「白骨山、遂に着くか」小高い丘の上、方源は遠方の白い山峰を眺めながら感嘆の声を漏らした。
其の傍らに白凝冰が黙然と立っている。
二人とも衣類はぼろぼろ、顔中に疲労の色が濃く浮かんでいた。
直今、鋼鉄豚の五人家族の追撃を辛じて振り切ったばかりだった。
鋼鉄豚は特異な獣群で、個体数は少なく、通常家族単位で行動し、成員は十頭を超えない。だが成獣は最低でも百獣王だ!
方源たちを追ってきた五頭は――
祖父母豚は既に千獣王、父母豚は百獣王、子豚たちに至っては体に一転蛊が寄生されていた。
猴児酒奪取から更に五日過ぎ、苛酷な道程を経て、白骨山が遠望可能となる。
南疆は広闊で山岳が多く、普通の丘陵は山と称するに値しない。少なくとも千丈を超える高さで初めて山の名を得る。
白凝冰は坂の上に立ち、凝視して遠方を見据えた。
彼女が白骨山を目視するのは初めてだった。
青茅山は周辺に小高い丘を従えているが、この白骨山は孤高の将軍のごとく、周囲の地形は極めて緩やかだ。地から突き出し、雲を貫いて聳え立つ様は不気味な無彩色だった。
この白は雪の白ではなく、骨の白であった。
白骨山、その名の示す如く、山の一石一石が骨質だ。人々(ひとびと)はこれらを骨石とも称する。
白骨山は死の領域では無い。特殊な植生が繁茂し、数多の骨獣が棲息し、更に骨系の野生蛊虫も少からず存在するのだ。
白凝冰は凝視する内に眉間に皺を寄せた。
凡そ高山大川は精気の集結地である。白骨山に人の気配は無く、完全に人の気配なしの原生状態だ。山は数多の野獣・蛊虫・致命植物が跋扈する。危険度は確実に青茅山より格段に上である。一体、方源が執着して此の山奥深くへ踏み込もうとする目的とは何か?
或いは――何者かが彼を斯くも強烈に惹き寄せているのか?
方源は今思いにふけっている。
白骨山、現時点では未だ荒山であり、人煙も無い。だがこの状況は、十年後には劇的に変容する。
百家寨と名乗る大規模な山寨が全族挙げて此の地へ移住し、発展を遂げるだろう。
百家の氏族は、白骨山を核として半径数千里に勢力を放射し、此処の覇者となるのだ。
方源が最も強烈に記憶しているのは、百家寨の勢力拡大ではない。この世では個人の力が集団を凌駕し得るからだ。
真に彼の脳裏に刻まれているのは――百家寨の双子の兄妹である。
百生と百花。
その双子の兄妹は、十八歳の年、白骨山の裏山で試合をするうち、誤って洞窟を発見した。
その洞窟で彼等が得たのは――正派の四転蛊师が遺した完全なる伝承である。
蛊师の名は不詳だが、称号だけが伝わっている――『肉骨上师』と。
百生と百花はこれに浴し、伝承を受け継いだ後、正道双星へと成長した。百年を経ずして双方五転蛊师に昇格し、百家寨の采配を執るに至っている。
両人の五転蛊师の力は家族勢力を頂点へと導いたのだ。
「完全なる伝承には必ずや攻撃・治療・防御・移動・貯蔵・偵察の六領域の蛊虫が含まれている。これを得れば我は立つべき地を得、進退も自在となる」
以前、青茅山から遁走した方源たちは、修為も蛊虫も不足していて、あたかも嵐の海を渡る小舟、断崖の縁を歩くが如きものだった。運が少しでも悪ければ落下を免れ得ない危険な状態だ。
流転と困窮を経た後、重傷の魔道女蛊師を殺し、彼女の蛊を奪って飯袋草蛊と跳跳草蛊を手にした時、辛じて生存の基盤が築かれた。
しかし依然として欠陥は残されている。
治療蛊の欠如のみならず、修為そのものが著しく低いからだ。
仮え方源が一轉中階に昇格したとて、何の意味があるというのか? 結局青銅真元は所詮青銅に過ぎない。
現在彼が頼れるのは、甲等の資質と、天元宝蓮座による真元回復の即応性のみ。辛じて局面に対応している状態だ。
実戦能力を厳密に評価すれば、微々(びび)たるもの。白凝冰がいなければ、川岸で立ち往生した際に鰐の腹で惨死していただろう。
此処まで辿り着けたのも、白凝冰の力に拠るところが大きい。
されど――他者依存は己を頼むに如かず。
「白骨山の伝承を得れば、諸問題の大半は解決されよう」と方源は心中で念じた。
先ずは玉骨蛊である。此の蛊を得れば、全身の骨格が凡胎俗骨の脆弱さから脱却し、硬く強靭となる。現状の彼の体が耐え得るのは二猪の力のみだが、玉骨蛊を併用すれば更に一鳄の力を増加できる。
次いで治療蛊——伝承の中に著名な三转治療蛊“肉白骨”が存在することを方源は記憶している。前世では百花がこれを得、彼女を著名な治療蛊师へと押し上げた。
最後に、方源が最重視する“骨肉团圆蛊”。
この蛊は肉骨上師が独自開発した特異種であり、天が下に唯つ一つだけの存在だ。その妙用非凡なる機能は前世において南疆の諸勢力を警戒させた。
作用で分類すれば、世の蛊虫は概ね七種に大別できる:
第一攻撃蛊、
第二防御蛊、
第三治療蛊、
第四偵察蛊、
第五貯蔵蛊、
第六移動蛊、
第七修行蛊。
酒虫も四味酒虫も、人獣葬生蛊も舎利蛊も、或いは天元宝蓮座ですら、悉く修行蛊に区分されるのだ。
この骨肉團圓蛊も修行类に属す異種の蛊である。
陰陽轉身蛊と同様く、対となった蛊で、二の蛊師に別々(べつべつ)に作用する。両者が共修すれば、修爲は揃って進み、労少なく功多しとなるのだ。
「骨肉團圓蛊を得て白凝冰の力を借りれば、我が修為は必ず飛躍的に躍進する。三转以降、驚異的な速度で増長する。特に初期は酒虫よりも遙かに効果的だ——必ず手中にする」
そう思い至るや、方源は微かに目尻を白凝冰へ走らせた。
知る由もない白凝冰は、依然として白骨山を眺め続けていた。
方源は心中で冷然と嗤い、出発せんとした瞬間、幾つかの影が疾走して飛来した。
「ん?正派の蛊師だ!」方源と白凝冰、両者とも心臓を締め付けられる衝撃を受けた。
総勢四名の蛊師が急速に接近し、百歩の距離で地に降り立ち、二人へと歩み寄ってくる。
先頭の老蛊師からは明瞭な三転の気圧が放たれている。他の三人は二转だ。
統一された装束、完璧な連携動作、精悍な気配。
「こんな人気の無い山奥に、正派の蛊師が現れるとは?」
「蛊師と野獣は次元が違う。私は三転頂点だが――鋸歯金蜈蚣の刃が鈍り、更に方源という足を引っ張る存在もいる。彼等の相手にはなるまい……厄介なことに落ち入った」
四人の蛊師が一歩一歩と詰め寄る中、二人は心臓が萎む思いだった。
……
黄昏。
地平線に沈む陽が血のように赤く、帰巣する烏が[カーカー]と鳴きながら巣へ戻る。
鉄傲天は冷徹な面持ちで一行の中央を歩く。
青茅山を発った時は仲間八人。全員が族中の精鋭だった。だが今はわずか三人だけになっている。
道中での犠牲を思う度、胸が締めつけられる。
損耗は甚大だ!
まったくもって予想を超えている。
修为不足ではなく、ただ運が悪すぎただけなのだ――
黄龍江を追跡開始――白凝冰と方源の痕跡を探し当てた後、彼等は黄龍江を筏で下流へ漂流した。
しかし急流の黄龍江に痕跡は残り難く、偵察蛊を駆使する追跡の達人を擁する鉄の一隊すらも、流れに乗り過ぎて追い越してしまった。
止む無く遡上し、時を費して辿り着いたのは、方源たちの筏が座礁した地点だった。
そこから災難が始まった。
膨大な六足鰐群の襲撃を受けたのだ。
全くもって不運なことに、この浅瀬は六足鰐たちの産卵地だったのだ。方源に徹底的に破壊された結果、元々(もともと)この地を占領していた群は滅びた。
獣群間にも勢力圏が存在する。空白地帯となったこの領域は、周辺の複数の六足鰐群の注意を引いた。
まさに彼等が勢力を拡大しようとしていた矢先――鉄家追跡隊が上陸したのだった。
野獣の縄張り意識は侵害を断固として許さない。二組の千獣群、三組の百獣群の包囲攻撃の中、鉄家の追跡隊は二人を失う痛手を被り、逃走を余儀なくされた。
方源の痕跡処理は玄人じみた手際の良さで、彼等の追跡調査は有効な進展を得られないままだった。
蛊虫の支援を得て漸く方源たちの進行方向を突き止めた途端——
色彩の悪夢が降り注いだ。
一頭の軒猿神鶏が天より舞い降り、彼等を食糧と認して襲い掛かった。
逃げ惑った全過程は鉄傲天の脳裏に深く刻まれ、今や軒猿神鶏の姿こそが、夜な夜な悪夢にうなされる元凶なのである。
軒猿神鶏は三人の仲間の命を奪い去った。最も優秀な偵察蛊师も、三转の防御蛊师も失われたのだ。
損耗は絶大であった。
今偵察を担当する蛊师は、順番で手分けし、持ち回りの代役 状態だ。
斯くも深手を負いながら、鉄傲天は決して屈しはしない。
彼は鉄家の四公子として生まれ、甲等の資質を天授されている。幼い頃から全幅の期待を担ってきた。弛まぬ鍛錬を重ね、鉄一族が血脈に刻んだ剛毅不屈の性 を余すところなく継承していた。
鉄血冷親子を支援する任務こそが、彼にとっての初陣であった。
だが救えたのは娘の鉄若男だけ。神捕鉄血冷は犠牲となり、理想とは程遠い結末に終わった。
しかし血海流を継承した魔道の残党を捕縛し、鉄血冷の仇を討てたなら――これぞ絶大なる成功と呼ぶに相応しい。
この功績が族長の采配を執る資格を競う資本となり、より多くの族人の支持を獲得するだろう。
魔道残党の戦力に不安は無い。追跡中に発見した微小な痕跡から、方源と白凝冰の戦闘能力は傷による制限のため、実質単体の三転蛊师相当 であると推定している。
「仲間を多く喪失したが、我が身は三转蛊师、鉄刀苦も同じく三转。更に二转蛊师二名の援護もあれば、戦力で彼等を圧倒的に凌駕している。魔道残党を捕縛さえすれば、これまでの人的損耗こそが『不撓不屈』『断固不抜』の美徳として称賛されるだろう!」鉄傲天の目が光る。
「四公子、前方に微少な痕跡を発見!追跡方向は正しいようだ!」偵察担当の蛊师が戻り報せた。
「おお?直ちに案内しろ!」
一杯の茶を飲む間もなく、二つの深穴が掘り開けられ、草裙猴の死骸と骨の山が露呈した。
「死亡後一週間未満の草裙猴です。公子、あの二人を見つけました!」鉄刀苦は驚喜の声を漏らした。
鉄傲天が深く息を吸い込むと、表情が俄然輝いた!「遂にだ。大功が完遂されるぞ」拳を握り締め、興奮して行きつ戻りつする。
西の空を仰ぐと、夕焼けが若い顔を染め上げていた。その瞳は鋭く光る。
耐え抜いた忍耐と努力が、今実りを結ぼうとしているのだ!
「陽は沈みゆくが、それ故に未来と希望を見出しているのだ……」胸中で深く嘆息し、突如湧き上がった衝動で坂を登りつめ、この美しい刻を享けようとする。
付近の蛊师たちは彼を注視し、敬服と仰慕の色を浮かべていた。
「四公子、さすがは四公子!」
「道中、我々(われわれ)は諦めかけた。ただ四公子のみが貫かれ、今遂に果実を得んとしている」
「その御姿にこそ、一族の希望と輝く前途を見る」
「この生涯、四公子に追随し、志を変えぬ決意でござる!」
数名が鉄傲天が丘を緩緩と登る姿を見守るうち、暫し恍惚とした。
――明日この人物が族長の座に就く光景が瞼に浮かぶ。
その刹那――
轟く爆発が地を裂いた!
ドカーン!!!!!