商隊が山寨を離れて三日後。
山体の石林に、晦暗な赤光が充満していた。
洞窟の天井から延びる巨大な石柱は、逆さに生えた巨木のようで、威厳ある灰色の石林を形作っていた。
方源は石林の中で戦いながら退却していた。
キィキィキィ……
緑色の丸瞳をした石猿の群れが、方源を執拗に追いかけてくる。
「月芒蠱!」方源が念じるや、右手を猿群れの方へ軽く振り下ろした。
ヒューッ。
洗面器大きい幽藍色の月刃が突然現れ、空気を貫いて猿群れの中へ突き刺さった。
空中で跳び上がり身動きできなかった玉眼石猿が月刃に直撃された。
悲鳴も上げられぬうちに、その体は頭から足まで真っ二つに裂かれた。
生気が急速に失われ、死の影が覆い被さる。
瞬く間に、生気あふれた両目は玉の珠へと変わり、落下する途中で全身が石像化した。
ドン!
硬い音と共に石像が地面に激突し、粉々(こなごな)に砕けた。
月刃は輝きを少し失ったものの、勢い衰えず後方の石猿へ襲いかかった。
パキパキパキ……
硬質な音が響き、更に五、六匹(ご、ろっぴき)の石猿が斬り伏せられた。
キィキィキィ!
仲間の惨い死に石猿の群れは激怒、甲高い叫び声で勢いを倍増させ、殺気立った様子で方源に襲いかかってきた。
方源は危険に直面しながらも冷静沈着。心は氷のように冷え切り、戦いながら後退を続けた。石猿が接近する度に月刃で反撃する。
以前の月光蠱なら錆蠱で威力を増しても、一発で斬れるのは1~2匹が限界だった。だが現在の月芒蠱なら、一撃で5~6匹の命を奪える。
ただし良し悪しあって、月芒蠱の使用には相応の代償が伴う。
一発の月刃ごとに赤鉄真元の一割を消費。方源の空竅に蓄えられた元海は最大でも四割四分しかない。
つまり、全力を出しても月刃は四発が限度ということだ。
「四味酒虫を合成し真元を精錬できれば、月刃を八発連続で放てるのに。残念、第二の酒虫は手に入れたが、酸・甘・苦・辛い四種の美酒のうち三種しか集められず、最後の一歩で止まっている」方源は内心で嘆息した。三発の月刃を放った後、空竅に残る淡紅真元は一割四分だけだった。
安全を考え、月刃の代わりに白玉蠱を発動させた。
石猿の群れが包囲を狭め、最前線の一匹が方源の足元に飛び移ると、突然跳ね上がった。硬い頭で方源の顎を下から突き上げるように攻撃してきた。
方源は冷ややかに哼いた。拳でこの分際知らずの猿を叩き潰そうとしたが、一瞬思い直し、攻撃を受け流すのを止めた。
衝突直前、顎に白玉の冷光が瞬いた。
ドスン!
鈍い音が響く。衝撃で方源は仰け反り、石猿は地面に倒れ頭を抱えて悲鳴を上げ、転げ回った。
白玉蠱がなければ顎骨は粉々(こなごな)だっただろう。だが今は軽い眩暈を感じる以外、無傷だった。
ただし白玉蠱の防御があっても、衝撃の物理的な力は受け止めねばならない。
方源は数歩後退してようやく落ち着き、瞳に冷静さが戻った。
わざと石猿の頭突きを受け止めたのは、この身体に攻撃への耐性をつけさせ、眩暈への適応を図るためだった。
生死を分ける局面で同様の攻撃を受けても、素早く正気を取り戻し、一縷の生を掴むためである。
方源のやり口は常に残忍で、その冷酷さは敵だけでなく自分自身にも向けられていた!
彼は三日おきにこの場に現れ、石猿を屠り続けてきた。
目的は単に花酒行者の力の継承だけでなく、石猿の群れを利用して自らの戦闘能力を鍛えるためでもあった。
蛊師の戦闘力は、身体能力・体術・空竅真元・戦闘経験、そして各蛊虫の性能が複合して決まる。
これらを完璧に統合して初めて最大の戦闘力を発揮できるのだ。
石猿の群れは鉄槌、方源は鍛え上がる前の鉄塊のよう。槌の一撃ごとに鉄は強靭に、純粋に、研ぎ澄まされていく。
15分後、戦闘は終結した。
地面には至る所に砕けた石片が転がり、その間に玉の珠が散らばっていた。
「今回、四十一匹の玉眼石猿を仕留めた」方源は毎回戦果を統計し、自らの不足点を洗い出して改善する習慣があった。同時に自身の成長度合も感じ取っていた。
「先程の戦闘では月芒蠱が大活躍。三発の月刃で十七、八匹(じゅうしち、はっぴき)の石猿を倒し、ほぼ半数を占めた。残りは拳脚で撃破した」
月光蠱では石猿への攻撃効果が限界があったが、月芒蠱に進化した今、最強の攻撃手段となっていた。
攻撃力が強力なだけでなく、効率の良さが最大の利点だ。
三発の月刃を放つのに要した時間は数呼吸。一方、拳脚での撃破には十数分を要した。
石猿の身軽さは目覚ましい。地に足をつけている時は攻撃が当たりにくく、足蹴一つで軽やかに回避してしまう。
唯一の隙は空中に跳び上がった瞬間。方源はこの一瞬を逃さず仕留める。
だがこれも豊富な戦闘経験がなせる業。赤山や漠顔、青書ら他の二転蛊師では、これほどの精度で弱点を突き続けることは不可能だろう。
前世の記憶が方源に戦闘中の一瞬の戦機を鋭く捉えさせた。彼は二転の修為ながら、一つ一つの力を精密に制御し、自身の戦闘力を極限まで引き出した。
方正のようには決してならない——玉皮蠱を有しながら、擂臺で方源の気迫に呑まれ、本来の実力を発揮できなかった愚かさとは対極だ。
無論、現時点の方源の実力には限界がある。石猿の群れを正面から殲滅することは叶わず、毎回戦いながら撤退を余儀なくされていた。
幸い石猿の知能は低く、攻撃方法を改善する知恵を持たない。何度も仲間が空中で粉砕されるのを目撃しながら、無謀にも跳び掛かり続けた。
同時に、彼等は追跡距離が一定を超えると、怒りよりも生息地への未練が勝り、自発的に追撃を中止する習性があった。
「蛊は天地の精、人は万物の霊」
方源は人間の知恵で石猿の生態を逆手に取り、適切な戦術を駆使することで石林の最深部へ到達した。
幾度もの戦いの末、遂に最後の石柱を眼前に控えた。
この石柱は「石柱王」と称される巨体で、五十人が手を繋いでも囲い切れないほどの直径を誇っている。
石柱が洞窟の天井から延び下がり、地面に届きそうなほど。静寂の中に雄大な気迫を漂わせていた。
方源は上部の石洞を数え、軽く見積もった。少なくとも五百匹はいる。これまで出会った中で最大規模の群れだ。
だが玉眼石猿が多少増えても、方源にとっては些細な問題。手間がかかるだけのことだ。
真の懸念は最上層の一つの石洞にあった。
この石洞の入口は周囲のどの穴よりも大きく、少なくとも二倍以上の規模。その下方に密集する石洞は、星が月を囲み、百鳥が鳳凰を仰ぐような配置だった。「どうやらこの石洞には猿王が棲んでいるようだ」方源は眉を顰めた。
これが真の問題だった。
群れが大きくなると、必ず獣王が現れる。猪の群れには猪王がいるように、石猿の群れにも当然石猿王が存在する。
獣王の脅威は普通の獣より何倍も高い。
理由は彼等の体に1~2匹の蛊虫が寄生しているからだ。これらの蛊虫と獣王は共生協力関係にあり、獣王が攻撃されると蛊虫も力を貸す。
「この玉眼石猿王は強くないはずだ。少なくとも猪王よりは弱い。さもないと周囲の猿群れを従え切れないだろう」方源は経験を基に石猿王の実力を推測した。
一般に群れが大き(おおき)いほど、獣王は強くなる。弱い獣王が多量の同族を統治する力を持たないからだ。
群れの規模で獣王の実力を大まかに分けるなら、低い方から「百獣王」「千獣王」「万獣王」と区分できる。
病蛇班が包囲攻撃した猪王は千獣王だった。そいつの支配下にある猪は千頭以上に及んでいた。
方源の眼前にいる石猿王は百獣王で、配下の石猿は数百匹いる。
狼襲来を引き起こした張本人である雷冠頭狼は万獣王だ。各雷冠頭狼は少なくとも一万頭の雷狼を統率している。
この三種の獣王間の実力差は極めて大きい。
千獣王の狩猟には通常三つの班が協力しなければならず、病蛇班が猪王を倒せたのは大前提として「猪王が既に重傷を負っていた」ことがあった。
万獣王には家老と族長が総て協力して初めて正面対決が可能だ。
一方百獣王なら普通の五人編成の班で確実に仕留められる。
しかし方源がこの石猿王を倒す場合、当然他の力を借りることはできず、独力で戦わねばならない。
「二転初階の真元は消耗が激しすぎる。赤鉄舍利蠱を使う時が来よう」方源は石洞を深く一瞥すると、第二密室へ退き石扉を閉ざした。
もし阻むのが猪王のような千獣王なら、方源は迷わず撤退を選んだだろう。
だが今相手は百獣王。もし方源が二転中階の修為であれば、挑戦する価値がある。
もっとも結果は不確実だ。中階に昇格したとしても、失敗の可能性は七割半、成功確率は三割未満に過ぎない。