「月霓裳!」刃の気圧が迫り来る中、方正は蛊虫を狂ったように駆り立て咆哮する。全身に月の青い霧の光が湧き上がり、瞬く間に周囲の蛊師たちを覆った。
だが例えそうしてもなお、者達の顔に広がる絶望は拭えない。
「抵抗は無駄だ」白凝冰の青い双眸に、残酷と冷たさの光が走る。
その時!
砰!
者達の足下が突如盛り上がり、爆発めいた勢いで土泥が飓射し飛び散る。
蛊師たちは悲鳴を上げ、転げ散った。
煙塵の中、一匹の巨蜘蛛が者達の眼前に現れる。
五轉蛊虫の氣息は人々(ひとびと)の心臓を握り潰さんばかりだ。
鋼鉄で鍛え上がったかと見える蜘蛛の上で、一人の少年――黒衣に黒髪が昂然と立ち据えている。
「ようやく地表だ!」方源は拳を握りしめ、眼の底に鋭き光が迸しった!
「む?」すぐさま彼は空中で自分めがけて斬りかかる白凝冰を視野に捉えた。
巨大な氷刃が唸りを立てて迫る。
「方源、ついに来たか!」白凝冰の平然として冷たい顔が一瞬呆けると、俄かに色めき、昂揚と戦意を露わにした。
方源は冷ややかに鼻を鳴らす。刃が届かぬ前に、氷気を含んだ刃風が肌を刺し、黒髪が後方へ翻った。
彼は猛然と手を挙げた、「鋸歯金蜈!」
ガンッ!
氷刃と鋸歯金蜈が激しく衝突。膠着状態で金蜈の鋸歯が狂ったように回転し、大量の氷屑が飛散。
ガリガリッ。
氷刃の表面に瞬くうちに裂け目が生まれ、刃全体に拡がった。
「砕け!」方源が断喝。二豚の力を持つ彼は、完全に白凝冰を力で圧倒した。
白凝冰は手放しつつ飛退、氷刃は砕け散、氷屑が四方八方に飛散した。
千里地狼蛛が再び狂い立ち、猛然と六本の脚を広げて白凝冰に向かって襲いかかった。
蠱虫の知能は低いが、生来の敏感さで、どの対象が脅威であるか見分けることができる。白凝冰の気配を、千里地狼蛛は最大の敵とみなし、死に物狂いで狙いを定めた。
白凝冰は両手を翻すと、一列の氷の矢を放った。氷の矢が千里地狼蛛の体に打ち付くと、粉々(こなごな)に砕け散った。千里地狼蛛はますます狂暴になり、咆哮を一つ挙げて、方源を乗せたまま猛然と跳びかかった。
ビュッ!ビュッ!ビュッ!
三対の漆黒の螺旋鋼足が、連弩のような勢いで、白凝冰の痩せた体躯目掛けて突き刺さってきた。
危機を感じ取ると、白凝冰の空窓から突然一筋の雪光が飛び出した。雪光が爆発的に増し、白相仙蛇蠱の姿が現れて半空中に浮かんだ。
白凝冰は大声で高笑いしながら、身を翻して白相仙蛇の背中に跨がり、方源を見下ろして言った:「面白い!実に面白い!方源、お前は本当に俺を失望させなかったな!!」
「お、お兄様…… 」方正は地面から這い起がり、飛んできた氷刃で顔に血の切れ傷を負っていた。血に汚れた顔で方源を眺め、複雑極まりない表情を浮かべている。
「相手も五転の蠱を持っているだと?」白家の族長は目を細め、緊迫した面持ちになった。
「方源、現れたな!… 五転の蠱、あれは千里地狼蛛では?」古月博の全ての注意もそちらへ吸い寄せられた。
戦場で二人の年若い少年が遠くから対峙している。
一人は白銀の袍に銀髪の青い瞳──白相仙蛇の背に騎乗し氷刃を手にした姿は、氷の仙人が塵界に降り立つようだ。
もう一人は漆黒の袍に黒髪の黒瞳──千里地狼蛛の背中に立ち、手には鋸歯金蜈を握りしめて低く唸っている。その姿は魔人が世に顕現したかのようだった。
二人の対峙は数知れぬ視線を釘付けにしていた。
白凝冰は狂熱の表情で氷刃を掲げ、叫んだ:「この一戦こそ生涯最高の勝負だ!来い、方源!死に果てるまで戦おうぜ!」
「フン。」方源は白凝冰を睨みつけつつ、流し目で周囲を窺った。
ここは三族大比武の戦場だ!
千里地狼蛛がまさかここに自分を連れてくるとは……。
白凝冰と延々(えんえん)戦い続け、時間を費やしたくはなかった。鉄血冷と古月一代、どちらが勝っても自分を追ってくる。だが白凝冰を撃退しなければ脱出は不可能だ。
戦うしかない!
ドカン!
白相仙蛇と千里地狼蛛が激突。白蛇が絡みつき、黒蜘蛛が刺しにくる。二匹は激しくもつれ合った。
二匹の蠱の背の上で、二人の影が縦横無尽に舞い、氷刃が空中に幾筋もの光跡を描き、鋸歯金蜈は唸りを轟かせながら、収縮 したり伸長 したりしていた。
山岩が砕け散り、雷鳴の如き爆音が絶え間なく響いた。
氷錐が方源を直撃するも、天蓬蠱の白き光の虚甲に阻まれた。血刃は白凝冰に命中、巨大な裂傷を生じさせるが、瞬く間に霜が被って傷口を埋め尽くした。その霜が血肉へと変じ、白凝冰は原の姿に戻る。
熊家の族長がその光景を見て目を見開いた:「流れの北冥冰魄体だな!」
十絶体は伝説の天賦。まさか生涯でその目で拝めるとは思わなかった。
白家の族長は嫌み笑いを浮かべて言う:「フゥフゥフ、方源が白凝冰と拮抗しようだなんて。敗北必至だ!」
「それは未必よ――」脇に立つ鉄若男が口を歪めた。
「十絶体、間違いなく十絶体だ。この激闘で丙等の資質なら、とっくに真元の力が枯れ切っている!方源、お前は本当に古月陰荒体なのだな!」古月博は握り拳を固め、万感の思いで震えていた。
方正は微かに口を開け、魂が抜けたような表情で呟いた:「これが兄様の本の実力か…まさか十絶体だとは。ずっと隠していたんだな…」
眼前の事実が示すように、彼が持っていた誇りなど取るに足らないものだった。
方源と白凝冰が激突する度に、彼の心臓は強く痙攣した。
自らが蟻のように小さく感じられ、兄の圧倒的な影に再び覆い尽くされるようだった。
「この戦闘は何だ! 信じられん…たった二人の三転蛊師の争いだとは」
「目を疑うぜ? 方源が凶暴なまでに奮闘し、白凝冰と互角に渡り合っている!?」
生存していた若手蛊師たちは総べて呆然と見守っていた。
戦場の形勢が突如変転する。
白相仙蛇と千里地狼蛛が共倒れになるまで激突。白蛇は白凝冰に煉化されていたわけではなく、ただ北冥冰魄体の気配に惹かれただけだった。
白相仙蛇は口を開けて白い霧を吐き出し、戦場を覆い尽くすと、身を震わせて白凝冰を振り落とした。そして向きを変えて飛び去ろうとした。
「この大仙め……!」白家の族長はこの光景に唖然。戦場から逃げようとする白蛇を眺め、しばらく声も出なかった。
この霧は迷津の霧と呼ばれるもので、視界を遮り、影を吞み込むように広がる。方源は白霧に包まれ、目の前が白い霞に覆われる。
しかし彼は慌てない。視覚が妨げられても、味覚・聴覚・嗅覚・触覚という他の四感が残っているからだ。
地聴肉耳草が発動。
方源の耳介に肉の触手が揺れ動いた。直後に周囲の音を捕捉し、半径三百歩の状況を見極めた。
電眼蠱!
白凝冰の両目に電光が走った。だが電眼蠱は三転に過ぎず、潜伏の看破や幻像の破砕は可能でも、五転仙蛇の霧の中では完全に抑え込まれていた。
「ちくしょう!」彼は激怒の呪いを吐いた。
氷錐蠱!
数十本の氷柱が無差別に四方へ放たれた。
方源は耳を微かに動かすと、氷柱が空気を切る音を聴き分け、即座に回転して千里地狼蛛の裏腹へ飛び移った。
ドッドッドッ!
氷錐が千里地狼蛛の甲殻に当たり、激しく怒った蜘蛛は氷錐の飛来方向へ突進する。
「付き合ってられん」方源は背中から宙返りで降り立つと、決然として千里地狼蛛を放棄。地聴肉耳草を駆使し戦場外へ脱出を図った。
この千里地狼蛛は血狂蠱の汚染を受けており、間もなく血の水溜へと溶けて消える運命だ。捨てるのが賢明だった。
白凝冰は爆発直前の時限爆弾同然。殺害すれば即時の自爆を招くため、到底近付けなかった。
戦況を見守る蛊師たちの眼前で、巨大な霧塊から突然小塊が分離し、東南の戦場の亀裂へ飛翔して去っていった。
その霧塊の中にまさに方源の姿があった。
迷津霧が影のように付き纏う。駆散されない限り、消散するまで方源の視界を遮り続けた。
方源の両眼は依然として白い混沌。だが地聴肉耳草を保持しているため、音を手掛かりに方角を識別した。
秋風が木々(きぎ)を揺らす音、山間の川のせせらぎ、鳥の鳴き声、猛獣の息遣——すべてが音として感知される。唯一、岩や石は無音なので、体がぶつかる音が絶えなかった。
「氷刃の嵐!」背後で突然白凝冰の炸裂する怒号が響く。
ヴュウウウウ……
風音が轟き、極寒が四方に迸った。気温が急激に低下し、白濁の吹雪が瞬時く間に形成、前回の倍の規模へと急拡大した。
千里地狼蛛さえも一時的に追い払われる結果となった。
「霧の中に方源がいるはずだ!絶対に阻止しろ!!」傍らで鉄若男が叫ぶ。
「方源よ、行ってはならん!古月山寨はお前の家族なのだぞ!」古月博は瞳を血走らせ立ち上がろうとするも、他の二の族長に阻まれる。
「なんだ?古月の族長よ、盟約を破棄して自ら戦場に降りるつもりか?」熊家の族長は冷然と腕組みした。
「ふん、今回の勝負は古月一族の敗北と認めよう。これ以上邪魔する者は命はないと覚悟しろ!」古月博は遠退く方源の姿に焦燥感が爆発しそうだった。
「お前は今、俺を脅してるのか?古月博め、お前なんか怖くないぞ」白家の族長は険しい表情でそう言うと、脇に控える蛊師に目配せした。
蛊師は合図を読み取り、即座に配下の者を手配し、方源の追跡にかかろうとする。
「逃がすわけにはいかない。すぐ戻る」鉄若男はこの好機を逃さず、背後から漆黒の鉄翼を生やして宙へ舞い上がり、方源を追おうとした。
だがその瞬間、緑の影塊が射かれる!
五転!
山丘巨傀蛊!
この蛊は青銅の仮面のような姿で、古めかしい風貌、目と口の三つの孔が空いている。血塗れの仮面は、凍りつく鉄若男を顧みることなく、独りでに少女の顔面へ被さってきた。
「父上!」血痕を目にした鉄若男は無意識に叫んだ。
その刹那、巨大な鉄の腕が飛来し、鉄若男を掴むと、一瞬の停滞もなく、遠方へ飛去して行った。
この突発の事態に、周囲の者は全員目を見張った。
「どうやら鉄血冷の身は……危ういな。」
「ふふ、千年近く(せんねんちかく)も逢わなかったが、師兄よ、まさかそんな驚きを俺に授けてくれるとはな」
百丈もの高空で、一人の老蛊師が冷徹な眼差しで下界を俯瞰していた。
白髪の老蛊師は眉までも真白。巨大な鶴の背に座わり、掌に至親血虫蛊を載せている。
この蛊は水晶のように透き通り、赤い瑪瑙の如し。蝉の形状で、今微かに発光しながら古月山寨の方向を指し示している。
「師兄よ、こんな所まで逃げ込んでも、必ず見つけ出してやる。昔お前が奪った俺の機縁、今度は十倍、百倍にして返してやる!」
白眉の老人は歯軋りしながらそう言うと、深く重い恨みに歪んだ表情を浮かべた。