寒雪は梅の中で尽き、春風は柳の上に帰る。
気が付けば冬が過ぎ、春が訪れていた。
凍っていた山渓が再びさらさらと流れ出す。竹楼の軒下の氷柱や樹氷が、陽の光の中で透き通った水を滴らせていた。
朝の酒場は人気が少なく、客もまばらだった。
方源は窓際の席に座っている。彼の要望で、周囲に木製の衝立が立てられ、個室のようになっていた。
窓から吹き込む微風が、新たな土の香りを運んできた。清々(すがすが)しい芳しい香りに、思わず胸が晴れる。
江牙は方源の向かいに座り、顔中に笑みを浮かべていた。
「こちらが今回の元石です。ご確認ください」四つの銭袋をテーブルに置き、方源に押しやった。
銭袋の中身は当然元石ばかりだ。
方源は一つ一つ開いて確かめず、手に取って重さを量った。
前世で百年以上商売をしていた彼にとって、手の平に載せた元石の数は感覚で分かる。一つ欠けても即座に気付くだろう。
この技は別段大したことではない。
地球には、瓶の口に銅銭を置き、油を一筋の線のように注ぎ込んで一滴も溢れさせない油売りの老人がいた。百歩離れた木の葉を百発百中で射抜く名射手もいれば、長年肉屋をやっているベテランが手で量った肉の重さが、秤で量っても寸分の狂いもない者もいる。
どうやってこのような技を習得したのか?
他でもない、習熟が生む慣れだ!
経験の蓄積は、時に奇跡を築き上げることもある。
転生後、この経験に根差した手触り感も自然と継承されていた。方源は手でそれぞれの重さを確かめ、問題ないと判断すると、懐から小さな布袋を取り出し、江牙に手渡した。
江牙は慌てて両手で受け取り、袋口を開いて仔細に数え始めた。
方源は九葉生機草を所有してはいるが、直接販売はしない。もし古月凍土なら、喜んでこんなことをし、社会的な繋がりを維持しつつ自身の影響力を拡大するだろう。
しかし方源はそんな時間と労力の浪費を好まなかった。そのため生機葉を全て(すべて)江牙に売り渡し、江牙が店舗の店主として一転治療草蠱※1 を対外的に販売するようにした。
江牙は江鶴の弟で、方源が酒虫を探していた頃に面会している。兄の江鶴は方源の半同盟者とも言える存在だ。そのため彼を代理人に任命し、表立って販売させることは比較的安全で信頼できる選択だった。
「一、二、三……九。確かに九枚の生機葉ですね」江牙は三度数え直してから袋口を閉じ、懐中に慎ましく収めた。
続けて杯を掲げ、方源に敬した:「方源様、ご協力感謝します。乾杯!」
その目の奥には、濃厚な羨望が潜んでいた。いや、嫉妬と言った方が適切かもしれない。
ちょうど一年前、同じ春の頃。初めて方源と会った時、彼は学塾の一学徒に過ぎなかった。蠱師の武服さえ着用する資格のない身分だ。
だが今、方源は立派な武服に身を包み、腰には赤い帯――中央に方形の鉄板が埋め込まれた二転の証を締めている!
一方自分は依然として一転の青帯。
それだけならまだしも、江牙が胸を焦がすのは、方源が遺産を手にしたことで、貧乏人から富豪へと変貌したことだ。
酒場や竹楼、九葉生機草――これらは江牙が一生を賭けても手にできそうにない財産だ。
しかし江牙はこの嫉妬を表に出す勇気などない。
方源が生機葉を売り、自分が差額を稼ぐ。今や方源は金銭的な後ろ盾であり、目上の者に逆らうことなど到底できはしない。
「はあ、人と比べると死ぬほど悔しい……」江牙は杯を掲げ、顔中に笑みを浮かべながらも、心の底では深い嘆息をついていた。
方源も杯を挙げ、一気飲みした。
江牙の表情は巧みに隠してあったが、百年の経験を積んだ方源の目をごまかせるはずもない。
方源は気に留めなかった。江牙が嫉妬しないなら、それは大志を抱いている証拠で、逆に評価するところだっただろう。
しかし彼が方源の境遇に目を赤くする様は、器量の小ささを露呈しており、取るに足りない。杯を交わすのも、今のところ多少の利用価値があるからに過ぎない。
江牙は杯を置き、興奮した様子で言った:「一族の生機葉は一枚五十五元石で売られています。貴方の指示通り(どおり)、私共は五十元石で販売したところ、全く供給が追いつきません! 毎日もう少し生機葉を生み出して頂ければ、もっと儲かるのですが……」
方源はゆっくり首を振り、きっぱり拒絶した:「無理だ。九枚が限界で、修行の時間を大いに浪費している」
これが方源と江牙のようなどこにでもいる俗人との違いだった。
方源にとって元石は修行の資源でしかなく、道具に過ぎない。すべては修行のためだ。一方江牙は元石を人生の目標とし、修行すらも元石を稼ぐ手段としか考えていない。
それでも方源が毎日九枚の生機葉を生み出すだけで、毎日四百以上の元石を稼ぎ、ここ数日間の蓄積で手元の財産は相当な金額に膨らんでいた。
方源に拒まれた江牙は強いて勧めることもできず、残念そうに舌打ちしながら、方源の杯を丁寧に注ぎ、自分の分にも注いだ。
「おっしゃる通り(どおり)ですよ」江牙は感懐深げに言った,「旦那様はこんな大金をお持ちなんだから、毎日苦労する必要なんてありませんよ。私から見れば、あのボロ借家に住み続ける必要もない。竹楼を一棟空けてご自分でお住みになればいい。美人の奥様を娶り、7、8人の使用人を雇って仕えさせれば。これぞまさに楽しい人生というものですわ、ほんと」
方源は軽く笑い、何も言わなかった。
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや!
彼は顔を窓の方へ向けた。
雪の残る竹楼の屋根が、明るい春の光を浴びている。遠くには柳の木が、黄緑色の若葉をつけた枝を春風にゆらめかせていた。
方源の目が虚ろになった。今の自身の状況を考えていた。
方正の問題を解決した今、家産は守られたと言って良い。
白玉蠱も月芒蠱も合煉に成功し、攻防両面の戦力を備えた。次は酒虫の合煉だ。
しかし酒虫の件は少々(しょうしょう)面倒で、四味酒虫を合煉するには第二の酒虫と酸・甘・苦・辛い四種の美酒が必要。これらの大半がまだ手掛かりもない。
「酒虫は必ず合煉しなければならない。酒虫がなければ修行の進度が倍以上遅くなる。しかし四味酒虫の合煉は、商隊が到着するまで待たねばならん。商隊を利用して白玉蠱の存在を明かせば、戦闘力を隠す必要もなくなり、自由に動けるようになる」
方源は現在、月芒蠱と白玉蠱を所有し、五百年分の戦闘経験と相俟って、大部分の二転蠱師を凌駕している。
病蛇組の角三※1 のような小規模グループの組長なら、一対一で戦っても方源の敵ではない。
しかし赤山や漠顔、青書ら一線級となると、方源はまだ及ばない。
第一に、方源の修為は二転初階に留まり、彼等は皆高階から巔峰に達している。第二に、強力な蠱虫の数が不足している。方源が戦闘に使用できる蠱虫は二体だけだが、赤山らは最低三体を保有し、更に隠し持つ底牌もある。
同世代では方正、漠北、赤城らが疑いなく頭角を現し始めている。
特に方正は二転蠱虫「月霓裳」を手にした後、方源と互角に戦える実力を身につけた。時間の経過と共に彼の修為は更に向上し、徐々(じょじょ)に方源を追い越すだろう。
方源が早急に四味酒虫の合煉に成功しなければ、修行速度で方正に追いつくことはできない。
更に上の三転・四転の蠱師となると、
方源にとっては勝負以前に、命を保つことさえ困難だ。越級挑戰 など論外である。
越級挑戰は極めて困難だ。方源には隠し玉もなければ優れた資質もない。豊富な戦闘経験があっても、材料がなければ巧みな女でも料理が作れないように、強力な蠱虫がなければ、この経験は何の優位性も発揮できない。
「四味酒虫を合煉できれば、修行速度は満足のいく水準になる。だがさらに蠱虫を補充する必要がある。防御は白玉蠱、攻撃は月芒蠱、治療は九葉生機草。不足しているのは偵察用と移動用の蠱虫だ。この二種は補助的ではあるが、手に入れれば弱点を補い、戦闘力を少なくとも三倍は向上させる!」
方源は実践を重ねて徐々(じょじょ)に理解する必要などなかった。豊かな人生経験が既に自身の正確な位置を教えていた。
耳元で江牙の声が響いた:「噂では、最近旦那様の邪魔をしようとする者がいるようですね?わざわざ貸し出し中の竹楼や酒場で騒ぎを起こすとか?」
方源は眉を顰めた。思考を遮られた不快感があった。
だが江牙の言うことは事実だった。
方源も既に調査を終えており、背後で糸を引いているのは母方の叔父である古月凍土だと突き止めていた。
古月青書に警告された後、凍土は方正を利用した騒動を起こす勇気などなかった。しかし沈黙を守っていた期間を経て、悔しさと恨みを抱いた彼は自身の人脈を駆使し、複数の蠱師を雇って方源の商売を妨害し始めたのだ。
商売人にとって、この手の厄介事は最悪だ。
そのため最近は時間を割いて現場を見回っている。
「若旦那、また騒ぎを起こす者が来ました」衝立の外から、慌て恐れた様子の店員が個室に入ってきた。
「おや?」方源の眉が跳ね上がった。まさか今日遭遇するとは思わなかった。
動こうとする方源を制するように、江牙がバッと立ち上がり熱心に言った:「旦那様はここでお待ちください。私が様子を見て参ります」
衝立を出たかと思えば、瞬くうちに戻ってきた。
「古月蛮石です!」江牙は顔面蒼白になり、声を押し殺して告げた。目には恐怖と不安が浮かんでいた。
古月蛮石?
方源は慎重な性格ゆえ、情報収集を徹底していた。この数週間で一族の全二転蠱師の情報を集め、大筋を記憶していた。
古月蛮石は防御特化の腕力自慢で、蛮石組の組長を務める。病蛇組の角三よりも幾分名が通った存在だ。
ガラッ!
外で酒壜が割れる音が響いた。
続けて野太い威張り声が轟いた:「ふん、この酒は何だ?馬の小便みたいで、よくも俺様に売る気か?」
「ふん…」方源の目が冷たい光を放ち、ゆっくりと立ち上がった。