半时辰(約1時間)後、古月薬楽は黒熊にほぼ完食されていた。
黒熊は腸と頭を食べたがらない様子だったが、方源はそのような事態を容認しなかった。
「人獣葬生蛊」の秘方によれば、獣が人を食い尽くすことが最良――完全に消化される前に煉成しなければ成功率が最大限に保証される。
この蛊を煉成するには約10種の材料が必要。
主な二つは「人」と「獣」。
「人」は処女で蛊師の素質があり、少なくとも丙等でなければならない。乙等や甲等なら更に成功率が向上する。
「獣」とは駆獣蛊を指す。駆熊蛊・駆狼蛊・駆虎蛊など肉食動物が最適。鹿や牛などの草食動物を使用する場合、別の蛊虫で無理矢理人を食わせる必要がある。
獣が人を食い尽くした直後、即座に煉成を開始しなければならない。もし獣が人の骨肉を消化してしまえば、確実に煉成できなくなる。
黒熊が薬楽の腸と頭を食べようとしないのを見て、方源は不機嫌に鼻息を鳴らし、黒熊に仕込んだ駆熊蛊を発動させた。
黒熊は怒りの咆哮を上げ、方源の強制で腸と頭を飲み込まざるを得なかった。残った白い骨格も噛み砕き、一本一本飲み下していく。
鋭い骨片が口内や食道に突き刺さり、巨熊は痛さに涙を流した。しかし方源は強制を続け、熊の体は完全に制御を失っていた。
最後に黒熊が脊椎骨を丸呑みにした瞬間、方源は時機が熟したと判断。
手を弾き、単竅火炭蛊を放つ。蠱虫は黒熊の開いた口から体内深く侵入した。
「ガオオオッ!!」黒熊は絶叫を上げ、火炭蛊の力で五臓六腑が燃え上がり始めた。
黒熊は全身を激しく震わせ、喉の奥から絞り出すような絶叫を上げていた。地を這って暴れようとするが、駆熊蛊が一挙一動を完全に制御していた。
炎上が半刻(約30分)続いた後、方源は指先を震わせ三匹の火油蛊を放った。
火油蛊は一転消耗蛊で、黒熊の体内で自爆し大量の火油を撒き散らす。炎勢は更に増大した。
黒熊の叫び声は枯れ果て、方源はタイミングを計り追加の蛊虫を次々(つぎつぎ)と投げ込んだ。これらは全て(すべて)戦功で交換したものだ。
黒熊は地面に倒れ込み、完全に動かなくなった。
やがて七穴――目・鼻・耳・口から、更に肛門からも赤い炎が噴き出した。炎は突然巨大化し、瞬時に全身を包み込んだ。黒熊は巨大な松明と化した。
真暗な洞窟全体が炎に照らし出される中、その炎色は普通の橙色ではなく、不気味な血のような赤だった。
方源は更に辛抱強く待ち続けた。炎が徐々(じょじょ)に弱まり始めた瞬間、最後の蠱を安定した手付きで放った。
これは二転の毒蠱。
炎中に投じられるや、劇的な変容が起きた。
白い光の塊が炎から湧き上がり、最初は拳大だった。
方源は慌てて銭袋から元石を取り出し、次々(つぎつぎ)と光団へ投げ込んだ。
光団は元石を吸収し急激に拡大。千枚以上投じ終えた頃、部屋ほどの大き(おおき)さに膨張した後、突然収縮した。
フッ。
熊の屍体の炎は瞬時に消え、洞窟は再び暗闇に包まれる中、一匹の蠱虫がよろめきながら方源へ飛んで来た。
人獣葬生蛊。
三転の消耗型蛊虫。
その姿は黒蜘蛛の如く、毛深い触肢を有する。しかし頭部は熊の顔、背中には血の色の紋様が、古月薬楽の顔面を克明に描き出していた。
その顔は方源を睨みつけるように、笑うでも泣くでもない怨念に満ちた表情――まさに生き写しの薬楽そのものだった。
方源は高笑いし、微にも動じない。
「人は死ねば道も消える。生前すらこの程度、死後に何ができようか」
躊躇なく口を開き、人獣葬生蛊を丸飲みにした。
蛊虫は喉を這い下り食道を通過、突如黒紅混じりの水流と化した。
この気流は天河が逆流する如く、真一文字に空竅へ注ぎ込んだ。
空竅に到達するや、この黒赤い水流は即座に赤鉄真元海に融合した。
瞬時にして真元全体が不気味な黒赤色に染まり、血生臭い気配が充満した。
方源は意を集中させ、黒赤真元を操り、急いで周囲の竅壁を洗浄し始めた。
一割、二割、三割――真元が三割八分消費された瞬間、空竅がゴォォと激しく震動。透明な水晶のような竅壁がガラガラと崩れ落ちた。
その跡に現れたのは、完璧な球体を成す全新しい光膜の竅壁。
今、方源は三転に昇格!
だが油断せず、残りの黒赤真元を即座に体外へ排出した。
この真元は使用不能――蛊虫に注入すれば死亡させ、空竅内に長く留めれば光膜を汚染し、自身の素質を低下させる危険があったからだ。
黒赤真元を完全に排出した方源は、元石を握り締め真元の回復を開始した。
最初は銀色の霧が現れ、やがて水滴に凝縮、最終的に白銀色の真元海が形成された!
蛊師の一転は青銅真元、二転は赤鉄真元、三転は白銀真元となる。
だがこの白銀真元海は純粋ではなく、薄らぐ黒赤の斑が混在――人獣葬生蛊使用の後遺症だった。
方源も驚かず、冷静に再び白銀真元を体外へ排出し、真元を再凝練した。
二度目の真元海では黒赤が半減。だが満足せず、再排出&再凝練を繰り返す。
五度も繰り返すと、黒赤は微細な染み程度に。これ以上排出しても消えない残留だ。
これが人獣葬生蛊使用の代償――避け得ぬ後遺症だった。
人獣葬生蛊の効果は常軌を逸しており、二転の頂点にすら至れない蛊師を三転へ引き上げる。天運を改めるが如き逆天の術である。故に少しばかりの瑕疵が生ずる。
この黒赤の異色を完全に除去する方法がないわけではない。最も常用される手段は「浄水蛊」の使用だ。
浄水蛊は空竅内の異種真元を洗浄可能で、商隊の樹上小屋でかつて販売されていたが、残念ながら赤家に買い占められていた。
方源は当分の間、この黒赤の染みに対処する術を持たない。
「……この役立たずどもめ! 何をやっているんだ! 生きている人間が一人、消えるはずがないだろうが!?」薬堂で古月薬姫が激怒していた。怒鳴り声は窓枠を微かに震わせるほどだった。
彼女の胸中は焦燥感、恐怖、心配、激怒で渦巻いていた。
三日三晩が過ぎ、四頭の狂電狼は次々(つぎつぎ)に倒され、古月山寨は危機を脱した。しかし孫娘の古月薬楽の姿は依然として見つからない。
全て(すべて)の人脈を動員し戦場をくまなく捜索、山寨周辺を大規模に探索しても、新しい手掛かりさえ掴めなかった。
最後に薬楽の姿を目撃したのは、参戦していた蛊師たち。彼らが目にした光景は――狼群に包囲され、右往左往する薬楽の、危機一髪の状況だった。
これらの言葉は全て(すべて)、古月薬楽が九死に一生を得ぬ状況であることを示していた。狼群に食い殺された可能性が極めて高い。
だが古月薬姫は納得できない。
この残酷な現実を容易に受け入れられないのだ。
もし他の少女なら死んだまま放置しても構わない。しかし薬楽は血を分けた孫。幼い頃から薬脈の後継者として育て(そだて)てきたのだ!
あの子は従順で聡明、誰もが慈しむ存在だった。活発で愛おしく、周囲を笑顔にさせた。
この三日間、薬姫は眠りも食うことも忘れ、脳裏に孫娘の面影が焼き付いていた。以前は若々(わかわか)しく見えた彼女も、たった三日で十歳も老け込んだようだ。心臓を抉り取られたような虚無感と、際限ない苦痛に苛まれていた。
彼女の怒号を浴びながら、数十人の蛊師たちはうつむいたまま、老婆の無慈悲な叱責に耐え続けていた。
「薬堂家老様、申し上げます。下僚より急報がございます」戸外から二転蛊師が慌てて駆け込んだ。
「何だ!? 薬楽の消息か!?」古月薬姫の瞳が瞬き光り、詰め寄るように問い質した。
「新規三転蛊師が現れ、族長様が家主閣にて家老認証を召集されております」蛊師は平伏しながら報せた。
古月薬姫の目の光が再び翳り、煩げに手を振った。「薬楽の件でないなら……待て、今何と? 三転昇格で新たな家老が?」
言葉の途中で突然反応し、眉を微かに顰めた。
この事態は全く予兆なく突如現れた。新たな家老の誕生は古月一族の権力構造を揺るがす。後継者を喪った薬脈にとっては暗黙の打撃だ。
薬堂に居並ぶ蛊師たちは小さく噂を交わし始め、新家老の正体を推測し合っていた。
古月薬姫は眉をひそめ、単刀直入に問い詰めた。「三転に昇格したのは誰だ?」
「薬姫様、古月方源でございます」蛊師が平伏して答えた。
「何!? あの者が!?」瞬間、古月薬姫の瞳が針のように細くなった。彼女にとってこれ以上ない悪報だった。
堂内の蛊師たちからも波紋が広がった。
「まさか方源だって?間違いじゃないのか?」
「丙等の素質だろ?どうやってこんなに早く三転蛊師に?」
「三転なら家老、一族の上層部だ!今後彼に会ったら、進んでお辞儀して挨拶しなきゃ!」
「信じられない…まるで一気に頂点に登り詰めたようなものだ!」
「以前、彼は死んだって言われてなかったっけ?三日三晩行方不明で、戦場で遺体も見つからず、電狼に食われたと思ってたのに…」
蛊師たちは驚愕と嫉妬、疑念が入り混じった表情を浮かべていた。
「三日三晩の行方不明、戦場で遺体も見つからぬとは……薬楽の件と全く同じではないか!」
古月薬姫の耳が微かに動いた。女の直感が、方源に対する濃厚な疑念を唐突に湧き上がらせた!
彼女は突然心変わりし、家主閣へ赴くことを決意した。