作者の話
2012年12月15日
06時28分
《蛊真人》
成功に向かうか、さもなくば破滅へと向かう
ここ数ヶ月、私は人生が与える苦痛を経験し、心身ともにその中でもがいてきた。
人生は天秤のようなものだ。一方に「現実」を載せ、もう一方に「心」を置く。私にとって「現実」の皿がますます重くなり、天秤が傾いたことで痛みが生じた。
人はあまりに長く歩き続けるうちに、道端の風景に迷い、往々にして最初に何のために旅立ったかを忘れてしまう。
そういうわけで、苦しみの中で私は幾度となく迷いに襲われた。
前作を完結させてから現在までの休筆期間、私は方向性を探し求め、かつて何のために筆を執ったのかその理由を探してきた。
今から五、六年前のことだ。当時私は既にしばらく小説を読み耽っていた。
『飄渺之旅』が最初で、その後『褻瀆』『誅仙』『狂神』『馭獸斎』『獸血沸騰』『蜀山』『惟我独仙』など...
数多くの小説を読み漁るうちに、私は心の中に澱のようなものを蓄積していった。その理由は、主人公の多くが天運を掴んだ正々堂々とした高潔な人物であるのに対し、悪役は愚かで狂気的で醜悪な存在として描かれ、看板倒れの張り子の虎のように、主人公と対峙するとすぐに萎縮してしまうパターンが気に食わなかったからだ。
遂々、「真の大悪党」を描きたいと思うようになった。
その悪党は孤高で暗黒的であり、躊躇いなく殺戮を決行する。自らの悪を偽装せず、偽善の仮面を被らない。
その姿は一目で邪悪とわかるほど魔気がみなぎり、殺意が充満している。最も得意とするのは規則を踏みにじり、名門正派を殲滅することだ。
孤高の存在として全世界と対峙し、恐怖を万物に撒き散らす。まさに邪道の大宗師。時に豪放磊落に、時に陰険狡猾に、時に冷徹非情に、絶頂に立ちながら世を嘲笑う。彼に挑む勇者たちはことごとく悲惨な末路を辿る。
残忍な手段を厭わず、蛊毒を弄ぶこともある――要するに、ろくでもない輩だと一目瞭然だ。
ではその名は?「超魔王」?「黒山老妖」?「緑袍老祖」?
いやいや。
しばし考えた末、やはり「蛊真人」と呼ぶことにしよう。
ちょうどその頃、小説投稿サイト「起点(Qidian)」でアカウントを作成する必要があった。OK、こうしてこのIDは誕生した。
テレビドラマでよくあるパターンだ:大悪党が主人公を倒し、最後の一撃を加えようとする寸前、悪党が長々と説教を始める。その隙に主人公は力を蓄え、逆転勝利を収める。
逆に悪党が劣勢になる場合はこうだ:主人公の必殺技を受け地面に叩きつけられた悪党は、喉元に剣を突きつけられると突然涙ながらに改心を誓う。主人公が「慈悲深く」躊躇う隙に反撃を試みるが失敗。主人公は「炯眼をもって偽善を見破り」、冷徹に悪党を葬り去りながら「卑劣なり!」と叫んでとどめを刺す。
人質作戦も大概うまくいかない。たとえ圧倒的優位に立っていても、不可思議な力によって主人公が逆転する。
今から六年前、「蛊真人」というIDを創作した時、私の胸にはある願いが燃えていた。真の邪悪な大悪党を描きたい──世俗の倫理を嘲笑い、自らの美学に従って暴走する存在を。情に流されず、美女の誘惑にも微動だにしない果断さを。
その威名は四海を震え上がらせ、人々は口にするだけで顔色を変える。
理解者は畏敬の念を抱き、憎む者は歯軋りしながら策を巡らせるが、却って彼をさらに強大にするだけだ。
孤独という外套をまとった彼の冷徹な瞳は、あらゆる偽りを見透かす。
批判には嗤い、阿りには沈黙で応える。
孤独を耐えるどころか、むしろ愉しむ。
成功か、さもなくば破滅か──
彼は闇の巡礼者だ。一人で荊棘の道を切り開き、神ならば神を殺し、仏ならば仏を斬り伏せる。いかなる障害もその歩みを阻めない。
この夢はずっと心の奥底に忍び込ませていた。執筆活動を続ける中で、何度も筆を執ろうとしたが、結局実現しなかった。
書く勇気がなかった。まだ筆力が足りないと感じていたのだ。
月日は流れ、様々な経験を経て、初めて小説を書いた頃とは多くのことが変わった。
過去を振り返るのが憚られるような日々が続き、この夢は時の塵に埋もれ、次第に忘れ去られていった。たとえ思い出したとしても、まだこんな痛快な物語を書く準備が整っていないと自分に言い聞かせた。
しかしここ数日、歩みを止めて振り返った時、ある真理に気付いた──人生は料理ではないのだ。料理は調味料を全て揃えてから火にかけるが、
人生に準備期間などない。「万事整う」と言っても、まだ東風が足りないのではないか?
人生はいつも慌ただしく、多くの出来事は準備不足、あるいは全く無防備な状態で突然訪れる。
運命は変転極まりなく、明日何が起きるか誰も予測できない。
そこで私は決断した。2012年世界滅亡説(マヤ文明の予言)が騒がれる中、新作を書くことに。
その題名こそ『蛊真人』である。
これ以上ふさわしい書名は存在しない。
六年前に蒔いた種が、今この時についに実を結んだのだ。
同じタイトルの小説ではあるが、自惚れや傲慢ではなく、あくまで夢を形にする表現だ。かつて抱いた熱い想いを、今こそ具現化しようと決意した。
だからこそ、この作品は他書と一線を画す。私の過去作とも様式が異なる。
なぜなら主人公こそが大悪党──目的のためなら手段を選ばず、超絶的な邪悪そのもの。一方で物語の「悪役」たちは清廉潔白な青年俊英や、名誉ある名門正派として描かれる。
本作ではこんな展開が起こる:主人公が「正義の使者」を倒す時、余計な台詞なしに即座にとどめを刺す。正派の親友を人質に取り、鉄壁の防衛を強引に突破する。
ためらいなど微塵もない。敵対する者は、たとえ絶対強者だろうと、麗しき美女だろうと容赦なく葬る。
そう、この作品では美女を殺す。しかも惜しみなく、情け容赦なく。
美女を見て足が震えたり、胸をときめかせたり、甘い妄想に浸るような描写は、この本には存在しない。冷徹なまでに「美」を切り捨てる覚悟で筆を進める。
承知の上だ。この本が多くの読者を失望させることを。しかし理解してほしい──美女を見た途端に立場を翻すような者が、どうして「绝世の魔頭」と呼べようか?
それはただの女好きの能無しだ。
この作品で描くのは、狂気に満ちた反逆者だ。情け容赦ない振る舞い、常軌を逸した欲望、秩序への挑戦──まさに邪道の極致を追求する。
率直に言おう、これは議論を呼ぶ作品となる。批評サイト「龍空(Lkong)」のユーザーが言うところの「反社会的な価値観」そのものだと自覚している。
そう、ここに明言する。この小説は道徳的指針を逆撫でする。
読書は楽しみでなくてはならない。
本書は邪悪だ。閲覧には覚悟が要る。
受け入れられる方には歓迎の意を。
我慢できず、不快を覚え、人生観を踏みにじられたと感じる方には──どうぞお引き取りを。
小説は楽しむもの。苦痛なら他の本を探すべきだ。Qidianには良作が溢れている。執筆中にいくつか推薦することもあるだろう。
以上が本書の序章にして、宣言である。
原作者:蛊真人
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