狼群蠢動し、呼嘯して来襲す。
情勢急転直下、両家の族長及び家老たちは顔色驟変せしむ。
両家は狼潮を防ぎ得たとはいえ、危機一髪で辛うじてのもの。今般またこの如き強勢の狼群が現れれば、最早抵抗の余力など無し。
一瞬、家老たちと両族長は無意識に戦闘を停止せり。
「情報には、雷冠頭狼三頭のみと記されていなかったか?」家老の一人声を呑む。
「否、この雷冠頭狼は負傷を担っており、狼群の規模も甚大ではない」古月博強いて冷静を装い述べる。
「まさか、熊家寨を襲撃せし雷冠頭狼ではあるまいな?」家老が脳天を叩き喊ぶ。
この可能性極大、九分九厘違いなし。
家老たちの心情なお重く、声詰まり言う者あり「この狼群、既に此処に現れりとすれば、熊家寨は既はや…」
「くそったれの熊家寨め、何故かくも非力なる?一波の狼潮さえ防ぎ得ず!」大声に呪詛する者あり。
然るに楽観視する者もありき「見よ、この雷冠頭狼の両前肢、重傷を負い筋肉骨格ことごとく萎縮せり!」
衆人声の源を瞥見し、喪失せし士気微かに振るい立つ。
実に然り。
この雷冠頭狼、後肢は発達せるも両前肢は短小にて筋肉萎縮す。これにより奔走するとき、唯二本の後肢を利用し、恰かもカンガルーの如く跳躍しつつ前進す。
「待て、これは雷冠頭狼ではないようだ…」白家族長突然何かを思い付き、全身を震わす。
「狡電狽だ!」方源心中既に回答を得たり。
五虎に一彪、三犬に一獒。十狼に一狽あり。
狽も亦た狼属なれど、狼より数倍聡明にして、往々(おうおう)として狼群の軍師を担う。眼前のこの狡電狽、外形は雷冠頭狼に極めて類似し、偵察蛊師に誤解されしも怪しむに足らず。然れどもこれ紛れもなき万獣王、人に劣らぬ知恵を有つ!
この狡電狽、肉弾戦においては尋常の雷冠頭狼に比べ稍見劣りすれど、類人の知恵を備えるが故に、その危険度は雷冠頭狼を遥かに凌駕す。加うるに無数の電狼大軍を駆使し得れば、熊家寨が滅びしも怪しむに足らず。
「撤!」方源雷翼を一振り、即座に上空へ飛翔。
目前の家老たちは、既に長時の激闘にて戦力大きく消耗し、到底狼群へ脅威を為し難し。更に肝心なれば、互いに猜疑心抱き、協力到底及ばず。
方源は踵を返し遁走す。万獣王は冗談にあらず。場中に野生蛊二匹乱舞するも、最早顧みる余裕無し。
撤退必須!遅くば脱出叶わぬ!
己を弁え、捨てる時は棄て得るこそ、世を渡る最要の義なり。
「撤収せよ。狼潮の勢いは甚大、我々(われわれ)では敵わん」
「山塞へ戻り、急ぎ防備を固めろ!」
家老たちは未だ狡電狽の正体を見抜けずとも、全員撤退の意思を抱き始めた。
然るに其の時、狡電狽が忽然咆吼。巨大な狼口を開く。
狼牙は刃の如く参差として、その間に黒気が無から有りとなす。瞬く間に黒球と凝結せり。
シュッ!
黒球が暴発射出、空中に微か弯曲せる黒色弧線を描き、遂に地面に落下す。
「外れたか?」
「この雷冠頭狼、最早駄目だ。照準が滅茶苦茶だ!」
家老たちが罵声を叫ぶ中、方源は飛翔を更に速める。
ドオオオン――!
黒色煙球が猛然爆発し、激しい轟音と共に黒煙が四方へ放射拡散。
その勢いは猛烈無比、瞬時く間に半径半里を覆い尽くした。
「これは四転狼烟蛊だ!」方源心中沈む。彼は最初の瞬間に、最も正確で賢明な対応を取ったが、この黒色狼烟は速すぎて彼を直撃した。
一瞬、漆黒の夜に放り込まれた感で、五指すら見えず。至る所に喉を刺す濃煙が充満し、呼吸困難で耐え難い。
幸い雷翼蛊があるため、上へ真っ直ぐ飛べば必ず狼烟範囲を脱出できる。
ビリリリッ!
次の刹那、一閃の霹靂が黒煙層を斬り裂き、雷蛇の如く狂龍の如く、百里を跨ぎほうげんを轟かせた。
これは狡電狽の出し手なり。
雷光の如き速さ、殆ど人に反応を許さず。
然れど危機一髪の際、方源の戦闘意識が思考速度を超越し、最優先に対応せり。
雷盾蛊!
天蓬蛊!
円形の電光護盾が俄然ほうげんの脇に顕現。同時に其の身上に白き光の虚甲燃上がる。
狂暴なる雷光、刺す如く眩き極み。怒号する天龍の如く、真っ先に電光護盾を衝撃。
護盾は一秒足らずで、枯れ枝を摧く如き雷霹に引裂かれ打破さる。
雷光がほうげんの体躯を貫く刹那、彼は既に両目を堅く閉ずるも、尚眩き極みを感ず。
巨大なる力が奔流し、彼を地へ撃落せり。
瀕すでに失神せんとし、電流は蟠り全身の筋肉を麻痺せしめて、呼吸を忘却せしめんばかり!
ドスンと音を立て、彼は地面に墜落。
激痛が襲来し、痛みで正気に返る。
全身の激痛と痺れを咀嚼しつつ、慌てて起き上がる。
雷盾蛊は既に死滅し、雷翼蛊も巻き添えで瀕死となり、最早使用不能。天蓬蛊も少からず損傷し、威勢落ちて見える。畢竟あれほどの電流衝撃を受けたのだ。
狡電狽が放った先の一撃、必ずや四転蛊の威能なり。
蛊虫は昇級するほど、階差ごとの威力差は雲泥の差となる。
四転攻撃蛊は、三転蛊二匹をもって防禦せねば及ばず。無論、雷盾蛊が死滅したのも、先般の長き激戦にて傷跡重なりし故なり。
「思いも寄らぬ、狡電狽が是も吾れを重視するとは…」方源苦笑しつつ周囲を観察。
周囲漆黒の闇に包まれ、濛々(もうもう)たる黒煙の為、方向すら見分け難し。
「警戒せよ!雷冠頭狼が縮小し、凡て電狼と同大となって狼群に紛れているぞ!」黒煙の深奥より、或る家老の喊声伝わる。
ほうげんこれを聴き、瞳孔が収縮。
狡電狽は魔性の狡猾さ。実に陰湿極まる。全蛊師を一網打尽にせんと企めるか。先刻の方源狙撃は、一匹たりとも見逃すまいとする意志の表われなり。
周囲に瞬時く無数の狼瞳が灯り現れた。
低い唸り声、狼群の襲いかかる風音が方源へ伝わる。
かかる漆黒の環境下では、蛊師らの視野は甚大に阻害される。然れど狼群は毫かも影響せず、電狼は嗅覚を捨て視力極めて良好なるが故なり。
「速やかに脱出せねば。狡電狽遭遇の危険未知。仮に一時回避できても、狼群に包囲されれば残存真元四割では消耗戦到底持ち堪えぬ!」
方源の脳裏に電走せしめ、地聴肉耳草を駆動。
十数本の根髭が右耳より萌芽し、外方へ蔓延る。
無数の音が伝わってきた。狼の遠吠えあり、戦闘の音あり、家老の恐慌に満ちた呻きあり、電狼の断末魔の悲鳴あり。
最も混沌としている!
地聴肉耳草の偵察範囲は広大だが、細部を識別することは不可能だ。
方源は眉根を一つ顰め、音の少ない側へ移動する外なかった。
然し程なく、百頭規模の電狼の群に遭遇した。
電狼は黒煙の中から襲い掛かり、一匹一匹が極めて凶悍であった。
方源は鋸歯金蜈を喚起すると同時に天蓬蛊を展開した。
鋸歯が狂ったように回転。金蜈は大剣の如く黒煙を撹拌し、狼の躯に斬り付けば必ず一陣の血雨白骨が舞い上がる。
方源は溺れた船が進むが如く、茨を薙ぎ払いながら前進した。
一匹一匹の電狼が鋸歯金蜈の下に惨死す。然るに瞬く間に第二、第三の電狼が…引き続き絶え間なく襲い掛かる。
「狡電狽は陰険極まりない、狼群に背後を回り包囲させるとは」方源は一方向へ衝くこと片時、なおも電狼に遭遇し続け、内心忽ち悟る。戦いながら退き、間もなく全身血に染まる。
重圧甚大、周囲暗幕幾重にも重なり、五本指すら見えず。狼群は四方八方から掛け寄せ、孤独の身にて万全の対応など叶うべくもなし。
「古月博、貴様は如何がすべきと申す?」黒煙深奥より白家族長の声忽ち響く。
「罷んぬるか!ひとまず協力し、包囲突破して再考せん!」古月博の怒号、続いて伝達さる。
これも形勢が許さぬ故――協同あるのみ生存の機会あり。
然ずんば単独行動では、瞬時く電狼に真元消耗され、狼群に食い尽くされん。末路勢いに言語道断の凄惨さ。
ウォオーン!
「くそっ!」
次の刹那、一声の狼吼と激烈なる爆発音。両族長同時に怒号、最早家老らを統率不能。
明に狡猾なる電狽の奇襲なり。
人に劣らぬ知恵を具し、手を出せば即に両族長の意図を粉砕、家老たちの反抗段階を混乱せしむ。
両族長の威圧なき今、家老らは誠実に協調し得るや?
これ巨大なる疑問たり。
「もう限界だ。真元の消耗が激しすぎる、他力を借りねば!」さらに片刻の突撃を経て、方源は疲労を感じた。
二豚の怪力を有つも、尚全身の筋肉に酸痛を覚える。
真元は最早不足、全身創傷し、天蓬蛊も時々(ときどき)作動停止せざるを得ない状態。
鋸歯金蜈の体躯は鈍く光、両側の鋸歯は破損してボロボロなり。短時間に千頭近き電狼を斬り倒し、中には豪電狼も数頭含まれていた。
その数頭は防御蛊を有し、鉄石を凌ぐ硬度ありき。
鋸歯金蜈は無堅不摧にあらず、鋸歯なきが故に斬撃能力は暴落し、悲惨極まりなき姿となる。
方源は纏綿せず、戦いながら退きたり。
彼は地聴肉耳草に頼り、極力聞き分けようとした。狂電狼の重厚な足音を察知すれば、即座に方向を転じ、必死に避けようとする。
狂電狼なれど千獣王、独りで戦える相手ではない。一旦足止めされ包囲網に陥れば、十死零生も必定。
「我、悔しいぞ!」黒煙の奥から家老の断末魔が響き、声は途端に途切れた。
黒煙の中に狼潮猛威を奮い、家老の多くは狼口に斃れ、無念の怒号を放つ。
「我も最早持たん!」方源は死の気配を感じるが、表情は冷酷で、危機迫れば迫るほど心は雪原の如く静謐であった。
彼の心に微かな揺らぎもなく、前世に比べればこの程度の危険など数多ありき。
現状は最悪といえず、両族長は狡電狽と戦を続け、希望の光も残る。「む?前方に戦闘音あり!」音を聞くや、方源は直ちに向きを変えた。限界近く、古月一族であれ白家蛊師であれ、利になる相手なら誰でも良い。
「斬れ!斬れ!斬れ!」遥か彼方から蛊師の咆哮が轟く、死闘の真っ最中と見える。
方源が疾走するが、衝勢突如停滞す。
白凝冰!