「酒虫……」方源は呟きながら中央のカウンターに近づいた。
この酒虫を手にすれば、酸っぱい・甘い・苦い・辛い四種の美酒を補い、四味酒虫を合煉できる。もちろんこの合煉には失敗の可能性も伴う。
だが方源の手元に第二の酒虫がなければ、挑戦する機会さえ得られない。
人生とはこういうものだ――努力しても良い結果が得られるとは限らず、成功するとも限らない。だが努力しなければ、必ず失敗する。
魔道もまた然り。魔道の者の多くは茨を切り開き、猛り進むことを得意とする。これが世間の大多数の者の目には、過激で危険な行為と映るのだ。
「先ほどまで第二の酒虫をどう探すか悩んでいたが、運命がこの酒虫を目の前に運んできた。好機が訪れた今、どうして諦められよう? この酒虫を手に入れねば!」方源の瞳に確固たる決意の光が走った。
「もし五転や四転の修為で戦力が充実していれば、何の迷いもなく奪い去っていただろう。神ならば神を殺し、仏ならば仏を斬る! 三転や四転で手段が豊富なら、盗み取り、誰にも気付かれずに済ませただろう。残念ながら今の自分は二転初階……」
方源は心で静かに嘆息した:「こうなれば真面目に購入するしかない」
彼はカウンターに掲げられた価格を一瞥した。
「酒虫――五百元石」
酒虫の通常市価は五百八十元石。ここでの表示価格は市価より八十元石も安い。
だが方源が本当に五百元石で買えると思うなら、前世五百年の人生は無駄だったと言わざるを得ない。
価格がこれほど低く設定されているのは、賈富が人集めを図り、人々(ひとびと)の購買欲を煽るための策略だ。
この樹上の店舗は明らかに賈富の所有物だった。
「お婆ちゃん、この酒虫がたった五百元石よ!」少女が駆け寄り、小さな驚きの声を上げた。
瞳を輝かせた少女は母親の腕にすがりつきながら:「明日は開竜大典だよ。プレゼント約束してたじゃない? この酒虫買ってよ!」
少女の祖母は白い腰帯を締め、正面に「三」の文字が刻まれた正方形の銀板を装着していた。
蠱師が三転に修行すれば、自動的に家老の地位に昇格する。
ただし家老の間にも区別がある。権力を握る当権家老もいれば、利益の少ない部門を管理する者もいる。
しかしこの三転の老婆は、明らかに無能な家老ではなかった。
「古月薬姫……」方源は彼女を見分けた。この人物は薬堂の家老で、薬堂は一族の後方支援の中心。言わば最も油の乗った部門だ。古月薬姫は古参であり、族長に対しても礼をせずに座ったまま答えることができる。族内随一の治療蠱師で、数多の家老の命を救い、人脈が極めて強い。
「よしよし、孫の願いなら買ってあげよう」老婆は皺だらけの顔で背中を丸め、片手に杖をつきながら慈しみ深く笑った。
「お婆ちゃん最高! やっぱりお婆ちゃんが一番!」少女は嬉しさの余りその場で古月薬姫に抱きつき、小さな唇を尖らせて頬にチューした。
「じゃあお婆ちゃん、店員を呼んで早く酒虫買おうよ!」
古月薬姫は首を横に振る:「孫や、ここでの買い物はそう簡単ではないのよ。カウンターの上に積まれてる紙と筆が見えるかね?」
少女は首を傾げながら頷いた:「うん、見えるよ」
古月薬姫:「その紙を一つ取り、この酒虫を買う価格を書いて、カウンター横の穴に入れるのよ。買いたい人の中で最高値をつけた者が、この酒虫を手にできるわ」
「へえ、面白い仕組みね」少女は竹紙を手に取り、筆を執ったが、書き込む際に躊躇した。
古月薬姫はハハッと笑い、わざと茶目っ気を見せた:「酒虫を買うのがそんなに簡単かね? 孫や、あとはお前次第だぞ……」
「お婆ちゃん!」少女は甘えるように古月薬姫の腕に抱きつき、激しく揺すぶった。
「もういい、もういい。揺さぶるのを止めなさい。この老婆の体がバラバラになりそうだ」老人は溜息をつき、「婆さんが代わりに書いてやるよ」
少女は小躍りし、甲高い声で叫んだ:「やっぱりお婆ちゃんが一番!」
古月薬姫は筆を取り価格を記し、氏名を添えた。少女は真剣な眼差しで横から覗き込んだ。
老人は書き終えると紙を折り畳み、少女にウィンクした:「さあ、これを投函しなさい」
少女は従順にそれを受け取り、カウンター横の四角い投函口を見つけて紙片を押し込んだ。
古月薬姫の元に戻り、不安げに尋ねた:「お婆ちゃん、これで本当に大丈夫?」
老婆は頷いた:「これで大丈夫だろう。でも世の中何があるか分からない。もしかしたら婆さんより高い値段をつける奴がいるかもな。だがそんな値を付けるなら、酒虫を買う奴は本当に馬鹿だわ。安心しな、もう九分九厘決まってる」
「はーい」少女は愛らしい表情で頷いた。
「さあ、婆さんと上階を見て回ろう」
「わかった、お婆ちゃん」
……
祖孫の後ろ姿を見送りながら、方源の目に一瞬険しい光が走った。
この古月薬姫は、彼にとって確かに強力な競争相手であり、軽視できない存在だった。
しかしこの状況は、方源が既に予想し準備していたことだった。
酒虫は貴重だ。一転蠱師にしか効果がないが、真元を精製する能力は実に優れている。真元が精製され小境界が向上すれば、真元貯蔵量が増加し、蠱師の修行進展を強力に推進する。
唯一の欠点は、酒虫の発展性が低いことだ。
広く知られる昇進秘方では、酒虫は単なる合煉材料として使われ、新しい蛊は真元精製能力を失う。
これは実に惜しく、むしろ損得が合わない。
そのため多くの一族は酒虫を合煉せず、学堂で新入生が順番に使用するよう管理している。
もし方源が自らの昇進秘方を暴露すれば、酒虫の市価は必ず暴騰するだろう。
「この酒虫を手に入れるのは容易じゃないな。あの祖孫は単なる競争相手の一つに過ぎん。他に何人もの敵がカウンターに紙を投函しているか分からん」
酒虫は良き品、良き品は当然誰もが欲しがる。
ただこれらの競争者の中には、本気で購入したい者もいれば、運試しで参加する者もいる。古月薬姫のよう豊かな財力の主もいれば、方源のように乏しい者もいる。
「幸い家産を取り戻し、ここ数日一転生機葉の販売や酒場・竹楼の貸し出しで元石を蓄えてきた。でなければ競争する資格すらなかった」
だが彼の蓄積期間は短く、他方で飼育が必要な蠱虫も多い。財力で古月薬姫のような家老に太刀打ちできようはずがない。
「はあ、帰ろう。薬姫様がさっき公衆の前で紙を投函したのを見たよ」
「わしも見た。この酒虫は私とは縁がないようだ」
……
カウンターを囲んでいた蠱師たちは、次々(つぎつぎ)とがっくり肩を落とし退出していった。
残ったのは方源ただ一人。
彼の瞳は幽玄の泉のように冷たい光を放っていた。
退出した蠱師たちは、古月薬姫の威圧感に押し潰され自ら退いた。だが方源がそんなことでたじろぐはずがない!
「時にチャンスは眼前に転がっているが、人々(ひとびと)は自ら見捨てる。私にはまだ機会が残っている!」方源の脳裏では思考が渦巻き、深い思索に沈んだ。
財力で戦えば、方源は古月薬姫の敵ではない。
しかし……
だからといって、古月薬姫の提示価格が必ず方源より高いとは限らない!
酒虫は貴重だが、所詮一転の蠱虫に過ぎない。商品の価格は変動するが、無制限に上昇したり暴落したりすることはない。全て(すべて)の価格変動には範囲がある。
故に今の鍵は、古月薬姫が何という価格を提示したかだ!
彼女に金の不足などない。愛おしむ孫のためなら、いくら出せるのか?
方源の提示価格が、薬姫の価格をわずかでも上回れば、方源の勝ちだ。
これは型破りな戦い! 強き者が必ず勝者とは限らず、弱き者が敗者とは言えぬ。推測と賭けが、この戦に独特の面白味を添える。
「他の者なら、見抜けまい。古月薬姫、さっきわざと発言して競争相手を脅したつもりか? だが私の前では甘い!」方源の口元が微かに緩み、自信に満ちた笑みが浮かんだ。
この世界の商取引は実に興味深い。
地球なら、酒虫のような貴重な蠱虫を売る場合、普通オークション形式を取るだろう。
だがここでは、競売は一般的ではない。
重要な原因は、親族愛を最上の価値観とする家族の結束力だ。
もしオークションを開催すれば、家族の成員は賈富のような外部者に対し、潜在意識で「共通の敵」への連帯感を抱くだろう。
商品の価格が少し高くなると、多くの競争者が自動的に撤退する。その場で穏やかに協議し、利益の妥協・交換・補償を行うことさえある。
この世界の人々(ひとびと)はほぼ全員、「家族内での負けは大したことないが、外部の者に利益を奪われるのは一族全体の恥」という観念を持っている。
ただし複数の家族が同時にオークションに参加する場合は別だ。そうなれば競争が生じ、緊張感が高まる。
だがこの種のオークションは開催が困難だ。
交通が不便だからである。
交通は商業の基盤。交通が発達していなければ、商業は衰退する。商業の根本は物資の流通だからだ。
各山寨は山々(やまやま)を拠点とし、互いに遠く離れている。途中の道は歩き難く、猛獣が現われ、断崖絶壁や悪天候、危険な野生蠱虫が存在し、困難が待ち受ける。
このような不便な交通事情では、多勢を集めてオークションを開くのは至難の業。
例え青茅山に三山寨が隣接していても、賈富はオークション開催を敢行できない。
第一、オークション会場をどこに設置する? 野外では不安定だし、古月山寨で開催すれば他二派が警戒する。
賈富自身の修為は四転。三山寨の族長たちも四転なので、彼には場を抑える力が不足している。
地球と比べれば、この世界の商業は発達しておらず、独自の規則がある。
方源は前世で地球的な商業理念を駆使し、富を築いたこともあれば、失敗もした。血涙の教訓を経て、実践から真知を得た。
地球の健全で豊かな商業理論と自らの経験を結びつければ、誇張なしに言える――方源の商業への理解は世界最高水準だ。
山塞に住み、青茅山から一歩も出たことのない老女が、私から酒虫を奪おうと?
ばあさん、まだまだ甘いわよ!