第10話
よろしくお願いいたします。
朝食を取り終えた後は生徒達によるドッジボール大会が開かれる予定となっている。
が、他方今の俺にはそんな事どうでもよかった。
雲一つない青空が広がっていたが今の俺の心は嵐の真っただ中。
宿泊所の裏にある小さなグラウンドで競技は行われる予定だ。
そこから四クラスからなる十二班によるドッジボール戦が始まる。
スペースや人手の関係上効率が悪いが一試合ずつ行う事になっていた。
生徒達が頑張る一方で俺は色あせたプラスチック製の長椅子に腰を掛けた。
某炭酸飲料のロゴがほとんど見えない感じにボロボロになっていたが大して気にはしない。
目の前には砂のグラウンド。
その周囲は木々に囲まれ気持ちいい風が体を通っていくのを感じていた。
グラウンドの中央に長方形をかたどる様に引かれた白線。
その中で早速一戦目が始まった。
▽▲
時間が経過していくにつれ予選、準決勝が順調に終わっていった。
その光景をぼーっと見ていると、どこからか視線を感じた。
すると、「隣いいすか?」と後ろから声がした。
目をやるとそこには麦わら帽子を被った姫野先生が立っていた。
「ええ」と答えると彼女そっと席に着いた。
「足の調子はどうすか?」と何のためらいも無くこちらの調子を伺ってくる。
「まあぼちぼちといったところですよ」
「そっすか」少し強い風が吹き抜ける。
「そう言えば先生ってサクラ先生と仲良しっすよね?」
「仲が良い様に見えますか?」
なんかコレ前にも松井さんから聞かれた様な気が……。
「というか見えない方が……」
途中で姫野先生の言葉が止まると同時に後ろの方を彼女は素早く振り返る。
「どうしたのですか?」
「いや、なんだか今誰かの視線を感じた様な気が……」
「えっ、視線ですか?」
「……まぁ、気のせいだと思うっす」
「そっ、そうですか」それから色々と話をした。
先生と話をしたり試合の観戦をしたりしている間に太陽が頭上に来ている事に気づかされた。 白線の内側では準決勝の準備がなされていた。
その試合は昨日、俺が入る予定のチームの戦いだった。
メンバーにはあの機械女の他にも俺によく話かけてくる松井さん。
そして運動音痴の四条さん。
どうやら、二人は今日の試合だと敵同士らしい。
「おっ、噂をすればサクラ先生だって……でもコレって先生入って本当に大丈夫なんすか?」
「まあ、人が足りないから仕方がないらしい。それに今回はオリエンテーションも兼ねているし、ここで生徒と教師の仲を少しでも縮めるという目的も達成できるからな」
「ああ、なるほど。だったら―」
と納得した様な感じで頷いた。
「どうしたのですか?」
「いや、何にもないですよ。私達は静かに見守りましょう」
そして相手の班には佐山先生の姿があった。
体育教師の彼女は先ほどの予選を見る限りでは回避能力はかなり高い。
しかし、正直、投げる威力やスピードについてはそこらの女子生徒と大差ないくらいであった。
「多分、佐山先生は本気なんて出さないのじゃないかな」
「どうしてわかるんですか?」
「なんとなくそんな感じがする。それに彼女って―」
「元自衛隊員ですよね。僕も入学式の時に知りましたよ……」
そうこう話をしている間に準決勝が始まった。
序盤から両者ともコートの内の人間が両チーム二人ずつのメンバーが明らかに戦況を左右していた。
右手のコートにはサクラと松井さん。
そしてもう一方のコートには佐山先生とガタイの良い男子学生が俺の中では目立って見えた。
俺の代わりとしてサクラが入ってくれているがそうでなければこの状況は実現しなかったであろう。
気が付くと、俺の姿勢は前かがみになっていた。
「おやおや」隣からも少し驚きの声が聞こえてきた。
周りで見守っている生徒達も次第に盛り上がり、場の雰囲気が運動会の様になってきていた。
ただ、観客サイドとは裏腹に当の選手たちは集中している様に見えた。
初めに球を投げたのは佐山先生。
松井はそのボールを空中で上手い具合にキャッチする。
そして器用に着地したと思えば同時に相手の足元を狙う。
ボールは直線的なコースを描く。
そして佐山先生の足を直撃した。
しかし、結果からしてコレはセーフになった。
ボールが地面に着く手前、彼女は姿勢を低くし地面に這いつくばるような勢いで掌の上にボールを乗せたのである。
まるで豪快に金魚すくいをする様な感じで金魚を、いやボールを掬い上げたのだ。
「あそこだけ今、重力おかしくなかったすか?」と姫野先生の少しビビった様な声が聞こえてきた。
「……」
俺こそ姫野先生の方を見て解説してもらいたい勢いだった。
この光景にはグラウンドに集った全員が驚いていた。
ただ、そんな周囲の反応とは別に彼女は普通にボールを持ち直した。
そこから普通に投げる格好だったが、ボールに命が宿ったかの様に自然と松井に向かって突き進む……かと思われた。
しかし、当たる直前に彼女の前にサクラが頭から飛んで入りボールを外野へと押しやった。
頭に当たればセーフというルールを使ったのだろう。
チーム内の人数が減る事は無かった。
その場にずっこけたサクラは素早く起き上がり体勢を立て直す。
松井さんは倒れたサクラに向かって何か声を掛けて気遣っている様子だった。
ただ、ここからだと何を言っているのか判然としない。
すると、サクラはその言葉に応えたのか胸を張りどこかしら自信が漲る感じで接していた。
それも何を言っているかはよく聞こえないが、恐らく大丈夫だという事を言っているのだろう。
そして、そのまま試合は続くかと思われた。
「あっ……」というのは俺が漏らした声。
二人の背後にボールを抱えた生徒が迫り思いっきり投げつけたのである。
それが幸か不幸かそのまま奴の背中にふわりと直撃したのである。
投げた人物は運動音痴の四宮さんだった。
昨日の様子だと最弱の生徒の様に思われていた生徒。
そんな彼女に松井さんは背後を取られたらしい。
ボールが当たり一瞬の沈黙が流れた後、相手のチームからは拍手が起きた。
完全に気を抜いていた松井さんは呆然とした顔でそのまま訳も分からぬ様な感じで外野の方へと向った。
残ったのはサクラ一人と佐山先生の二人だけになった。
「やっぱり、あの二人の一騎打ちになったすね」
「ええ、まあ」そう言いながらも心の中では奴が変な事をしないか、不安を拭い去る事は出来なかった。
一方、いつもふわふわとした様な雰囲気を醸し出している佐山先生。
いつもとは異なる彼女の情熱的なオーラを醸し出しており、コートの外にまで伝わってくる。
明らかに目つきが違う。
アレは触れてはいけない何かだとさえ感じてしまった。
二人にボールが行くとそこは一気に地獄と化す。
お互い譲らぬ剛速球。
それを自然と受け止めたりよけたりしている。
周囲に沸き立つ砂塵。
偶に零れたボールを生徒達が投げる様子を見て比較するとどれだけ二人が人間の枷が外れた獣かが良く分かる。
先生の前では獣などと呼べないが。
この場に生徒がいる事自体がおかしい環境となっていた。
最早ここまで来ると生徒達もいっそ興味を持つ所か人間離れした二人を観て少し引いているようだった。
生徒と教師の交流とは? と、疑問符が浮かんだ。
というか、佐山先生は人間じゃないのではと思えるほどだ。
もしや佐山先生も機械なのだろうか? とさえ考えてしまった。
まあ、それはなんでも考えすぎだと思うが。
すると―佐山先生の投げたボールが変な方向に曲がった。
そして、それは生徒のいる方へと舵を取る。
刹那、その生徒の前にサクラが割って入った。
勢いづいた球はそのままサクラの頭部を直撃。その場に倒れ込む。
「おっ、おい」と俺は突然の出来事に立ち上がる。
「おい、大丈夫か?」と近づいていき体を揺らして反応をうかがう。
しかし、反応がない。
顔を見るとまるで車がスリップした様な感じで頬にボールの跡が黒く刻まれていた。
もしや本当に壊れたんじゃあるまいなと心配したが、それと同時に俺はある事を思いついた。
ああ、でも、サクラ自身で行動した結果として障害が生じてしまった場合、確か修理代として保険が適用されるんじゃないのか。
そう考えると自然にニヤけてしまった。
こんな奴はとっとと別の、もっと真面目でキリっとした性格にチェンジさせておきたい。
きっとコレを原因とした修理に出せば少し位まともな性格になって帰って来るかもしれない。
コイツの脳みその修理代は高すぎるし保険も適用外ときた。
でも、コレが原因で修理可能になれば、と考えると嬉しくて仕方なかった。
さらに口元が緩む。
一応であるが、加入済みの保険は事故にあった場合であれば修理代を全額負担してくれる。
それに加えて事故にあったというデータもきっと奴の脳内に記憶されているに違いない。
つまり合法的に無料で修理。いや、新品と交換も可能なのである。
そうなればラッキーだ。
「だだだっ、大丈夫ですか?」と直ぐに試合を中断して佐山先生が奴の所にやって来て地面に膝をつきサクラの肩を全力で叩いていた。
しかし、奴の目は大きく見開き、そのまま口をぽかんと開けた状態だった。
全くバカな面をしてやがる。
二度と拝む事はないだろうから、と俺はこっそりスマホで奴の顔を撮影した。
まあ、コレで見納めになるかもしれないからな。
「取り敢えず養護教諭の……って今回はサクラ先生が担当だったんですよね?」
「いや、さっちゃん、彼女は人間じゃないから養護教諭は不要っすよ」
「あっ、そうか、ロボ、いやアンドロイドでしたね」
「とりあえず姫野先生は、万田先生を呼んできてください。それと修理業者にも連絡をお願いします。佐山先生は僕と一緒に生徒達の整理をお願いします」
▽▲
その後、修理業者が来た。
奴は端的に言えば、あまりに急で強い衝撃を頭部に受けた為に緊急停止したらしい。
所謂、打ちどころが機械的に見てかなり悪い部分だったらしい。
ただ、人が投げたボールが当たった事について修理屋の人間に言ったら驚かれた。この事は女性である佐山先生の前で言うのははばかられた。
業者を見送るとサクラのいる寝室へと向かう。
寝室に入ると姫野先生と佐山先生の二人がベッドに向かって椅子に腰かけていた。二人に向かって声を掛ける。
「お疲れ様です」
「ああ、校長おつかれ様っす」
姫野先生はゆったりとした口調で返答してくれたが、ショックを受けているせいか佐山先生はそのまま俯いたままだった。
「でも良かったすね、システム系統に障害が残らなくって」
「ええ、そうですね」
「……校長、なんだか悔しそうな顔していますけど、どうかしたんすか?」
「えっ、ああ、いや何でもない」
無意識に感情が顔に出てしまっていたのだろう。
ただ、一方でサクラの方を見る佐山先生の表情は明らかに落ち込んでいる様子がこれでもかと滲み出ていた。
「でももう少しで腕の機能にダメージが出るところだったと聞いて私はヒヤリとしました」
「まあ、交換してしまえば何とでもなりますよ。所詮はただの機械ですから」
「たとえそうだとしても、申し訳ないです……」
強い責任感。
それを持っている彼女に対して少し面倒臭さを感じてしまう事がある。
特に、責任問題となると真っ先に自分の責任を追及しがちな性格に感じる。
俺の親父を彷彿とさせる。
「でも、先に仕掛けてきたのは紛れもなくサクラの方。佐山先生は何も悪くありません。それに生徒に被害が出なかったので良かったです」
「先生、コイツにそんな責任感持たなくっても大丈夫ですよ。本当に壊れていたら、何度も言いますけど新しいモノと交換できます。それにコイツの変わりなんていくらでもいますから」
俺はこの言葉が佐山先生を慰めてくれるものだと信じていた。
しかし―
「あの、校長」
「どうかしましたか?」
「校長はサクラ先生の事をどういう存在だと考えているのですか?」
「どういう存在って、ただの機械じゃないですか。あんなの壊れてしまっても保険がおりる……」
「お金の問題じゃないんです!」
「えっ……」
一瞬、その場が凍り付いた。
「替えが効く、効かないって、確かにサクラ先生の代わりはいるでしょう。でもそれって私達だって同じですよ。目の前にいるサクラ先生はこの世に一つしか存在しません。それなのに、そんな言い方はどうかと思います。桜井先生は最低です!」
そう言うと佐山先生は部屋から出ていった。どうやら彼女の癪に触れたらしい。
「追いかけなくても大丈夫なんすか?」
「えっと……」
一体、俺の発言のどこに怒らせてしまうポイントがあったのかこの時にはまだ分からなかった。
故に一対一で話すとなると、どう切り出せば良いか……それが足を重くした。
姫野先生と試合を観戦したボロボロのベンチ。彼女はそこにいた。
空が次第に暗くなっていく。
その中で一人項垂れている彼女の姿からはどこかただならぬオーラが出ていた。
あの、と声を掛けようとした刹那―
「先生、すみませんでした。突然、怒ってしまって」
「俺の方もすみませんでした。気分を害させてしまって」
「いいえ、いきなり場の空気を乱してしまったのは私の方ですし」
「……」
「私はサクラ先生も教師の一員だと考えて接しています」
「それは、俺も同じです」
「では、どうしてサクラ先生の事をそんな軽く扱うのですか?」
「……これは、職業病かもしれませんね」
「えっ?」
「いや、前の職業で営……」
「営?」
「いいえ、前に勤務していた学校にもアンドロイドがいました。故障する度に僕が業者とのパイプ役になって対応していて大抵の傷や障害も交換する事で元に戻っていましたので、正直、アンドロイドも所詮は機械なのだなという考えが強くなってしまったのかもしれません」
「なら、私もですね」
「えっ?」
「自衛隊にいた時の事を思い出してしまって……仲間意識が低い隊員が私の部隊にいまして、実はその隊員の独断行動のせいで別の隊員が亡くなったのです。
勿論、私もそれに気が付けなかった事にひどく責任を感じました」
「えっ……(フラッシュバックさせてしまったのか)」
「私はサクラ先生の事を同業者であると考えています。ですから仲間を先ほどの様に交換可能だと言われて少し腹が立ってしまったのです」
「確かに、サクラ先生は仲間です。彼女の能力がどうであったとしても……」
「少し分かっていただけて感謝します」
「感謝される様な事は何も」
「いいえ、私の考えを汲み取っていただくなんて。さすがは校長先生ですね」
「そんな大層な」
「いいえ、リーダーは人の上に立つ者として人の声に耳を傾ける事が仕事の上では大切ですからね」
「あっ、なんかありがとうございます」
「いえいえ」
仲間か―俺の前職では、アンドロイドとは売り物の道具でしかなく、それ以上でも以下でもなかった。
それにも関わらず仲の良い職場の仲間のほとんどが鉄塊に取って変わられてしまった。
なので、俺からすれば、基本的にこいつらは仲間の席を強制的に奪っていった奴らなのである。
売り込む為の商売道具。
気が付けば俺の仲間の多くがそれに置換されていた。
良い気分なんて微塵もしない。
一緒に飲む相手もほぼ消え、顧客に対する愚痴を言い合う事もできない。
機械に愚痴を言えば、つまらぬ説教が後に続くに決まっている。
俺からすればアンドロイドという存在は忌むべき相手の一つなのだ。
そしてそれはサクラに対しても根底では変わっていない。
彼女の発言にも一理あるのは認めざるを得ない。
しかし、アンドロイドに仲間と仕事を奪われた身としては尊重なんてしたくもない。
あくまでも仕事上の関係でそう思って割り切るしか無い。
ただ、やはり、仲間だと本心から思うには俺にとってはまだ早い。
ポッと出の機械が何十年も積み重ねて生きてきた人間の席を呆気なく奪い去る。
一人一人、あのドラ息子のお気に入りの機械にとって代わっていく。
それを俺はただ傍観している事しかできなかった。
そんな事を考えているとふと親父の事を思い出した。
親父もアンドロイド嫌いだった事をふと思い出していた。
自分も父と同じようになっている事を自覚すると寒気がした。
ただ一方で、あの頑固な親父でさえも職場では機械人間と働く事を我慢していただろうというのは容易に想像できた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。