「方源様、こちらが密室でございます。どうぞお入りください」薄暗い地下通路で、二転蛊師の老人が先を歩きながら方源を案内していた。
家族が所有する蠱虫合煉の秘方を収蔵する密室は、すぐ前方に位置していた。
方源が家老に昇格したことで、身分と地位が劇的に変化した。家族が収蔵する合煉の秘方で四転・五転以外のものは、自由に閲覧する権利を獲得していた。
普通の一転・二転蛊師が秘方を閲覧する場合、元石や戦功で交換する必要があった。
この密室は山寨の地下に位置し、極めて秘匿的だ。例え山寨自体が壊滅しても、この密室は存続するよう設計されていた。
元々(もともと)、古月山寨の創始者である初代族長が、この地下溶洞で元気霊泉を発見したことから、ここに山寨を築く決意を固めたのだった。
歴代の族長による経営と発展を経て、古月山寨の地下溶洞は古月一族の秘密基地と化していた。
普段、普通の蛊師はここへ出入りする資格すらなく、家老と族長、そして警備を担当する暗堂の蛊師だけがこの権限を有している。
多くの蛊師は一生をかけてもたった一度しか訪れない。
それは資質大典の時――少年少女たちが元泉花海で希望蛊を使い空竅を開く儀式だ。
それ以外では特別な理由がない限り、地下溶洞への無関係者の立入りは厳禁されている。警備の蛊師たちでさえ厳格な選考を経て選ばれた者ばかりだ。
何と言っても地下溶洞の元泉は古月山寨全体の基盤である。その泉の瞳から凝結される大量の元石が、古月一族の全蛊師の修行を支えているのだ。
通路を歩きながら、二人の足音が絶え間なく反響する。
かすかに川の流れる音――地下河のせせらぎが聞こえてくる。
しばらくして、蛊師は方源を一基の石の門の前へと導いた。
彼は腹を叩き、空竅から一匹の蠱を飛び立たせた。電光石火の速さで石門に激突させた。
石門の表面が波紋のように揺らめき、水面に小石を投げ込んだかのようになった。続いて石門の表面が光と影を変幻自在に変え、徐々(じょじょ)に消失して奥の密室が現れた。
密室の広さは小さくなく、約一畝ほどある。数歩歩く毎に、腰ほどの高さの石卓が置かれている。数十の石卓の上には白玉の皿が載り、皿の中で蠱虫が静かに息衝いていた。
これらの蠱虫は様々(さまざま)な色をしており、拳大の大きさだ。外見は蚕に似ており、頭部に蜜蜂と蜻蛉を合わせたような複眼が生えている。複眼は七宝焼きのように彩り鮮やかで、表面は柔らかくなく、鈍い光を放つ甲羅に覆われていた。甲羅は金属的な光沢を帯びている。
「方源様、初めてのご来訪とのことですので、ご説明いたします。これらの二転の照影蠱には、秘方が記録されております。青緑色の照影蠱には一族のほぼ全ての一転秘方、紅黒色のものには二転秘方、白い蠱には三転秘方、橙色の照影蠱には四転秘方が収められております。五転秘方は無論、中央の石台にある紫の照影蠱にございます」
傍らで、蛊師の老人が時宜を得た説明を加えた。
照影蠱とは映像を記録できる蠱虫で、さらに上位には三転の留影存声蠱が存在する。
留影存声蠱を合煉すれば、映像の再現だけでなく音声も聞くことが可能だ。岩窟の秘洞では、花酒行者がこの留影存声蠱で方源に遺言を残していた。
しかし秘方の記録に音声は不要なため、照影蠱で十分だったのだ。
合煉秘方というものは非常に貴重だ。普通の竹紙に記載した場合、盗まれると古月一族特有の蠱虫を合煉できるだけでなく、家族の情報が深刻に流出することになる。
「彼を知り己を知れば百戦危うからず」――経験豊かな蠱師なら一つの秘方から、合煉される蠱虫の長所短所を見抜ける。
秘方が流出すれば、家族にとって重大な損失だ。将来の戦闘では、自族の蠱師が敵に弱点を突かれる可能性が高くなる。
そのため秘方は常に厳重に管理され、ランク別に管理され、特別な方法で保存される。
照影蠱は比較的容易に精錬でき、コストも高くないため、秘方保存の最も一般的な方法だ。
「方源様、これらの照影蠱は秘堂家老の所有物ではございますが、真元を催して閲覧することは差支えありません。ただし現時点でのお立場では、四転・五転の秘方は閲覧不可でございます。さらに二点――密室は家族の重地、ここでの一挙一動は暗からの監視下にあります。また毎日の滞在時間は一刻に限られ、時間経過後には退出いただきます」蛊師の老人が追記した。
「うむ、承知した」方源は頷いた。
「方源様、下僚は中へ入る権限がございません。入口でお待ちしております。時間が来ればお呼び上げます」老人は深く頭を下げた。
方源が足を踏み入れるや、背後の石門が虚から実へと転じ、彼独りを密室内に閉じ込めた。
密室内は重い静寂に包まれ、足音が耳元で反響する。壁面には数匹の水光蠱が埋め込まれていた。
それらが放つ光は水のように揺らめき、光と影が絶え間なく変化し、明滅を繰り返していた。
方源は紅黒色の蠱虫を手に取り、白銀真元を注ぎ込むと、照影蠱の複眼から二本の彩り光が放射した。
照影蠱を軽く掲げ、複眼を石台上の白玉盤へ向ける。
二筋の彩光が白玉の皿上で交差し、一陣の光の揺らめきを経て文字が浮かび上がった。
これは月痕蠱を合煉する秘方だった。
まず月痕蠱の長所短所が列記されている。月痕蠱の利点は月光蠱の二倍の攻撃距離にあり、欠点は攻撃力が突出していないことだ。
続いて合煉の内容――月痕蠱は月光蠱と痕石蠱を合煉して得られる。
次に合煉時の注意事項とコツ。合煉途中で玉石を追加するか、月光が満ちた夜に野外で行うと成功率が向上するとある。
最後に歴代の合煉者の心得。この部分が最も量く、万を超える文字数が綴られていた。
方源は要点を暗記した。
無数の者の研鑽と実践から得られた経験の結晶だけあって、方源すら知らなかった情報も含まれていた。
何と言っても月光蠱は古月一族固有の蠱虫。前世で家老の地位を得ず、ここで閲覧する機会もなかったのだ。
時間が限られていた方源は流し見するように照影蠱を元の位置に戻すと、白い照影蠱を選び集中して閲覧した。
白い照影蠱に記録されていたのは、全て(すべて)三転蠱虫の合煉秘方だった。
大部分は方源に適わず、必要な蠱虫は月旋蠱や月痕蠱などを基盤としていた。
方源は詳細に目を通さず、時間節約のため流し見した。
以前、月光蠱と錆蠱を組み合わせ月芒蠱を合煉した経験から、方源が真に価値を見出した秘方は三つしかなかった。
第一は三転蠱「黄金月」。射程距離は依然十歩だが、攻撃力が更に増強。発動時、人の半身ほどの黄金色の三日月が放たれ、威風堂々(どうどう)たる霸气を放つ。
第二は「霜霖月蠱」。蒼白な月刃は氷のように冷たく、被撃者は体内に寒気が浸透し、動作が鈍化する。
第三は「幻影月蠱」。攻撃用ではなく、発動すれば蠱師の幻影を生成し、敵の攻撃目標を分散させ混乱させる特殊な蠱。
特にこの幻影月蠱は、合煉後に四転蠱「月影蠱」へ昇華できる基盤となる。
「月影蠱は蠱師の空竅に植え付け、灼師の真元使用を抑制できる」幻影蠱に関する記述の中で、月影蠱の情報が少しばかり明かされ、参考として提示されていた。
「月影蠱……四轉の族長が花酒行者を暗算した時に使った蠱では?」方源はここまで読み、内心で動揺しつつ眉を微かに顰めた。
この世界は蠱虫の種類が膨大で、五百年の経験を持つ彼でさえ、真に知る蠱虫は万に一もない。
元々(もともと)月影蠱について断片的な知識しか持たなかったが、その作用を知った今、疑念が湧き上がってきた。
月影蠱の効果は特殊で、四轉蠱師の真元を三割、五轉蠱師を一割五分、三轉蠱師を六割抑制する。つまり丙等の資質で四・五割の真元しか持たない蠱師がこの蠱を掛けられれば、真元を全く使えなくなり、戦闘力が暴落して廃人同然になるのだ。
無論、方源本人に対して月影蠱を使えば、肉饅頭を犬にやるようなもの――無駄骨を折るだけだ。
月影蠱が彼の空竅に侵入した瞬間、春秋蝉が威を発し、その気迫に押される形で月影蠱が逆に方源に瞬時きで煉化され、彼の手駒と化ってしまうからだ。
方源が疑問に思っているのは、月影蠱の作用ではなく、花酒行者に関する点だった。
「影壁に刻まれた花酒行者の姿は全身血まみれで、傷口だらけだった。先の四代目族長や家老たちとの激戦では軽傷しか負っていなかった。重傷は月影蠱によるものだと思い込んでいたが、月影蠱の作用は真元封印だけだと分かった。ではあの重傷は一体何が原因だったのか?」
方源は慎重な性格ゆえ、考えれば考えるほど謎が深まった。花酒行者が当時家老を破り一時撤退した後、実際何が起きたというのか?
月影蠱が死因の主因でないなら、真の要因は何なのか?
突如、本来明瞭だった花酒遺蔵が方源の目に再び不可解な存在として映り始めた。
「方源様、一刻が経過しました。何か得るものがあったでしょう。是非明日もお越しください」ちょうどその時、石門が再び虚に帰し、蛊師の老人が入口で恭しく告げた。
「ああ」方源は目を光せながら照影蠱を置き、密室を後にした。
黄金月にせよ、霜霖月や幻影月にせよ、これらの合煉レシピは彼の求めるものではなかった。どれも月蘭の花弁を大量に消費する蠱虫だからだ。
月蘭の花弁は保存が極めて難しく、数日しか持たない。方源の計画では山寨を離れ世間を渡り歩くつもりだった。もしこれらの蠱を合煉すれば、餌が続かず半年も持たずに死んでしまう。ならば最初から作らない方がましだ。
ただし、まだ見ていない三転秘方も残されていた。
「明日また来るか」そんな考え(かんがえ)が彼の胸中を掠めた。