第24話
よろしくお願いいたします。
彼が母親の言葉を本気で信じたかどうかは分からない。
その後、阪本君は「勝手にしろ」と母親に言い残し一人で帰っていった。
母親もゆっくりとふらつきながらも学校を後にした。それから後になってこの親が苦情を言ってくるような事は無かった。
その後、以前アトリエで話を聞いた伊藤さんから学校に電話がかかってきた。
どうやら彼が家を出てアトリエの二階で一人暮らしをする様になったらしく母親も了解したらしい。
完璧な解決とはいかないまでも、少しは彼にとって良い環境ができたことであろう。母親を見送った後に佐山先生とサクラを引き連れ、先の教室へと戻った。
「アレは間違いなく改心しましたよ」
そう自分の戦略の評価をサクラは無駄にアピールしてきた。
その声色は元の明るい状態に戻っていた。「そうでしょうか? 母親の方はともかくですが、阪本君の方が心配でなりません」
「確かにあの二人の関係がすぐに改善する可能性は低いかもしれません。ですが時間をかけて少しずつ関係を戻していければいいんじゃないかなと」
「俺はどちらかと言えば関係改善は何かさらにきっかけが無いと厳しいんじゃないかと思う、個人的にだがな」と自分の経験からそう判断した。
「お言葉ですけど校長。そんなのあの二人には必要はないと思います。というかきっかけ自体はコレで十分で、後は時間が解決してくれると思います。それ位に締め上げましたから」と力こぶを作り、やってやった感をアピールしていた。
「締め上げるって、あくまでも保護者なのだからもっと丁重に扱ってくれよ」
「そうですよサクラ先生。あのお母さん泡拭いていましたし」
「ほぼ間違いなくコレであの強烈な母親の愛情無き呪縛から解放されたんですから良かったじゃないですか。一件落着ですね」と機嫌よくグーサインをしてみせた。
体はボロボロ。きっと中身もボロボロ。それなのにテンションはいつもよりか高い様に感じた。
「なんか生徒の未来を導いてあげるっていう私のモットーを体現できた様な一件でしたので」さぞ気持ちいいんだろうなと思いながら俺は奴の横顔をチラ見した。
「それは良かったな。でも、少しは先生や他の生徒のメンタルとかも考えて行動しろよな」
「でも、ああいう人間には日本語が通じませんから、体に叩き込んでやるのが一番だと私は信じていますから」と自分の判断が正しかった事を主張した。
「それってお前にも適用するんだがな」それを聞いた奴の顔から自慢する様な色が消え去りぐうの音もでない様な表情を浮かべていた。
▽▲
その日の夜、俺は珍しくサクラから呼び出されていた。
「校長……少しお時間よろしいでしょうか?」
どでかい段ボールを両手で抱えて校長室に入ってきた。
「なんだ?」
「実は、渡したいものがありまして」
「渡したい物?(ロクでもないモノじゃないだろうな)」
そう言うと、サクラは胸ポケットから黒いチップを取り出した。
「なんだよコレ?」
「チップです」
「いや、それは分かる」
「ちなみに他にも……」
そう言うと次はスーツの内ポケットに手を突っ込み始めた。
「ディスクバージョンやビデオバージョンとかもありますがいかがしましょう?」
「それ同じ内容なのか?」
「勿論」
「いや、一つでいいよ!」
「そうですか」
サクラは同じところにそっとそれらをしまい込んだ。
「それより、重要なのは中身だろ? 何が入っているんだ?」
「えっと、それは、データです」
「……何の?」
「先生のお父様に関する生前の映像です」
「……」
「きっと、校長もお喜びになるかなと思いまして……どうかされましたか?」
「誰から聞いた?」
「えっと、何をですか?」
「とぼけるな。俺と元校長との仲が悪いって事をだよ」
「……」
俺から直接話をしたりはしていない。しかし、他の先生から聞いたり、奴の中にある過去の記憶データから分かっているに決まっている。どうしてそんなモノを見せびらかしたいのかは謎ではあるが。
「本当ですか?」
「何がだ」
「仲良しじゃなかったんですかああ?」
「はっ……?」
どうやらリアクションから察するにコイツは本気で勘違いをしていたらしい。
「いやいや、てっきり校長は元校長と仲良しなのかと思っていましたので。このデータを見つけた時には是非ともそれをご覧になっていただきたいと。そう思いましたので差し上げようとしたのですが。それに喧嘩を頻繁にされていたと記録には残っていましたし、喧嘩する程に仲が良いと言うじゃないですか!」
「いや、そういうのは絶対じゃねえよ! てか、それ以前に……身内でもないアンタから気にかけてもらう必要はない。お節介だ」
そう言いながら俺は片手で振払う様な素振りをサクラに向けた。
「でも、きっとこの映像を観てくだされば何かが変わるはずだと思います!」
「映像みたのか?」
「すみません」
「どんな感じだった?」
「こう、なんというか校長先生の父上の人柄がどの様なモノなのかが分かるような内容になっていました」
「というか、そんなものどっから?」
「あのパソコンですよ」
「ああ」
それは、以前にパスコードが分からず暇をしていたサクラに解析を託していた代物の事である。
「恐らく以前の私が撮影したものだと思います」
「ああ、そうか」
「私が校長のお父様の記録を集めて、まとめて亡き校長の本当の人柄をお伝えしたいのです。コレは私からの恩返しでもあるのです。彼が必死に猿渡菜々美の情報を集めて私の中身を作り上げた様に私は恩返しとして校長にお父様の様子をお伝えする義務を感じているのです」
「お前、猿渡菜々美って……」
「はい、私は知っています」
そこからサクラは一方通行で話始めた。四月に目覚めた頃。最初は変な感じだったらしい。いきなり時間が七年後に飛んだ感覚。そしてその原因を探るべくして彼女は自分の中にあった過去のデータに探りを入れようとした。調べていくとアンドロイドの管理を行う企業の個人クラウドには彼女が目覚めるまでに起こった記録が全て保存されていたらしい。それらを参考にして日々、自分とは何者なのかを探り始めたらしい。そのクラウドには主に、彼女の目にあるカメラで撮影された動画がほとんどらしかった。そこでサクラはある一本の動画を発見したらしい。
「目覚めてからしばらくして、過去のデータをクラウドからダウンロードして動画や資料を見ていたのです。自分とは何かを知りたいという欲求がありましたので。その中で偶然、ある動画を見つけたのです」
「ある動画?」
「私は一度……殺されていたのです」
「えっ?」
「全てのデータを上書きされた事を知りました」
「お前……」
「通常であれば、動画なんていう重たいデータは一定期間が過ぎれば削除します。しかし、前のサクラは決してそんな事はせずにある場面から記録を外部デバイスに残していた事も分かりました。その様子が、偶々、クラウドからダウンロードしてきた動画に映っていたのです」
「私の目の中にあるカメラは非常時を除いては始業時刻から終業時刻まで常に回っています。そのデータ達がこのどでかい段ボールの中に入っていたのですよ」
そう言いながらサクラは埃の被った段ボールの中身を開封して中を見せた。
「コレは?」
「外付けの記憶デバイスです。機械に接続する事でデータをこちらの方に保存する事が可能です。これこそ以前のサクラが生きていた証なんです」そう言いながらサクラは段ボールをテーブルの上に置いた。
「七年分の毎日の映像データを、校長にお伝えする義務がある。そう感じたのです!」
「どうして?」
「……」
「別にそれはお前にとって関係の無い事だろ?」
「いいえ関係は有りますしコレもちゃんとした仕事の一つです!」
「仕事?」
「はい。私はアンドロイドで補助教員という特殊な役割です。確かに私は生徒の味方でもあります。でも、教師の味方でもあるのです! 前の校長の考えを昔のサクラはあなたにいずれは伝えたかったはず。それが前校長の助けになるはずだったから。でもそれは叶わなかった。それなら私がやろうと。校長も私がお助けするべき対象なのです。ですから―」
そっと手をこちらに伸ばしてくる。
「私に最後の手助けをさせてください……」
「……最後の手助け? フンっ」
俺は鼻先で軽くあしらった。
「大きなお世話だなぁ……」
「じゃあ……コレは廃棄しますね」
「……っ、ちょっと待った!」
そう、俺はあの日から気になっていたのだ。前社長から語られた真実を知った時から。半信半疑の真実を。
「じゃあ謝罪してください」
「ああ、……すっ、すまない」
俺が軽く頭を下げると奴はご機嫌な表情を浮かべた。憎たらしい位にご機嫌な。
「しょうがないですねぇ……特別にですよ?」
「ああ、分かったよ」
俺は大人しく奴の言う事に従おうとした。しかし、ここで疑問が浮かぶ。
「お前、もしかしてだが、このデバイスの中身を全て観ろとでも言うんじゃないだろうな……?」
「ええ、そのつもりですけど。何か?」
「いや、何かじゃねぇよ! 何年かかると思ってるんだよ!」
「え、無理なんですか?」
「どう、考えても年単位でかかるだろ!」
「全く校長は仕方ないですね……」
そうため息をつきながら呆れた表情を浮かべていた。少しイラっときたがここは落ち着いておこう。
「じゃあ、コレを」
そう言うと奴は内ポケットから黒いチップを取り出した。
「コレは校長が見やすい様に私が編集したものです」
「最初からそれ出せよ。てか、随分と小さくなったな」
「まあそうですね。合計で十分ですし」
「いや待て、待て。七年分のデータだろ? 編集しすぎなんじゃないのか?」
「そうですか、ならば……」
そう言って再び胸ポケットから白いチップを取り出した。
「十時間バージョンにしておきますか?」
「いや、次は長すぎだ!(いや、長いよなコレ? えっ?)」
「はぁ、じゃあ最初に十分バージョンを見るっていう事にしましょう。それで物足りないならこちらのバージョンを観ればいいと思いますよ。全くわがままな校長です」
お前が言うな、と言いたかったが心の中に留めておく事にしておいた。そして奴は最初に出してきた方のチップを俺に渡してきた。
「……ああ、分かった」
「いいえ、編集に編集を重ねてぎゅぎゅっと詰め込みましたから。でも、校長ならこれ位で理解できると思いますよ」
まあコレを受け取ったから何かが変わる気なんてしやしないが。
「是非見てあげてください」
「……はぁ」
ため息をつきながらも俺は、パンドラの箱を受け取った感覚に襲われた。無視し続けた父親の様子を垣間見る事になる。開けてはならない何か。しかし、無意識の内にそれを見てみたいと思った。
「では、私は他の業務がございますのでコレで失礼いたします」
そう言うとサクラは静かに部屋を出ていった。
サクラが出ていった事を確認すると視線がそっと手の中に移る。
面倒という気持ちがある。ただ一方で奴の様子も気にもなる。その場で頭を掻きむしりながら悩む。
すると―
「一人で見られないならば一緒に見てあげましょうか?」
横を見ると奴の顔があった。
「なんでお前がいるんだよ!」
「だって一人で観るよりも……ってこういうのは一人で観るモノですよね」
そう言うとサクラはどこか納得した様な表情を浮かべていた。それに動かされたのか俺は奴を呼び止めていた。
「別に、一緒に観てもいいぞ」
そう言うと奴は嬉しそうな表情をして即座に隣に座った。
チップをハードに挿し込む。
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