古月漠塵の胸中は重かった。
元々(もともと)方源を招き入れようと考え(かんがえ)ていたが、彼の資質故に手を引いていた。
今や長年の宿敵である古月赤練が方源と結託している。数多の兆候が示すように、一年以上も前から赤練は方源へ投資を開始していたらしい。
今その投資が実り、赤脈は新たな家老を獲得した。これでは彼の心情が沈まないわけがない。
しかし憂鬱さの他に、漠塵は疑問も抱いていた。
古月赤練とは若い頃から張り合ってきた間柄。彼の好む下着の色まで知り尽くしていると言っても過言ではない。
道理で言えば、赤練は今頃威張り散らし、漠塵へ軽蔑と得意の眼差しを投げかけているはずだ。だが今の彼は、何か損をしたかのように暗い表情をしている。
全く不可解だ!
彼と方源の間で、一体何が起きたのか?どんな密約が交わされたのか?
古月漠塵は百考しても解り得なかった。
「この方源、図々(ずうずう)しいにも程がある!よくもわしを脅すとは!」古月赤練の胸中は驚愕と怒り、困惑で渦巻いていた。
昨夜、方源が密かに接触し、「古月赤城の資質偽造」を盾に面と向かって脅迫してきたのだ。
畜生!
この重大な秘密は、赤練と孫の赤城しか知らないはず。外の者である方源がどうやって知り得た!?
古月赤城は丙等の資質だが、赤脈全体の利益のため、赤練は危険を冒して乙等資質の偽装を施していた。
この事実が暴露されれば、赤脈への打撃は前代未聞だ。赤脈の家主が信用を失い、自ら不正を働けば、社会的地位も地に堕ちる。更に深刻なのは、後継者が丙等資質なら、赤脈に未来などあるものか。誰が馬鹿のようについて来るだろう?
方源がこの秘密を握ったことで、赤脈全体の急所を掌握したも同然だった。
脅迫を受けた時、古月赤練は思わず手を出し、口封じのため方源を殺しそうになった!
しかし必死に堪えた。この秘密を他に誰が知っているか、方源がどの程度の証拠を残しているか、全く予測がつかなかったからだ。
「まずはこいつを落ち着かせ、状況を探ってから始末する!この災厄を生かしておけるか!」これが当時の彼の考え(かんがえ)だった。
だが続いて方源が三転の修為を露わにした。
赤練は驚疑に駆られながら、方針を妥協へ変更せざるを得なかった。
三転は既に家老。家老を殺害する行為は、資質偽造と同様に深刻な問題を引き起こす。
況してや三転蛊師に対処するには、短時間での制圧は不可能。騒動が拡大すれば処理が更に困難になる。
方源と敵対することは、赤脈に何の利益ももたらさず、逆に莫大なリスクを伴うのだ。
「方源に弱味を握られたとはいえ、秘密を共有するのも一種の同盟だ」と、赤練は最後には自分を欺くような慰めをしなければならなかった。方源の脅迫は突然のことで、彼がどれだけの手札を持っているか分からず、鼻をつままれながら従うしかなかったのだ。
今、方源は厚顔無恥にも赤練を盾にし、自分への攻撃の的を逸らそうとしている。まるで古月赤練を火あぶりにしているようなものだ!
だが古月赤練はこの状況を悟りつつも、どうすることもできなかった。
その時、方源が緩やかに言葉を続けた。「古月薬姫、お前の心中の葛藤は分かる。そうだろ?乙等の資質を持つ孫娘をバラバラ死体で失い、薬脈の後継者がいなくなった。それなのに、この丙等の小僧である俺が三転した。腹が立つし、面白くないから八つ当たりしてるんだろう?理解してやるよ」
「何を言う!?」古月薬姫は目を吊り上げ激怒した。「小僧が、よくも言うわね!古月薬楽は死んではおらん!」
方源は嘲るように肩をすくめた。「死のうが生きようが、俺に関係あるか?薬姫、あえて強調する必要もなかろうに」
「だがな!」突然言葉の刃を翻す。「お前は孫娘を探すため、人員を徴用し大量の資源を浪費した。これは俺だけでなく、座する家老たち、そして族長とすら関係のある話だ。薬堂を任されたのは皆の信頼によるもの。それにどう応えた?治療蠱師たちを総動員させて私事に走り、負傷者や族を見捨てた!私欲に溺れ過ぎている!薬楽の犠牲が一族の損失なら、その損失を更に膨らませたお前に薬堂家老の資格などない!!」
方源の言葉は一語一句が薬姫の逆鱗に触れ、心の傷口を抉るように痛烈だった。
だが彼の主張は理に適っている。
方源の言葉を聞きながら、複数の家老が思わず眉を顰めた。
負傷者を抱えていない家などない。古月薬姫が治療蠱師を私用に駆り出し、本来の任務を怠って孫の捜索に走ったのは明らかな越権行為だ。
「お前……この!」古月薬姫は全身を震わせながら方源を指差し、言葉に詰まった。炎を噴くような視線で、今すぐ方源の首を締め上げたかった。
方源は冷たい目で臆せずに対峙した。
これは彼女の戦術をそのまま返したものだった。薬姫が大義名分を掲げ家老たちの好奇心を煽ったように、方源もまた一族の規律を盾に、家老たちの潜在する保守本能を刺激したのだ。
家老にとって組織の規律を守ることは、自らの利益を守ることだ。
古月薬姫のここ数日の行動は、明らかに彼らの利益を侵害していた!
「この方源……卑劣め!本当に卑劣な!」古月薬姫が震え怒る中、古月赤練もまた七転八倒しそうな怒りを堪えていた。
方源がここまで薬姫を徹底的に敵に回せば、当然赤脈も巻き込まれる。だが実際のところ赤脈は完全に無実だった!
古月赤練が馬鹿だろうか?人脈最広で最古参の薬姫を意味もなく敵に回すはずがない。
古月赤練は思わず身を縮め、心で祈った――他の家老たちが自分に注意を向けませんように。方源の行動は彼個人の意思で、赤脈とは何の関係もない!
だが方源の次の一言が、赤練の幻想を粉々(こなごな)に打ち砕いた。
彼が突然族長の古月博に向き直り、告げた。「族長殿、古月薬姫に薬堂を統括する能力があるか疑わしい。彼女の家老職を一時停止し、再審査を行うよう提案します。治療蠱師は一人残らず貴重です。彼女のような浪費を許せば、家族のために血を流す勇敢な同志たちが犠牲になる!」
一呼吸置くと、続けた。「この提案、赤練家老も大賛成です」
「何だと!?」古月薬姫の瞳孔が急に収縮し、顔色が激変した。
「何だと!?」家老たちは騒然。古月赤練の露骨な態度は、薬姫への長年の不満を示しているのか?それとも薬脈の利権を狙っての介入か?
「何だと!?」当の本人である古月赤練は、椅子から飛び上がりそうになった。
怒りが湧かないわけがない!
方源の所業に気が狂いそうだった!
この方源、自ら薬姫を敵に回すだけでは飽き足らず、赤練までも泥沼に引き摑り込んだ!
薬脈との関係は協調路線を築いてきたのに、長年の努力が方源の一言で台無しだ!
方源のやつ、露骨な罠にはめやがって!本人の面前で罪を擦り付けるとは!
だが古月赤練――赤脈の家主たる者が、方源の握る弱味に縛られ、為す術もない!!
「ふむ。赤練家老、貴殿もこの意見か?」古月博が目を光らせて問い質した。
古月赤練は歯を食いしばり、ゆっくりと腰を上げた。
首を硬くしたまま、方源を見るのを必死で避けている――怒りを抑えきれないのを自覚していた。
もはや方源に対抗する手段がなく、苦々(が)しくも認めるしかなかった。
「薬姫の解任は方源個人の思惑。狼潮目前の撤換は時機を逸する。だが薬姫様が私情で治療蠱師を濫用した事実は否定できん。本来の用途に使えば、家族の損失は軽減できたはず」この言葉を吐き出しながら、心臓から血が滴るような痛みを感じていた。
方源の主張に全面賛同などできるはずもない――自らの利益を守る必要があった。この発言は、方源と薬姫の板挟みで最善の妥協を図った結果だった。
だがその言葉が終わるや否や、「プハッ」という音が響いた。
振り返ると、古月薬姫が怒りの余り鮮血を吐き、後ろへ仰向けに倒れていく姿が目に飛び込んできた。
万事休す!
「薬姫を完全に敵に回してしまった!」この瞬間、古月赤練は氷穴に突き落とされたかのように、心が凍えついた。
「薬姫様!」
「者を呼べ!早く手当を!」
「気絶しただけです。三日三晩休まず心労が重なった上、方源と赤練の追撃を受けて……当然の成り行きです」
広間は暫く慌ただしくした後、静寂が戻った。
古月薬姫は担架で運び出された。
元々(もともと)高齢に加え、三日三晩不休で活動し、更に方源と赤練の共同攻撃を受けていれば、気絶しない方が不思議だ。
「薬姫様は長年薬堂を統轄され、過労が祟ったのでしょう。休息を取られるのが最善です。薬姫様が昏倒された以上、薬堂を空席にできません。方源に引き継がせることを提案します」古月赤練が突然口を切った。
この老いたる者は席の前に立ち、古月薬姫が運び出されるのを見送りながら、瞳に冷たい光を走らせた。
「既に敵に回したのなら、徹底的にやるまでだ!薬脈の反撃を防ぐため、一気に叩き潰す。これが権力者、策士としての覚悟というものだ!」
広間は短い沈黙に包まれた。
薬楽の死と薬姫の失脚は、薬脈の衰退が不可避であることを示していた。政治の残酷さは、時に狼潮よりも非情だ。
方源も黙り込んだ。自分が薬堂家老に就任するだって?古月赤練のその言葉は、ただの口先の方便に過ぎない。
新米の若造を要職に就かせるなんて、他家老や族長の頭が熱で焼け切れていない限り不可能だ。古月赤練がわざと口にしたのには、当然深遠な思惑がある。
案の定、次の瞬間、古月博が口を開いた。「薬堂の職務は暫定で赤鐘家老に担当させよ。方源の修為は真実、三転に達したことは家族法規に則り、ここに家老の位を授ける。この決定を全寨に公表し、共に祝おう」
言い終えると、古月博は立ち上がり、袖を払うようにして去っていった。
「祝おう、祝おう……」族長が退出すると、家老たちは方源に押し寄せ、拱手の礼を取りながら、どの顔も笑顔で満ちていた――が、その底にはそれぞれの思惑が渦巻いていた。
方源も拳を抱え、笑顔で応じた。