しばし沈黙の後、
百家女族長は地図から目を離し、諦観の吐息を漏らした。
白骨山はあまりに広大だ。裏山に候補地を絞ったものの、正確な位置特定には程遠しい。
「(古月家の小僧は、当族への遠慮から、直接場所を尋ねるはずがない……元泉の位置を測り知るには、さらに仕掛けを仕込まねばならんな)」
彼女は歯を食いしばりながら暗に決意する。
元泉の座標を掴めし時、
百家は直ちに実地調査に乗り出すはずだった。
「もし元泉周辺の獣群が少なければ、直ちに手を下そう。先んずれば人を制す!だが猛獣や野蛊が多く犠牲が大きいなら――」
「兵糧を供給し古月一族を援護せよ。奴らを先鋒に立て、時機熟するや成果を接収するのだ。手管に長けておれば、古月の残党も併呑できよう」
思わず嗤り声が漏れる。
(ふっふっ…)
彼女は知る由もなかった――
古月の残党など虚実無き幻だと。
逆に方源こそが百蓮の口から、
貴重なる生の情報を寸分違わず搾り取っていたのだ。
正道の伝承は白骨山の裏山に在り、この点に関して方源は隠し立てしなかった。
しかし裏山には骨獣が多く、更に数多の蛊が一方を牛耳り、困難と険阻を充ちている。
彼は百蓮の言葉に誇張が含まれることを知っていた。前世500年の経験を頼りに尾鰭を除き、方源は一つの事実を得た――
白凝冰と二人だけの力で伝承の地に到達するには、少なくとも半年以上の労力を要する。
白骨山の状相は山林とは異なり、大規模な獣群が棲息し、猛獣や危険な蛊虫が蟠る。
通れない場所には遠回りせねばならず、避けるべき場所では三里も退かねばならなかった。
寨へ帰り着くと、果たして百盛景の言う通り(どおり)、彼らの戦績は百戦猟を一歩抜きん出ていた。
一日経つうちに、この勝負は広く知れ渡った。
五人が野営地を歩くと、多くの視線を浴びた。
「百蓮先輩、勝利おめでとう」
「百戦猟様の運が悪かっただけさ。珍獣に当たらないことには腕前も意味がないからな」
「そこの二人、古月家の者か?」
「あの女性は?なんて美しい……百蓮様に劣らぬ容姿だ!」
「聞くところによると、この古月の若頭領、百蓮様に気があるらしい。ふん、蟇が天鹅の肉を食おうとしているようだ」
「うむ、品性が悪い。身寄りもなく孤児同然の身でありながら」
「百戦猟様の百蓮様への想いは皆が知っている。幼馴染だったとも言うぞ」
「ああ……片想いの花は流れる水に散るばかりか」
多くの者が頻りに私語き合い、俯き加減に語り合った。
方源は勝ちながらも思い詰めた様子、心から喜ぶ様子は見せない。
夜になり中央大天幕で再び焚火宴が開かれた。
百生と百花の双子が方源に杯を捧げると、即座に退出させられる。天幕には新顔が数名加わっていた。
百蓮と百戦猟の勝負で両名とも通常の狩猟大比を離れたため、空席となった上位に百家の若手の俊英が二名現れた。
この両名は明らかに百戦猟派で、宴席で一方は方源を睨みつけ、他方は全く無視し通した。
「賢侄よ、幾日も経つというのに、何故未だに貴公の族人が姿を見せぬのか?」酒宴中、百家族長が問う。
方源は微かな憂いを見せた:「算段するに、今数日の内であろうと。はあ……もしかすると何らかの変事に遭ったのかもしれませぬ。だが彼の者らの実力をもってすれば、大した問題などないはず」
百家女族長は肯いた。彼女が心に置いているのは、無論、方源自身のことだ。
だいぶ骨を折って舞台を組み上げたというのに。
今や成り行きは上々(じょうじょう)、成功は眼の前だ。
古月の残党 が現れて大いなる局面を乱されてはたまらない。
百家族長は知らなかった——
この慮りは全くの無駄骨 だと。
この世に古月一族とやらは、方源と方正という実の兄弟ただ二人だけだということを。
「ご心配なく」と逆に百家族長は慰めた。「斥候を四方に放っておる。遠からず貴公の族人の消息も伝わろう」
方源は急いで礼を述べ、傍らに立つ白凝冰が微かに眉をひそめた。
情勢は刻一刻に切迫する。
時が経つほどに、二人の立場は悪化の一途を辿る。
今のところ言訳で誤魔化せる。
──野営行軍では予期せぬ厄介事が付き物だと。
だが時が長引けば、百家は疑心を抱くだろう。
いずれ虚実を看破されるに決っている。
しかし連日山中を駆け巡る猟の中、
白凝冰は決して軽挙できなかった。
周囲には監視の蛊師が潜んでいるに違いない。
二人に強力な移動蛊はなく、
複雑な山岳地形が速度を著しく阻害していた。
白凝冰の眼に映る局地は、日増しに糜爛していった。
沼沢に嵌まりし如く深く沈み、このまま放擲すれば、遅かれ早かれ腐泥に埋没してしまう。
「一体、君は何を謀っているのだ?」
隣席の方源を凝視しながら、白凝冰は心で問いかけた。
彼女は方源を知っている。
坐して死を待つような男では断じてない。
だが人生の経験が、突破口を見出すことを阻んでいた。
この環境では、直接相談も叶わぬ。
白凝冰の胸中に、圧が嵩まっていく。
また一日が過ぎた。
方源の隊の戦績は辛じて百戦猟を上回った。
宴の後、百家族長が百陌行を召喚し、密談を始めた。
女族長は指でデスクトップを叩きながら言う:
「このままではいけない。今日の狩猟では百蓮が白骨山の危険を繰り言にし、方正の動揺も感じ取れた。だが時は待ってくれぬ。古月の大部隊が現れれば、彼は精神的支柱を得、我々(われわれ)の努力も水の泡だ」
「時流は待ってくれぬものよ」
百家の族長は深い溜息を漏らし、
覆い隠せない憂慮が顔に刻まれていた。
彼女は知らなかった──
白凝冰が己よりもはるかに焦燥していることを。
この時というものは、彼女と方源にとって、
いっそう貴重なるものだと。
百陌行はしばし熟慮した:「族長、老生の考えでは、短時日に方正を信用させ、元泉の詳細位置を吐かせるのは困難でございましょう。ここは一計、遠回しに探りつつも、火種を投げ込むのが良策かと」
「ほう?」
百陌行が低く呟いた。
百家族長は微かに首を縦に振る:「ご名答。あの方正、心労の色濃きは、一族が元泉を奪う代償に手痛い犠牲を払うことを案じておる故であろう。元泉周辺の情報を欲しがっておらぬはずがない。心の内は焦れておるが、我が家への遠慮と、自らの非力ゆえに言い出せぬのだ。君の方法は良く聞こえる……」
微かな気懸りを抱きつつも、最早他に良策もなく、試すより道はなかった。
かくして対決三日目、百戦猟は猟り中に野生の遊龍蝶を捕獲するという予想外の出来事が起こり、野営地全体が大騒ぎとなった。
百蓮が神情険しく言う:「事態は最悪だ。遊龍蝶蛊は三転の貴き蛊。百戦猟は大きな差を付けた。我々(われわれ)が勝つには奇策に出るしかない。この辺りの山林の様子は私が一番詳しい。白骨山へ登り、骨獣を狩るか、野生の骨蛊を回収するしか……」
白凝冰がそれを聞いて、胸がドクンと高鳴る。
白骨山――
まさしく窮地を打ち破る絶好の機会ではないか!
はあ、良機が自ら飛び込んでくるとは。
白骨山は確かに危険極まりないが、
百家の手から脱する最善の方法だった。
だが方源は首を振る:「危険すぎる。我々(われわれ)の実力では無謀だ。やめておきましょう」
白凝冰はその言葉に目を見開いた。
(今すぐあいつの首を絞め上げたい衝動に駆られる!)
百蓮が軽やかに笑った:「お気遣いなく。既に思案はまとまっております」
「私は百生と百花の両少主と親しくしておりまして、明日狩に誘いましょう。お二人はまだ修為がなく、密かな応援とは見なされません。但し、必ず暗蛊師の護衛が付いてまいります」
「白骨山で危うくなれば、彼の者らは手を出さずにはいられましょう。奴らの仕留めた獲物には手を出さず、われわれはわれわれで狩ればよろしい。獣群にも老幼弱きはおりますし、白骨山の獣の価値は格段に高いのです」
方源は思わず呆気に取られた:「(我が疑心を起こさせぬよう、ここまで周到な手を打つとは)」
しかし口元では称賛した:「実に見事な策。百蓮殿の蘭心蕙性、刮目して待つべきものありだ」
「とんでもない、過賞ですこと」
百蓮は照れくさそうに笑い、目の奥にかすかな得意を曇らせた。
…翌日。
薄暗い大天幕の中で、百家族長が真剣な眼差しで空中に漂う彩煙を凝視していた。煙の中に映る映像──
画中に現れる七人。
方源、百蓮たち五人に加え、百生・百花の両少主が同行していた。
「どうやら白骨山は穏やかなようね、こんなに歩いても何の異変も起こらないわ」映像の中から百盛景の声が響く。
百家族長は直ちにフゥンッと癇癪を滲ませた。
奴らの進路を開くため、
彼女は大勢の蛊師を差し向け、
側近の家老たちを一人残らず密かに従わせていた。
方源ら一行の進軍が寸断もなく続く背景には、
百家の蛊師が敢えて零細な獣を見逃すという犠牲があった。
彼の者らが足を進めた三刻半の間に、
百家は優れた蛊師数十人を失い、
三人の家老も負傷していた。
うち二人の傷重き者は昏睡のままで、
営へ帰還する途中だった。
それでもまだ白骨山の麓に過ぎぬ。
山頂へ近づくほど、危機は幾重にも絡み付く。
…たとえ方源らが軽やかに歩んで見えても、その実は先鋒の蛊師たちが血と命で舗装した道だった。
とりわけ白骨山は人気なく、猛獣と野生蛊の巣窟。
未開の地を拓くには、膨大な生贄が必要だったのだ。
一行は登り続け、百蓮の作為に満ちた誘導で、いつの間にか白骨裏山へ踏み入っていた。
「情報はここまで。この先は道案内できません。日も暮れますし、そろそろ帰りましょうか」
百蓮がわざとらしく提案した。
しかし方源は首を振る:「せっかくここまで来たのです。もう少し探ってみよう」
彼はきょろきょろと辺りを見渡し、何かを探すように注意深く判別し始めた。
やがて自ら先導を買って出る。
その記憶は告げていた──真の伝承地は、もはや眼前だと。
「(おいおい...少しは演じる気はあるのか?)」
傍らで白凝冰が肝を冷やしていた。方源の振る舞いが露骨すぎる。
彼女は不安そうに周囲を見渡したが──奇妙なことに、百蓮も百盛景も気付かぬふりで、沈黙裡に方源の行動を放任していた。
「よし、その調子だ!どうやら元泉は目前らしい!」
帳中で族長は激動を露わにした。
「ふっふっふ…方正、青二才めが…おや?洞窟へ入っただと?まさか元泉が洞内とは?」
彩煙が閃き、洞窟内部の光景を映し出す。
疑念が脳裏を掠めた刹那、
帳外から声が届いた:
「族長閣下!偵察蛊師が帰還、鉄家の蛊師一名を捕虜にし、重大な報告が御座ります!」