと叩き怒号した:「九十五万だと?また値上げしやがった!前回は八十万と言ったのに、たった数日で十五万も跳ね上がるとは!貴様、我れが国の財産を超えるほど裕福だとでも思うのか?この野郎!我が元石が掠め取った物だとでも?」
方源は悠々(ゆうゆう)と微えんだ:「三日も経過した。値上げは当然だ。貴殿も分かっているだろうが」
商睚眦の額に青筋が浮き上がり、座席から勢いよく立ち上がった:「我れが弱く見えるとでも?そんな大金は持っておらん!取るに足らぬ秘伝一つ(ひとつ)に九十五万とは、法外な値段を吹っかける度胸には呆れる!」
「騒ぐな。怒りは身を滅ぼすぞ、若様。これは取るに足らぬ秘伝ではない。貴殿の若様の座が懸かっているのだ。考えよ、毎年の考課で一人の若様が落ちる。下では何人もが虎視眈々(こしたんたん)と狙っているのだ」方源の口調は悠長だった。
「若様の座」と聞くや、激怒していた商睚眦の怒気がスーッと引いていった。
方源はその表情を見て、九十五万という金額が彼の限界を超えていると悟った。そこで一歩譲って言った:「よし、分かった。九十万元石で取り決めよう。お手上げだ」
商睚眦はゆっくりと座り直した。彼が若様についてから一年に過ぎず、考課対策にも追われ、私腹に入った元石は四十万余りに過ぎない。
疑いなく、この取引が済めば、一年の苦労が水泡に帰す。ようやく築いた家産が消えてしまうのだ。
だが若様の座が懸かっている以上、鼻をつまんで認めるしかなかった。
彼はしばし沈黙し、ついにうなずいた:「よし、九十万元石で。だが紙の契約など信用せぬ。毒誓蛊で死の誓いを立てよう」
方源の顔に偽りの躊躇が浮かんだ。
「恐れたか?毒誓蛊なしで、貴様が金を持ち逃げしないとどう保証できよう?これは絶対条件だ、譲れぬ!」商睚眦の態度は強硬だった。
方源は実はこの可能性を予想していた。
「然らば、拙者から誓おう」方源は左の手を差し出した。
商睚眦は初めてほのかな笑みを浮かべ、毒誓蛊を呼び出した。
毒誓蛊は紫赤の小虫で、指先ほどの大き(おおき)さ。口器が獰猛で、三转消耗蛊に属する。
蛊は方源の左手人差指へ飛び、咬み付いた。
瞬時く間に、神経を貫く痛みが方源を襲った。
方源は痛みを堪え、文書の内容を朗読し始めた。読み終えると、毒誓蛊は指先大から倍に膨張し、方源の大量の精血を吸い取った。
続いて蛊は商睚眦の指先へ飛び、血を啜り始めた。
商睚眦は文書をぎゅっと握りしめ、震える声で全ての条項を読み上げた。毒誓蛊は再び倍に膨張した。
彼は痛みに顔面蒼白、歯を剥き出しにし、冷気を啜り込みながら呻いた:「忌々(いまいま)しい契約書め!何でこんに長い!少しは簡略できぬのか?まだ追加事項があるのか?」
方源は無言で首を振った。
商睚眦の口元が吊り上がり、笑みが浮かんだ。だが痛みで歪んだ顔では、その笑みがむしろ凶悪に見えた。
ドカン。
充血して膨張した毒誓蛊が突如爆発した。
だが血しぶきが飛び散ることはなく、無数の赤い光の粒へと変わった。
光粒は雨滴が湖面に溶け込むように、方源と商睚眦の身体へ吸い込まれていった。
この現象は毒誓が発効したことを示す。
もし双方が読み上げた内容が本心に背くものなら、毒誓蛊は爆発後に膿血と化す。それは双方、あるいは一方が本心に背く誓いを立て、毒誓が失敗に終わったことを意味する。
この光景を目にし、商睚眦は歪んだ笑みを深めた。
彼は方源を向いて嗤りと笑った:「へへ、我々(われわれ)は毒誓を発した。もし将来に誓いを破るなら、膿血と化して死ぬぞ」
方源は顔色一つ変えず言った:「元石は?」
商睚眦は肩を竦めた:「安心せよ。毒誓を破る勇気などあるものか。ほれ!」
彼が一匹の蛊を取り出した。
水晶細工の如き半透明の球体。掌ほどの大き(おおき)さで、内部には雲霞が封じ込まれている――白雲が幾つも漂う様だ。
その雲の形は特異で、杖にすがり背中を丸めた老人の姿を成していた。
白髪が肩にかかり、仙人の如き風骨。顔の皺は生き生きと刻まれ、慈しみ深い眉目で笑っていた。
これが元老蛊である。
元石を貯蔵するためだけに特化された蛊だ。
術業に専攻ありとはまさにこのこと。三转蛊に過ぎぬが、百万もの元石を収め得る。
「中には八十七万元石のみ。残る三万は後日工面して渡そう」商睚眦は万に一つも名残惜しい思いを胸に、元老蛊を方源へ差し出した。
中身は商家の貨物代金六十万、残り二十七万は商睚眦が私財のほぼ全てを投じたものだ。
方源が受け取ると、商睚眦は自ら進んで煉化を補佐した。
元老蛊の主が変わるや、水晶球内の雲煙が流転し、老人の顔は商睚眦の方を向いていたものが、瞬く間に方源へ向き直り、慈しみ深い笑みを浮かべた。
方源が無造作に元老蛊を動かす度に、球内の雲煙は形を変え、雲の老人は常に方源と向き合い続けた。
実にこの元老蛊は興味深い。
内部の元石が少なければ、雲の老人は眉を顰め沈み込む。適量なら無表情。多ければ多いほど、満面に笑みを浮かべるのだ。
商睚眦は方源が元老蛊を弄りながら、その用法を熟知していると悟った。
彼は鼻で笑った:「この元老蛊も少しばかり値が張る。無料で渡せる訳がない。競売場で六千六百元石を叩いて落としたのだ」
方源は肯いた。三转蛊の相場は千単位、元老蛊は比較的珍しい部類で、確かに相応の価値がある。
即座に元石を取り出して商睚眦に渡した。
商睚眦は普通の貯蔵蛊でそれを受け取り、複雑な心境だった。
本来なら彼の元石だったはずだ!
「…もはや仕方あるまい。若様の座を保てれば、すべては可能だ。元石は再び稼げる。この地に坐して値を釣り上げ、我れを脅した卑劣漢も、遅かれ早かれ非業の死を遂げる!」
商睚眦は元々(もともと)度量広き人物ではない。方源に全財産を搾り取られ、残る三万元石は借金で工面せねばならない。
白骨秘伝の相場は高くて六十万。それを九十万で買わされたのだ。
商睚眦は鼻をつまんでこの大損を呑み込み、方源を心底憎み切っていた。
「残り五万元石は三日以内に渡す。この件は我々(われわれ)だけの秘密だ。第三者に知られてはならぬ。例え貴様の相棒でもだ。小賢しい真似は無駄だと悟れ」商睚眦は席を立とうとした。最早耐えられぬ。
醜い方源の顔を一秒でも長く見れば、怒りの炎が一分ずつ積もっていく。
「契約書に抜け穴などない。貴殿も目を通したはずだ」方源の表情は淡然としていた。
商睚眦は冷ややかに鼻を鳴らした。商家に生まれ、幼い頃から商取引を見聞し、この一年店舗を執り仕切ってきた彼の目を、簡単に欺けるものなどない。
「貴様ごときが誓いを破れるはずもなかろう」嘲るような嗤い声を残し、彼は背を向けて去っていった。
方源は気にも留めない。商睚眦の今の心情を理解していたからだ。
毒誓を破るつもりなど毛頭なかった。
毒誓蛊の拘束力は極めて強い。故に蛊师たちに広く用いられているのだ。
知らぬ第三者に漏らすべからず――絶対に許されぬ。いかなる擦り球も、自らの命を弄ぶに等しい。
先程、方源が商睚眦に六千六百元石を渡した行為は、一見無駄に思える。残る三万元石から差し引けば良いのに、と。
だがそれもならぬ。
毒誓で定められたのは九十万元石。故に商睚眦は九十万枚の元石を方源に手渡さねばならぬ。
これが硬的な規則なのだ。
三日後、商睚眦は三万元石を工面し、方源に渡した。
方源も秘伝方を引き渡した。無論、最も価値ある骨肉団欒蛊の秘伝は売らぬ。
商睚眦が知っていたのは骨槍蛊と螺旋骨槍蛊のみ。秘伝書を検閲すると、他の数多の秘伝が骨槍蛊を基盤としていることを知り、幾分満足し、心情も少し晴れた。
方源は更に骨槍蛊、螺旋骨槍蛊、骨刺蛊をまとめて売り払った。
元の売値は四万六百二十元石。
かくして取引の結果、方源の手元には九十三万四千二十元石が急増した。前からの蓄えと合わせ、総額九十四万五千元石に達した。
方源は元石の大半を元老蛊に収めた。無論万一に備え、懐中と兜率花にも少しずつ分けて携えた。
「前世のこの時期、我れは商隊で這いずり回り、懐には五六十枚の元石が精一杯だった。今や百万枚近い資産を擁している」
記憶と対比すれば、再誕の利点が明らかだ。
無論、彼は膨大な危険も冒している。
危険が大きければ大きいほど、利益も大きい。世に無償の昼食など存在せぬ。
代償を払っても報われるとは限らぬが、得ようとすれば、まず払わねばならぬ。
瞬く間に更に三日が過ぎた。
商家の調査が終結し、魏央が商燕飛の招きを伝えに来た:「お二方様、我が族長が家宴を設け、特に私を遣わしお招き申し上げるよう」
「家宴か?遂にこの時が来た」