水幕天華蛊はわずか四転ながら、一度使用すれば巨大な球状の水膜を生じる。その防御力は卓越し、五転の蛊の攻撃さえ防ぎ得る。しかしそれには巨大な弱点があって、作動後は移動不可、停止不能なのだ。水膜は内と外を完全遮断し、たとえ水幕天華蛊の主といえども内部へ入れない。多数の勢力がこれを城壁防護に転用しているのだった。
方源は春秋蝉に習熟しているわけではない。
前世では、辛うじて合煉に成功した直後、正道に追撃され、実験や試用する時間もろくになかった。当時の春秋蝉は彼の本命蛊ではなかったため、この特性は表れていなかった。
転生した今生では、修行が低いため、なおさら春秋蝉を気軽に出す勇気はなかったのだ。
春秋蝉は天下奇蛊の一つに数えられ、元々(もともと)極めて神秘に包まれ、使用者による心得や経験など世に伝わることは皆無であった。
況してや、蛊虫が六転及以上の域に達すると、天下に唯一無二の存在となる。他の者がこれを合煉しようと思えば、前の一匹が死ななければ成功の可能性は有るが、そうでなければ百パーセント失敗する。
これらが重なり、方源は今に至るまでこの特性を知らなかったのだ。
「再誕は易しき業にあらず…禍が潜んでいるのだ。春秋蝉の修復速度は増す一方だ。仮え甲等の素質で、途方もない資源量を擁していようとも、おそらくは修行の成長速度はその速さに追いつけまい。蛊師の空竅はいずれ、春秋蝉に押し広げられ、耐えきれず破裂する時が来る!」
方源は心の中で歯を噛みしめた。この運命の重みと、差し迫る再起不能の危機に、彼は決然と次の手を打たねばならなかった。
再誕は確かに麗しいが、春秋蝉を有することは、半分の「十絶体」を持つに等しい。生まれながら処刑台に架けられた如く、刻が満ちれば刑が執行される!
「春秋蝉を外せぬ以上、再び起動し、重生するしか手は無いのか…?」方源は深く眉を寄せた。
これは唯一の方策に思われた。再重生すれば、春秋蝉は再び衰弱状態に陥り、同時に方源もこの危難から間接的に脱出できるはずだ。
が、この見解は表向き理想的に見えても、実際には大きな問題を孕み、巨大なリスク(りすく)がある。
第一に、重生が必ずしも成功する保障が無い。
方源は一度重生を経験しており、その唯一無二の貴重な体感を折りに触れ反芻してきた。
彼は地球で学んだ概念を踏まえて理解を試みる――世界は三次元的な立体空間であり、時間とはその古往今来を貫く一つの軸である。時間無くして空間は静止する。万物の運動には過程が必要であり、即ち時間の消費を意味するのだ。
世界は唯一であり、平行世界は存在しない。春秋蝉による重生とは、時間軸の後半の一点から、前半の或る一点へと飛び移る行為に他ならない。
然し、方源の「未来」における老いたる肉体が「再誕先」の時間軸に既存することはありえず、故にそこには「いない」。
天地の大道に縛られ、肉体は過ぎ去りし時へ持ち込めず、唯だ自爆のみが可能であった。自爆が生じるエネルギーが春秋蝉の動力源となり、この蝉は時間の法則の欠片を秘め、孤舟の如く方源の意識を乗せて「過ぎ去りし時」へと“重生”させたのだ。
意識は人の体とは異なり、純粋なる物質では無い。然し厳密に言えば、この“未来”からの意識すらも、行き着いた時点の時間軸上に存在すべきでは無かった。
しかし、事の巧みなるは、正にこの点に在り!
"未来"からの意識は、蛊師自身に変化をもたらし、それが回りの環境に影響を及ぼし、やがて世界全体に広がっていく。これこそがバタフライ効果である。
バタフライ効果が起これば、世界は元の姿とは異なり、"未来"(みらい)の意識にも存在意義が生まれ、大道天地の承認を得るのだ。
誰かが言ったものだ──歴史は一本の大河の如し、上流で一つの出来事の結果を変えれば、下流は原形を留めぬ程に変容する、と。
この神秘的な蛊の世界は、恰も大河の流れる水の如し。大多数の人々(ひとびと)は、上流から下流へと流れに乗って行くことしかできない。だが方源の意識だけは、春秋蝉を頼りに、下流から上流へと遡ったのだ。
彼が上流で変革をもたらす時、下流の水もまた変化する。しかし水はあくまでその水であり、蛊師世界も依然として蛊師世界である。ただ歴史が一つの曲がり角を転がり、別の可能性を秘めた結末へと変貌したに過ぎない。
このような比喩を用いれば、理解しやすくなるであろう。
しかし春秋蝉はまだ完全に回復しておらず、穴の開いた難破船のような状態だった。
方源の修行は三転初階に過ぎず、自爆によって生じる動力も、前世の六转修為の時とは比べ物にならないほど貧弱であった。到底春秋蝉を駆動し、時の大河を遡るに足る距離を生み出せそうになかったのだ。
「今、自爆して再生したとしても、成功の保証は無い。もしかすると難破船は途中で座礁し、俺の意識や記憶は無情な時間の流れにさらわれ、跡形もなく消え失せるかもしれん。成功率を高めるなら、空竅の限界が迫るまで待つべきだ。できるだけ引き延ばし、春秋蝉の回復度を高めるのだ。そうすれば破船の穴も小さくなる。同時に自身の修行も進めれば、自爆後の動力も増大し、遡上する力を得られるだろう…」
そう悟るや、方源は長い吐息を一つ洩らした。
春秋蝉のこの異変は、予想外であった。しかし彼は元来慎重な性ゆえ、既に一つの備えを講じていた。
背後から血蝠群が迫る中、方源は心神を空竅に沈めた。
空竅内は黄緑の光に満ち、蝉の気勢は磅礴としていた。白銀の真元海は鏡の如く静穏だが、周囲の竅壁光膜には支えきれない危険が走っている――微細な亀裂が刻まれていたのだ。
他の全て(すべて)の蛊は、春秋蝉が放つ気迫に圧倒され、真元の海底へと沈められていた。
方源の意図が調達するや、一匹の蛊が重圧に抗い、ゆっくりと海面に浮上した。
その蛊は、賽子の如き形状。正方体で、全体が灰白色、硬度は極めて高い。
――これは以前、方源が強引な手段で白凝冰の空竅より奪い取り、自らの手に収めたものの一つ(ひとつ)であった。
消耗型蛊であり、一度使用すれば消滅する。だがその作用は非凡であり、発動すれば蛊師の空竅に潜む底力と潜在能力を徹底的に搾り出し、蛊師の修行段階を瞬時く間に同轉の頂点へと押し上げるのだ。
「石竅蛊、自壊せよ」
方源の心念が動くや、石竅蛊は即座に炸裂した。灰白の石粉が煙あるいは霧の如くに翻り、一瞬にして真元の海上に満ち渡った。
空竅の四方の壁は本来光膜だったが、この灰白の粉に触れるや否や、光は忽ちに暗く沈んでいった。石粉は光膜の表層に付着し、膜は次第に厚さを増し、光様から石質へと変質した。数秒後、方源の空竅壁は数倍の厚さとなり、重厚かつ堅固な石竅と化したのだ。
蝉の放つ黄緑の輝きは相変わらず変転を続けていたが、その気配は今のところ凌げる程度に収まっていた。
方源は本来、三転初階の淡银真元――水の如く、銀色のかすかな光を放つに過ぎなかった。だがこの瞬間、彼の修行は暴騰し、初階から一気に三転頂点へと駆け上がった。即ち、雪银真元を掌中に収めたのだ!
「石竅蛊を使えば、未来への道は断たれたも同然だ。空竅の潜在能力は搾り尽くされ、四转に進むのは極めて難しくなる。しかし――」修行が増進し、空竅壁が石の壁へと変化し、以前より数倍も強固かつ重厚になったことで、少しの間なら春秋蝉の圧力に耐えられる!」
白凝冰もまた石竅蛊を利用し、北冥冰魄体の大限に対処しようとしていたのだろう。だが十绝体は春秋蝉以上に厄介で、潜在能力はほぼ無限に等しく、一時的に石竅へ変貌しても、すぐさま竅壁は再生してしまうのだ」
ちょうどその時、刀翅血蝠群が襲いかかってきた。
方源は冷ややかに鼻を鳴らし、鋸歯金蜈を鞘から抜き放つと、退きながら斬り伏せた。
幸い、洞窟内は極めて狭い。方源は天蓬蛊の防御と鋸歯金蜈の巨大な体躯を盾に、必死に血蝠群の包囲網を食い止め、自身を囲ませなかった。
これで相手の脅威は大きく減じていたのだ。
瞬時にして、洞窟内に「ゴゴゴ」という轟音が響き渡る。
鋸歯金蜈が地面や壁を叩きつける衝撃、刀翅血蝠が白芒虚甲へと体当たりして粉砕する音、あるいは速度が出過ぎて洞壁に突き刺さる音が一つ(ひとつ)に重なり合う。
方源の空竅内の真元は急激に消耗していった。
血蝠群は約百匹いても、蛊師が実時指揮しておらず、逆に互い同士の潰し合いも激しく、心を一つにした連携攻撃を形成できなかった。実態としては、方源が同時に対処する必要があるのはせいぜい三十四匹ほどである。
しかしこの数すらも、彼が完璧に防ぎ切れるものではなかった。ただ戦ながら退却を続けるのみであった。
ある意味で厄介だったのは、彼が三転頂点へと躍進したとはいえ、空竅内には依然として初階レベルの淡銀真元が充満していたことだ。単に丙等の素質しか持たない空竅では、雪銀真元を自ら生み出す速度がはなはだ緩慢に過ぎなかった。加えて、現状の方源に元石を取り出し、分心して天然真元を吸収する余裕などない。
元石を消費して真元を速攻回復するこの方法は、実戦に応用できなかった。
生死を掛けた勝負中で気を散らすこと――それは自ら恥をさらす行為であり、極めて愚か、即ち自殺行為に等しい。同時に、天然真元の吸収効率も格段に低下してしまう。
この方法は平時の修行の場、あるいは戦闘から一時離脱した僅かな隙を狙って真元を速攻回復する場面でしか使用できないのだ。
幸いにも、方源はつい先頃、一本の草蛊を手にしていた――天元宝蓮である。
天元宝蓮は元石を産出する能力を持ち、非常に珍重される。しかし実のところ、この効用はその本質的能力の一表現に過ぎない。
天元宝蓮は“移動する元泉”と称され、本質は天然真元を生じ得るところにある。それら真元が凝集・濃縮され、やがて元石を形成するのだ。
方源は一本の天元宝蓮を有し、それを空竅の真元海の底に沈めている。それは恰も、極微の元泉が空竅内に出現したが如き状態だ!
天元宝蓮の秘方は、元蓮仙尊によって創められた。ただ九转の境地に到達した蛊師のみが天下に於いて「尊」と共に称えられる。もし正道の者であれば仙尊と称され、魔道に属すれば魔尊と尊称されるのだった。
数千年も前の元蓮仙尊は、古往今来で真元回復能力第一と称えられる。この分野において、他の仙尊や魔尊を凌駕しており、その究極の理由は、正に元蓮の功績に在るのだ!
方源が有する天元宝蓮は、まだ三转級に過ぎず、煉化したばかりで最も低階級のものであった。が、それでも方源のために源を断たれることなく絶え間なく天然真元を供給し続けた。
この天然真元が空竅内に現れるや、方源の空竅によって自動的に煉化され、雪銀真元へと昇華されるのだった。
方源が元石から真元を吸収する場合は、心の一部を割く必要があった。しかしこの天元宝蓮は元より彼自身の蛊ゆえ、これを催動することは、指を動かすのと同じく簡易かつ自在であった!
方源は戦いながら退却したが、天元宝蓮の加護を得、真元回復面で乙等の素質を持つ蛊師並みの能力を既に手中に収めていたのだ。
「仕留めるぞ!」
彼は突然、雷鳴の如き咆哮を発し、戦闘スタイルを激変させた。一気に血蝠群の中へ飛び込んでいったのである。
鋸歯金蜈が猛り狂う!刃縁の鋸歯が銀光を放ちながら「ザザザッ!」と高速回転。一匹、群れの後方に控えていた刀翅血蝠を斬り刻んだ!
この血蝠は、同類の個体よりもやや大きく、雌蝠の中で唯一の雄バット(雄個体)だった。古月一代はこれさえ煉化しておけば、間接的にこの群れ全体を指揮できるという仕掛けだった。
この一撃を、方源は密かに準備し、良く観察して仕掛けた。狙った獲物に虚を突いたのだ。古月一代自身も現場にはおらず、その隙が即座に奏功した。
雄バットはその場で真っ二つに斬り裂かれ、血まみれの肉片と化した。
残存する雌蝠は、忽ちに秩序を失ない!群れは瓦解し、方を見失なった血蝠たちは蜘蛛の子を散らす如く洞窟内を飛び散った。