シュシュシュ!
洗面器ほどの大きさの月刃が三枚、空中に青白い光線を描いた。
バキバキバキ!
瞬く間に、玉眼石猴十六・七匹が即死した。
方源を追撃していた石猴の群れは、一気に半数近く減った。
方源はその場に立ち止まったまま後退せず、再び右掌を振り上げ、三度虚空を斬った。
また三枚の月刃が真っ直ぐに石猴の群れに突き刺さり、触れた場所では石猴が次々(つぎつぎ)に倒れていった。
石猴の屍体が地面に落ち、砕けて石塊になった。眼球が玉に変わったものは、赤い地面を転がり跳ねた。
方源は空竅を確認した。空竅には深紅の真元が大半残っていた。
月芒蠱の月刃一枚を発動するには、一割の淡紅真元が必要だ。方源が二転初階なら四発まで、中階になると八発、高階では十六発に倍増する。
方源は二転高階には達していないが、四味酒虫で精製された高階真元を持つため、擬似高階と見做せる。故に戦闘力が急上昇していた。
元々(もともと)70~80匹の石猴の群れに追われていた時は、戦いながら撤退する必要があった。しかし今や月刃蠱の攻撃だけで迅速に大半を殲滅できる。残り十数匹は風を切るように逃げ去っていった。
「たった二日で三本の石柱を突破したのか。この速度は以前より数倍も早い!こう計算すると、一ヶ月半後には再び石林中央への道を開けるだろう」方源は内心で思案を巡らせた。
「花酒行者の配置スタイルから推測すれば、石林中央の地洞が次の関門だ。その手前に地蔵が仕掛けられている可能性が極めて高い。ただしここまで来れば、花酒行者の力の継承もほぼ終わりに近いだろう。彼が重傷を負い、非常に悪い状態で急ごしらえした継承だからな。最大限見積もっても、あと一二の関門が残っている程度だろう」
前世の豊富な経験を踏まえ、方源は影壁に映っていた血まみれで瀕死の花酒行者の姿を思い出し、判断を下した。
花酒行者がこの継承を設置した時間は短すぎたため、より多くの仕掛けを作る余裕がなかった。しかしこれはあくまで特殊な継承の一例に過ぎない。
実際の正常な継承では、蠱師が年単位で設計と配置を施す。大規模なものもあれば、十数年ごとに一度しか開かれないものもある。継承の過程で、場所が一箇所ではなく数の地点に分割され、五湖四海に分散している場合さえある――互いに天涯海角ほど離れていることもあり得るのだ。
後継者がこのような継承を継承するには、十数年から数十年の歳月をかけて探索し、様々(さまざま)な試練を経る必要がある。
一部の継承は、蠱師が一生をかけて探索しても成功するとは限らない。往々(おうおう)にして未完成の事業を子孫に残すことになる。
「花酒行者のこの継承は超小規模のもの。欠点は継承品が少ないことだが、その代わりに関門が現地の状況に応じて作られるため比較的簡素だ。俺はここから白豕蠱・玉皮蠱・酒虫を手に入れた。隠石蠱も辛うじて数えられるだろう。次に残っているのは、おそらく一二輪の地蔵花だけだ。願わくば、これから得られる蠱の中に偵察型や移動補助型のものが含まれていることを!」
時が経つのは早く、秋が去り冬が来た。
初冬、最初の雪。
空は鉛色に曇り、雪片がひらひらと舞い、青茅山に降り積もっている。
方源は独り、雪道を歩いていた。石の裂け目の秘洞から出たばかりで、今は山寨へ急ぎ戻るところだった。
「考えれば二ヶ月以上経つのに、石林突破の進展が全く良くない」方源の眉の間に陰鬱が潜んでいた。
これは努力不足ではなく、狼潮の前兆が始まっていたためだ。
冬、寒風の中食料が乏しく、増殖する狼の群れが食い繋ぐため広域で狩猟を開始した。
このため狼巣周辺の獣群が一掃され、小規模で混乱した獣潮が頻発。加えて残狼群も現れた。
これらの残狼は狼巣から追放された者たち。生存のため群れを成し山寨周辺で頻繁に活動し始めた。
山村を襲撃するまでには至っていないが、凡人の猟師は山に入れなくなり、村では度々(たびたび)住民が狼に攫われる事件が起きていた。
古月山寨は大勢の蠱師を動員し掃討作戦を展開。往来が増え偵察蠱師も多く、方源は石縫秘洞へ行く回数を大幅に減らさざるを得なかった。
このため石林攻略の速度が急激に低下。
ゴーゴーと吹き荒ぶ寒風に乗り、雪は更に激しさを増していた。
ウォー……
低く重たい獣の唸り声が、風雪に混じって突如響いてきた。
方源はパッと足を止め、警戒しながら周囲を見回した。
小規模の残狼群――約二十数頭の電狼が、間もなく彼の視界に現れた。
「またか……」方源が呟いた。今月だけで八度目の遭遇だ。
しかし今回は少し違っていた。
「山寨のすぐ近くまで狼が活動している。どうやら今後、一族の蠱師たちの出撃回数が更に増えるだろう。石縫秘洞も近いことだし、当分行けなくなりそうだ」思い至り、方源の心が暗く沈んだ。
道を進むのは難しく、この世には常に人々(ひとびと)の一時的な前進を阻む風雪が現れるものだ。
狼たちは素早く方源を包囲した。
ウォォォ! 低いうなり声を響かせながら、次々(つぎつぎ)に襲い掛かってくる。
「月芒蠱」方源の心が動き、素早く手を振って月刃をヒュッと放った。
青白い月刃が風雪を切り裂き、次々(つぎつぎ)と残狼に斬りつけた。瞬く間に三頭を倒し、四頭目に至った時、残狼が突然地面を転がり、狡猾にも月刃を避けた。
これらの残狼は、多くが手足を欠いていたり目が潰れていたり尾が無かったりするが、豊富な戦闘経験を持ち、極めて狡知に長けていた。
もし普通の二転中階の蠱師が、こんな残狼群に包囲されれば、命の危険に晒されるだろう。
しかし方源は危険に面しても恐れない。
彼の豊富な戦闘経験と、四味酒虫で精製された高純度の深紅真元が強みだった。
殺せ!殺せ!殺せ!
残狼の包囲網の中、素早く身を躱し、冷静に回避し、果断に攻撃を繰り出す。
一頭また一頭と残狼が彼の手に倒れていった。
あっという間に、残狼群の電狼の数は半減した。
ゴォォォ――!
一頭の頭狼が悲痛な遠吠えを発ち、狼群は即座に攻撃態勢を解き撤退を始めた。
これが残狼の狡知だ。
方源が手強い敵だと悟るや、躊躇なく狩猟を断念する。
これらの老狼・病狼・傷狼は、完璧な体躯こそないが、今日まで生存してきた生存本能を備えている。
方源はその場に立ち尽くし、静かに残狼群が風雪に消えるのを見届けた。自身の実力は、曝さずに済むならそれに越したことはない。
狼群が完全に退散したことを確認すると、方源はようやく腰を落とし、急ぎ足で狼の死体から戦利品を採取し始めた。
狼皮や狼牙など、全て(すべて)価値あるものだ。
相場は低いが、量で補える。
方源はこの一ヶ月、残狼を駆除し戦利品で小銭を稼いでいた。
雪の上で、狼の死体から流れ出す血はまだ温かみを保っていた。息の根を止められていない狼もおり、瞳に微かな光が残っていた。
「この自然の中では、万物が抗い、生き延びようとしている。人間だけが特別ではない。この天地は、生と死で彩られる壮大な舞台なのだ!」方源は心で感嘆しつつ、息も絶え絶えの残狼に容赦なく最後の一撃を加えた。
一頭の残狼の戦闘力は、玉眼石猴二匹分を上回る。狼群が連携すれば、戦力はさらに倍増する。
「この程度の小規模残狼群なら対処できるが、大群や健康な狼群に遭遇したら厄介だ」
方源は漠然とした圧力を感じていた。
「この後、狼潮が本格化すれば一族総動員になる。当然俺も例外ではない。今後単独で電狼を狩るには、偵察型か移動補助型の蛊が必須だ。そうでなければ、この狼潮で命を落とすかもしれん」
経験を積むほど、方源は自身の不足を痛感する。
四味酒虫を手に入れた今、彼の戦闘力は飛躍的に向上した。月芒蠱と白玉蠱で攻防を備え、前世の知識もあって、青書・赤山・漠顔ら古月一族の精鋭に引けを取らない。
言ってみれば、一族内の二転蠱師トップクラスに辛うじて名を連ねられる実力だ。
「辛うじて」と言うのは、真の高階ではなく、資質も丙等という限界があるからだ。
戦力面では現状最善を尽くしたが、狼潮を生き延びるには戦闘力だけでは不十分。
「偵察手段が不可欠だ。もし偵察蠱を持っていれば、狼群の接近を事前に察知し、迅速にルート変更できる。あるいは移動補助蠱で加速し、包囲網から脱出することも可能だろう」方源は内心で考えた。
この二種の蠱のどちらか一つでも持てば生存確率が劇的に向上し、両方揃えば余裕を持って行動できるはずだ。
「花酒行者の継承にそんな蠱虫があればいいが、無くても構わん。記憶にある通り、狼潮の度に三大家族が協力して戦功榜を設置し、在庫の蠱虫を放出する。その中には珍しい蠱も多い。その時には戦功で白家寨や熊家寨の蠱と交換することも可能だ」
方源は心で計算高めながら、身を起こした。
ほんの短い時間で、戦利品を手際よくまとめ袋に詰め、背負い込んだ。
雪がしんしんと降り積もり、狼の血は瞬く間に凍りつき、死体を覆い隠した。
「ほら、方源が戻ってきたぞ」
「袋背負ってる…また残狼狩りに行ってたのか?」
「あいつが山寨を救ったんだって?」
「へっ、たまたま運が良かっただけさ。あの程度の力があれば誰だって出来るわ」
方源が山寨に入ると、通り道の人々(ひとびと)が次々(つぎつぎ)に視線を投げかけた。賞賛する者、好奇に満ちた者、嫉妬する者…
「方源」赤山が突然曲がり角から現れ、声をかけた。