この洞口はあまり広くなく、元は赤土に埋もれていたはずだ。だが今回、血湖が絶え間なく大きな血の波を立て続けたため、周りの壁の赤土が洗われて崩れ落ち、湖水の底へ沈んでいった。
それゆえにようやく洞口が露呈したのである。
いずれにせよ、この洞口は一縷の希望に見える。方源は即座に方向を変え、その洞穴めがけて泳ぎ進んだ。
ドーン!
空中で再び激しい爆音が轟く。巨大な爆風が周囲を衝撃し、方源は身体ごと思いっきり前へ押し飛ばされた。
「ちくしょう!」と彼は罵声を放つ。
大量の赤土が崩れ落ちて来て、せっかく見つけた洞口を再び塞いでしまったのだ。
鉄手擒拿蛊!
半空に鉄血冷が深く息を吸い込み、時機を見計らいながら右手をゆっくりと伸ばした。
その眼前で空気に波紋が立ち、黒鉄の巨手が現出――緩やかに見えて実に素早く血河蟒の尾を押さえつけた。
血河蟒は激しくもがき、水濡れた蟒の鱗甲は滑り立っている。
鉄手は滑って蛇鱗を摺り抜け、捕縛に失敗。その瞬間、金赤の火花が迸った。
しかし鉄血冷は戦闘経験が豊富で、焦燥することもなく――突如軽やかに上体を反らせ、両颊を膨らませて血河蟒めがけて息を吹き付けた!
フッ!
漆黒の火油が滝のように注ぎ落ちた。それが半空で竜形と化わり、牙を剥き爪を立てながら血河蟒に巻き付く!
油竜蛊!
血河蟒は激怒し、咆哮を轟かせながら油竜を嚙み千切ろうとする。
黒油の竜の巨躯は血河蟒に引けを取らなかったが、所詮四転の虚像に過ぎない。瞬く間に蟒に体を捕えられ、捻じ切られる!
それにも拘らず鉄血冷はむしろ笑顔を浮かべた――その口元がじわりと笑みを広げる。
畜生は所詮は畜生だ。もし蛊師本人ならば、こんな古典的かつ凡庸な戦術を見抜けたろう。だが血河蟒は結局飼育された蛊に過ぎない――蛊師の意志は宿っているが常識的な知能は持たないのだ。
油竜が消滅すると、空嚢内の油竜蛊にも反動が襲った。
鉄血冷は意にも介さない。油竜蛊の駆動を止めるや、次に火竜蛊の起動を開始した。
「はあっ!」と雄叫びを上げ、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の体躯を震わせた。空嚢から火の粉の如き蛊が現れ、自らの体に絡みつきながら炎蛇へと変貌――その炎蛇が飛翔し、巨大化した!瞬く間に鱗甲を纏い、鷹爪・鹿角・馬面・鋭牙を備え、巨躯の火竜へと昇華したのだ!
この火竜蛊も四転に過ぎなかったが、血河蟒との戦いで相手を痛みで渇き上げ(あげ)させた。先程油竜を喰殺した際に蟒体にべったり染み込んだ大量の黒油が、この火竜との格闘で引き摺られると、忽ち赤々(あかあか)と燃え上がった――
血河蟒を丸焼き状態で炙り焼くかのごとく!
蛇躯だけではない。黒油は湖面にも浮かび漂っていて、今や火が放たれたことで、真紅の血湖が沖天する火海へと変わった。空気の温度も急上昇している。
火竜は血河蟒の敵ではなく、幾度も致命傷を負い、体は刻々(こくこく)と萎んでいく。だがその度に火海の中へ潜り込み翻転すると、体躯は再び幾らか雄々(おお)しさを取り戻した。
この火炎地獄の中では、火竜が絶対的な地の利を得ている。
血河蟒と火竜との組打ちは小一刻に及び、蟒体は継続的に焼かれ続けた。焼け焦げた肉の臭気が空中に充満した。
血河蟒は凶暴な習性を持ち、圧迫されれば必ず強烈な反撃を見せる。しかし今回は、後退を選ばざるを得なかった。火竜を見捨て、鮮血の湖の深層へ向かって頭から突進したのである。
人は万物の霊長であり、革新的な知恵を宿している。鉄血冷の戦術のもと、わずか二匹の四転蛊が、五转の血河蟒を退却させたのだ。
だが蛊は天地の縮図であり、世界理の断片を秘める。血河蟒の能力こそ、まさにこの並外れた自己再生能力だったのだ!
血河蟒は湖底に潜ると、血まみれの水が絶え間なくその体を滋養し、全身に刻まれた傷を驚異的な速度で癒していく。火竜蛊が地の利を得ているなら、血河蟒はそれ以上に地利を占めている。この血湖が存続する限り、それは殺せない害虫と化すのだ。
方源の置かれた状況はさらに険悪を極めた。
血湖の水面に燃え広がる火炎は際限なく拡大し、猛々(たけだけ)しい炎の舌が彼の身体を舐るように炙り続けた。
天蓬蛊の防御負荷はさらに重くなった。しかし最大の危機はそれではない。次第に息が更に苦しくなる窒息感だった!
燃焼が大量の酸素を消費し、地下空間はもともと半密閉環境であったため、新鮮な空気の供給が難しい。
方源が窒息感を徐々(じょじょ)に感じ始めたのは当然の結果だった。
「油竜蛊と火竜蛊の連携で一時的に血河蟒を押し返せたとはいえ、所詮は時間稼ぎに過ぎない。膨大な血水さえあれば、血河蟒の回復力は恐るべき速さだ。再び襲来した時には完全復調しているだろう。そうなれば火竜蛊では敵わない――いや、そんな浅はかな見方をする筈がない。鉄血冷の思惑はもっと深い……とすれば彼の真の目的は……」
方源が燃えさかる湖面を漂いながら、思考は稲妻のように走る。
その推理に至った瞬間、背筋が氷った。
もしも彼の予測が的中しているなら、鉄血冷が血河蟒を一時退けることで既に戦術的意図は達成していたことになる。
鉄血冷が求めているのは時間的余裕だ――そしてそうした時間が必要となるのは、次の殺り手を仕込む際に限る!
果たして、次の瞬間――
空中に漂う鉄血冷が突然両腕を広げ、喉奥から重く唸るような咆哮を発した!
本来四方八方を覆い尽くす正気を引き込め、全精神を込めて五转真元を青銅面具へと注ぎ込んでいる。
青銅の面具は次第に輝きを増し、最めは微光に過ぎなかったが、数息の間に眩しいほどの翠光を放つ――それは太陽の欠片の如き威光だった。
翠の光が周囲を照らし、天地に君臨せんとする勢いで染み渡る。一瞬のうちに赤土、血湖、火海までもが古雅な碧色に塗り替えられた。
この碧玉の光の奥には、奇妙な力が凝縮されている。
その力が引く連鎖のように、岩石が震い始め、次々(つぎつぎ)に崩壊を始めた。
洞頂部からは岩塊が雹のように崩れ落ち、青銅面具へ向かって飛び込む。四方の赤壁からも、膨大な土塊が重力に逆らうようにゆるやかに浮上する。
鉄血冷の表情は既に青銅の光に飲み込まれている。大量の山石が青铜の面具の周囲に集結し、互いに凝集し合う――
泥土と岩石が集まり続け、石人は巨大化する。
最初の1メートルから、狂ったように伸びて三メートル……五メートル……八メートル……ついに十八メートルに到達した!
山岳巨傀蛊!
天を衝き地を踏む巨躯が血湖戦場に降臨する。
その双足は血湖の深みへ直に立つ。水位は腰の高さまでしかない。体躯は極度に雄大で、腕の上で馬車を走らせられ、拳の上に象を立たせられるほどの迫力だ。
その顔面は古の面影を留め、拡大版の青銅面具そっくりだった。
「火竜!」巨人が声を轟かせると、天地を揺るがすほどの音波が立ち上がった。
火海の中で身を翻していた火竜は即座に飛び上がり、蛇のように巨傀の右腕に絡みついた。竜頭は巨人の右肩に据えられる。
続いて油竜蛊が放たれ、漆黒の油竜へと変わり、巨傀の左腕に巻き付いた。巨大な頭部を左肩へと預ける。
左右に双竜を従えた山岳巨傀こそ、巨神の降臨を思わせる!
方源は必死で洞口へ泳ぎ進む。先程まで巨傀結成のため赤土が吸い取られ、埋もれていた洞窟が再び露呈していたのだ。
戦場は刻々(こくこく)と凶暴化する。洞口もまた瞬時く間に埋没しかねない。方源は一刻も猶予できなかった。
火海は次第に衰え始め、その時血湖が轟々(ごうごう)と逆巻き、天を衝かんばかりの赤浪が立ち上がった!
血河蟒が湖底から攻勢に出た。巨傀の体に絡みつき、ずるずると這上がる。巨大な蛇頭が衝城槌の如く、巨傀の顔面を直撃せんとした。
もしこの一撃が決まれば、巨傀の頭部の大半が粉砕されただろう。
「鉄手擒拿!」巨傀が叫ぶと、大気が割け、鉄の巨手が現れて蛇頭を捕らえようとする。
ドン!という轟音が響く。鉄手は粉々(こなごな)に砕け落ちたが、血河蟒の攻撃も一瞬止まった。
鉄血冷が一息つく間に、巨傀の両手が前後から血河蟒の体躯を締め捕らえた。
油竜と火竜が機を伺い、血河蟒に襲いかかる。双龍が合流して猛烈な炎壁を形成し、蟒体を焼き尽くす!
血河蟒は痛みに絶叫を繰り返し、必死で脱出を試みる。しかし今度は、鉄血冷がやすやすと逃がすはずがない。巨傀の両腕は鉄の枷の如く、死に物狂いで締め上げ続けるのだ!
血河蟒は逃げ場を失なった。蟒体は焼け焦げ、焦肉の臭気が漂う。窮鼠噛猫と化した蛇は修長な体で再び巨傀に絡みつき、強靭な筋肉で圧縮を開始した――絞殺攻撃の本領を発揮するのだ!
巨傀は山岩で構成されているとはいえ、素材となった赤土は本質的に柔軟だ。血河蟒の締め付けに遭い、腰回りがみるみる細くなっていく。
ゴゴゴッ……
岩盤軋む音と共に、砕片が飛び散る。
死の脅威は血河蟒に尋常ならぬ力を湧かせた。
方源がやっとの事で洞口の縁に手を掛けた瞬間、巨傀の口元から咳き込む音が数度聞こえた。
鉄血冷の持病が再発したのだ!
巨傀の両手の握力が刹那ゆるんだ。
血河蟒が鋭く嘶き、蟒体が猛然と前進した――距離を一気に大きく詰めた!
巨傀の両手が更に強く締め上げる。血河蟒は巨大な口を限界まで開き、鋭き牙を剥いた。蛇頭は狂乱したように揺すぶり前へ伸びるが、あとわずか一尺足らず届かない。
血河蟒の死を賭けた反撃は実を結ばず、次第に力尽き果てるかけた頃……
その時、血湖の水面に不気味な血霧が湧き立った。
「血狂蛊!」方源の眼に警戒色が走る。慌てて洞口に登り、奥深くへ移動した。
血霧が急速に広がり、血湖表層の火炎は完全消滅する。
血湖中心に渦が生じた。
渦はみるみる拡大し、最めは一点に過ぎなかったものが、瞬時く間に周壁全域へ波及する勢いだ。
「古月一代、ついに我慢の限界か……」巨傀が冷やかな鼻息を漏らす。
渦の中心で突然、血の波濤が噴き上がった。湖面より十メートルも高い。
血浪の中から、真紅で縦長の巨大な棺桶がゆっくりと浮上して姿を現した。
「ウッフッフッ……」乾いて不気味な笑い声が棺から漏れ、聴く者に悪寒を走らせる。
「小僧よ……我が大業を阻もうとはな?自ら死を招いたのだ、今ここで成仏させてやろう!」その言葉が終わらぬうちに、棺蓋がドカンと跳ね飛んだ。中から干からびた死体が露見する。
真っ赤な顔に牙を剥き、血のように赤い長髪。深く窪んだ眼窩には、消えかけた炭火のように陰った双眸が光っている。
全身の皮膚はなく、細く枯れた筋肉が露わな白骨に張り付いていた。それは干からびており、見る者に身の毛もよだつ恐ろしい姿だった。
「小僧、汝の身には重傷を負っているのに、よくも我を挑発できたな……必ず死を賜う!」枯れ屍は発言するが、口元は微動だにしない――腹話のように腹部から響く声だ。
彼の言葉遣いは明らかに、ほぼ千年も前の古人の口調を引き継いでいる。
「五転血鬼尸蛊!?まさか彼が真の古月一代なのか?」方源の心中には驚異が去来したが、動揺はしない。
この神秘に満ちた世界では、数百年も生き続ける蛊師は決して少なくない。最も正統的な寿命延伸法である寿蛊の他にも、歪な方法で天の下に永劫に存続する道は存在する。
例えば二転の游僵蛊だ。
この蛊を長期使用すると、蛊師は完全に僵屍と化するが、定期的に生血を吸収すれば活動的に永遠を生き延びられる。
眼前の古月一代は、まさにこの術法を駆使している。
血鬼尸蛊とは游僵蛊の五転到達の重要な分枝であり、修罗尸・天魔尸・夢魘尸・病瘟尸と並び称される五大飛僵の一角だ。
寿蛊は得難いため、一代は自ら血鬼飛僵への変生を選び、
この地に自葬したのだ!