第15話
よろしくお願いいたします。
先ほどの店を後にして商店街のアーケードから少し離れた所を歩いていた。
俺は両手に袋を携えていた。
「あの、先生持ちましょうか?」
「いいえ、これ位なら問題ないですよ」亡き友人の事を聞いて暗い雰囲気にしてしまった事に責任を感じていた。荷物自体はそこまで重くない。でも、俺の気持ちはかなり重い。そうして歩いているとふと目の前を歩く人物に意識が向いた。
「あれっ、あの子は確か一年の……」
「ああ、松井さんですね」
「先生のクラスですよね?」
「ええ。でも、おかしいですね。あの子、確か部活で今日が練習日のはずなのですけど」彼女は卓球部に所属していてかなり強いらしい。その証拠に彼女は推薦で入学した生徒だと前に教えてもらった事がある。
「少し追跡してみましょう」口火を切ったのは佐山先生だった。
「つっ、追跡って、尾行するって事ですか?」
「ええ、そうです。何か嫌な予感がするので」
「そう……ですか」野生の勘というものなのだろうか。
俺にはそんな予感なんて微塵も無かった。
まあ、学校の信頼に関わる様な事案につながればそれはそれで問題だ。佐山先生の言う通りにその場で注意する事はせず泳がせてみる事にした。
「どうやらあそこが目的地のようですね」と佐山先生が指さす先には歩道ぎりぎりまでに所狭しと並べられたママチャリ。それらがスーパーマーケットに沿って並んでいた。
さびれた看板が掲げられお世辞にも清潔感があるとはいい難い外観。店に入ると賑やかな音楽が聞こえて来る。「これって―」
「ただの買い物って事でいいんですかね?」と佐山先生が一言。
取り敢えず何かしらの犯罪に巻き込まれている可能性は低いと思いひとまず安心した。
しかし、一応寄り道という扱いになり補導対象になり得るので追いかける事にした。
「って、先生、それ何持っているんですか?」
「えっと、ついでに買い物して行こうかなと。マルチタスクってやつです」そう言った先生の腕には買い物かごがぶら下がっていた。
「……あの先生……買い物は仕事と関係ないですよね?」
「いいえ、家事も立派な仕事だと思います」
「……家事ってプライベートですよね?」
「それよりターゲットは今どこに……」話題を逸らされた。どうやら是が非でも買い物して帰りたいらしい。それよりも、なんで自分の生徒をターゲットって……と心の中で呟いた。それと同時に一つの情報が頭の中に思い出された。佐山先生は元々自衛隊の人間だという事を。
「じゃあ先生、コレを持って行ってください」そう言うと先生はどこに隠し持っていたのかトランシーバーを手に持っていた。
「……コレで何を?」
「ですからターゲットの捜索ですよ」
「ですからじゃないですよ……って、先生?」彼女は足早に俺の目の前から姿を消した。どうやら強制イベントらしい。やむなく、二手に分かれて捜索をした。
しかし、俺達二人は彼女の姿を捉える事ができなかった。
もしかしてもう店にはいないのではないか?そう思い始めた矢先―佐山先生から入電、いや、連絡が入った。
「現在、精肉コーナーにてターゲット補足。繰り返す……」とトランシーバーから音声が聞こえてきた。先生の肩を叩くと直ぐに気付いてもらえた。
しかし、こちらに振り向く事はなく肩越しにグーサインを示してくれた。
「二時の方向にターゲット補足」その一言に従ってよく見ると一人の女性が鉄板を前に何かを調理していた。それこそ松井さんだった。
「対象はどうやら、学校の制服、では無く、スーパーの制服を着ている模様。学生のクセに中々のステルスセンスです。称賛に値します」
いや、松井さんに隠れる気なんてないだろう、と内心で思った。
「突撃する」その一言を残して先生は俺を果物コーナーに置き去りにしたまま松井さんの前まで早歩きで向かった。俺も遅れまいと仕方なく後に続く。
すると先生は真っ先に用意されていた爪楊枝に手を伸ばした。
「えっ、先生?」バイト先に担任がやって来た場合にもっともな反応。
「何をしているんですか松井さん?」
「えっと、バイト……です」一応、ウチの高校はバイト禁止である。
つまりバイトしていれば補導対象となるのだが。
「すみません、家が貧乏なもので、私も稼がないとやっていけないんです……」
「あらそうなんですか……そうですね見逃しましょう!」
「いやいや……どうして味方になっているんですか?」
「だって可哀そうじゃないですか!」
「可哀そうって、そういう問題じゃないでしょ」
「それじゃあ、校長先生が説教の手本を見せてくださいよ。先生の方が教員歴長いんですよね?」
「あっ……そっ、そうだな(そうか、会社員ではなく教員をしていたという設定だったか)」佐山先生の眼差しが光って見えた。
「えっと……」
この様なシチュエーションになると意外と思いつかないものである。
「まあ、うん次からは気を付けろよ!」
無理だった。何これ。何言ってんだよ俺。
「えっと……次からというのは」
松井さんが真剣な目をこちらに向けてきていた。
「今回は見逃すという意味だ」
もはや説教ではない。というか、怒るのって意外なと感じられた。
「あの校長」
佐山先生はスッと手を挙げた。
「ルールを改正していただきたいのですが?」
「えっ?」
「このように家計の為に働く事を余儀なくされている学生もいるのが実情です。なので、特別な状況にある学生はバイトできる様にするルールを作るべきです! お願いします!」そう言うといきなり佐山先生は頭を下げた。
「えっと、佐山先生……頭を」
「あの、校長先生、自分からもよろしくお願いします!」松井さんも同じように頭を下げた。その光景を見た周りの客の視線が一気に俺に向かって注がれた。それと共に押し寄せる気まずさ。耐えきれなかった。
「ああ、分かりましたから、検討しますから!」なんだろう、この立場になって相手から頭を下げられる機会が多くなってきているなと感じていた。
そして結局、この事がきっかけで特例があればバイトを合法化する運びと後になって決定した。
それからというもの先生は微塵も説教をすることなく、俺の存在さえも忘れて松井さんと話合っていた。
「あの、外で待っていますんで……」と言っても二人は話で盛り上がっていて聞く耳を持たなかった。傍から見ると、若い主婦と学生バイトの交流である。
よし、外で待つか。きっと、次は俺がターゲットになって先生が探し出してくれるだろう。そう考え、出口の方に歩みを進める。
すると―
「あれ……」と目前に映った人物に対して声が出た。
目の前には先ほど激励してくれた母校の元担任が歩いていたのだ。どうしてこんな所に先生がいるんだろう? と疑問を覚えた。
というか、先生の見回りの範囲はここら辺の地区じゃないはずだ。それに見回りは二人一組のはず。相方の先生はどうしたのだろうか?
そこで俺は気になったので先生に話かけてみる事にした。
「先生?」
「……えっと、どちら様でしょうか?」と明らかにさっき話をし合った元担任の先生だった。
「いや、さっき会ったじゃないですか」と俺が一時間くらい前に会ったにも関わらず、まるで初対面の様に語りかけて来る。
「さっき会った? 何を言っているんだ桜井君」
「……先生、今俺の名前を」
「あっ」と言った時の表情は学生時代には見た事も無い様なものだった。珍しかった。
「まさか先生さぼっているんですか?」
「ああ、そのまさかだよ。少し話すか?」
「いや、結構です……」
「おいおい、そう硬い事言うなよ」
「……」
スーパーの外にある薄汚れたプラ製のベンチ。
そこにどっしりと座りこみ先生はタバコをふかす。時折、横にある落書きされた灰入れに灰を落とす。吐く煙が周囲に漂う。
このスーパーの外では分煙なんていう概念はないらしい。赤子連れの女性は少し避けて店内へと入っていった。
ぼーっとその煙を目で追っていると先生が缶コーヒーを渡してくれた。それに加え先生はパンを買ってきたらしい。
「食うか?」と袋から半分だけ顔をのぞかせたパンが差し出されていた。
「いいえ、遠慮しておきます。ありがとうございます」と丁重に断る。「そうか」と言ってかじりついていた。タバコを吸いながらパンにかじりつくその姿は異様な光景に見えた。そんな先生は一息つくと話をし始めた。
「彼女は出来たか?」
「はい?」と俺は唖然としてしまった。
「そんなに変な質問だったか?」
「いやいや、明らかに変ですよ。久しぶりに会った教師と生徒の話題が恋愛だなんて」
「はは、そうか? そいつは悪かった」なんだか先生は上機嫌な感じで俺に話かけてきていた。決して酔っ払っている訳では無い。
「じゃあ、お見合がいいのか? そうなんだな?」
「いや種類の問題じゃなくて、もっと、仕事の話とか近況報告とかありますよね?」
「ああ、お前はそっちの方が好きなのか、じゃあ、質問を変えよう」
「どうして学校を引き継いだ? お前、親父さんの事をあんなに嫌っていたクセに」
「えっと、親孝行になるかなと思ったので」
「まさか親父さんのか?」
「いいえ、母の……です」言葉に詰まりながらも俺は話を続ける。
「俺、大学出てから六年近く経っているのに何も孝行できていなかったんです。それに親父との対立で色々と迷惑をかけてきましたから」
「そっか……でも、本当にお前はそれでいいのか?」
「それどういう事ですか?」
「あんだけ嫌っていた親父の形見である学校を継承するなんてどういう風の吹き回しかと思っていたんだ」
「別に俺はアイツが父親だと認めてないですよ。単純に母への孝行が理由ですよ。どうして母があの高校にこだわっているのかはわかりませんが」
「お前校長になる前からあの高校にいた訳じゃないんだろ?」
「ええ、まあ。一応他の高校で教師をしていただけなんですけどね(という設定なんだけどな)」
「そうか、お前も少し垢が蔓延ってきたんじゃないのか?」
「どう言う事ですか? 垢抜けたのではないって事ですか?」
「いいや、高校時代のお前はあの年にしてはどこか垢が……抜け過ぎていたからなぁ」
煙を吐きながら何かを思い出すかの様に遠くを見つめていた。
「教師と生徒とはそう言う関係があるんじゃないのかなって思っているんだよ」
「そういうものなんですかね」
「所詮教師と生徒なんてものは一時の浅い関係しかない。俺達はあくまでもガキどもの成長のお手伝いをしているに過ぎない。それ以上でも以下でもない。介入しすぎもしなさすぎも駄目。程よい塩梅を保つためにはあんまり力入れすぎるのも良くはない。
だからあの当時、お前が将来、親父さんの学校を継いで教師にでもなっていたらと想像すると無理あるなと思っていたんだよ。でも、安心した。お前も少しはノリが良くなったじゃないか。アレくらいに軽いノリじゃないとこの先やっていけなくなるぞ」
「アレくらい? って、どうゆう事ですか?」
「いや、お前も俺の事を言えた口じゃないだろ? さぼって何をしていたか知らんが」
「……って、まさか」
「ああ、あの若い先生にちゃんと付いて行っていて笑えたぜ。ははっ」
「……」俺は何も言葉が出ず恥ずかしい思いをさせられた。見られていないと思っていた事が実は見られていた。それ分かった時は誰しもがとてつもなく恥ずかしいと感じるだろう。
「すまん、すまん、見てない事にしておくから」
「……」
「ああ、それと言い忘れていた。当たり前の事だけど、自分で選んだ選択は自分の責任だって言うのを忘れちゃならない。親に言われて嫌々その道に進んで後悔しても、それに抗えなかった自分の責任って事だけは忘れるな」こう言った時の先生の眼差しは真剣そのものであった。
「それ位の事分かっていますよ(頭の中では……)」と軽く受け流す様にして対応した。
「さて、そろそろ戻らねえと新米君が帰ってきそうだ」と言って先生はスーパーの入口の前で別れた。先生の後ろ姿を見送ってからすぐに別の人物が声を掛けてきた。すっと目をやるとその人物は青い制服に身を包んでいた。
「あの私、警察の者なんですけど少しお話よろしいでしょうか?」
「はっ?」俺は素っ頓狂な声で反応した。
「不審者の情報が寄せられたのですが……万引き犯かもしれない男女が身をかがめて周囲を警戒しているという情報が寄せられましたので」
「えっ……いや、これはその違くてですね」俺はその後、警察の誤解を解くのにある程度の時間を要した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。