第18話
よろしくお願いいたします。
七年前―円形の吹き抜けになっているそこにはいくらかのテーブルが並べられ、周辺には程よい感じで観葉植物が植えられている。お昼時の為か、人が多くいて、天井から入って来る日射量も多い。そこで私は向かいに座る水色のワンピース姿の女性と料理を挟んで話合っていた。
「菜々美は教師か……ちゃんと夢叶えててすごいね」と私は頬杖をつきながら目線を逸らしてつぶやく。
「いやいや、さっちゃんの方が自衛隊だなんてすごいじゃないの。結構大変じゃないの?」
「まぁ、あの規律正しい生活には結構辟易してしまうよ」
「なんだか厳しそうだね」
「本当にそうだよ」
「学校にはもう馴染めたの?」
「うーん、まあそこそこね。でも、私も結構辟易しているよ」と彼女は苦笑いを浮かべていた。
「そうなの? 教師ってやっぱり大変なの?」
「まあ、体力的にも精神的にもしんどいかな。私、仕事のスピードも遅いから時間がかかって仕方無いし。生徒からも完全に舐められちゃっているしね」
そう口を動かす菜々美の顔はその大変さを物語るには十分な程に疲労感がどっとその時には滲み出ていた。学生時代の彼女は病弱でよく学校を休んでいた。その反面、内面はとても明るく、会話をしているとその弱さというのは表面からは垣間見る事が出来ない。彼女に隠す意図は恐らく無いのだろうが。
「最近は風邪ひいてない?」
「うん、まあそれは大丈夫だよ!」
「そうか、それは安心だ」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「そりゃどうも」
「……ぷっ」と菜々美は思わず吹き出してしまった。それに釣られて私からも自然と笑いが零れた。
「大学生になってからは高校の頃みたいに毎日会える訳じゃないから、こういう時くらいは心配してあげなきゃね」
「まあ、忙しいもんね」
「それはそうと、菜々美はもっと体力つけないと駄目だよ」
「それは周りの先生からも言われているよ。特に家庭科の先生とか」
「へぇ、優しい先生だね。どんな感じの先生なの?」
「えっと、ちょっと変わっていてね。万田先生って言って毎日タンクトップで生活してる変わった先生なんだけどね」
「えっ、まっ、毎日?」
私はグラスの水を吹き出しかける所であったがギリギリの所で耐えた。
「そう、毎日」
コクリと頷く菜々美の表情には嘘をつく様な事は無かった。
「何それ?」
「その先生、滅茶苦茶にガタイが良くてそれを自慢したいのか分からないけどタンクトップを着ているの」
「……変わった先生がいるのね」
「うん、でも、優しいんだよなぁ」
「そうなの?」
「そうそう、前なんて私が昼にサラダしか食べていなかったらマズイでしょって言って私の分のお弁当まで作ってきてくれるの。職場の席が私の隣だから」と言いながら彼女はフォークで器用にパスタを巻きつける。
「ふーん」
「あと、合宿とかだとカレーを作ったりするらしいよ」
「へぇ、懐かしいね合宿」
「そうだね……私は欠席しちゃったからね」
「ああ、そうだっけか」
「そうそう」
「それにしてもお弁当を作ってきてくれるなんて気があるんじゃないの、そのタンクトップ」
「まさか!」
「ははっ。ああ、それより―」と一つ笑ってみせてから、別の話題を振ろうとしたところ。
「お待たせしました」
私たちのテーブルに新しい料理が運ばれてきた。一体のアンドロイドによって。長い髪を後ろで束ねていたソレは一見すると人間と見分けがつかない。が、名札を見れば直ぐに機械だと分かる様になっていた。そのついでに空いている皿も器用に重ねて回収していった。
「なんだかここ数年でアンドロイドが増え始めてきたね」
「ええ、そうね」
彼女の言う通り、ここ数年でアンドロイドは街中では頻繁に見かける事が多くなってきていた。
前にもネット記事でも見たが、アンドロイドに関する新しい法律ができるとか書いてあった。まあ、経営者でもない私にとっては至極どうでも良い事だった。
それ故に、目の前の料理が誰によって運ばれてきた事もどうでも良かった。
ただ、菜々美は少し違ったらしい。
「はぁ、いいなぁアンドロイド……」とため息交じりに呟く。
「えっ、何が?」
「いやぁ、ウチの学校にもアンドロイド欲しいなぁと思ってさ」
「ああ、確かに、教育現場にも導入され始めているよね。ほんの一部の学校だけだけど」
「そうなんですよ……我が母校は貧乏だからそんな金無いし、補助金も大した事無いし」と言いながら菜々美はテーブルに突っ伏した。
「でも、いずれは導入されるんじゃ?」
「いずれって……ウチの校長の頭の硬さを舐めちゃだめだよ」
「ああ、まだあの人がやっているのか」
「本当に、何年かかるか分からないよアレは……」
「やっぱり教育現場も大変なんだね」
「そりゃもう、書類作成に授業の準備にテスト作成とかとか帰っても仕事残っているし! それに生徒指導もやったよ」そう言いながら菜々美はグラスの水を一気に飲み干した。
「えっ? もしかして今日忙しかった?」
「いいや、今日はまだ大丈夫だよ。ご安心を」
「なら良かった……って生徒指導もするんだね」
「アタマエよ! 前なんて三時間くらい説教したわ」
「へぇ、どんな感じだったの?」
「まあ、よくある喧嘩だよ。カップル同士のね」
「ふーん……って、カップル同士?」
「そうそう、まあ喧嘩両成敗だったけどね」
「菜々美のそう言うなんにでも体当たりしていく姿勢だけは尊敬するよ」
「そりゃどうも」そうこう話をしている間にまた前に来たのと同じアンドロイドがやって来た。
「お水のお代わりはいかがでしょうか?」
「あの、一ついいですか?」菜々美は片手を挙げる。
「なんでしょうか?」水を注ぐ手を止めてアンドロイドは彼女の方に顔を向ける。
「ウチの学校で働きませんか?」
「って、何を聞いてるのよ!」と私は勢いよく席から立ち上がってしまった。
「あの……クレームでしょうか?」
「いや、その気にしなくていいので大丈夫です!」
私がそう言い切るとアンドロイドは理解したのか水を一杯まで注いでその場から去っていった。
「あんたは相変わらずね。いきなりとんでも無い事言い出すのは。困ってたでしょ?」
「ええ、そりゃまあ。私だって困っているんだから助けて欲しいんですよぉ」
「だからって接客中の店員をお持ち帰りしようとしちゃだめでしょ」
「へいへい」と言い、頬杖を突きながら去りゆくアンドロイドを彼女は目で追いかけていた。
「もうなんなら私がアンドロイドになって全力で生徒の為に働きたいくらいだよ。風邪もひかなきゃ、病気知らずだしね」
その時の菜々美の眼には少しばかり憧れに似た何かが灯っていた。
それから数か月後、彼女は死んだ。
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