かつて生気漲った青茅山は今や氷雪の天地。この驚異の変貌は早くから近隣勢力の関心と調査を呼んでおり、月日が経つにつれ青茅山崩壊の情報は遠方へも拡散していた。
「思い返すに堪えぬ。 想い起こせば痛みが走る」方源は座り込み、悲嘆に塗れた表情だ。
「酌みやれ」百家族長は語りたがらぬ方源を問い詰めず、家僕に酒壜二つを運ばせた。
白凝冰は無関心の様子。元来酒を飲まず水のみだ。
方源は直ちに封泥を掌打で払い、ゴクッと一口呑み込むと、またも涙をこぼした。
百家族長が驚く:「賢兄、更に何故涙??」
「貴家の酒の芳醇たる香りに酔い、思わず我が一族の青竹酒、青茅山で過ごしし日々(ひび)を偲びての」方源は涙を拭いながら述べる。
家老衆の溜息は更そう深くなり、多くが方源を慰める。
方源の境遇は彼等にも共振を起こさせた。何せ百家の元泉にも枯れる兆しがあり、もし新しい元泉を見出だせなければ、古月家の惨状がそのまま百家の未来となるのだから。
百家族長は更に労いの言葉を尽くし、ようやく方源の涙を止めた。
「故郷を毀されれば、誰が痛まぬものか?賢兄の胸中、理解しておる。ただ人があれば希望あり。故に賢兄、悲しまず、数日と経たず同胞と再会できると信じておくれ」百陌行が探るように言う。
方源は無知を装い、涙を拭いながら応えた:「然れ、遅くとも数日ならあるまい」
この答えに百陌行と百家族長は素早く視線を交わした。
宴の後、百家族長は百陌行を召し寄せて密談を始めた。
「族長、情況は芳しくない。古月の山寨は破壊されたのに、残党が白骨山を目指すとは?恐らく此処を奪うためでしょう。我々(われわれ)こそ先手を打つべきでは?」百陌行の顔に憂色が浮かぶ。
「ふふふ」百家族長たる女傑は軽く笑う。
百陌行が微かに呆気に取られる:「族長、何故笑われる?」
女族長は目を細めて宥める:「陌行家老、まずは落ち着きたまえ。利害相伴うことよ。采配次第で却って多大な手間を省けるというもの」
この一言で百陌行は頓に思案させられた。
その通りであった!
百家の元泉は、永年の使用で枯渇寸前。新しい元泉を早急に探す必要があり、今回の行動は狩猟を名目としつつ、白骨山における適切な泉眼の探索が真の目的であった。
百家隊の到着は未だ浅く、手掛かりらしいものは得ていない。しかし古月の残党が長旅を経て白骨山を目指すのは、必ずや何か有益な情報を握っている証左に他ならぬ。
推測するに、古月一族は元泉の位置についての情報を入手しているに違いない。
百家族長は百陌行の表情変化を認め、続けて語る:「察したようだな。そもそも名山大川には常に精気が凝集し、必ず元泉は存在する。されど位置の精確なる探査は決して易しからず、巨きなる人手と物資を要する」
「我が百家の周りには方家、廖家、范家ら、軒を並べる強族がひしめく。これまで互いに牽制し合ってきた。もし我が元泉枯渇の事態が露見すれば、弱り目に祟り目とばかりに付け込まれん。故に前々(ぜんぜん)より密かに元泉位置を探らんと議し、今次も『狩猟』の仮面を被ったのだ。しかしこの方法では、元泉調査はかえって人手・物資の浪費が激しくなるほかない」
百家族長はここまで述べて言葉を濁し、不安を引きずる様だった。
百陌行が続ける:「つまり族長は古月家から直接、元泉の情報を引き出そうとなさるのか?」
「然り」百家族長が肯き、眼光が鋭く煌いた。「古月の族長や家老衆は骨の折れる相手だが、あの二人の若者が手の内にある。これは天与の好機だ!」
百陌行が眉根を寄せて言った:「されど、二人も愚鈍ではない。娘は一目で強硬な心堅さの持主と分かる。若造は修爲が乏しいものの、変事に驚かず沈着している。初対面で包囲された時、寸分の慌て様もなかった。彼等の口を割るのは容易ではあるまい」
「そこまで器量が備わぬ輩が、よくも一門の後継など務まろうか?」百家族長は冷やかに鼻を鳴した。「両者とも抜きん出ておる。もし彼等が凡庸ならば、偽身分の嫌疑を抱いたであろう」
百陌行は重畳して言う:「故に族長には熟考を。拷問も屈服させ得まい。道中に痕跡も遺しており、古月残党は遅くとも近日中に到達せん。奴等は最早正真正銘の袋小路の逃亡者だ」
百家族長は小さく手を振る:「その点、家老殿はご心配無用よ。一計授かりおる」
「おお?仔細拝聴」
女族長が細やかに語るほどに、百陌行の濁った老眼は輝きを増した。
語り終えると、百陌行は口々(くちぐち)に称賛した:「これぞ妙策!古月方正は家族愛強く、情に脆い性格と見受けた。宴席で二度涙したが故だ。畢竟若者の本質。族長の仕掛けたこの陥穽は、蜂蜜を子熊の眼前に置き、人参を仔兎の鼻先に差し出すが如し。奴が掛け餌に食いつかぬ筈がなかろう」
……
方源が天幕の入口の垂れ布を片手で掲げた。
夜は既に深い。だが百家の仮設陣営は篝火が明るく灯り、帳幕が整然と配置され、隔てられた間隔ごとに鉄製の松明台があった。不時ならず巡察蛊师の隊列も行き交う。
「方正公子、何か御用で?」垂れ布を挙げるや否や、入り口の二人の護衛が即座に近寄った。
方源は作為で酒嗝を漏らす:「席上で酒を多く(おおく)頂いた。便所は何処か?」
「公子、こちらへ。貴客様として、族長が特設便所を設けておられる。三十歩ともあるまい」一人の護衛が即答する。
「方角だけ示せ。用便中に人気は御免だ」方源が手を振る。
「畏まりました。木造仮小屋は彼方に」護衛は指差すと頭を下げて退いた。
方源は木小屋で小解を済ますと、酩酊の態で故意に方角を誤る。歩くこと二十歩に満たず、既に数人の巡察蛊师が近付いた:「貴客様、方向を誤られて。御天幕は彼方に御座います」
「そうだったか?何故かこちらと記憶して」方源は酒嗝を出す。
「どうぞこちらへ」百家蛊师の顔に虚偽の笑みが浮かび、含みのある強硬さを帯びている。
方源は彼等に付き添われ天幕へ戻された。
天幕の中に灯火が点されている。
東西両壁に各々(おのおの)寝台二基が置かれ、白凝冰は結跏趺坐して修行中。真元を消費して空竅を洗練していた。
方源の入って来る音を聞きつけると、彼女は瞼を開いて目で問いを投げかけた。
方源は一瞥し寝台に倒れ込む:「凝冰、早く寝ろ。随分疲れさせたな。もうすぐ同胞と合流できるぞ」
声は徐に曖昧になり、最後の言葉で目を閉じ、寝息だけが残った。あたかも睡に落ちたかのようだ。
白凝冰の瞳が微かに収縮した。
彼女は理解した――方源の演技だと。この不自然な発言は盗聴・監視用蛊虫への警戒。直前の短時間外出からも、夜間脱走が絶望的なほどの厳重警備と判明した。
この思考に至り、胸中に危惧が湧き上がる。
自身は三転頂峰ながら、蛊虫の質が伴わず戦闘力不足。
この陣営には――百家族長四转蛊师を頂点に、三转家老五六名、そして数多の二转蛊师が存在するのだ。
「人は俎板となり我は魚肉」――今の状況は正にその如し。百家寨は正派とはいえ、財あれば命を落とし、食わねば鳥は死ぬ。いったん膨大な利益が絡めば、口封じの殺人は免れまい。
白凝冰は知っている。方源の持つ蛊虫は軒並み逸品ぞろいだと。殊に天元宝蓮座と血頭盖蛊は露見すれば、百家の貪欲を必ず招く。
現手を出さないのは、方源が存在せぬ古月の同族を楯に虚勢を張り、当座の瞞着に成功したためだ。
数日後、古月勢の到着が無ければ嫌疑を免れず。その時、方白両人が袋小路に追い詰められれば、事態は致命的に危うい。
「どう打開するか…?」白凝冰は微かに眉を顰め、向かいの方源を見る。
方源は横向けに寝転がり、背中を向けている。息遣いは平穏かつ均等で、本物の睡眠そのものだ。
「よくもまあ平然と!」白凝冰は[フン]と冷やかに吐息し、内心苛立ちつつも無力感を覚える。
翌日。
風和らぎ日は麗らかに、陽光燦たりと輝く。
三度太鼓が鳴り響き、百家族長が族人を召集した。
「本日より七曜、連日に渡る年例の狩猟大比わいが始まる!各々(おのおの)の実力を示す時だ。定例により、上位入賞者(じょういに入賞者)には厚賞を与えん!然る後、思う存分に勇武を顕わせ!」
百家族長が采配を一振りすると、砦門が開かれた。虫の息ほど待ち侘びた蛊师たちは、溢れんばかりの勢いで殺到した。
瞬く間に各所の山林に吸い込まれ、蹤影も無く消え去った。
先刻の喧噪が嘘のように陣営全体が開け、虚ろな静寂に落ち着いた。
「方正賢姪、夜は安眠されたかな?」百家族長が振り返り、笑顔を崩さず方源に話しかける。
方源は拱手して礼す:「族長の厚情に深謝。臥所に就けば直ちに睡に落ち、覚醒せし時は既に天明でござった」
「はっはっは」女族長は肩をポンと叩き、慈愛に満ちた仕草で言う:「狩猟大比に加わってみよか?古月の男児の勇姿も拝見したいわい」
方源の顔に困惑の色が浮かぶ:「慙愧!未だ重傷の後遺、修爲は三転より落ち、幸い一族の手当で一命を拾いしも、今は一転中階でして」
言われる前より、彼の一転の気配は一目瞭然であった。
「その点は賢姪よ、ご心配なく」百家族長が軽く手を打つと、側の蛊师が献上品のように掌に転がした――指先ほどの大き(おおき)さの球状の蛊を。
方源はその蛊を視て心中で冷笑が走るが、眼差しには熱意が漲った:「ではお言葉に甘えます」