白凝冰とは誰だ?
青茅山随一の天才、ただ一人で三大家族の勢力図を変え、修行を始めた当初から群を抜き、他の俊才たちを霞ませた存在。敵でさえ彼の将来性を認めざるを得ない。
だが今、まさか彼が追い詰められ、こんなに狼狽えて逃げ回るとは。
青書たちの予想を完全に裏切る事態だった。
さらに驚愕したのは、追手が同族の方源だという事実。
彼らが方源に持つ印象は、昔の闘技場での姿や、吞江蟾を撃退した事件で止まっていた。熊力への自発的な降参が、真の実力を過小評価させる要因となっていた。
「いつの間に……方源がこんなに強くなっていたなんて!」
一同はこの現実を受け入れ難い様子だった。
……
方源が角を曲がる。
「古月青書!」青書グループ五人の姿を目にした瞬間、心臓が強く鼓動した。
「どうやら今回は私の賭けが当たったようだな。白凝冰、今日がお前の命日だ」内心でそう思いながら、声を張り上げた。「弟よ!こんな所にいたのか!ちょうど良い、白凝冰を食い止めろ!こいつは熊力グループを殺した上、我が族の古月蛮石らも殺害した!極悪非道の輩だ!」
「なんだって!?」
「三大家族で盟約を結んだはずでは」
「いや、白凝冰なら何をやっても驚きはしない」
「そうだったのか!道理で方源が追えるわけだ…」
青書ら五人は驚愕と共に合点がいった様子。白凝冰が狂気に駆られ、戦闘で消耗した隙を方源が衝いたらしい。
「このまま白凝冰の命が尽きるのか?いや…今の真元で霜妖蠱を自爆させられる!勝機はある!」崖の上で青書グループに阻まれ、背後に方源の追撃を受ける絶体絶命の状況で、白凝冰は心で叫んだ。
実のところ、方源と方正の兄弟には確執があり、方正が方源の指示に従うはずもなかった。
だが部外者である白凝冰はこの事実を知らず、瓜二つの容姿を見て決断を下した。
突然右腕を高々(こうこう)と掲げ、空竅に辛うじて回復した全真元を右手の掌に宿る霜妖蠱へ注ぎ込んだ。
右腕の筋肉が再び淡青色の氷塊と化わり、透き通った氷層の向こうに白々(しろじろ)とした腕骨が浮かび上がる。
ドーン!
爆発音と共に右腕全体が自爆。霎ち白煙が噴き上がり、凶暴な寒気が渦巻いた。
ガリガリッ
真夏の炎天下とは思えぬ狭い山道で、白い霜がジリジリと広がり――土壌を覆い、樹木を飲み込む。周囲の気温が急激に低下した。
「右腕ごと…捨てた!?」方正は白凝冰の非情さに呆然。
「退け!」古月青書が方正を掴んで急退。
波瀾のように押し寄せる霜の群れ――捕まれば致命傷は免れない。
青書グループだけでなく、方源も例外ではなかった。百歩ほど後退して初めて、氷霜の拡大が止んだ。
元々(もともと)この山道は生い茂った草木の香りが漂い、木々(きぎ)が茂っていた。今や氷の世界と化わり、樹木は凍り付いている。地面には分厚い氷雪が積もっていた。
方源が厚い雪を踏みしめ、山道の中心へ歩き出す。
白凝冰の全身が氷晶に閉じ込められているのが見えた。琥珀に封じ込められた昆虫のようで、直前の凶悪な表情と決意が凝固していた。
「あいつ……自決したのか?」青書グループも到着し、方正が呟いた。
「違う!」青書の表情が険しくなる。「白凝冰はすでに氷肌を修得している。この氷晶では死なず、逆に保護装甲となり回復時間を稼いでいる」
方源は白凝冰を凝視しつつ、月刃を放った。
ザクッ
月刃が白凝冰の氷晶に当たり、硬質な音を発した。
高さ三米、幅と奥行き二米の氷晶に、浅い刃痕が残った。しかしすぐに、氷晶中の寒気が広がり、刃痕を修復した。
「方源、今の話は真実か?」青書が視線を切り替え、方源を凝視しながら問う。
「当然。熊力グループには熊林が生存しており、証言できる。ここは長居できん。詳細は後で話すとして、今は撤退が先決だ」方源は頷き、答えた。
既に離脱の意思を固めている。
この氷晶を斬破できず、仮に協力して破壊しても膨大な時間と真元を消耗する。
白凝冰が氷を破り出す頃には、戦力が低下し、彼の真元が完全回復していれば、戦況は間違いなく不利だ。
「撤退?なぜ逃げる必要があるんだ?」方正が声を荒らげて反論する。「あいつは右腕を失い、激戦を経て心身ともに疲弊している。氷晶を破壊し、族の信号蛊を発して仲間を集め、殲滅すべきだ!千載一遇の好機だぞ!」
この言葉に一同の心が揺れる。
「方源が白凝冰を追えるなら、我々(われわれ)だって…」数名の蠱師が顔を見合わせ、心中で計算を始めた。
「白凝冰を殺せば、我々(われわれ)は古月一族の英雄だ!」「だが白家寨が報復戦争を起こすのでは?今は狼潮の最中だが…」
「いや、狼潮があるからこそ、白家寨は苦渋を呑まざるを得まい」
「その通り。死んだ天才は天才ではない!」
数人の組員が議論を交わし、目の奥に功名への渇望を滲ませていた。
「実に愚かだ。北冥冰魄体の恐ろしさを、お前たちが理解できるものか」方源は目を細め、内心で嘲笑った。自ら死地に赴く愚か者に付き合う気はない。
古月青書も躊躇を禁じ得なかった。
白凝冰への理解は、他の者より確かに深い。
十絶体の秘密を知らないが、白凝冰を討つ功名に特別な関心はない。
名利に淡泊で、かつて族長古月博から次期後継者に指名されながら、方正のため自らその座を譲った人物。
真に重視するのは一族の利益――その心は常に家族にあってこそ。
「白家寨の台頭は完全に白凝冰あってのもの。もし彼を葬れば、我が古月一族が再び青茅山随一の家系に返り咲く!三転の修為とはいえ、我が木魅蠱は三転蠱師と互角に戦える。しかも右腕を喪失した彼は、短期的には慣れるはずがない。生死を賭けた戦闘において、これほどの弱点はない!」
そう考え至った瞬間、古月青書の瞳に決意の光が灯った。
方源は青書の表情を観察し続け、その目の動きで決断を悟った。
「古月青書が木魅蠱を犠牲に使えば、普通の三転蠱師より強く、格上との戦いも可能だ。だが北冥冰魄体を持つ白凝冰相手では苦戦必至。あいつは真元を希釈して修為を抑えていた分、氷晶内で制限を解、三転に戻す時間が十分ある。氷を破る時には三転蠱師になってる可能性が極めて高い」
白凝冰は天賦の才に恵まれ、二転の修為時ですら方源は外部の力を借りなければ対抗できなかった。
三転になれば、戦闘力が数倍も跳ね上がる。加えて方源は右腕喪失の張本人――白凝冰の奔放な性格からして、戦端が開かれれば真っ先に狙われるに決まっている。
更に古月青書の前では本音を見せたくなかった。真の戦闘力を曝すつもりはない。
即座に離脱を表明した方源は、他の者の制止を振り切り、断固として戦場から離れた。
「本当に逃げたのか?やはり役立たずだな」
「フン、去った方が良い。あいつが居座れば連携が乱れるだけ」
「ククク……最初に白凝冰を追ってるの見た時は驚いたけど、所詮方源は方源か。闘蠱大会で降参した腰抜けめ!」「余計な事言うな。各自の思惑がある。少なくとも撤退前に白凝冰の情報を教えてくれた。寨に戻って援軍を呼べば十分だろう」青書は方源の遠ざかる背中を眺め、眉根を寄せた。
「組長、貴方は寛容過ぎます。方源のような臆病者を庇う必要などない」
「そうだ。方正さんの弟とはいえ、兄弟とは思えん程の差がある」
「私……もうずっと方源とは口を利いていなかった」方正は顔を赤らめ、兄の逃亡に恥じ入っていた。
「方正、お前も退け」古月青書が突然宣告した。
「はっ!?」方正の目が瞬きもせず見開かれた。
「お前は我が族で唯一の甲等天才、失う訳にはいかん。白凝冰は右腕を失ったが、これから先の戦いは必ずや険しい。家族の為に、我々(われわれ)は死ねるが……お前だけは死なせぬ」
古月青書の言葉に、残る四人の顔が一斉に強張った。
「言いぞ!」朗らかな笑い声と共に、一人の老いた蠱師が現れた。
「家老大人!」方正が慌てて挨拶した。古月一族の古参家老であることを認識したのだ。
家老は近づき、賞賛の眼差しで古月青書を見た。「古月博が良い養子を取ったものだ。家族の為に命を賭ける覚悟――これこそ我が古月一族発展の証じゃ」
方正が成長するまでの間、王二暗殺未遂事件以降、家族は常に家老を付けて護衛させていた。
「だが方正、戦わずとも良いが、帰る必要もない。後方支援として見ていれば良い。白凝冰ごとき――大層家老級の実力があると囁かれておったが」家老は鼻で笑った。「フン、所詮青二才じゃないか。戦闘経験も浅く、自傷行為なんぞしやがる。未熟極まりない!」
古月青書は異論を差し挟みたかったが、家老の決定を正面から否定できずにいた。
若輩者として、年長者を敬い、軽率に反論などできぬ道理だった。