白凝冰と青書の激戦事件以降、白凝冰を追撃した方源の名声が一気に広まった。
ここ数日、方源は狼潮の中で強気な一面を見せつけてきた。常に単独で電狼を狩り、その戦績は驚くべきものだった。
彼は現われた新世代の存在だ。気性が偏屈で評判が悪くなければ、赤山や漠顔と肩を並べる地位を得ていたかもしれない。
しかし熊家寨の者にとって、方源は熊姜を殺害した犯人でもあった。
だからこそ熊驕嫚らが方源を見た時、複雑な表情が浮かんだのだ。
方源は高所から蔦を揺らしながら、悠々(ゆうゆう)と言い放った。「援軍を待ち続けるか、この蔦を使って崖を登るか、選ぶがいい」
援軍がいつ来るかなんて、誰に分かる?
戦場の事情は常に不透明だ。
熊驕嫚らは当然眼前の蔦を選んだが、方源が報酬を要求してきた。
この要求に熊家寨の蠱師たちは激怒した。
「方源、我々(われわれ)は同盟相手だぞ!よくもそんな真似が!」誰かが怒鳴りつけた。
「駆熊蠱を要求するとは、よく口にできたもんだ!」別の者が嘲るように言った。
方源は悠然と答えた。「駆熊蠱一匹と七百元石で七人の命が買える。破格の安値だ。断っても構わん。お前らが置かれた状況を家族に報告してやるさ。フフ、ただ援軍がいつ到着するか、途中で狼群に襲われるかは保証できんがな」
一同は沈黙した。
一人残らず顔色が悪くなった。
「分かった、承知した。方源、評判通りの男だこと」熊驕嫚は大局のため妥協を選ばざるを得なかった。その言葉には方源への痛烈な皮肉が込められていた。
方源は肩を竦めて無関心を装った。この結末は彼の予想内だった。
蔦を投げ捨てながら、心の底で冷笑した。
この四頭の豪電狼の群れこそ、彼が引き寄せたものだ。元々(もともと)は全員が死んだ後で蠱虫を回収し、戦功を得る算段だった。しかし彼等の信号蠱が周辺の複数の蠱師グループを呼び寄せ、援軍が迫ってきていた。
苦労を水の泡にしないため、方源は仕方なく支援要員を演じる羽目になったのだ。
熊驕嫚らが蔦で狼群から脱出して間もなく、三組の蠱師グループが到着した。その中に赤山グループの姿もあった。
元々(もともと)青白かった七人の顔色がさらに険しくなった。
熊驕嫚は激しく後悔していた。つい先刻まで、自ら駆熊蠱の意識を解除し、方源の煉化に協力していた。今更撤回できる状況ではなかった。
「方源、覚えておくわよ」熊驕嫚が憎々(にくにく)しげに方源を睨みつけた。
「覚えるかどうかは貴女の勝手だ」方源は淡く笑い、踵を返した。
「熊秀さん、またお会いしましたね」向こうで赤山グループが近づき、丁寧な口調で挨拶した。
白凝冰事件後、古月一族は青書を、熊家は熊力を失い、双方が被害者となったことで関係が深まっていた。政治的には白家寨が共同で排除される対象となっていたが、盟約はまだ存在しているものの。
「妹こと熊驕嫚、赤山兄貴にお目にかかります」熊驕嫚は無理に眉を伸ばし、拳を合わせて礼をした。「今回、古月一族へ援軍派遣の要請に参上しました。熊家寨は電狼群に六日六晩包囲されたままです」
ここ数日、狼潮は悪化の一途を辿っていた。電狼の群れは山寨を包囲し、勝手に攻撃を仕掛けるほどに横行していた。
熊家寨は三寨中で最も低い山麓に位置するため、真っ先に影響を受けていた。実際、これが三度目の包囲で、援軍との連携による内外挟撃でしか電狼群を撃退できなかった。
「援軍の件は、そう難しくないと思う。前の二回もうまく協力できたじゃないか? でもまず族長に報告しないと。みんなについて来てくれ」赤山が言った。
熊驕嫚たちは赤山グループに付き従い、古月山寨へ到着した。
古月山寨は重層的な防御を敷いており、外周の寨壁は何重にも補強され、数十基の物見櫓が設置されていた。寨壁の下には堀が穿たれ、中には青竹の鋭い破片が突き立てられていた。
寨壁上には鉄藤蠱や毒花蠱が植え込まれている。見渡す限り、壁面は鋭利な茨に覆われ、鮮やかな毒の花が何百となくつぼみを膨らませていた。
正門を入ると、付近の建物は民家も酒場もすべて接収され、臨時の要塞へ改造されていた。
熊驕嫚ら七人は熊家寨から狼群の包囲網を突破してきたため、全員が負傷していた。そのためまず竹楼へ案内され、治療を受けることになった。
竹楼には十数名の治療蠱師が駐在しており、大半が一転蠱師、二転蠱師も二人いた。しかし熊驕嫚らを少し驚かせたのは、指揮を執っていたのが二転の治療蠱師ではなく、若い少女だったことだ。
「この意識不明の者を籐椅子に寝かせて」
「こちらに足の骨折れた患者がいる。古月星、急いで治療して」
「外傷だ。阿風は止血、阿信は消毒。楔はまず骨折の固定を済ませてから包帯を巻いて」
少女は漆黒の髪、桜色の小さな唇、水晶のように輝く瞳、ほんのり赤ちゃん肥の頬、鈴のような優しい声。だが指揮を執る様子は極めて有能で、人々(ひとびと)を驚かせた。
熊驕嫚は思い当たる人物がいて尋ねた。「この妹さん、もしかしで古月薬楽さんでは?」
「熊家の驕嫚姉さん、初めまして。私の名前をご存知なんて」古月薬楽は手配を整えてから近づき、丁寧に挨拶した。
「薬楽ちゃんは有名人ですよ。薬姫様の仁愛を受け継ぎ、卓越した医術を持ってらっしゃる。まだ一転の修行ながら、青茅山の十大新星に選ばれた。熊家寨でも妹さんを慕う者が大勢いますよ」熊驕嫚は眼前の少女の背景を察し、古月一族への依頼を成功させるため、巧みにお世辞を並べた。
「驕嫚姉さん、褒めすぎですよ」古月薬楽は若さゆえに褒められて顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうにうつむいた。
その時、傍らにいた熊家の蠱師が嫌味っぽく言った。「同じ十大新星でも、あの古月方源なんか妹さんとは比べものにならねえよ」
「方源の話はするな! 思い出すだけで骨身にくるぜ!」
「英雄なき時代に、小僧が名を成すとは…はあ」
「あいつの人柄は最悪だ。十大新星の首位になんて…吐き気がするわ」
この発言に即座に同調する者が現れた。中には古月一族の蠱師さえ混じっていた。
「古月方源?今度はまた何やらかしたんだ?」誰かが興味深そうに尋ねた。
「フン、私の駆熊蠱を奪い、七百元石も救出代とやらで要求してきた。ここまで厚顔無恥で利益に目がくらんだ小人は見たことない!」熊驕嫚は不満を爆発させるように啖呵を切った。
「これぐらい何でもない、もっと酷いことだってあるんだぜ」
「心根は石炭より黒く、一片の生機葉を80元石で売りつけるなんて、完全に弱みに漬け込む卑劣な手口だ!」
「あいつは傲慢すぎる。友達が組み入れを頼んだら、断るだけじゃなく大勢の前で罵倒したんだ。調子乗りやがって…丙等の資質の分際で!」
「全くの道楽息子だよ。親の遺産を食い潰し、商隊から高級の赤鉄舎利蠱を買い漁り、白凝冰からも奪い取った。俺だってあの蠱さえあれば、あいつの修為ぐらい楽勝だっての!」
「やっぱ古月青書様が最高だった。優しく穏やかで…残念ながら早く亡くなられて」
「弟の方正は正義感溢れる好漢で、青書様の風格を受け継いでる。兄とは正反対だよ」
熊驕嫚は予想だにしなかった――自分の愚痴一言が、これほど多くの古月族の共感を呼ぶとは。
彼女は驚きを隠せなかった。方源がこれほどまでに人嫌いされる存在だとは露とも思わなかった。
彼女は不審に思い尋ねた。「そこまで嫌われているなら、どうしてあいつを懲らしめる者がいないんです?」
竹楼内は瞬時に静寂に包まれた。
古月族の者たちは顔を見合わせ、誰も口を開かなかった。
実際、方源のやり口や吊り上げ価格での販売利益に目を瞋る者はいた。彼に因縁をつける者も多かったが、毎回の結果は「因縁をつけた側が大きな厄介に巻き込まれる」というものだった。
何度も繰り返されるうち、遂に方源に楯突く者はいなくなった。
そして方源は、今回の狼潮で現われた「十大新星」の筆頭として公認されるに至った。
すべての地位は力に根差す。
方源の戦闘力が最強だからこそ首位なのだ。評判がどんなに悪かろうと、人望がなかろうと。
「またあの方源か……」古月薬楽は眉を微かに顰め、独り言のように呟いた。
彼女は方源と面識がなかったが、その名を度々(たびたび)耳にしていた。少女の心に刻まれた方源の印象は最悪だった。
「先輩とはいえ、やり方が度を超えてる。今回は驕嫚姉さんを脅迫し、駆熊蠱まで奪うなんて、両家の盟約を完全に無視してる。このままでは古月一族の恥だ。お婆様に相談して、方源をきちんと教育してもらわないと」
そう考え至ると、一族の大義から見ても方源への制裁が不可欠だと確信した。
自分にその力はないが、薬堂家老である祖母の古月薬姫なら必ずや成し得ると信じていた。
彼女の目には、祖母が万能に近い存在に映っていたのだ。
……
「わたくしに古月方源を懲らしめろと?」薬姫は孫娘を見つめ表情が微かに動いた後、突然緊張が走った。
「我が愛しき孫よ、まさかあの者が汝を虐めたのか?」慌てて尋ねた。
「私には何もしていません。でも今度は熊家の驕嫚姉さんを脅迫し、駆熊蠱一匹と七百元石を要求したんです。本当にひどすぎる。このままでは一族の面子が潰れます」古月薬楽が訴えた。
「ふむ、この件は承知した。良き孫よ、まずは下が(さが)るがよい。祖母は汝を失望させぬ」薬姫は暫し思案してから告げた。
「ありがとう、お婆様! あの男は価格をつり上げ、弱い者を虐め、悪事の限りを尽くしているんです!」
少女が去ると、薬姫は深い思案に沈んだ。
彼女は以前から方源を懲らしめたいと考え(かんがえ)ていた。理由は薬楽のような天真爛漫なものではなく、方源が握る利益に食指が動いたからだ。
第一に酒虫。
先般商隊から購入した一匹は孫娘の薬楽に与えたが、三転蠱を煉成するためにもう一匹が必要だった。
次に九葉生機草。
一族の大半の生機草を掌握し、生機葉の販売で権力基盤を強化してきた薬姫にとって、方源の価格操作は許容しがたい行為だった。
「あの方源め、図に乗りすぎだ! 前に酒虫を買おうとしたら断りやがった。今度は生機葉の値を釣り上げて暴利を貪るとは……この薬堂家老が飾り物だとでも思っているのか? フン!」