第1話
よろしくお願いいたします。
「来月から来なくていいから」
俺に掛けられた一言。
目の前のデスクに両肘をつき、見くだす態度で接する男。
広い社長室の中。後光の如く斜陽がブラインダーから漏れる。
「はっ? 冗談ですよね?」
何の前触れも無い発表。
仕事終わりのタイミングもあってか驚きを隠せず聞き返した。
「僕が……冗談を言うとでも?」と言うと傍らに置いていた吸い掛けの紙タバコをくわえ煙を吐き出す。
不潔な吐息が自分の周りに漂い始めると俺は気づかれない程度に眉を顰める。
「君は確かに業績も働き方も悪くはない。いたって普通だ。ただなぁ、必要だという事も無い。代わりを雇った方が安上がりだし、君よりも優秀な人材もいる」
そう言うと目の前の豚、もとい、社長はドアの近くに立っていた秘書らしき女性に向かって手招きをする。
銀の長髪が似合うスタイルの良い……なんて気にしている余裕なんてない。
そんな俺でも強制的にそう思わせてしまう雰囲気を纏っていた。
その秘書は社長に対して一礼すると、ヒールの音を立てながら社長の真横へと移動してきた。
見た事のない人物だがおおよそ素性に関して見当はついていた。
「ああ、君なんかよりも彼女の方が魅力的で優秀なんだよぉ。心も体もなぁ。それに俺の言う事も良く聞くしなぁ」とその秘書の尻を触りつつゲスな笑みを浮かべ始めた。
つい俺は不快なものを見せつけられて表情が歪むのを自覚した。
一方で、触られている本人はというと。
微塵も動じることなく表情一つさえ変えない。
まあそれも当然かと俺には納得できた。
なんて言ったってこの秘書は人間ではないのだから。
この秘書はアンドロイド、つまり機械である。
そしてセクハラ行為等というモノは機械に対しては存在しない。
コピー機のボタンを連打した所でセクハラ認定されない事と同じである。
無論、設定や注文次第で様々な性癖にも対応可能で何も問題にはならない。
そこらへんは営業担当の俺からすれば……いや、これ位の事は世間的にも知られた内容といったところか。
こんな奴が社長をしているが、業績自体はそこまで悪くない。
今のところは……。がしかし、コイツが社長の座に就いてからというもの、裏では法律すれすれ、いや、違反している事をいくらかしているのを俺は知っている。
現に奴の横に立っているアンドロイドに関してもそうである。
アンドロイドがある程度蔓延したこのご時世―法律も生き物の如くこの変化に適応し始めてきた。
その一つにイチ企業内の社員の内、アンドロイドが占める割合に制限が定められた。
それを超えては駄目というものである。俺がガキの頃には無かった法律だ。
ヒトの雇用を確保する為に作られた法律。企業に対して課せられたルール。それをこの会社は平気で破っている。
現に俺のデスクの脇は金属製のヒトで固められている。社長の好みなのか知らないが機械達は全員が女性を模して造られていた。
それもどれもこれも美人ぞろいときた。
全く、上が腐ると組織って言うのはいとも簡単に変わってしまうものなのだなと痛感させられる。
「おい君、聞いているのかね?」
社長のガス抜きが終わったらしいが、俺は何の話も聞いていない。
取り敢えずこのいけ好かない野郎が舵を取る会社を俺は去る事になったらしい。
「後任への引継ぎまでしっかりと責任持てよ!」
さっきまでの俺の対応に苛立ったのか、奴は少し大きな声で俺に命令を下した。
俺はこの会社にどうして入ったのかなんてどうでもいい事だ。
でも、このドラ息子が組織のトップになってからというもの、コイツに逆らう事を言った奴は文句なしでほぼ全員クビ。
運が良くて、無関係の部署に左遷、と言った様な被害を被っていた。
そして、俺もこの度、眼を付けられた。
理由は大体察しが付く。
コイツの癪にでも触る様な事でもしたのだろう。
「せめて理由くらい聞かせてもらえますか?」
「理由? そんなの、この会社のより良い発展の為にきまっているだろう。君に払う金があるならこの子に使った方がマシだからなぁ」と言い再び人工の尻に手を伸ばす。
相変わらずな表情を機械は浮かべる―
微塵も抵抗しない様子を見ていると気持ち悪いと感じてしまう。
抗えない様に生まれた時からプログラミングされた存在だから仕方ないのか。
この個体に対してこういう所には全くもって人間味を感じられない。
「なぁ、秘書さん。一つ、聞いてもいいか?」と俺は無表情な機械に話しかける。
「何でしょうか?」
「お前は社長の言ったこの理由をどう思う?」
数秒程の沈黙―
「弱きモノは強きモノに淘汰されるのは当然の事。これこそが自然の摂理でありますから問題ないのではないでしょうか」
自然の摂理ね。
淡々とした口調で返答してきた。
ペットは飼い主に似るというが、主がこんな奴ならコイツの未来も悲惨なモノになるのだろうなと少しだけアンドロイドという存在に同情の念を抱いた。
コイツは自分の秘書には無駄に金をかけているという噂があった。
その噂通りに金を、特にハード面にかけている様だった。
アンドロイドと言うのは自分の好みに合わせて色々と初期設定が可能であり金を掛ければかける程、自分好みにアレンジできる。
そこにはランクが存在していて……なんて、こんな知識は最早来月からどうでも良いという事になるのか。
そう考えると自分の中で何かが切れた。
「あんたみたいなのが社長をしていたらこの会社、いずれ潰れますよ?」
「何だと?」
「あんたは前社長、つまり、あんたの父親とやり方も理念も違い過ぎる。今はまだ大丈夫かも知れないがすぐにガタがきますよ。こんなやり方を続けているならね」
「ちっ」
舌打ちをすると同時に奴の表情がパッと見ただけで険しくなったのがわかった。
「お前はパパのお気に入りだったから多少は使えると思って特別においてやっていたが結局大した貢献もしていないじゃないか! そんな人間の言うセリフなんて信用に値しないだろが!」と一向に俺の言葉を信じるつもりは無いようだった。
「そうですか……」
俺は何の抵抗も見せないまま扉の方へと向かいドアノブに手をかけため息をつく。
「じゃあ、せいぜいお人形さんたちと束の間の娯楽をお楽しみください、クソ社長」
そう言って振り返る事なく吐き捨ててデスクへ戻った。
「何だと貴様! 侮辱するつもりか? おいっ!」
奴は頭に血が上っている様子がドア越しに廊下に響く。
しかし、俺は歩みを止めない。
人の話を全く聞かない奴には何を言ったって聞かないし、効かない。
奴に対しては理路整然に訴えるだけでは意味がなかった。
そして、どうやらこの男にとって、コミュニケーションの歯車はヒトより機械との方が潤滑に回るらしい事が改めて分かった。
▽▲
自分のデスクに戻ると手を緩める事無く、両サイドの社員が柔軟に、かつ迷いなく手を動かしていた。
鉄塊のクセに良く動くなと思いつつ席に着く。
言うべき事を言った満足感と来月から仕事が無くなる絶望感が同時に襲い掛かり複雑な心境になった。
正社員の仕事、なんてモノは直ぐには見つからない。
ただ、この会社から切り離されて収入が途切れる事を考えると不安の方が次第に強くなってきていた。
クビを言われた瞬間は驚いた。
しかし、どっちみち先が暗い(と少なくとも俺は考えている)会社に居続けても……と考えると逆に今くらいが潮時なのかもしれない。
前社長の時は仕事が楽しく、やりがいも今以上に感じていた。
でも、ドラ息子に変わってからは言うまでも無く―。
楽しさも、やりがいも希薄になった。
奴に逆らう提案をしたモノは真っ先に切り捨てられ、代わりにアンドロイドが入社、否、導入されてくる。
そういうのをこれまでに何度も見てきた。
その様子を見て誰も何も意見しなくなった。
俺以外の皆がイエスマンという凶器に化けていった。
そして、この度、俺も機械と入れ替わる事になった。
とはいえ、来月から無職。仕事を探さねば。
そう思いながらそっとスマホを持つと通知が来ている事に気づく。
何件かの不在着信と母からのメール。
そこには先ほど、父が亡くなったという事実と、葬式の日程が記されていた。
時計を見るとよもや五時になろうとしていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。