空は厚い雨雲に覆われ、青茅山全体に影が差していた。今にも嵐が来るような気配だ。
人里離れた山腹で、十数頭の逞しい雷狼が牙を剥き、低い唸り声を漏らしながら方源を包囲していた。
これらの狼は皆四肢が健全で、以前の傷ついた狼とは違った。
もし他の二転蠱師がこの包囲網に一人で陥ったら、絶望するだろう。だが今この状況は全く逆だった。
方源は悠然と立ち、周囲の雷狼たちは緊張と警戒の色を隠せずにいた。
戦闘は既にある程度進行しており、血に染まった戦場には数頭の雷狼が倒れ、方源の戦果を物語っていた。
(殺せ!)
方源は心で喝を入れ、包囲される側でありながら逆に攻勢に出た。足を踏み出すと左側の一頭に襲いかかった。
その雷狼は咄嗟に後退したが、直ぐに野性を爆発させ、鍛えられた四肢で地面を蹴り、逆に方源へ反撃の飛び掛かりを見せた。
空中で雷狼は牙を剥き出し、鋭い犬歯を露わにした。
方源は「ハッ」と高笑い、避けもせず右手を一振りした。
ヒュン!
青白い月刃が水平に飛び出し、空気を貫いて雷狼の開いた口に直撃した。
スパッという音と共に、不運な雷狼は口から尾まで真っ二つに切断された。
熱々(あつあつ)の狼血がザバッと噴き出し、血の雨のように降り注いだ。
白玉の光に包まれた方源は血煙を駆け抜け、狼群の中を縦横無尽に暴れ回った。
雷狼たちが反応し前後左右から襲いかかるが、牙は白玉蠱の防御に阻まれて自らの歯を砕き、爪も無駄骨に終わった。
方源は二匹の猪の力を込めた拳と蹴りを浴びせ、雷狼を次々(つぎつぎ)に吹き飛ばし、頭蓋骨を粉砕して即死させた。圧倒的な優位を確立する。
しかし幸先の良さは長続きせず、体内の空竅に蓄えられた真元が急速に消耗していった。
方源は丙等の資質で、二転中階の実力。真元の最大でも五割に満たない。
真元が尽きそうになる中、雷狼がまだ数頭残っている状況に、思わず心が動いた――隠鱗蠱だ!
瞬時に彼の姿は水面の揺らめきのようにかすみ、目を瞬く間に見えなくなった。
雷狼たちは当惑した様子で足を止め、怒りの咆哮を漏らしつつ、再び山腹を徘徊し始めたが、何も発見できなかった。
方源は遠く離れず、雷狼の動静を窺いながら、元石を取り出して真元を補充しつつ、隠鱗蠱を継続して催動していた。
雷狼は視力に優れるが、嗅覚は鈍い。方源が隠鱗蠱を使えば、彼等を完璧に制することができるのだ。
真元が三割まで回復した頃、眼前の雷狼の群れは遂にしぶしぶ撤退し始めた。
方源は移動補助の蠱虫を持っておらず、雷狼が本気で逃げられれば追いつけない。そこで自ら隠鱗蠱を解除し、姿を現わした。
「ガルル!」
雷狼たちが方源の姿を見るや、仇敵を見たように一斉に襲いかかってきた。
方源は冷ややかに鼻で笑い、狼が目前まで迫った瞬間、右拳を爆発的に叩きつけた。
白玉の微光に包まれた拳は鋼鉄のように硬く、一頭の雷狼の腰を強烈に打ち据えた。
バキッという鈍い音と共に、不運な雷狼は吹き飛ばされ、腰椎が粉砕骨折していた。
地面に転がった狼は狂ったように身を捩り悲痛な悲鳴を上げたが、最早起き上がることはできなかった。
方源は真元が十分に回復しており、戦闘力が圧倒的だった。間もなく、さらに四頭の雷狼を仕留めた。
残った数頭の雷狼は完全に戦意を喪失し、恐怖に震えながら方源を見つめ、嗚咽のような声を漏らすと尾を巻いて逃げ出した。
方源はその場に立ち尽くし、追撃しなかった。
速度で言えば、彼はこれらの雷狼に及ばず、追っても無駄だからだ。
地面に転がる狼の屍は全て(すべて)戦利品だが、方源は慎重にも直ぐに雷狼の目玉を摘出しようとはしなかった。
地聴肉耳草!
彼は中腰になり、掌で地面を押さえつけ、右耳を大地に押し当てた。耳介から根須が伸び出し、一本一本が土に食い込んでいった。
瞬時に聴力が数倍に増強され、半径三百歩の範囲がすべて偵察領域となった。
無数の音が耳に流れ込んだが、狼群の襲来や他の蠱師の足音は一切感知されなかった。
「当分安全だ」方源はほっと一息つくと、短刀を取り出して雷狼の目玉を摘出し始めた。
これらの目玉のうち、彼が上納したのはほんの一部。残りは全て(すべて)秘蔵していた。全部提出すれば、この戦果が疑いを招き、ひいては内密の調査を受ける可能性があった。方源は当然このような面倒を避けようとしていたのだ。
雷狼の目玉を全て(すべて)摘出すると、方源はすぐにその場を離れた。
さらに二群の狼群を討ち倒した後、空を覆う雨雲は極限まで厚くなっていた。強風がヒューヒューと吹き荒れ、山肌の松林を翡翠色の波のように揺らめかせ、木々(きぎ)の葉がサラサラと騒ぎ立っていた。
ゴォォ……
風切れの中に、大量の雷狼の遠吠えが混じり始めた。
方源の表情が微かに険しくなった。前世の記憶によれば、今日こそが真の「狼潮」が勃発する日だったのだ。
再び地聴肉耳草を発動したが、方源は大群の雷狼が急襲する音を感知しなかった。
彼は驚かず、むしろ内心で確信を強めた。
つまり雷狼の群れは少なくとも三百歩以上離れている。この距離と彼自身の移動速度、地形に精通していることを考えれば、山寨へ安全に帰還するには十分だ。
「雷狼もずる賢い。こんな天候を選んで出撃するとは。ヒューヒューと吹きすさぶ風の音や松林の波音が、彼等の気配を巧妙に隠している」方源は心で呟き、最大速度で真っ直ぐに山寨目指して全力疾走した。
わずか数百メートル走ったところで、蠱師五人組と鉢合わせになった。
「おっと、古月方源じゃねえか」五人組の少年蠱師が方源を発見するや、眉を吊り上げて嫌味っぽく声をかけた。
彼は古月鵬。学堂時代、当然方源からの虐めや恐喝を受けていた。
方源は淡く彼を一瞥するだけ。速度を落とすことなく擦れ違い、二言目を言わせる隙も与えなかった。
「この野郎!」古月鵬は呆然とした後、胸につかえたような怒りを感じながら足を緩めた。
まだ方源を嘲笑る機会も得ていないのに。
「鵬、早くついて来い。今日は戦功榜の順位を守るため、最低でも五十頭の雷狼を狩らねえとな!」組長が声をかけた。
古月鵬の険しい表情が急に消え、慌てて仲間の歩幅に合わせた。
「俺の所属するチームは戦功榜75位。あの方源は200位以下の最下位。この差はまさに天と地ほどだ!言ってみれば、新人を面倒見てくれる組長様のような先輩に巡り合えたのは幸運だった。狼潮が始まってから、分け前の戦功で新しい蠱を手に入れた。前途洋洋たるものがあるのに、方源ごときが敵うわけねえだろ?」
考えれば考えるほど、古月鵬の心の中はバランスを取り戻し、むしろ幸福感さえ覚えてきた。
「この世で一人で戦って何の意味がある?みんなで薪を集めれば炎も高くなる。団結の力こそが最強だ。やっぱり一族が頼りになる。家族の力を借りてこそ、俺達新人は安全に成長できるんだ。あの方源ったら、本当にバカだわ。自分を大物だと思い込んでやがる。五転吞江蟾の問題をまぐれで解決したからって、天狗になってやがる。組長にはなれたけど、組員一人集められないんだから笑える。ってか、あんな変人の性格じゃ、誰も付いて来ないに決まってるだろ?」
そう考えると、古月鵬の足取りも自然と軽快になっていった。
さらに走り続けたが、奇妙なことに狼群に一つも遭遇しなかった。
古月鵬が空を見上げると、まだ午後だというのに夕暮れのような暗さが広がっていた。
風がヒューヒューと吹きすさび、頭上の雨雲は濃密に渦巻き、雷と豪雨を孕んでいた。
だが古月鵬は微とも恐れず、口元に嘲笑いを浮かべながら心で呟いた。「ははは、方源が慌てて帰ったのは、この雨が怖いからか。根性ねえ奴だわ。たかが夕立ごときで?」
その時、組長が突然顔色を変え、大口を開けて冷気を吸い込んだ。
「組長様、何があったんですか!?」他の四人の視線が自然と集まった。
この蠱師グループにおいて、組長は偵察を担当していた。彼も二転の蠱師だが、偵察用の蠱虫は方源の地聴肉耳草ほどの範囲を持たなかった。
この時、組長の顔は血の気が引き、説明する時間さえなかった。
「逃げろ!」恐怖に震える声で叫ぶと、四人の驚く視線を背に、振り向きざまに走り出した。
「組長に付いていけ!!」他の組員たちも愚かではなかった。状況を悟ると、慌てて全速力で逃げ始めた。
ガオォォ――!
背後から波打つように狼の遠吠えが響き、その数は千を超えると分かるほどの規模だった。
五人組の顔面は真っ青に褪せ、息を切らせながら必死で逃げ惑った。
「待ってくれよ!」古月鵬が全力で駆け出すも、最下位に落ち込み、泣き叫んで救助を求めた。
既に背中から雷狼の荒い呼吸を感じ取っていた。
しかし絶望的なことに、普段面倒見の良かった組長は振り向きもせず、胸を叩いて義理人情を説いていた仲間たちも、彼の叫びを聞こえないふりをしていた。
ガウッ!
古月鵬の耳元で狼の咆哮が轟いた。
次の瞬間、背中から圧倒的な力が押し寄せ、地面に叩きつけられた。
彼は地面に転がり、目を回した。
反射的に必死で抵抗しようと振り返った。
ガリッ!
空に稲妻が走る。
暗闇の中、豪電狼の巨体が浮かび上がった。普通の雷狼より二倍も大きく、全身の毛を逆立て、裂けた口から銀色の鋭い牙を覗かせている。
古月鵬の瞳が針の先ほどに収縮し、脳裏に一文字が轟いた――「百獣王!」
狼巣の群れには三万獣王級の雷冠頭狼だけでなく、百獣王級の豪電狼、千獣王級の狂電狼が存在する。
次の瞬間、豪電狼が大口を開け、乾いた音と共に古月鵬の頭部を噛み千切った。
血と脳漿が地面に飛散し、豪電狼は首筋に垂れ下がる血管から血を啜り、脂肪を貪り始めた。
無数の雷狼がその横を疾走し過ぎていく。
ゴロゴロと雷鳴が鳴り響き、
ザーザーと激しい雨が降り注いだ。
真の狼潮が到来した!