二日目、密室。..
七色の光が白玉の盤に集まり、一篇の秘方――
血月蠱が現れた。
二転の月芒蠱と血気蠱を相互に合煉して作られる三転の蠱虫。
一度発動すれば、月刃は全身真っ赤に染まり、洗面器ほどの大きさとなる。傷口ができれば、血が止まらなくなる効果がある。
「これだ」方源は視線を上下に走らせ、秘方を脳裏に刻み込んだ。目を閉じて暗記した内容を反芻し、また開いて原文と照合する。五度も繰り返すうち、完全に誤りなく記憶したと確信した。
黄金月・霜霖月・幻影月という三大古典と比べ、この血月蠱はかなりマニアックだ。
前者の合煉秘方には10万字近い研究資料が記されているが、血月蠱には数千字しかない。
歴史を通し、この蠱を選ぶ者が極めて少なかったことが窺える。
血月蠱の攻撃力はまずまずだが、射程は10メートル。出血効果も実際の戦場では些細なトラブルでしかない。
一転から五転の蠱師は真元が有限なため、長期戦になりにくい。治療専門の蠱師が居れば、簡単に止血されてしまう。
さらに血月蠱には最大の欠点がある。
毎月特定の数日間、鮮血が滲み出してくる。この期間中の攻撃力は通常の三分の一まで暴落するのだ。
だが、方源が注目した最大の長所がある。
飼い易いのだ。
黄金月や霜霖月、幻影月より遥かに管理が楽。
必要な餌は月蘭の花弁ではなく、新鮮な血液だ。
量は多いが種類は問わない。西漠では難しい話だが、南疆の地では万里に連なる山々(やまやま)が続き、密林の奥深くに様々(さまざま)な野獣が生息している。
斬り殺せば即座に血液を採取できる。血月蠱にとって、南疆全土が食料庫と言える。どこにでもあるのだ。
「さっそくこの血月蠱を合煉するか」方源は心の中で即座に決断を下した。
合煉の詳細な手順や注意事項は既に脳裏に焼き付いている。手元には月芒蠱があるが、もう一方の血気蠱が少々(しょうしょう)厄介だ。
血気蠱は貴重で、蠱師の血気を補う能力を持つ。これを所持する蠱師は常に精力が旺盛で、大怪我で大量出血しても補充可能。そのため戦場での生存率が通常の蠱師より格段に高い。
熊姜はかつて血気蠱を強烈に渇望していた。もし血気蠱と遊僵蠱を併用すれば、後者の副作用が激減し、ゾンビ化の持続時間を大幅に延長できると考えていた。
彼は二転蛊師の中でも傑出した存在だったが、戦死するまでその望みを叶えることはなかった。
密室の中、方源は再び中央の石卓に置かれた照影蠱へ視線を移した。
今日の時間はまだ余裕があった。一刻(15分)の制限時間を、彼はわずか5分で消化し、まだ10分の余白が残されていた。
黄色の照影蠱には四転の秘方が記録され、紫色の照影蠱には五転の秘方が収録されていた。
これらの照影蠱の所有者は歴代の秘堂家老だが、実際の飼育を担うのは家族である。
蠱虫は借用が可能だ。ただし蠱虫に宿る意志の承認を得る必要がある。
照影蠱内の意志は秘堂家老と一体となっている。方源が家老に昇格したことで、その身分は既に秘堂家老に承認されており、一部の照影蠱を自由に使用できる立場にあった。
だが秘堂家老は、方源が四転・五転の秘方を閲覧する権利を持つとは認めていない。そのため黄と紫の照影蠱へ真元を注いでも、何の反応も得られないのだ。
実際、野生の天然蠱虫でさえ、その意志の承認を獲得できる場合がある。
獣王たちがそうやって蠱虫の力を借りているように、人間の中にも例がある。五転の吞江蟾伝説の江凡がその典型だ。
方源が春秋蝉の気配を利用すれば、これらの蠱虫を瞬時きに煉化し、秘方を手に入れることだってもちろん可能だった。
ただし、こうした行為の結果は明らかに方源が現在背負えるものではない。得られる利益も、彼の心を動かすほどではない。
「実は最も貴重な秘方は、これらの四転や五転のものではなく、逆煉で一転の月光蠱を作る方法だ。初代族長が考案し、数百年の歳月を経て今の規模と繁栄を築いた基盤なのだ」と方源は暗に思った。
合煉は低階の蠱虫を昇格させるもの。逆煉は高階の蠱虫を降格させるもの。
昇格と降格の過程で、全く新しい蠱虫が生まれる可能性がある。
月光蠱は天然の蠱虫ではなく、初代族長が逆煉で作り出したものだ。
この世界の蠱虫の多くは、天然の蠱虫を基に蠱師が創造した新種。そのため方源の五百年の経験を持ってしても、蠱虫の世界全般に対する知識には限界がある。
どの家族も独自の蠱虫を一匹あるいは数匹保有している。これらは希少な天然種か、逆煉による新種だ。
蠱師たちはこの基盤の上に、各家族固有の力を発展させてきた。
古月一族の月光蠱、熊家寨の熊力蠱、白家の渓流蠱――これらは皆その典型例だ。
もし普通の蠱虫を使っていれば、簡単に対策を立てられる。
家族の基盤は元泉にある。元石を産出できること。次に少なくとも一種類の固有蠱を保有し、自らの力が完全に解析されないようにすること。最後に血脈。血縁こそが家族を繋ぐ最重要な紐帯だ。
そのため、月光蠱が一転蠱虫とはいえ、逆煉の秘方の価値は数多の四転・五転秘方を凌駕する。
月光蠱の逆煉秘方は代々(だいだい)、族長が直々(じきじき)に管理している。もちろん族長以外に、歴代で最も忠実な家老が一人、極秘でこの秘方を承知している。同時に月光蠱の秘方を記載した照影蠱も厳重に隠匿されている。
方源がこの密室から秘方を見つけ出すことなど、明らかに不可能だった。
「この秘方の価値は極めて高い。出発前に手に入れられれば言うことないが、無理に求める必要もない」方源はこの件を冷徹かつ淡々(たんたん)と見据えていた。
彼にとって組織や勢力を築くつもりはない。月光蠱の秘方は必須のものではなかった。
「むしろ血月蠱のような三転蛊虫こそ、最も必要なものだ」
方源は現在三転の修為を持ち白銀真元を有するが、蛊虫がすべて三転ではないため、真の戦闘力を発揮できていない。
「現在保有している雷翼蠱・天蓬蠱に加え、血月蠱を合煉すれば三転蛊虫が三匹になる。だがこれでは全く足りない」
一般の蛊師は家族に依存し、族人との連携や資源配給があるため、三、四匹(さん、よんひき)の蛊虫で十分だ。
しかし方源が南疆を放浪し遠く離れた地へ行くなら、少なくとも六匹の蛊虫がなければ、何とか対応できる程度である。
彼の経験によれば、この六匹の蠱虫は攻撃・防御・治療・収納・偵察・移動の六分野で支援を提供する必要がある。
攻撃面では、血月蠱がかろうじて合格点。防御に関しては天蓬蠱が役目を果たせる。移動では雷翼蠱が真元の消費が多いものの、短時間の飛行を可能にする強力な能力を有する。
しかし治療面では、九葉生機草が明らかに力不足だ。そもそも二転の蠱虫であり、さらに昇格させても方源を満足させる結果は得られない。
二転の九葉生機草自体の治療能力も際立っていない。その利点は、一転の生機葉を催生できる点だけ。生機葉を売れば絶え間なく元石を得られ、金のなる木と同然だ。
しかし今後方源が長きに渡って人里離れた場所を歩くなら、例え生機葉を催生できたとしても、他の蠱師と元石を交換する相手が見つからない。
偵察面。地聴肉耳草はカバー範囲が広い。二転だが、どうにか使用できるレベルだ。
収納面では、方源は完全に空白。ここが最重点だ。一人旅では後方支援が最優先。『三軍動く前に兵糧先行』と言われるように、他の五分野を支える基盤となる。
蠱虫の餌の保管、人間の食糧に加え、最も重要なのは元石の貯蔵だ。
元石がなければ、蠱師は修行の原動力を失う。
この点に関して、方源はまだ何の進展も得ていない。理想の貯蔵蠱を入手するまでは、山寨を離れないつもりだ。
「後方支援のための貯蔵蠱は、まず収納範囲が広く、食料や元石を保管できねばならん。さらに飼育が容易で、できれば保存期間を延長する機能も欲しいところだ。だが三家の物資榜を見ても気に入る蠱はない。赤脈を利用し、彼等の奥底から最後の一滴まで絞り取るしかあるまい」
一刻の時間が過ぎ、方源は地下溶洞を出ながら心中で思案を巡らせていた。
「方源様、ご機嫌よう」中年の男性蛊師が出口に立ち、明らかに方源を待ち構えていた。
「お前は?」
来訪者は微かに笑い「私は古月赤鐘、現在仮で薬堂家老を務めております」と答えた。
「やはり彼か」方源は心中で合点がいき、思わず相手を観察した。
古月赤鐘は整った顔立ちで角張った面、全身から沈着した気配が滲み出ていた。方源と同様に家老の身分だが、修為は既に三転中級に達している。
方源が古月薬姫を失神させた後、古月赤鐘は族長から薬堂を一時統括するよう任命された。妻が薬脈の重要な成員であることから、これは古月博が両派閥の争いを均衡させる政治策だった。
だが何にせよ、古月赤鐘はこの機会で地位を上昇させたのだ。
「こちらが三百枚の元石、今週の家老手当です。ここにいると聞き及んで、ついでに持参しました。勝手を押し付けたこと、気に留めないでいただければ幸いです」古月赤鐘は革袋を差し出した。
「この男…」方源は目を細めながら袋を受け取った。
家老手当は家老自らが受け取る必要がある。しかし赤鐘が代行できたという事実は、家族内での彼の人脈と地位を暗に示していた。
だがその暗示は絶妙に加減され、好意の表明と認めの意が混ぜ込まれ、押しが強すぎない印象を残していた。
「隠さず申し上げますと、今回お訪ねしたのはお願い事がございまして」
続けて彼は前置き無しに本題に入った。
「ふむ、九葉生機草を提出せよと?」方源は含み笑いを浮かべた。