仔羊の蒸し物、鴨の焼き物、八宝豚の清蒸、鴨のちまき詰め、鯉の甘酢あん、臓物詰め合わせ、胡麻油クルミ巻き、蜜かけ山芋、蜜漬け桃の糸引き、八宝炒め、ユリ根の清蒸、猩々(しょうじょう)の唇、駱駝のこぶ、鹿茸、熊の掌の煮込み、三種具の木犀風スープ、蜜蝋煮豚肘、三色フカヒレ……
束の間、四階の個室に座った方源と白凝冰の前には、香り高く彩り鮮やかな料理が卓を埋め尽くした。
方源が竹箸を取り、気ままに口を運ぶ。まず清蒸のユリ根――喉越し爽やかで精神が洗われる。次に蜜糸の桃を一枚。甘さくどくない。さらに熊の掌を味わえば、脂が上品に口の中で溶ける。仔羊の蒸し物は歯切れ良く、薬味を添えると風味が倍増した。
白凝冰が木犀風スープを一吸いすると、俄に口の中に香りが広がり、食欲が掻き立てられる。
「お前が豪勢な真似するなんて珍しい」白凝冰は食べながらも冷やかな皮肉を叩き付けた。
方源は笑っただけで反論せず、彼女の心に巣食う疑念と焦燥を読み取っていた。
商心慈への接近、心尽くした護衛、危険を冒しての目的地到達——そのすべてを経て、なぜ別れると決めたのか。白凝冰には看破できない駆引だった。
今や方源の修為は二転巅峰に達し、三転との境界は紙一重。かつて交わした「三転突破を期に契約決着」という約束が、遂に目前に迫っていた。
だが方源が約束を守るわけがない。彼の目に「信義」など、止むを得ぬ妥協か、華麗な偽装か、精巧な仮面に過ぎない。
この真実を——方源も、白凝冰も痛いほど知っている。
だからこそ彼女は苛立つ。
方源という極悪人が必ず約を破ると予感しながらも、有効な対策がないからだ。陽蛊を握られている彼女は「鼠を撃てば器も壊れる」という状態に苛まれていた。
今、百家寨の追跡も獣群の来襲も途絶えた。食卓を共にする方源と白凝冰の光景は安らかに見えるが、実はその関係は寸前まで張り詰めており、次の一歩で瓦解しかねない。
その決定的な一歩こそ、方源が三転蛊师へと昇華する時である。
一度三転の境を踏み込めば、二人の間に残された融和の余地は完全に消え去る。正面衝突は必至だ。
白凝冰をどう処遇すべきか?
方源は箸を動かしつつ、思考を巡らせた。彼の修為が停滞するはずもなく、遅かれ早かれ矛盾が爆発する。
今の状況は極めて微妙だった。
陽蛊を掌握している方源が優位とはいえ、白凝冰も方源の致命的な弱みを握っていた。
白骨山の秘伝継承に同行し、商隊を獣群で襲わせる計略を目撃した彼女は――知りすぎていたのだ。
丁浩という潜在的脅威に比べれば、白凝冰の危険度は格段に上がる。
「白凝冰を葬ってしまえば、商心慈関連の懸念は消える。だが現状の修為では無理だ——彼女を仕留める最良の機会は商隊移動中だったが、当時は生還のため彼女の力が不可欠だった。況して商心慈の面前では実行できぬ。白凝冰の野郎、かねてから警戒心を緩めておらぬ。氷肌玉骨の防護も相俟って一撃必殺は困難。それに戦闘嗅覚が鋭く、近頃の経験でさらに手練れとなった…」
方源の脳裏に万感が渦巻く。同様く白凝冰もまた激しく思考を駆け巡らせていた。
「青茅山を脱して以来、今や漸く息をつく暇ができた。必ず陽蛊を奪い取り、男の身に戻らねば!力攻めで強奪するのは得策ではない――方源を瞬殺できれば別だが。あの極悪人、修為は二転ながら総合戦力は化け物じみている。戦闘経験の老獪さでは及びもつかず、腹の底は狡猾極まりない。悪辣非道の限りを尽くす男ゆえ、倫理など束縛にならず何事も厭わん」
「更に重要なのは、彼の奥の手が未だ見抜けぬ点だ。だが、こちらの優位もないわけではない。奴の修行は今や俺が支えている。加えて奴の秘密を数多握っているのだ——これらを利用し彼を妥協させられるだろう!毒誓蛊で反故不能の契約を結ばせるか、強奪蛊・詐取蛊・神偷蛊などを駆使し、陽蛊を盗み出すのだ…」
白凝冰は決して愚かではない。彼女は一路耐え続け、観察し、謀略を巡らせてきたのだ。
二人は食卓を挟んで二歩と離れず、親友のように見えながら、心の奥で互いに策謀を巡らせている。
外圧が去り、二人の間の矛盾が浮き彫りになった。商家城という安全な環境で、ようやくその葛藤と向き合う余裕も生まれた。
しかし思考を深めれば深めるほど、解決の難しさを痛感した!
方源が何物にも縛られぬとすれば、白凝冰もまた同じではないか?彼女の生き様は「刹那を燃やすこと」こそがすべて。道徳?そんなもの何だったっけ?
互いに俗世を見下し、鉄の意志を持、力への飢えを抱き、己のみを信じる――この点において、二人は驚くほど似通っていた。
他者の目に映れば、二人は殺すべき化け物で、社会の屑である。その死こそが世界を救うとさえ言える。
まさにこうした共通点があるからこそ、互いに手強く感じるのだ。
真に手強い敵とは、往々(おうおう)にして自らである。
さらに重大なのは、互いに相手の弱みを握っている点だ。一撃必殺に失敗し、息をつく隙を与えれば、反撃された方は致命の傷を負うこと必至!
二人は考えれば考えるほど頭を抱えた。
「白凝冰の野郎、厄介な相手だ」方源は奥歯を噛みしめた。手元に使える手が少すぎる。
「方源め…弱点らしい弱点が微塵もない」白凝冰が細めた瞳から冷光を放つ。
二人とも妙案が浮かばず、期せずして視線を上げた。目と目が空中で激突し、触れ即離れた。
卓上の料理は鮮美であったが、重い思いで喉も通らぬ。
半額と雖も、依然として十五元石を費やしたのだった。
さすが商家城、物価高し。
腹を満たした二人は酒楼を出た。
方源が街へ足を踏み入れると、往来の噂話が耳に届いた。
「知ってるか?南門でついに商家族長様が現された!」
「まさかありえねー」
「本当だ!現れるや消え、町中が騒然と…」
「ホラ吹き!商家族長様が何の用もなく街に出られるか!」
噂は飛び交い、肯定派と否定派が対立。
方源は東門から入城したが、商心慈が通った南門の出来事は東に伝わる頃には、見る影もなく歪んでいた。
白凝冰には取るに足らない噂と映り、気にも留めなかった。周囲の話題は直ぐに他へ移る。
だが方源のような心ある者には、これ以上ない明確な情報だった。
彼は思わず嗤った。商心慈の件は、記憶通りの軌道を辿っているようだ。
後は実が熟れて落ちてくるのを待つばかり。
「見ろ!空飛ぶ藍鯨だ!翼家の商隊が来るぞ!」突然街中で誰かが空を指差し叫んだ。
瞬時に往来の人々(ひとびと)が足を止め、一斉に天を仰いだ。
巨大な影が街を覆う。
蒼穹を悠々(ゆうゆう)と泳ぐ藍色の巨鯨。
「飛ぶ」というより「泳ぐ」と言う方が適切だろう。
飛天藍鯨、それは高天原を悠々(ゆうゆう)と遊泳する巨獣である。
東海の九重天に棲み、温順で平和な性質ゆえに「御鯱蛊」で制御され、商隊の足とされる。
山並みの如き巨体は行商人を体内に蔵し、高空を翔る。山林の陸路商隊と比べ、危険性が激減するのみならず速度も数段速い。
然れども、一日に千斤もの食料を摂らねばならず、大勢力でなければ飼育できぬ。
南疆全土で飛天藍鯨を擁するは、翼家のみ。
翼家もまた南疆の覇者の一つ。商家と肩を並べる地位にあり、東海勢力と密接な絆を有する。
「はあ…壮観だな」白凝冰が軽く嘆息を漏らした。
かつての白家寨を思い返す。もしこの巨鯨が直撃したなら、山寨など跡形もなく崩れ落ちたろう。
巨体が商量山を震わせると、飛天藍鯨は山腹へ緩やかに降下していく。
遠方から眺める方源の視界に、その巨口が開いた。無数の黒点が口内から湧き出るように移動し始めた。
翼家の商隊たちだ。しかし距離が遠すぎるせいか、細部までは見分けがつかない。
「翼家の商隊が来た。市場が再び揺れ動くだろう」
「翼家が五転蛊を持ち込み、商量山で競売するそうだ」
「翼家は東海と繋がりがあるから、今回も特産品が豊富だろう。買う価値がある」
往来の人々(ひとびと)の話題は完全に翼家商隊へ移った。
方源と白凝冰は山道を上る。
古月山寨が青茅山の一隅に過ぎないのに対し、商家城は商量山全体を覆わんばかりだ。
南疆最強の武家すら、これほどの規模の山岳都市を擁していない。
城内には竹楼・土壁の家・煉瓦造り・バラック・樹上住居・キノコ状小屋・洞窟住居・塔・砦など、あらゆる建築が混在している。
それらは商量山にまとったパッチワークの衣のようだ。
南疆貿易の中心地として、商家城の面積が最大なのは疑いない。
だが、これが商家城の全て(すべて)だと思うなら大間違いだ――
まだ外城に過ぎぬのだ。
方源と白凝冰は巨大な洞窟の入口に立ち止まった。
「お二方、内城へご入場ですか?お一人様百元石の納入をお願いします」守衛の蛊师が手を差し伸べた。
「たった入場するだけで百元石?」白凝冰は驚きを見せた。
「内城は空間が限られておりますゆえ、無関係な人々(ひとびと)の流入防止と治安維持のためでございます」蛊师は恐縮しながら説明した。
商量山は商家による数千年の営みにより、山体表面を覆い尽くす商家城を築いたのみならず、山の内部へ深く穿たれて内城が造られていたのだ。