第21話
よろしくお願いいたします。
全校生徒が見守る中、俺だけが落ちていく。こんな死に方ありかよ。助けようとしたのに助けられるどころか死の淵に立たされるとは。
俺が二階の窓を通り過ぎた瞬間に強い力が足首にかかり急激に速度が緩まった。それと共に痛みが走る。がっちりと俺の足元を掴んでいたのは佐山先生だった。
片手だけで俺の体重を支えている状態だった。次に万田先生も俺の片足を掴んでそのまま引き上げてくれた。
「タイミング良すぎませんか?」
「いいえ、姫野先生が指示を出してくださったので」
「……そっ、そうですか」
と、一息付きたいところだがそう言う訳にもいかない。
「そうだ、屋上」
そう声を出し窓の方を振り返った瞬間― 阪本君が開いた窓ガラスから回転しながら投げ入れられてきた。
そして、その背後、つまり窓の外には落下していくサクラの姿があった。三人のオトナはそれをただ唖然として見送るほか無かった。
サクラはアンドロイドである。
人間よりもはるかに重い。
言うなれば落下してくるグランドピアノ。それを腕だけで吊り下げられるなんて、いくら腕力のある佐山先生や体を鍛えている万田先生の力をもってしても不可能である。
それを察していたのかサクラは瞬時に阪本君だけを教室の中へと自身の体を捻らせ器用に投げ入れたのだ。
そしてサクラだけがそのまま地面へと背中から叩きつけられた。地面に叩きつけられた瞬間―学校中に大きな衝撃音が響き渡る。
それから波が引き返したかの様にシーンと静まりかえる。そして波がまたやって来るように生徒達の悲鳴がグラウンドからけたたましく響いてきた。
その悲鳴も無理もない。あいつは確かに機械だ。しかし、機械でもアンドロイド。つまり、人の外見にそっくりなのだ。
そんなのはいくら頭の中で機械だと分かっていたとしても視覚的には人が落ちてきたのと変わりがない。窓から見下ろすと、奴は暫くその場から動く事も無くただ目だけ大きく開いていた。
勿論、避難訓練はこの時点で中止。俺が全校生徒の前で避難訓練に関する総評を述べる事も無かった。
あの衝撃のせいで恐らくどこか故障したのだろうか、奴はそれから数時間、自力で動く事は無かった。
これではさすがに運営に支障をきたす恐れがあるので万が一故障した時の保険として利用できるアンドロイドを手配する手続きを進めていた。まさか、こんな形でコイツを使う時が来るとは。複雑な心境だ。そんな事を考える中、奴の目が僅かに見開く。
「あの、ここは?」
「おい! 大丈夫なのか?」
俺はサクラが目覚めた事を確認すると直ぐに顔を覗き込む。
「校長、少し顔が近い様な気がするのですが」
「えっ、ああ、すまない……で、調子はどうなんだ?」
「システム上には……特に問題はないようです」そう言うと、ソファからすっと起き上がった。しかし、その足元はややふらついていた。
「おいおい、いきなり動いても大丈夫なのか?」
「お構いなく、大丈夫ですよ」
そう口では言いながらも彼女の首筋にはあの衝撃のせいか亀裂が生じていた。
「お前、腕からなんか垂れているぞ……」
「ああ、これは、ただの油です。大丈夫です」
「いや、油漏れているってマズくないか、普通に考えて」
「まあ、さすがにあそこから真っ逆さまに落ちたら屈強な私でも傷はつきますよ」
「そうか……」
「先生、もしかして私の事を心配してくれていたりするのですか?」
「いや、別に」と表向きには軽くあしらった。この時の俺はどうせコイツはまた俺の事をからかっているのだと。嘘をついているのだと。そう思えて仕方なかった。
「ありがとうございます」と笑顔を作っていた。
「なんで俺が感謝されないといけない」
「いやいや、こんな私をよく我慢して使ってくれたなと思いまして」
「らしくない事を」
「えっ?」 「
「らしくない事を言ってんじゃねぇ!」
「そうでしょうか? やっぱり私おかしくなっちゃったんですかね?」
「……」なんだか調子が狂わされる。同時に、この状況に嫌気がさしてくる。
「あっ、それと、どうやら私はもう充電ができないみたいです。」
「……はっ?」
「なので、迷惑かも知れませんが私の跡継ぎはなるべく早く探していただいた方が良いと思います」「おいおい、何を言って……」
「まあ先程も申し上げましたけど、さすがにあそこから真っ逆さまに落ちたら屈強な私でもかなりのダメージは回避できません。空が飛べたら別だったかもしれませんが」と口元を緩ませながらつぶやく。
「おいおい、そいつは修理すればどうにかなるのか?」
「まったく、校長は察しが悪いですね。修理できないから跡継ぎを探してくださいって言ったんじゃないですか。てか、今は彼の事を解決する方が先です!」
「えっ……いや、まあ……そう……だな」
俺の心配なんてどこ吹く風と言わんばかりに奴は自分の事よりも生徒の事を考えていた。奴の状態について知りたいが奴の圧力に俺は首を縦にふるしかなかった。
「どうやら私のメンタルチェック機能に狂いは無かったようですしね」
「その様だな……でも、どうしてあんな危険な真似をしたんだ?」と俺は思い切って奴に質問を投げかけた。すると、奴はこう答え始めた。「あそこで一度死にかけてみる事も一つの教育だと考えました」
「教育?」
「ええ、そうです。」
「お前、人の命を何だと思っているんだ!」 と俺は語気を強めた。流石にそこは説教しないと気が収まらなかった。
「だからこそ教えたのです。その命の大切さとやらを。私の寿命と引き換えに」
「もっと他のやり方があったんじゃないのか?」
「自殺未遂に陥った人間のほとんどは自殺しなくて良かったと思う様になり、自殺しかけた事を後悔するらしいんです。なので彼にも一度本気で死と向き合う事で命の大切さを教えたのです」
「たとえそれだとしても度が過ぎるぞ」
「じゃあ、校長は……あの子を止める事が出来ましたか?」
「……それは」と俺は言葉に詰まった。俺もあんな状況に遭遇したのは初めてだった。
故にあの状況で説得する事が可能だったかは確かにかなり怪しい。
現にあの時、俺の足は阪本君が落ちかけた時に初めて動いた。つまり本当にピンチの時にしか行動ができなかったのだ。本来ならそっと近寄り話を聞くというのが教師の役目であろうに。
いくら校長の職で直接生徒の指導には当たる事が少ないものの、とるべき行動を直ぐに実行できなかった。
でも、そんな俺の考えなど無視する様にあの時のサクラはスッと行動できていた。こいつの場合、一拍置く事が無い瞬時の判断。
そして行動。あの時の変化を深刻に考える俺を気にする様子も無くサクラはすっと部屋に置いてある振り子時計の方へと目線をやる。この時のサクラにはどこか人間っぽい感じというか、俺は違和感を覚えていた。
「では、私は仕事がありますのでここらで失礼します」
「ちょっと、待てよ。お前、そのケガはどうするんだよ」と俺は奴の体に入っているひび割れをサッと見回す。首元、肘、前頭部などに少し大きな亀裂が垣間見られた。
「校長、そんなにジロジロと見ないでいただけますか」
「えっ、ああ……って、別に変な目で見ている訳じゃないぞ!」
「別にそこまでは言っていませんよ。それにこれらの傷は何ら問題ありません。傷だらけの体になった事は残念ですけどね。折角毎日キレイにお手入れしていたのに」心底悲しそうな表情を浮かべる。
「ただその代わりとして、私が生徒の役に立ったので良かったですよ」
「生徒の役にって……お前最初の方はそんなに頑張っていなかったじゃないか」と俺は奴のポンコツさによって生じてきた問題を振り返り少しため息を漏らした。
「すみません、あの時はまだまだ慣れてなかったんです」
「それでも、今日は結構活躍しましたよ私。阪本君もほぼ無傷で済みましたし」と少しどや顔を混ぜてサクラは主張した。
「どうしてお前はそれを知っているんだ?」
「いや、まあ投げる時にそれ位の事分かっちゃいますよ。私を誰だと思っているんですか?」笑いながら自慢げに語っていた。
「ほぉ……」生徒を思う気持ちは分かるが、先生側にも少し位は配慮した行動をとってくれと言いたかった。しかし、今ここで言うべき事ではないので口をつぐんだ。
「さて、じゃあ私は仕事に戻りますので」
「本当に大丈夫なのか?」
「残り時間は短いですが私は最期まで頑張りますよ!」そう言い残し奴は部屋を退出した。ふぅ……と俺は自然にため息をつきながらソファに浅く座り込み前かがみで両肘を膝につけた。そして、その日の午後、阪本君の母親が学校へとやって来た。
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