崖上で白凝冰が興味深げに見下ろしていた。
彼が座る絶壁の下で、生死を賭けた激戦が繰り広げられていた。
豪電狼が足を運び、徐々(じょじょ)に接近する。
二人の蠱師が顔を硬くして、その進路を阻んでいた。
彼等の背後で、熊氈は半身を低く構え、左手で右手首を掴み、右手を鉤爪のように豪電狼へ向けていた。
「強纏!」突然彼が猛然と叫び、体内の真元を全て(すべて)強纏へ注いだ。
無形の摂取力が爆発的に迸り出した。
熊氈は右手で虚空を摑むようにし、錯覚に襲われた――まるで蠱虫を掌握したかのような感覚が。
だがその蠱虫は激しく抵抗し、彼と力比べを始めた。
この力は凄まじく、熊氈は重心を可能な限り下げていたが、それでも前へ引き摑り込まれそうな感覚が消えなかった。
「強纏の成功率は低いが、今度こそ成功させねえと、命が危うい!」彼は鋼のような歯をギリギリと音を立てて食いしばり、額に青筋を浮かべ、顔中を歪ませて最善を尽くした。
熊氈には逃げ道がなかった。
失敗すれば、死あるのみ!
死の恐怖に煽られ、強纏へ真元を注ぎ込んだ。
真元が流れ込むにつれ、右手の掌に宿る強纏が更に強烈な吸引力を発した。豪電狼は異変を察知、吠え立ちながら突如狂乱の攻撃を開始した。
二人の蠱師が苦しげに防戦する。
まさに強奪成功かと思われた瞬間、熊氈の表情が激変した。
「くそっ、真元が尽きた!」血を吐き出すと同時に、彼の表情は一気に萎れた。強制抽出に失敗すると反動が来る――これが強纏の欠陥だった。
ガオォッ!
強纏の束縛を解かれた豪電狼は大口を開け、雄叫びを上げた。
共生する蠱虫が力を爆発させ、牙の間に青白い電光が走る。
幽藍色の電流が集合し、最後に爆発的に噴射した。
電流が二人の蠱師の間を突き抜け、中腰になっていた熊氈を直撃した。
熊氈は悲鳴を上げる間もなく、電流で焦げ黒くなった肉塊と化し、瞬時に死亡した。
「逃げろ!」残った二人の蠱師は戦意を完全に失い、左右に分かれて逃げ出した。
豪電狼は一人に追いつくと、直接押し倒し、喉元を噛み砕いた。
最後まで残った白家寨出身の蠱師は豪電狼に進路を塞がれ、崖際まで一歩ずつ後退するしかなかった。
「ああああ! 死ぬ――!」彼は崖に背中を預け、天を仰いで絶望の咆哮を放った。恐怖を吐き出そうとするその声が突然止まった――頭上の岩壁に白凝冰の姿を見つけたからだ。
「白凝冰様!白凝冰様!本当にあなたですか!?」彼は呆然とした後、突然叫び上げ、歓喜の涙を流した。
「あらら、見つかっちゃった」白凝冰は嗤いながら、ゆっくりと右手を挙げた。
右手の人差指が下を指すと、氷錐が瞬時に生成され、下方へ飛翔した。
氷錐は助けを求める蠱師の頭蓋骨を貫き、頭頂から顎まで突き通した。
「ぐえっ!」その顔には九死に一生を得た狂喜の色が残ったまま、ドサリと地面に倒れ込んだ。
豪電狼さえも驚きの体を見せた。
上方の白凝冰を仰ぎ見ながら、裂けた口から電光煌めく牙を露わにした。
「無知な畜生め」白凝冰は冷淡な眼差しで見下ろし、軽やかに五米の崖から飛び降りた。
空中で両掌を合わせると、霜の気配が迸った。
掌を左右に分かつと、全長一メートル七十センチの氷刃が瞬く間に形成された。地球の日本刀を思わせる透明な氷塊。刀身は白凝冰の蒼白な手に握られていた。
豪電狼の放電が下方から襲い来ると、白凝冰は鼻で嗤い、両鼻から真白い水蒸気を噴き出した。
水蒸気がヒュッと身をかわし、水球の防護罩を形成。
水球は自律的に回転を続け、豪電狼の電撃を吸収して散り散りになった。
水球が崩れ、中から白衣の少年が現れた。
「死ね」少年の漆黒の双瞳が突如純青に変化し、二粒の青水晶のように無情と冷徹を湛えた。
刀光が閃いた。
白凝冰は軽やかに着地、手に持つ半透明の白い氷刃の刃先から一筋の鮮血が滑り落ちた。
豪電狼は彫刻のように静止したまま。
一呼吸後、その首筋から鮮血が噴き出し、巨大な狼首が地面に転がり数回跳ね回った。胴体は崩れるように倒れ込む。
宿っていた電流蠱が電光の如く飛び出し、白凝冰目掛けて襲いかかる。
白凝冰は手首を軽く翻すと、空中に刀閃が走った。
電流蠱は刃の下でバンと音を立て、幽藍の電光を散らしながら消滅した。
白凝冰は緩やかに歩き出し、熊氈の屍へ向かった。
「他の蠱虫はみな凡品だ。だがこの強纏だけは面白い」彼は熊氈の屍から強纏を探し出し、懐にしまい込んだ。
三家盟約では蠱師の死後、後に発見した者が蠱虫を取得しても上納が義務と定められているが、
白凝冰はこの規定を微塵も気にかけていなかった。
例え発覚しようと、自分は白家の象徴なのだから、一族が必ず庇護してくれる。
この点について、白凝冰は確信に満ちていた。
「ただ……この狼潮は本当につまらん」氷刃を撫でながら、骨まで凍える冷気を感じていた。「よく考えれば、人と戦う方が面白いわ」欠伸を噛み殺し、突然笑みが浮かんだ。「青書や熊力どもは、どれほど成長したやら?長い隠居の後、彼等が少しは驚かせてくれるかもな……」
三日後。
人混みの広場で、方源は巨大な幡を見上げていた。
幡の布面には游字蠱で構成された文字が並んでいる。三大家族が共同供給する物資のリストだった。
食料や生活物資から蠱虫、元石まで多岐に渡るが、全て(すべて)の品目に数字が記され、対応する戦功が必要だった。
狼の目玉一個で戦功10ポイント。米一斤が5ポイント。元石一個には25ポイントを要した。
平和な時期には無い機会を、狼潮がもたらしていた。
戦功榜と物資榜は多くの蠱師を刺激し、昼夜を問わず雷狼と戦わせていた。
最近では狼潮の爆発的拡大を受け、三大家族が本腰を入れたことで、普段は目にしない貴重な品が多数掲載されていた。
今、方源が注目していた蠱虫もその一例だった。
「三歩芳草蠱」彼は呟きながら、巨大な幡の一行に視線を釘付けにしていた。
三歩芳草蠱は方源が切実に必要とする蠱虫だった。移動補助機能で走行速度を向上させる能力があるからだ。
正直なところ、最近の物資榜には多数の蠱虫が掲載されていた。だがこの二歩芳草蠱だけが特別に方源の琴線に触れた。
ただしこの草蠱の入手は容易ではない。物資榜唯一の品である上、必要な戦功が膨大だった。
「本気を出せば戦功を貯めて三歩芳草蠱を手に入れられなくもない。だがそうすりゃ疑いを招く。そりゃまずい」
方源は沈思していた。
「もう一つの手は生機葉を大量に生成し、一族に売り払って戦功を得ることだ。だがこの方法は時間がかかり過ぎる。戦功が貯まる頃には三歩芳草蠱が誰かの手に渡ってる可能性が高い」
方源は内心で首を振った。この方法には欠陥があり、採用できなかった。
では、どうすれば良いのか?
彼は物資榜と戦功榜を眺めながら深く思索に沈んだ。戦功というものに対して、彼は周囲の誰よりも明確で深遠な認識を持っていた。
戦功の本質は「緊急通貨」である。
平和な時期、市場で流通するのは元石だ。元石はハードカレンシー(実物貨幣)であり、それ自体が強力な商品価値を有するため、価値が下落することはない。
しかし狼潮期間中、元石への需要が急騰し、通貨としての機能を維持できなくなった。そこで緊急通貨による暫定代替が必要となった。
戦功はこうして誕生したのだ。
「戦功という補助通貨があれば、経済崩壊を一時的に防げる。地球で戦時に政府が紙幣を大量発行するのと同じ理屈だ。当然、紙幣が過剰になれば物価上昇やインフレを招く。戦功も同様で、後期になるほど価値が低下する。だが山寨の存亡にかかる状況では、戦功なしに元石だけを使うのは更に危険だ。二悪のうち軽い方を選ぶしかない。だから狼潮後には必ず不況が訪れる」
「ああ、こんな粗雑な経済体制など話にならん。もし俺が三転の実力なら楽々(らくらく)操れるものを。残念ながら今の力ではリスクを負えん。無理に手を出せば、火遊び同然だ」
方源は心中で嘆いた。
肝心なのは修業が足りず、実力が弱いからだ。
力が無ければ、知恵だけあっても無駄である。
だから人祖の物語で、人祖は力の蠱と取引して知恵を捨てたのだ。
要するに、力こそが基盤なのだ。
思索に耽る方源の耳に、周囲の噂話が入ってきた。
「知ってる?白凝冰がまた手を出したぞ!」
「え、今度はどこの蠱師が犠牲に?」
「熊家寨の熊力さ。灰まみれで逃げ帰ったらしい」
「まったく白凝冰は何考えてんだ?前回は赤山を殴り倒し、今度は熊力か。狼潮の最中にそんなことして!」
「あいつは昔から我が道を行くやつさ。三転蠱師なのに二転の相手をいじめて、公平を気取って蠱虫で実力を二転まで落としてる。本当に退屈な奴だよ」
「白凝冰か…ハッ、死に掛けた男の分際で。だがこれで思い出した」方源はここで突然閃いた。
大量の戦功を短期間で獲得する方法を思いついたのだ。