二本の巨大な幡旗が風に翻り、パタパタと音を立てていた。
一本は戦功榜――今や方源が十位内に名を連ねる。もう一本の幡には多種多様な物資が記載され、全て(すべて)戦功で交換可能となっている。
だが今、人の往来が絶えない広場で、多数の蠱師たちの視線が新たに掲示された法令に吸い寄せられていた。
法令の内容は概ね次の通り――狼潮の猛威により、家族の蠱師の死傷者が日増しに増加。治療能力強化のため、薬堂は九葉生機草を所有する全蠱師に対し、当該の草を一時的に家族へ提出するよう命ずる。薬堂が人員を組織し、一括生産を実施する。
通告の最後には連名が記されており、九葉生機草を所有する家族の蠱師たちの姓名が列挙されていた。
言うまでもなく、方源の名も当然含まれている。
今、彼は遠くの隅に立ち、この通知を眺めながら顔色を険しくしていた。
一瞥した瞬間、即座に悟った――これは古月薬姫が自らを狙い仕掛けてきたのだと。
「フン、この古月薬姫め、先に酒虫を買い求めようとして失敗したのに、まだ諦めてないのか。元々(もともと)十分な戦功を貯めて三步芳草蠱と交換しようとしたら、彼女に陰で阻止された。今度はまさかわしの九葉生機草まで狙ってきやがる……」
しかし古月薬姫のこの行動も理解できなくはない。
同業者は生まれつきの敵、仇である。
古月薬姫は生機葉の販売を支配することで権力を固め、影響力を深め、人脈を維持してきた。方源が密かに売りさばき価格をつり上げることで、無形のうちに彼女の利益を侵し、影響力を揺るがせたのだ。
「現のわしは白玉蠱、月芒蠱、強纏、水罩蠱、地聴肉耳草など多数の蠱虫を有する。九葉生機草が最大の経済基盤だ。これを失えば、竈から薪を抜かれるようなもの。古月薬姫のこの手口、実に辛辣だ」方源は眉を顰めた。
周囲の蠱師たちの噂話が彼の耳に届いた。
「薬堂のこの措置、本当に素晴らしい!生機葉が足りなすぎて、需要に追いつかないんだよ。物資榜に一括出ても瞬く間に買い占められる」
「薬姫家老は本当に慈悲深い!この名簿見ろよ、赤脈や漠脈の蠱師まで含まれてる。これじゃあ権力者を敵に回すことになるのに」
「薬姫様は一族のため一途だ。尊敬に値する!」
「はあ…薬姫様でなければこんな果断な措置は取れないわ。他の家老にそんな度胸があるか?」
「おお!見ろ!お知らせの内容が変更された!赤脈と漠脈の蠱師たちが九葉生機草を上納したぞ!」
人々(ひとびと)が沸き立った。
九葉生機草が集約され一括生産されれば、生機葉が増産される。彼等にとっては大きな朗報だった。
方源が凝視すると、確かに名簿の蠱師名の後ろに「上納済」の文字が追記されていた。自身の名前はその対比で一層浮き彫りになっている。
心が鉛のように重くなった。
古月薬姫は流石に老獪な権謀術数に長けている。この措置は大義名分を盾に方源を圧迫するものだ。方源が強硬に抵抗すれば、かえって更大な厄介を招き、弱みを握られる。決して賢明な選択ではない。
これこそ家族体制の恐るべき点だ。
家族が犠牲を強いる時、直接は言わない。輝かしい看板を掲げ、大義に包んで迫る。従わざるを得なくさせるのだ。
隠居した老いた蠱師たちを召集し、命を捧げさせた時のように――誰が逆らえただろうか?
今九葉生機草を集めるとは、方源ら一部の蠱師に利益を犠牲にさせ、表向きは「皆のため」と称しつつ、実は薬姫自身の利を図るものだ。従わぬ者は即ち家族への叛逆、民衆からの離反!逆賊であり、反逆者だと断罪される!
「この問題を解決するには、遅延やごまかしは通用せず、かえって自らを追い込むだけだ。これらは陰謀の小細工に過ぎず、薬姫のこの措置は大義名分と民意を盾にしている。どんな小細工も粉砕される。より大きな『勢い』で堂々(どうどう)と反撃し、正面から彼女の『勢い』を打ち崩す以外に解決策はない」
方源の心には既に根本的な解決策があった。
この策略は単純でありながら威厳に満ちている――三転に昇格することだ。
三転蠱師と二転蠱師の地位は全く異なる。家族において三転に達した者は即座に家老となり、意思決定の中枢に加わる。族長といえども容易にその利益を侵せない。
このお触れで漠脈や赤脈の蠱師たちが素直に九葉生機草を上納したように見えるが、各々(おのおの)が利益を犠牲にしたわけではない。水面下で古月薬姫は既に古月赤練や古月漠塵ら家老と密約を交わしていたのだ。
これこそ政治取引である。
だが大多数はこの舞台裏の真実を見抜けず、薬姫の術中に嵌っていた。
方源がもし三転蠱師であれば、仮え九葉生機草を上納しても、必ずや他の方面で十分な補償を得られるはずだ。
古月薬姫がなぜここまで急いで方源を叩こうとするのか?
一つは利益のため――方源の行動が彼女の利権を侵し、同時に方源が持つ蠱虫の数々(かずかず)が薬姫の欲するものだったからだ。
二つ目に、方源は既に二転の頂点に達している。もう手を打たなければ、彼が三転家老となった時、最早手の施しようがなくなるからだ。
「三転への昇格は必須だ。家族にとって二転蠱師なら犠牲にすることもできるが、三転となれば柱となる。一人欠けても大きな損失だ。況してや、今のわしは厄介を多く抱えている。青書の死について家族は詳細な調査をせず、水罩蠱や強纏を手元に留めていることにも目を瞑っている。わしの修行速度の異常さを上層部は認めながらも、秘密を探ろうとしない」
方源は自らの置かれた状況を痛いほど理解していた。
表向きは強気で華やかだが、実は危機が四方に潜んでいる。
家族が彼を狙っていないのは、狼潮に全ての注意を奪われているからだ。狼群に抵抗できなければ一族が滅ぶという圧力下、方源の件は些細な問題でしかない。
しかし一旦狼潮が過ぎ去り、家族上層部に余裕が生まれれば、必ずや後で総括しようとしてくるだろう。
以前学堂時代に家老たちが方源を放置していたのは、彼が弱小すぎて大した影響がなく、家老たちの利益に触れず眼中になかったからだ。
だが今は違う。
方源の修行は既に二転の頂点に達し、次の一歩で家老となる。
この修行の域に至っただけで、既に家老たちの神経に触れている。一挙一動が家老たちの監視下に置かれ、心に刻まれているのだ。
新たな家老の誕生は古月一族の政治的構図を変動させる。故に方源への勧誘や弾圧が次々(つぎつぎ)と押し寄せるだろう。方源が一日も早く体制に組み込まれず陣営に加わらない限り、これらの圧力は激化する一方だ。
中間派も一つの陣営である。
もはや誰も現在の方源を許さない――家族体制の外を漂い続ける存在を。
「もしわしが三転に昇格すれば、勧誘や弾圧は続くとしても、二転の頂点よりは余裕を持って対応できる。これが質的転換の分岐点、越えなければならない関門だ。突破すれば新たな世界が広がる。同時に三転の実力があれば進退自由、最悪の場合、家族から脱退すれば済むことだ」方源はこの状況を火を見るより明らかに看破していた。
だが三転への昇格は決して容易ではない。特に方源の丙等の資質では、ほぼ越えがたい障壁だった。
前世では、彼は二転の頂点で百余年も停滞した。後に惨めな代償を払って蠱を手にし、資質を向上させて初めてこの難関を突破できたのだ。
蠱師の修行において、小境界の突破は容易で、時間さえかければ水が石を穿つように達成できる。しかし大境界はそれぞれが難関で、進むほど困難が増す。特に五転から六転への壁は想像を絶し、天に登るよりも難しい!
方源が一転から二転に昇格した時ですら、非常な苦労を要した。今二転から三転へと進むには、通常の方法では成功の可能性など全くない。
しかし幸い方源には五百年の人生経験があり、膨大で雑多な記憶の中に二、三(に、さん)の特殊な方法が残されていた。良く言えば「新機軸」、悪く言えば「邪道」と呼べるものだ。
方源が今選んだこの方法こそ、現状の彼に最適な選択肢だった。
三転に昇格するためには、奇妙で血生臭い蠱を煉成しなければならない――その名は「人獣葬生蠱」。古代のとある魔道の教主が配下の実力を強化すべく、心血を注いで編み出した秘伝の術である。
人獣葬生蠱は二転蠱師が三転の境界を突破するため特別に開発されたものだ。
方源は前世で遺跡を探検中、縁あってこの秘法を手に入れ、強烈な印象を受けずっと記憶に刻んでいた。
肝心なのは、煉成に必要な材料が決して珍しいものではない点。
平常時なら方源の環境では、これらを集めるのに2、3年を要するが、狼潮が大量の機会をもたらした。
ここ数日で既に十分な元石と蠱虫を集め終え、残るは一つの材料――それだけが最適な時機を待つばかりとなっている。
……
「みんな早く見に来て!薬堂が新しいお触れを出したぞ!」
「まさか九葉生機草を集めて一括生産するって?」
「これって超ビッグニュースじゃないか!」
竹楼の中で、蠱師たちが壁に貼られた通告を囲み、顔を輝かせながら読んでいた。
「ハハハ、これで方源め、泣き面するんじゃねえか」
「フン、生機葉を高値で売りやがって、俺たちの汗水絞った金を巻き上げやがって!」
「今の方源の表情が見てえもんだ……きっと青ざめてるに決まってるぜ」
多くの者が他人の不幸を面面しく喜んでいた。
「フフフ、これでやっと溜飲が下がるわ。でも薬楽さんに感謝しなきゃね。彼女が薬姫様を説得しなかったら、こんな日は来なかったんだから」
「そうだよ、本当に薬楽さんありがとう」
「薬楽さんは美しいだけでなく、心根が優しくて正義のために動いてくれた。薬姫様の風格を受け継いでるね」
……
周囲の称賛の声が絶え間なく続く中、古月薬楽は恥ずかしそうにうつむき、心の中で嬉しさが膨らんでいた。
「薬楽ちゃん」その時、熊驕嫚が扉から竹楼に入ってきた。「お別れの挨拶に来たわ。薬堂の通告も見たよ。胸のつかえが下がったわ。方源みたいな害群の馬は、きちんと処分しなきゃね」
「驕嫚姉さん、もうお帰りになるんですか?」古月薬楽は憂しげな表情で見上げた。
熊驕嫚は片手を腰に当て、もう片方の親指を門外に立つ蠱師たちの方へ向けた:「援軍を確保したから急いで戻らなきゃ。また会おうね」
薬楽の胸に突然切ない感情が湧き上がった。
熊驕嫚が旅立った時は十人の蠱師がいたが、ここに到着した時は七人に減っていた。今門外に立つ彼等が残酷な戦場へ向かう――果たして無事に帰還できる者が何人いるだろうか?