血の湖の中で、二強が対立!
「たとえ五転の血鬼尸といえど、所詮はただの僵死に過ぎぬ…古月一代、お主は最早生きてはおらぬ。体内は死気に満ち、空竅も死んでおる。真元を貯蔵することはできても、一分減れば補充はならず、一分成せども回復はせぬ。二度と自ら回復することは叶わんのだ」巨傀が冷ややかに言い放つ。
「フフフ…確かに真元が自ら回復しないのは事実よ。だがそれがどうした!拙者が元石を通じて真元力を吸収できぬとでも?傷を負った身でありながら、よくもわしを擾わしに来たな…ここで消えよ!」古月一代が怒号する。
その刹那、血の霧がもうもうと湧き上がり、血の波が空を覆い尽くす。血の湖から巨大な虫の大群が飛び出してきた。
なんと、五転・血滴子の大群であった!
同時に、一隊また一隊の刀翅血蝠の群れが山壁の洞頂から飛んできて、血の湖の深淵からも湧き出して集結し、次々(つぎつぎ)と巨傀へ殺しに向かっていった。
膨大な蝙蝠の群れは、約千頭ほどにもなり、一瞬で大軍を形成した。
これらは三転の実力しかなく、接近格闘型の蛊に属するが、数が多いことで質を補い、たとえ五転の蛊師である鉄血冷でも、これに頭を悩ませるほどの脅威だった。
しかし、これで終わりではまだまだなかった。古月一代の意識が完全に覚醒し、彼の呼び掛けに応じて、一隊また一隊の新たな刀翅血蝠の群れが、絶え間なく出現し、ここという地点へ集結し続けていった。
彼はここで近き千年もの間、表立っては言えぬ企みや計画を推し進めていた。とっくにこの地を根城に仕立て上げ、強大な地利の優位性を占めていたのである。
血蝠の群れは規律正しく、空中に配置され、絶え間なく旋回を続け、精鋭の大軍の如く、巨傀を包囲した。
血河蟒は、もがくことを止め、寧ろ可能な限り蛇体を収縮し始めた。この逆転の動きにこそ、鉄血冷はかすかな忌憚を覚え、十二分の注意を払い始めた。
蛊の力は強大とはいえ、知恵は乏しい。蛊師の指揮が有るか無いかで、血蝠群の大軍の戦力は天地雲泥の差があるのだ。
「古月一代が姿を現した途端、形勢は逆転し、鉄血冷を押しまくろうとする勢いだ。彼は圧倒的な地利の優位を握り、労せずして待つ有利な立場にある。しかも鉄血冷は傷を負っている。これは恐らく由々(ゆゆ)しき事態だ。」
方源は既にこの山壁の洞窟口に身を縮め、陰に隠れながら、静かに戦況を観察していた。
「だが鉄血冷は、南疆を長年歩き回り、傷を負いながらもなお、敢えてこの魔窟へ踏み込んだ。必ずや頼みの綱があるに違いない。いずれにせよ、これから激しい激戦が繰り広げられるだろう。下手をするとこの一帯が崩落するかもしれん。この場に残って観戦すべきか? 留まれば極めて危険だ。ここは地底の深奥だ。生き埋めにされかねない。もし残れば、山に座って虎の争いを見るが如く、漁夫の利を得る可能性はどれほどあるのだろうか?」
方源の頭脳は高速で回転し、利と害を思索した。
彼の現在の修行段階は三転初階に過ぎず、観戦の危険度は極めて高い。わずかな衝突の余波すら、重傷を負わせかねない。
しかし、真に漁夫の利を得、方源が最後に笑うことができたなら、その利益は計り知れない。何と言っても相手は五転の蛊師だ。仮に何かを得られれば、百年の苦労を節約できるだろう!
「高いリスク(りすく)には高い利潤が伴う…」方源は長い嘆息をつき、退却を選んだ(尻込み(しりごみ)した)。
状況はとっくに彼の制御下になく、留まるリスク(りすく)は大き(おおき)すぎた。
鳥は食べるために死に、人は金のために死ぬ。そんなことは、彼の前世五百年の間に、数多見てきた。
彼は慎重な生き様で、命さえあればまた挑戦できる。しかも無数の秘話や、まだ露見していない数多の継承地点を知っており、それらには豊富な利益がある。どうしてここで命を懸けなければならんのだ?
方源がまさに去ろうとしたその時、突然、一隊の刀翅血蝠の群れが本軍から分離し、彼目掛けて飛んできた。
この血蝠群は約百匹。方源は慌てて振り返り、急速に後退した。
「我が族の小僧、心配せんでもよい。その洞窟には仕掛けと罠が設けられておるし、地下には猛獣が息を潜めている。これらの血蝠群でお前の安全を守る。」古月一代の声が遠くから聞こえてきた。
方源はそれを聞いて、一層速く逃げ出した。
古月一代は軽く「うん?」と声を漏らした。若いのに、そんなに抜け目がないとは。なんと悪意まで見抜かれたのか。その瞬間、心念が動き、またしても百頭近い血蝠群が方源を追って飛んでいった。
この彼の気の移りようを、鉄血冷は、わずかな隙といえぬ隙を狙って見逃さなかった。
天地宏音蛊!
吼――!
巨傀は口を開き、九天を揺るがすほどの咆哮を放つ。刹那、天地を貫く雄大な音波が生じ、四方八方を洗い流すように、雷鳴の如く轟いた。
至近距離にいた刀翅血蝠の群れは、一瞬のうちにこの雄渾な音に震殺され、次々(つぎつぎ)と落ちていった。
遠方の血蝠群も、衝撃波に晒されて頭の中がぐらぐらし、空中で上げ下げに乱れ飛んだ。
先程まで密集していた血蝠の大軍は、一瞬のうちに完全に壊滅し、短時間のうちに再起するのは困難となった。
天地宏音蛊は五転に達し、群を攻撃する利器であり、血蝠群の如き量による攻勢に対して最強の威力を発揮する。先に鉄血冷が使った際に威力が目立たなかったのは、彼が意図的に抑えていたためだ。今や巨傀の体を借りて初めて、天地宏音蛊の真の力が爆発したのである。
満天の血滴子さえも、その衝撃で無数に破裂した。立ち込めていた血の霧も散り、一時的に澄み切った空間が現れた。
音波は周囲の山壁を叩きつけ、空間全体が、山体全体が激しく震動した。
巨傀を中心に、血の湖の水面さえも下方向に圧縮され、湖全体が椀のような形状に変形した。血の水は洞窟口を溢れ出し、内部に流れ込んでいった。
だがそれ以前に、音波はすでにその方向にも波及していた。
方源もその被害を被り、白芒虚甲が一瞬激しく閃光を放って、危うく崩壊しそうになった。この音波に抗うために、空竅内の真元量は一挙に一割以上減少した。
狭い洞窟内で反響に反響を重ねる衝撃音に、方源の両耳は絶え間なく耳鳴りし、よろめいて危うく地面に倒れそうになった。
とはいえ、この音波は、彼にとってはたまた役立つ場面もあった。
追ってきた二股の血蝠群のうち、第二波は既に壊滅し、第一波は音波に震わされて七転八倒、洞窟内を乱れ飛び回り、方源を追撃する余裕はなかった。
得難き好機と見て、方源は素早く駆け出し、血蝠群との距離を取った。しかし音源から最遠であったこの群れは回復も早く、二枚の羽根をパタパタと震わせながら、追跡を再開した。
血蝠は約百匹、一匹一匹が三転だ。方源に抗う手立てはなく、ただ必死で逃げ続けるのみだった。
先は洞窟内が真っ暗で行き先も分からなかったが、目が暗闇に慣れてくるにつれ、洞窟の様子も朦朧と見えてきた。
それも赤い土が放つ微光のお陰だ。
雷翼蛊はもはや信頼できない状態だが、少しでも助けになればと、方源は必死で駆動した。
しかしそれでも、両者の速度差は大きく、距離はあっという間に詰まっていく。
「距離はほぼ見合った。春秋蝉を使う時だ!」方源は歯を食いしばった。血蝠群が迫ってくるのを目にし、最終手段に出るしかなかった!
刀翅血蝠蛊は三转に過ぎず、六转の蛊が放つ気配で完膚無きまでに威圧できるはずだ。しかし、鉄血冷と古月一代はすぐそこにいる。
春秋蝉が現れれば、必ずや何らかの異変を引き起こし、その騒ぎは余程大きく、彼等二人の注意を惹かずにはいられまい。
だが、方源もこれに打つ手立てはなく、現状はただ、両者の戦いが激しく混戦していて、他の事に気を取る余裕がないことを願うしかなかったのである。
キィキィキィ…
血蝠の群れが迫り、最早百歩としなき距離にまで接近した。
方源は重ため息を一口吐き、心中で叫んだ:「春秋蝉、出てこい!」
一秒、二秒、三秒…
方源は呆然、その場に突立ったままだった。秋蝉は空竅の中央に微動だにせず坐し、燦然とした黄緑の光を放つばかりだ。
「どうして…!?なぜ動かぬ!?」方源の心が強く揺るぐ。期待と異変に応じて動くはずの力が、自らの制御を超えている事実が、直ちに迫る危機と同じく強烈な脅威であった。彼の戦術は既に、唯一途を除き瓦解し、魂ごと抜かれかけるほどの動揺が全身を襲った!
……
遥か遠くの空がぼんやりと明るみ始めた。
夜明けが訪れた。
山腹にて、古月博および白家・熊家の三人の族長が、並び立っていた。
「本番の三族大比は明日ながら、予選は欠かせぬ。そろそろ始めるといかがか?」熊家族長が微笑みながら言う。
白家族長は冷ややかに鼻を鳴らしたきり、相手にしなかった。
「さあ、始めよう」古月博は気の抜けた返事をした。彼の目は既に山の麓へと向けられ、そこに集まる蛊師たちを一人、一人と眺めている。が、探し続けても、方源の姿をどうしても見つけ出せなかった。
その事実が、彼の心中の懸念を一層深めた。
そこに集まる蛊師たちは皆三十歳未満の若い顔触れ。互いに固まり合い、三つの陣営に判然と分かれていた。
見渡す限り、三氏族の実力の差は明らかであった。
熊家の蛊師が最も多く、彼等は自主的に撤退し、大量の戦力を温存していた。古月家と白家の人数は少なかったが、白家の陣中には白凝冰という一りの存在がおり、彼一人だけで白家の総合力を三族最強に一気に底上げしたのだ。熊家族長が大声で宣告する:「今度の比試の範囲は半径百里、期間は夕方まで、日が落ちれば終了だ。勝負は生死を問わずだが、控え目にすることを願う。お前たち一人一人に配った刻印板[名札]を、三十枚集めた者だけが、次の三族大比への参加資格を有する! それでは始める!」
生死を掛けた激戦、基準を満たせば人数制限は無し、半径百里すべてが戦場だ。途中参加すら許される。
決して公平な比試などではない。しかし三人の族長は誰一人として異議や不満を述べなかった。
この世で生き抜くには、拳であり、実力こそが拠り所なのだ。力が強ければ、より多い利益を手にできる資格がある。弱ければ、落ち度を食い、慎んで振る舞い、密かに力を蓄え、強き者へと変貌するしかないのである。
…たった数回の呼吸ほどの時間ながら、方源にとっては二、三年(に、さんねん)にも感じられた。
額に冷たい汗がにじむ。春秋蝉が何故か動かせない。一体どういうことなのか?
春秋蝉は彼の本命蛊であり、極めて重要だ。六転の最終切り札であったはずが、今や自分の制御すら拒む!この事態は重大すぎて、方源が真剣に向き合わねばならない。
薄暗い洞窟の中、彼は目を細めた。
心の動揺は一瞬たりとも続かず、瞬時く間に自制を取り戻した。
思考が電光の如く脳裏を駆け巡る。心神を空竅に沈めて確認すると、春秋蝉自体には異常なく、相変わらず驚異的な速度で修復を続けていた。
しかし方源が如何に念を込めて働きかけても、相も変わらず中央に鎮座するのみ。その体躯は微動だにしない。
「分かったぞ!」方源は豁然として悟った。「この春秋蝉は、ひとたび本命蛊となり空竅に定住すれば、もはや微動だにできぬわけだ!」
蛊は万物の精髄にして、無限の奥妙を秘め、実に千奇百怪と言える。
蛊虫の養い・使い・煉り──これら三面は広大深遠であり、各々(おのおの)に特殊な条件を持つものが多い。
「養い」においては、特定の餌しか食べない蛊があり、「煉り」にも様々(さまざま)な要求がある。
「使い」に関して言えば、竹君子蛊は生涯嘘をつかなかった蛊師でなければ起動できない。また正気蛊は、蛊師の心に正義が宿っていることが必須だ。
留影存声蛊などは、一度使えば死に、映した影や声が岩壁に一時的に残る。
春秋蝉は、一旦煉化されて空竅に座すれば、移動不可能となる。この特性に、方源は有名なある蛊を思い浮かべた──水幕天華である。